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江口亮輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江口 亮輔
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県清須市
生年月日 (1984-08-12) 1984年8月12日(40歳)
身長
体重
175 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

江口 亮輔(えぐち りょうすけ、1984年8月12日 - )は、愛知県清須市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

経歴

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愛知県一宮市大成高校(大成高校の野球部は江口の代で廃部)出身。高校時代は打者としても高い評価を受けたが、腰痛を抱えており、投手としてフル稼働できる状態ではなかったことも一因であった。

愛知学院大学にはセレクションで入学。同校の野球部寮では当時4年生でエースだった筒井和也と相部屋だった。2005年、3年時の第54回大学選手権で初戦救援登板したが平野佳寿投手擁する京産大に12奪三振完投で敗れる。同年秋は第36回明治神宮大会2回戦で先発し、高市俊投手擁する青学大相手に6回2失点で交代もチームはサヨナラ勝ちして準決勝進出。2006年、4年時の第37回明治神宮大会は初戦(2回戦)の大隣憲司投手擁する近大戦で救援登板したが決勝打を浴びて2-3で敗戦。秋は明治神宮大会代表決定戦の決勝で同じ愛知大学野球リーグ2位の中京大を相手に完封して、本大会出場したが初戦の近大戦で救援したが9回に失点して惜敗。通算28試合登板し11勝1敗。

2006年千葉ロッテマリーンズに大学生・社会人ドラフト5巡目で指名を受け、11月30日に仮契約し、入団。

2007年2008年と一軍登板はなく、2009年は怪我の影響もあり二軍でも登板がなかった。同年10月1日、戦力外通告を受ける。

2010年春、野球教室~Eguchi~(現・野球教室~Will~)をオープンした。

選手としての特徴

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140km/h台のストレートとキレの良い大きく縦に割れるカーブを得意としている。
他に特筆すべきは、走者を釘づけにする牽制のテクニックであり、中部大学戦では4回を投げて4つの牽制死をとっている。

人物・エピソード

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ソフトボール日本代表江口未来子は実妹である[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 69 (2007年 - 2009年)

脚注

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  1. ^ 【母子鷹(おやこだか)~ソフトボール選手がお母さん】”. ソフトボール博物館 (2018年9月2日). 2024年6月16日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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