「ロード・ウォリアーズ」の版間の差分

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2009年10月19日 (月) 22:42時点における版

ロード・ウォリアーズThe Road Warriors)は、アメリカ合衆国プロレスラーであるホーク・ウォリアーアニマル・ウォリアーによって結成されたプロレスタッグチームのユニット名。

同様のタッグチームでリージョン・オブ・ドゥームLegion of DoomまたはLOD2000)のユニット名でも活動した。入場テーマ曲はブラック・サバスの『IRON MAN』。

何度かメンバーの追加や変遷がなされており、正式に認定されているロード・ウォリアーはホーク・ウォリアー、アニマル・ウォリアー、ドロズパワー・ウォリアーハイデンライクの5名である。

概要

それぞれ「クラッシャー・ボン・ヘイグ」「ジョー・ロウリネイティ」のリングネームでデビューしていたマイケル・ヘグストランドジョセフ・ロウリネイティスが、1983年NWAジョージア地区(GCW)のレスラー兼プロモーターだったオレイ・アンダーソンのブッキングでタッグを結成。マネージャーにはプロレスラーを引退したポール・エラリングが就く。当初はエラリングが率いていたバズ・ソイヤージェイク・ロバーツキングコング・バンディザ・スポイラーアーン・アンダーソンヒール軍団「リージョン・オブ・ドゥーム」の一員としてデビューした。

マイケルとジョセフはリングネームをそれぞれホーク・ウォリアーアニマル・ウォリアーとし、タッグのチーム名は1981年に公開された映画『Mad Max 2: The Road Warrior』の世界観からザ・ロード・ウォリアーズと名付けられ、外見のイメージも同映画に登場する荒くれ者を踏襲。初来日時には「シカゴ用心棒をしていた」「貧困の時代にはネズミを食べていた」などと宣伝された。

両者とも顔にペインティングを施し、頭髪をアニマルは「モヒカン刈り」、ホークはそれと対を成すように「逆モヒカン刈り」にした。これはホークの顔が優しすぎるのをカバーするためだったという。入場時は巨大な棘の付いたアメフトのプロテクターをコスチュームに、サードロープの下から滑り込むようにリングインし、コールも受けずにそのまま暴れ回る試合が多かった。しかし、ファイトスタイル自体はあまり凶器攻撃などは行わない正統なもので、ヒールのポジションにありながら、次第にファンの支持を獲得。今までにない、ヒールとベビーフェイスを融合させた新しいスタイルの確立に成功する。試合は常に秒殺勝利であり(彼らの試合時間は(3を180のように)秒単位で実況されていた)、そのインパクトと存在感から圧倒的な人気を獲得するようになった。

1983年にジョージア地区でデビュー後、NWAナショナル・タッグ王座を通算4回獲得。1984年からはAWAに移籍、当初はジョージア時代と同様にヒールのポジションだったが、人気が高まりベビーフェイスに転向。その後はジム・クロケット・プロモーションズを経てWCWのリングにも上がり、日本には全日本プロレス新日本プロレスSWSに来日。WWF(現・WWE)に参戦した際は、NWAジョージア時代のユニット名であるリージョン・オブ・ドゥームを名乗った(WWFに「ロード・ウォリアーズ」の名称権を奪われるのを嫌ったため)。その後のアメリカプロレス界の激変を受け、NWA、AWA、WWFの三大メジャー団体の世界タッグ王座を制覇した史上唯一のタッグチームとなった。

アニマルの途中欠場や解散・再結成の紆余曲折を経て、いずれのリングでも大活躍したが2003年にホーク・ウォリアーが急死したため、事実上の解散となった。

その後アニマル・ウォリアーはロード・ウォリアー・アニマルとなり、2005年ハイデンライクをリージョン・オブ・ドゥームに招き入れWWEタッグ王座を獲得した。

日本での活躍

初来日は1985年3月の全日本プロレス「激闘! エキサイティング・ウォーズ」。アニマル浜口&キラー・カーンをあっと言う間に片付けてしまうという衝撃的なデビューを飾る。以降、「暴走戦士」の異名で全日マットを主戦場とし、ジャンボ鶴田天龍源一郎谷津嘉章らを相手に激闘を展開。当時としては珍しい「秒殺」といえる程の短時間で勝負を決めたり、劣勢に追い込まれそうになると勝敗を度外視して暴走し、やりたい放題でリングを後にすることも珍しくなく、その破天荒さで会場を大いに沸かせた。ただし、アメリカでのスケジュールが多忙だったため、世界最強タッグ決定リーグ戦には一度も登場していない。全日本への来日は1989年3月まで続いた。

1996年4月には新日本プロレスに参戦。アニマルの欠場中にホークが「ヘルレイザーズ」としてタッグを組んでいたパワー・ウォリアーと合体して「トリプル・ウォリアーズ」を名乗った。

ジャイアント馬場の追悼大会となった1999年5月の全日本東京ドーム大会で全日復帰、アニマルの弟ジョニー・エースと組んで6人タッグマッチに出場し、小橋健太秋山準ハクシー組を破った。

2001年12月には、ZERO-ONE「真撃」に登場している。

余談だが漫画北斗の拳』には、ロード・ウォリアーズをモデルにしたと思われるハズとギルのハーン兄弟が登場している。賞金稼ぎのアインに捕らえられ首から下をコンクリートで固められた上に、頭に水滴を垂らし続ける拷問にもビクともしない強靭な身体の持ち主として描かれている。また、漫画『プロレス・スターウォーズ』に登場するロード・ウォリアーズはみのもけんじ一流の描写で現実以上の怪物的なチームとして描かれ、話題を呼んだ。

年表

獲得タイトル

アニマル&ホーク
ヘルレイザーズ
LOD2005(アニマル&ハイデンライク)

入場テーマ

偽ロード・ウォリアーズ

NWAでのロード・ウォリアーズの活躍にあやかり、WWFを始め他団体でもウォリアーズを真似たギミックのタッグチームがいくつか誕生した。

デモリッション・アックス(マスクド・スーパースターとして知られるビル・イーディー)とデモリッション・スマッシュ(クラッシャー・クルスチェフ、リポマンなどで知られるバリー・ダーソウ)のコンビ。ウォリアーズとの契約に難航していたWWFが1987年に独自にプロデュースした、WWFオリジナルのタッグユニットである。後にアックスに替わりデモリッション・クラッシュ(ブライアン・アダムス)が加入。当初はヒールとしてWWFに登場したが、マネージャーミスター・フジと仲間割れしてからはベビーフェイスに転向し、下記のパワーズ・オブ・ペインなどと抗争を展開。しかしウォリアーズがWWFに移籍してくると、再びフジと結託してヒールターンし、ウォリアーズのライバルとして抗争を繰り広げた。もともと実力者同士のギミックチェンジによって誕生したチームだけに、単なるコピー版に止まらない実績を残した。
  • パワーズ・オブ・ペイン
バーバリアン大相撲出身のコンガ・ザ・バーバリアン)とウォーロードのコンビ。元々はNWAでウォリアーズのフェイク版として本家と抗争を展開していた。上記のデモリッションのライバルとしてWWFに引き抜かれたが、本家ウォリアーズもWWFに移籍してくるとチームを解散してシングルに転向。バーバリアンはボビー・ヒーナンをマネージャーに毛皮のコスチュームをまとった野人ギミックに、ウォーロードはスリックをマネージャーに鎧を身に付けた剣闘士ギミックに変身したが、徐々にフェイドアウト。
  • アメリカン・スターシップ
コヨーテ(スコット・ホール)とイーグル(ダニー・スパイビー)のコンビ。1985年NWAミッドアトランティック地区で結成され、カンザスなど中西部エリアにも遠征した。顔面ペイントは施さず髪型もロングであるなどビジュアル面では従来のタッグチームと変わらなかったが、リングネームを含めチームコンセプトはウォリアーズの影響下にあった。オレイ・アンダーソンとアーン・アンダーソンミネソタ・レッキング・クルーなどの名チームとも対戦したが、大きな活躍を果たすことなく解散。その後、ホールはAWA、スパイビーはWWFへ転出した。
  • ブレード・ランナーズ
ロック(ジム・ヘルウィッグ)とスティング(スティーブ・ボーデン)のコンビ。1986年に南部地区で結成されたが、キャリア不足もあって短命に終わった。チーム解散後、ヘルウィッグはフリッツ・フォン・エリックのWCCWを経てWWF、ボーデンはビル・ワットのMSWAを経てNWA(WCW)に転戦し、それぞれシングルの世界王座を獲得することになる。

外部リンク

関連項目