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清水義之 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清水 義之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都調布市
生年月日 (1963-09-19) 1963年9月19日(61歳)
身長
体重
174 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1987年 ドラフト4位
初出場 1988年5月1日
最終出場 1996年5月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

清水 義之(しみず よしゆき、1963年9月19日 - )は、東京都調布市[1]出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物

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拓大一高から社会人野球スリーボンドに進む。社会人時代は、1985年都市対抗野球に出場してベスト8。以後2年は補強選手として出場した[2]

1987年のプロ野球ドラフト会議で、横浜大洋ホエールズから4位指名され入団[1]

1990年須藤豊が監督になると銚子利夫に代わりサードのレギュラーを獲得する。春先に強く1990年、翌1991年と開幕ダッシュのきっかけを作った。

1991年6月5日の対広島戦、同点の9回裏に一死満塁の場面でインフィールドフライを打ち上げるも、捕手達川光男インフィールドフライのルールをど忘れしたことから、三塁走者の山崎賢一が本塁に生還、サヨナラゲームとなった。これは、日本プロ野球史上初のサヨナラインフィールドフライとなった事例である。

1992年シーズン中に監督の須藤が成績不振を理由に休養し江尻亮が監督に就任すると、ショートのレギュラーに抜擢されていた石井琢朗がサードに回され、石井の前にショートのレギュラーだった進藤達哉がショートに戻った。これに押し出される形で、清水は以後控えに甘んじることになる。

1993年の開幕直前、森山良二中村日出夫両選手との交換トレードで西武ライオンズに移籍[1]。移籍初年度は低打率ながら11打点と代打、守備に難がある鈴木健の守備固めとして試合数は少ないもののリーグ優勝に貢献した。日本シリーズにも初出場した。

1996年開幕前、金銭トレードで阪神タイガースに移籍するも、阪神では無安打に終わりこの年限りで現役を引退した[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1988 大洋 5 6 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .200 .333 .200 .533
1989 28 63 56 5 13 2 0 1 18 3 0 1 3 1 2 0 1 17 1 .232 .267 .321 .588
1990 122 425 364 34 96 14 4 4 130 45 4 2 14 4 39 1 4 58 5 .264 .338 .357 .695
1991 129 517 448 55 119 24 2 5 162 54 10 0 11 4 48 5 6 56 8 .266 .342 .362 .704
1992 96 352 278 35 62 9 1 4 85 29 2 2 32 4 36 1 2 51 7 .223 .313 .306 .618
1993 西武 41 66 59 2 12 3 0 0 15 11 0 0 1 0 6 0 0 12 1 .203 .277 .254 .531
1994 13 17 12 1 1 1 0 0 2 1 1 1 1 0 4 0 0 5 0 .083 .313 .167 .479
1995 12 16 16 2 4 0 0 1 7 5 1 0 0 0 0 0 0 3 0 .250 .250 .438 .688
1996 阪神 8 12 12 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 7 0 .000 .000 .000 .000
通算:9年 454 1474 1250 134 308 53 7 15 420 149 18 6 62 13 136 7 13 210 22 .246 .324 .336 .660

表彰

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記録

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背番号

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  • 5(1988年 - 1992年。厳密には1993年オープン戦まで)
  • 22(1993年 - 1996年開幕前)
  • 53(1996年開幕 - 同年終了)

脚注

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  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、275ページ
  2. ^ 都市対抗野球大会60年史 毎日新聞社刊

関連項目

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外部リンク

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