正慶
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改元
[編集]元徳3年8月9日(ユリウス暦1331年9月1日)、後醍醐天皇は「元徳」から「元弘」へと改元した。しかし、後醍醐天皇が倒幕を企てると、鎌倉幕府は改元を認めず「元徳」を使い続けるとともに、9月20日(10月22日)には皇太子の即位を要請して、光厳天皇が即位した。翌年、後醍醐天皇は隠岐に流され、元弘2年4月28日(1332年5月23日)、光厳天皇は正慶に代始改元した。出典は『易経』益卦の注「以 二 中正有慶之徳 一 、有 レ 攸 レ 往也、何適而不 レ 利哉」[1]。勘申者は菅原公時、菅原長員[2]。
しかし、正慶2年/元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が還幸して鎌倉幕府は滅亡した。5月25日(7月7日)に光厳天皇は退位し、正慶の元号は廃された。その翌年の元弘4年1月29日(1334年3月5日)には建武へと改元された。後醍醐天皇はこのとき、光厳天皇の即位と「正慶」の元号の無効を宣言した。
西暦との対照表
[編集]※は小の月を示す。
正慶元年(壬申) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月 | 十二月※ | |
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元弘二年 | |||||||||||||
ユリウス暦 | 1332/1/28 | 2/27 | 3/27 | 4/26 | 5/25 | 6/24 | 7/24 | 8/22 | 9/21 | 10/20 | 11/19 | 12/19 | |
正慶二年(癸酉) | 一月※ | 二月 | 閏二月※ | 三月 | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月 | 十二月※ |
元弘三年 | |||||||||||||
ユリウス暦 | 1333/1/17 | 2/15 | 3/17 | 4/15 | 5/15 | 6/13 | 7/13 | 8/11 | 9/10 | 10/10 | 11/8 | 12/8 | 1334/1/7 |