天平感宝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天平からの改元は749年のことであるが、同年のうちに天平勝宝に改元されたため、後に書かれた書物では天平感宝の元号が使われることはない。『正倉院文書』や木簡には「天感」「感宝」と省略されている例が見られる。
改元[編集]
天平感宝年間の出来事[編集]
- 天平感宝元年(749年)
- 5月:大安寺など12寺に墾田地・稲などを寄進する。
- 7月:諸寺の墾田地の限度額を定める。
西暦との対照表[編集]
※は小の月を示す。
天平感宝元年(己丑) | 一月 | 二月※ | 三月※ | 四月 | 五月 | 閏五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ユリウス暦 | 749/1/23 | 2/22 | 3/23 | 4/21 | 5/21 | 6/20 | 7/19 | 8/18 | 9/16 | 10/16 | 11/15 | 12/14 | 750/1/13 |
関連項目[編集]
![]() |
ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。 |
飛鳥時代 | |||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
奈良時代 | |||||||||||||||||||||
平安時代 |
| ||||||||||||||||||||
鎌倉時代 |
| ||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||
安土桃山時代 | |||||||||||||||||||||
江戸時代 |
| ||||||||||||||||||||
近代 | |||||||||||||||||||||
現代 (1945 - ) | |||||||||||||||||||||
注1:元号の後の年代は元年と末年に対応する西暦。赤背景の改元は和暦では年末だが西暦では年始の時期に行われており、換算に注意を要する。 注2:「白雉」は孝徳天皇崩御の年までとされる。 注3:「朱鳥」は天武天皇崩御の年のみとされるが、『万葉集』によると687年から694年まで続いたとされる。 注4:「天平感宝」は元年のうちに改元されたため、後の時代には使われない。 注5:源氏政権の「寿永」は元年に代えて使用開始年を記し、「正平」は南北統一の年と再分裂の年を、「観応」は復活の年をあわせて記す。 注6:「天正」元年以前の西暦はユリウス暦、「天正」末年以後はグレゴリオ暦による。 注7:「明治」以後は一世一元の制が採用されている。 注8:「昭和」は1947年5月3日の日本国憲法の施行により、元号の法的根拠は消失した。その後、1979年に制定された元号法附則第二項において『昭和の元号は、本則第一項(『元号は、政令で定める。』)の規定に基づき定められたものとする。』とされ、元号の法的根拠が明記された。 |