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森浩二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森 浩二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県四万十市
生年月日 (1962-01-01) 1962年1月1日(62歳)
身長
体重
179 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1979年 ドラフト2位
初出場 1982年6月21日
最終出場 1993年9月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

森 浩二(もり こうじ、1962年1月1日 - )は、高知県中村市(現:四万十市)出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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高知商高では、2年生時の1978年に、主戦投手として夏の甲子園に出場。決勝戦に駒を進め、PL学園高と対戦する。エース西田真次と投げ合い、2-0とリードして9回裏を迎えたが、優勝を目前にして逆転サヨナラ負けを喫した[1]逆転のPLも参照)。翌1979年春の選抜は、2回戦で牛島和彦香川伸行らのいた浪商高に惜敗[2]。同年夏は県予選準々決勝で安芸高に敗退、甲子園には届かなかった。1年下のチームメートに中西清起がいる。

1979年のドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。

1982年には一軍に上がり登板。

1983年8月に初勝利、10月には初先発を果たす。

1988年には自己最多の42試合に登板。

1989年にも40試合に登板。いずれもチーム最多であった。しかしその後は故障もあって登板機会が激減。

1992年オフに西岡剛投手との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。

1993年は中継ぎとして21試合に登板し、リーグ優勝にも貢献するが、同年限りで現役引退。

2007年までオリックスのアシスタントスタッフ(打撃投手)を務めた後に、オリックスの選手寮「青濤館」の副寮長を務める。その後、2010年8月2日に前任の保谷俊夫の急逝により後任として寮長に就任した。

2013年7月1日からオリックスの編成部プロスカウト、2017年からオリックスの編成部プロ調査グループ長に就任した。

甲子園を沸かせた左腕もプロでは左のワンポイント要員に終始。また1球敗戦投手を2度記録しているのは森だけである。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1982 阪急
オリックス
4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 3.2 4 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.64
1983 13 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 114 24.0 34 3 7 0 1 8 0 0 20 16 6.00 1.71
1984 23 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 166 40.1 46 6 6 0 2 14 0 0 24 23 5.13 1.30
1985 12 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 59 12.1 15 2 6 0 1 3 0 0 9 9 6.57 1.70
1986 35 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 139 31.2 35 6 5 0 3 25 0 0 18 14 3.98 1.26
1987 32 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 145 33.1 44 7 8 0 2 17 0 0 20 18 4.86 1.56
1988 42 0 0 0 0 2 1 0 -- .667 228 54.1 61 4 12 3 1 23 1 0 25 22 3.64 1.34
1989 40 0 0 0 0 1 2 0 -- .333 115 27.2 25 3 9 1 1 11 0 0 15 14 4.55 1.23
1990 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 9 2.0 4 2 0 0 0 1 1 0 2 2 9.00 2.00
1991 3 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 13 2.0 6 1 0 0 0 1 0 0 6 4 18.00 3.00
1992 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 24 4.1 9 1 0 0 2 1 0 0 7 6 12.46 2.08
1993 ヤクルト 21 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 57 13.2 13 1 4 0 0 6 0 0 4 4 2.63 1.24
通算:12年 231 2 0 0 0 4 6 0 -- .400 1083 249.1 296 36 59 4 13 110 2 0 150 132 4.76 1.42
  • 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更

記録

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初記録
  • 初登板:1982年6月21日、対近鉄バファローズ前期10回戦(藤井寺球場)、8回裏から3番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初勝利:1983年8月2日、対近鉄バファローズ15回戦(平和台野球場)、2回表2死から2番手で救援登板、3回2/3無失点
  • 初先発登板:1983年10月7日、対近鉄バファローズ24回戦(岡山県野球場)、2回1/3を1失点で勝敗つかず
その他の記録

背番号

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  • 34 (1980年 - 1992年)
  • 12 (1993年)
  • 100 (1994年 - 2007年) ※打撃投手

脚注

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  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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