東海稔
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東海 稔(あずまうみ みのる、1924年3月14日 - 1963年6月10日)は、東京都品川区北品川出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は近藤 稔(こんどう みのる)。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭14枚目(1953年3月場所)。現役時代の体格は174cm、166kg。
来歴
[編集]14歳の時、元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門し、1939年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は「御殿山」で、これは、出身地の北品川にある山に因んでいる。
その後幕下まで昇進するも、1944年に応召され、復員後の1945年6月場所を以って廃業した。
しかし、1950年に再度、伊勢ヶ濱部屋へ入門。同年5月、「東海」の名で幕下から力士としての経歴を再開した。
巨体と寄りを武器に順調に番付を上げ、1952年1月場所で新十両に昇進。そして、1953年3月場所にて入幕を果たした。初土俵から14年2ヶ月かかっての、悲願の新入幕であった。
以降、1957年11月場所まで計8場所幕内を勤めるも、勝ち味の遅さが祟って幕内上位への進出は果たせずに終わっている。
現役晩年は幕下3枚目まで降下し、1959年5月場所後、35歳で再廃業。
その後、東京中央郵便局に勤務していたが、1963年6月に39歳で病没した。
主な戦績
[編集]- 通算成績:305勝310敗18休 勝率.496
- 幕内成績:44勝76敗 勝率.367
- 現役在位:48場所
- 幕内在位:8場所
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
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1939年 (昭和14年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | x | x |
1940年 (昭和15年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | x | x |
1941年 (昭和16年) |
西序ノ口17枚目 5–3 |
x | 西序二段44枚目 7–1 |
x | x | x |
1942年 (昭和17年) |
西三段目38枚目 7–1 |
x | 東幕下38枚目 7–1 |
x | x | x |
1943年 (昭和18年) |
西幕下11枚目 3–5 |
x | 西幕下20枚目 4–3–0 (1分) |
x | x | x |
1944年 (昭和19年) |
東幕下14枚目 4–4 |
x | 西幕下9枚目 3–2 |
x | x | 西幕下4枚目 2–3 |
1945年 (昭和20年) |
x | x | 西幕下8枚目 休場 0–0–5 |
x | x | x |
1946年 (昭和21年) |
x | x | x | x | x | x |
1947年 (昭和22年) |
x | x | x | x | x | x |
1948年 (昭和23年) |
x | x | x | x | x | x |
1949年 (昭和24年) |
x | x | x | x | x | x |
1950年 (昭和25年) |
x | x | 西幕下6枚目 5–10 |
x | 西幕下15枚目 8–7 |
x |
1951年 (昭和26年) |
東幕下12枚目 8–7 |
x | 西幕下10枚目 8–7 |
x | 東幕下6枚目 10–5 |
x |
1952年 (昭和27年) |
東十両15枚目 9–6 |
x | 東十両9枚目 10–5 |
x | 西十両3枚目 8–7 |
x |
1953年 (昭和28年) |
西十両2枚目 11–4 |
東前頭14枚目 7–8 |
西前頭15枚目 6–9 |
x | 西前頭17枚目 5–10 |
x |
1954年 (昭和29年) |
西十両筆頭 11–4 |
東前頭17枚目 3–12 |
東十両5枚目 1–9–5 |
x | 西十両16枚目 12–3 |
x |
1955年 (昭和30年) |
東十両7枚目 7–8 |
西十両8枚目 5–10 |
東十両13枚目 8–7 |
x | 西十両9枚目 5–10 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東十両14枚目 9–6 |
西十両9枚目 8–7 |
東十両8枚目 9–6 |
x | 西十両4枚目 9–6 |
x |
1957年 (昭和32年) |
東十両筆頭 9–6 |
東前頭22枚目 8–7 |
東前頭16枚目 5–10 |
x | 東前頭22枚目 7–8 |
西前頭22枚目 3–12 |
1958年 (昭和33年) |
西十両4枚目 8–7 |
東十両3枚目 5–10 |
西十両7枚目 6–9 |
西十両9枚目 5–10 |
西十両14枚目 8–7 |
西十両12枚目 7–8 |
1959年 (昭和34年) |
東十両14枚目 6–9 |
西十両19枚目 4–11 |
東幕下3枚目 引退 0–0–8 |
x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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泉洋 | 2 | 1 | 五ッ洋 | 1 | 1 | 岩風 | 1 | 1 | 及川 | 0 | 1 | |||
大岩山 | 1 | 1 | 大内山 | 0 | 1 | 大起 | 0 | 2 | 大田山 | 0 | 1 | |||
大ノ浦 | 1 | 3 | 大昇 | 0 | 3 | 大晃 | 1 | 3 | 小城ノ花 | 0 | 1 | |||
小野錦 | 1 | 2 | 大蛇潟 | 2 | 1 | 甲斐ノ山 | 1 | 1 | 神生山 | 1(1) | 1 | |||
神錦 | 1 | 3 | 起雲山 | 1 | 0 | 北ノ洋 | 1 | 0 | 清恵波 | 5 | 3 | |||
鬼竜川 | 0 | 1 | 九州錦 | 2 | 1 | 国登 | 1 | 2 | 鯉ノ勢 | 1 | 1 | |||
琴錦 | 1 | 0 | 潮錦 | 0 | 3 | 信夫山 | 0 | 1 | 大天龍 | 0 | 1 | |||
大龍 | 0 | 1 | 高錦 | 0 | 2 | 楯甲 | 0 | 1 | 常ノ山 | 0 | 2 | |||
鶴ヶ嶺 | 1 | 0 | 出羽ノ花 | 0 | 1 | 出羽湊 | 1 | 2 | 七ッ海 | 1 | 0 | |||
鳴門海 | 0 | 1 | 成山 | 0 | 2 | 羽嶋山 | 0 | 1 | 緋縅 | 0 | 3 | |||
福ノ海 | 2 | 0 | 福ノ里 | 0 | 2 | 房錦 | 0 | 1 | 藤田山 | 0 | 1 | |||
二瀬山 | 0 | 1 | 双ツ龍 | 1 | 0 | 宮錦 | 1 | 1 | 八染 | 1 | 2 | |||
吉井山 | 1 | 4 | 吉田川 | 1 | 2 | 芳野嶺 | 1 | 0 | 若葉山 | 1 | 1 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝の数。
改名歴
[編集]- 御殿山(ごてんやま、1941年1月場所-1945年6月場所)
- 東海(あずまうみ、1950年5月場所-1959年5月場所)