神生山清

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神生山 清(かみおいやま きよし、本名:村川 清(むらかわ きよし)、1931年5月24日-1982年1月19日)は、香川県高松市仏生山町出身で、二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。最高位は西前頭15枚目(1957年3月場所)。現役時代の体格は173cm、90kg。得意手は右四つ、小股掬い、寄りなど[1]

来歴・人物[編集]

父・佐吉は、仏生山町で袋を作る工場を経営していた。小学生の頃から郷土が生んだ人気力士・神風に憧れており、1946年暮れに巡業で高松市内を訪れた当人と地元の素人相撲で活躍していた野口という人物の紹介で会った事がきっかけで、二所ノ関部屋へ入門。1947年11月場所にて、16歳で初土俵を踏んだ[1]

なお、同期の初土俵組には、後の前頭・大ノ浦や同・芳野嶺らがいる。当初の四股名は、本名と同一の「村川」。

体は小さかったが、持ち前の優れた運動神経と鋭い勘を生かして徐々に出世した。稽古熱心な力士として知られ、常に闘志溢れる相撲を取った。

その後、1954年3月場所で新十両に昇進。1955年9月場所では西十両8枚目の地位で13勝を挙げて十両優勝を遂げ、これを手土産に1956年1月場所で新入幕を果たした[1]。入幕時の年齢は、24歳であった。

右四つからの寄りの他、小股掬いなどを得意とした技能派力士だった。しかし、小兵力士にありがちの体力不足と膝の負傷もあり、幕内上位への進出は成らなかった。

1957年9月場所での愛宕山との一戦で足を痛め、翌場所で十両に落ちてからは幕内に復帰できず、十両下位で惨敗した1958年7月場所を以って廃業[1]

廃業後はトラック運転手に転身し、大阪市で運送会社(神生運輸株式会社)を営んでいた。

1982年1月19日、大阪市東淀川区内の道路で乗用車を運転中に、交通事故を起こして急逝した。享年50。

エピソード[編集]

  • 四股名は、故郷の仏生山町と、同郷・同部屋の先輩でもあった神風に由来している。
  • 相撲に対する熱心な態度は、先輩の玉乃海が「体は小さいが、実に良く稽古するね」と絶賛したほどであった。

主な戦績[編集]

  • 現役在位:38場所
  • 通算成績:250勝236敗30休 勝率.514
  • 幕内在位:6場所
  • 幕内成績:33勝44敗13休 勝率.429
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1955年9月場所=13勝2敗)

改名歴[編集]

  • 村川(むらかわ、1948年10月場所-1951年1月場所)
  • 神生山(かみおいやま、1951年5月場所-1958年7月場所)

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p35