五ッ洋義一

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基礎情報
四股名 高木 義一 → 五ッ洋 義一 → 五ッ海 義一
本名 高木 義一
生年月日 (1929-02-05) 1929年2月5日(94歳)
出身 長崎県南松浦郡有川町有川郷(現在の新上五島町
身長 168cm
体重 81kg
BMI 28.7
所属部屋 出羽海部屋
得意技 右四つ、下手捻り、出し投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭9枚目
生涯戦歴 147勝113敗45休(23場所)
幕内戦歴 44勝54敗7休(7場所)
優勝 序ノ口優勝1回
データ
初土俵 1947年6月場所
入幕 1952年1月場所
引退 1954年5月場所
備考
2019年7月24日現在

五ッ洋 義一(いつつなだ よしかず、本名:高木 義一(たかぎ よしかず)、1929年2月5日-)は、長崎県南松浦郡有川町(現役当時、現・同郡新上五島町)有川郷出身で、1950年代前半に活躍した大相撲力士出羽海部屋に所属していた。最高位は西前頭9枚目(1953年1月場所)。現役時代の体格は168cm、81kg。得意手は右四つ、下手捻り、出し投げなど。

来歴[編集]

18歳の時に上京し、出羽海部屋へ入門1947年6月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同一の「高木」。

身長170cmに満たない短身で、体重も80kg前後と体格に恵まれなかったが、差し身の巧さと足腰の強靭さでそうした身体面のハンディを克服。順調に出世し、1951年5月場所で新十両に昇進した。

翌年1月場所で新入幕を果たし、以後は幕内下位から十両で活躍した。

1952年9月場所では11勝4敗と幕内で自身唯一の2桁勝利を記録し、翌場所、自己最高位となる前頭9枚目まで番付を上げた。

しかし、同場所では6勝9敗と負け越し、上位への進出は果たせずに終わっている。

以降は左肘の怪我などもあって低迷し、十両12枚目まで陥落して1954年5月場所後、25歳の若さで廃業を表明。

廃業後は、沖仲仕に転身したという。

エピソード[編集]

  • 現役晩年の四股名「五ッ海」は、同郷・同部屋の先輩でもあった「五ッ海義男」に因んでいる。

主な戦績[編集]

  • 通算成績:147勝113敗45休 勝率.565
  • 幕内成績:44勝54敗7休 勝率.449
  • 現役在位:23場所
  • 幕内在位:7場所
  • 各段優勝
    • 序ノ口優勝:1回(1948年5月場所)

場所別成績[編集]

五ッ洋 義一
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1947年
(昭和22年)
x x 新序
5–0 
x x 東序ノ口筆頭
0–0–6 
1948年
(昭和23年)
x x 西序ノ口9枚目
優勝
5–1
x 東序二段17枚目
5–1 
x
1949年
(昭和24年)
東三段目24枚目
7–5 
x 西三段目9枚目
9–4–2 
x 西幕下22枚目
10–5 
x
1950年
(昭和25年)
東幕下13枚目
9–6 
x 東幕下7枚目
8–7 
x 西幕下5枚目
8–7 
x
1951年
(昭和26年)
西幕下3枚目
10–5 
x 東十両13枚目
11–4 
x 西十両3枚目
8–7 
x
1952年
(昭和27年)
西前頭20枚目
8–7 
x 東前頭17枚目
4–11 
x 東前頭21枚目
11–4 
x
1953年
(昭和28年)
西前頭9枚目
6–9 
東前頭11枚目
6–9 
東前頭15枚目
3–5–7[1] 
x 西前頭20枚目
6–9 
x
1954年
(昭和29年)
東十両4枚目
8–7 
東十両2枚目
休場
0–0–15
西十両12枚目
引退
0–0–15
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 高木 義一(たかぎ よしかず、1947年11月場所-1949年1月場所)
  • 五ッ洋 義一(いつつなだ よしかず、1949年5月場所-1953年9月場所)
  • 五ッ海 義一(いつつうみ よしかず、1954年1月場所-同年5月場所)

脚注 [編集]

  1. ^ 左肘関節骨折により8日目から途中休場

関連項目[編集]

外部リンク[編集]