内海孚
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内海 孚 うつみ まこと | |
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生年月日 | 1934年5月17日(90歳)[1] |
出生地 | 東京都 |
出身校 | 東京大学法学部第3類(政治コース)[2] |
前職 | 大蔵(財務)官僚 |
称号 | 法学士(東京大学・1957年) |
配偶者 | 有 |
日本格付研究所取締役社長 | |
在任期間 | 2004年6月 - 2014年6月20日 |
在任期間 | 1989年7月18日 - 1991年7月24日 |
在任期間 | 1986年6月10日 - 1989年7月18日 |
在任期間 | 1983年6月 - 1986年6月 |
在任期間 | 1982年6月1日 - 1983年5月10日 |
その他の職歴 | |
大蔵省主税局総務課長 (1981年6月 - 1982年6月) |
内海 孚(うつみ まこと、1934年(昭和9年)5月17日[1] - )は、日本の大蔵官僚。東海東京フィナンシャル・ホールディングス株式会社グローバル・アドバイザリー・ボード議長、公益財団法人東芝国際交流財団理事[3]。東京都中央区出身。
略歴
[編集]学歴
[編集]職歴
[編集]- 1957年4月 - 大蔵省入省(為替局総務課)
- 1959年6月 - 東海財務局理財部
- 1960年6月 - 大阪国税局調査査察部
- 1961年6月 - 主税局税関部企画課
- 1961年11月 - 関税局総務課調査主任[4]
- 1962年 - フランス政府給費留学生(フランス国立行政学院・フランス財務省)
- 1963年10月 - 外務省在ベルギー大使館二書記官
- 1967年10月 - 主税局税制第三課長補佐
- 1969年8月 - 主税局税制第一課長補佐(所得)[6]
- 1970年7月 - 主税局税制第二課長補佐
- 1972年7月 - 大臣官房文書課長補佐(審査)[7]
- 1973年7月 - 大臣官房文書課長補佐(総括・審査)[8]
- 1974年8月 - 内閣官房長官秘書官事務取扱
- 1975年7月 - 国際金融局国際機構課長
- 1977年6月 - 国税庁長官官房企画課長
- 1979年7月 - 主税局税制第一課長
- 1981年6月 - 主税局総務課長
- 1982年6月 - 東海財務局長
- 1983年6月 - 外務省在米国大使館財務公使
- 1986年6月 - 国際金融局長
- 1989年7月 - 財務官
- 1991年7月 - 財務官退任
- 1992年 - 慶應義塾大学商学研究科教授
- 2001年1月 - 財団法人国際金融情報センター理事長
- 2004年6月 - 株式会社日本格付研究所取締役社長
栄典
[編集]- 平成19年(2007年)11月27日 - フランスレジオンドヌール勲章コマンドゥール[9]
大蔵省入省同期
[編集]保田博(初代国際協力銀行総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、的場順三(内閣官房副長官(事務担当)、国土事務次官、内閣官房内閣内政審議室長)、藤田恒郎(北海道銀行頭取、証券局長)、大山綱明(日本関税協会理事長、全国清涼飲料連合会会長、関税局長)、森田一(衆議院議員)
脚注
[編集]- ^ a b 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.207
- ^ a b 朝日新聞人物データベース
- ^ 東芝国際交流財団 財団概要/理事・監事・評議員
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1963年発行、352頁
- ^ 先輩・後輩 在日フランス大使館、2013年05月2日。
また、内海の娘の芹澤ゆうは東京のリセ・フランコ=ジャポネ・ド・東京の前身校からパリ政治学院出身。世界経済フォーラム日本アドバイザー等を務めた(講演者略歴 第8回国際女性ビジネス会議、株式会社フォルマの芹澤ゆう社長が国家功労勲章を受章 在日フランス大使館、2010年)。 - ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1970年発行、459頁
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1973年発行、482頁
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1974年発行、488頁
- ^ 日本格付研究所の内海孚社長がレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールを受章 在日フランス大使館
外部リンク
[編集]- 世界覆う「逆転・逆流」現象 - 日本ビジネスプレス主催・内海孚講演要旨(2008年12月10日、JBpress)
- 日本格付研究所(JCR)
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