プラッキーリエージュ

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プラッキーリエージュ
1920年頃
欧字表記 Plucky Liège
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1912年
死没 1937年
スペアミント
コンサティーナ
母の父 セントサイモン
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 初代ミケラム男爵
馬主 J・D・コーン英語版
競走成績
生涯成績 13戦4勝
獲得賞金 £ 1,811
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プラッキーリエージュ (Plucky Liège)[1][2]、またはプラッキーリージ (Plucky Liege)[3][4]1912年 - 1937年3月)はイギリス競走馬。競走馬としては2歳時にわずかばかりの活躍をしたにとどまったが、繁殖牝馬となって産駒が走り出すと、12頭の産駒のうち出走した11頭すべてが勝ち上がり、6頭がステークスウイナー、2頭がクラシック競走に優勝、4頭がイギリス・アメリカフランスでそれぞれリーディングサイアーになった。

血統は父がスペアミント、母がコンサティーナ(その父セントサイモン)。16-a族

イギリスで初代ミケラム男爵英語版ハーバート・スターン英語版によって生産され、その所有で走った。2歳時にデビューしてからしばらくは名前がなく「コンサティーナの牝馬」として走り、その後ラッキーリージ(Lucky Liege、幸運な王[注 1])と名付けられる[5]

そのころ第一次世界大戦が勃発し、折りしもベルギーリエージュ(プラッキー「リージ」と綴りが同じ)ではドイツ軍相手に大激戦が繰り広げられていた。最終的にベルギー軍はドイツ軍に負けてしまうが、勇敢に戦ったベルギー軍を称え[注 2]本馬はプラッキーリージ(Plucky Liege、勇敢なリエージュ)と改名された[5]

この年は6戦のうち4勝を挙げ、主要な競走には勝っていないもののフリーハンデでは2歳牝馬として3位に格付けされている。 翌年はまったく活躍できず未勝利、1000ギニーでも着外に終わりそのまま引退した[5]

引退後はフランスで繁殖入りした[5]

ミケラム卿は繁殖として供用する目的でジェファーソン・デイヴィス・コーン英語版に預託していたが、ミケラム卿の急死によりそのまま所有するボアルセル牧場 (Haras du Bois-Roussel) に置いた[6]

その後、牧場の全てをコーンは売却し、購入したレオン・ヴォルテラフランス語版の元でボワルセルを生んだ[6]

25歳で死ぬまでに12頭の産駒を出し、エプソムダービー優勝馬となるボワルセルを産んだときには23歳であった[7]

25歳のときに死産し1週間後に死亡。生涯に12頭の産駒を残し、リーディングサイアーを獲得した4頭を中心に、優秀な産駒たちを通じての後世への影響は並の成功種牡馬を凌ぐほどである。

産駒[編集]

  • 1919年生・牝 - マルグリットドヴァロワ (Marguerite de Valois) 父テディ 4勝
  • 1920年生・牡 - サーギャラハッド (Sir Gallahad III) 父テディ 12勝、プール・デッセ・デ・プーランジャック・ル・マロワ賞 1930,1933,1934,1940年アメリカリーディングサイアー
  • 1921年生・牝 - ヌアジャハン (Noor Jahan) 父テディ 3勝
  • 1922年生・牡 - シヴァリー (Chivalry) 父グッドラック 2勝
  • 1924年生・牝 - ノーブルレディ (Noble Lady) 父テディ 2勝
  • 1926年生・牝 - エルザドブラバン (Elsa de Brabant) 父テディ
  • 1927年生・牡 - ブルドッグ (Bull Dog) 父テディ 2勝 1943年 アメリカリーディングサイアー
  • 1928年生・牡 - カトルブラ (Quatre Bras II) 父テディ 11勝
  • 1929年生・牝 - ディアーヌドポワチエ (Diane de Poitiers) 父アセルスタン
  • 1931年生・牡 - アドミラルドレイク (Admiral Drake) 父クレイガンエラン 5勝、1934年パリ大賞典、1955年フランスリーディングサイアー
  • 1933年生・牡 - ベルアセル (Bel Aethel) 父アセルスタン 4勝、1938年コロネーションカップ
  • 1935年生・牡 - ボワルセル (Bois Roussel) 父ヴァトー 2勝、1938年エプソムダービー、1949年イギリスリーディングサイアー

また、直仔以外の子孫にはケンタッキーオークス馬Keeper Hill、ベルモントステークス優勝馬Commendable英語版、種牡馬として活躍したFappianoオジジアン (Ogygian)Honour And GloryQuiet American英語版シーザリオエピファネイアトーホウジャッカルらがいる。

主なファミリーライン[編集]

  • Miss Agnes 1850 --- F-No.16-a
    • Frivolity 1867
      • Comic Song 1884
        • Concertina 1896
          • Plucky Liege 1912 ---↓改行

牝系図の主要な部分(太字はG1級競走優勝馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。

牝系図の出典:Galopp-Sieger

血統表[編集]

プラッキーリージ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 エクリプス系
[§ 2]

Spearmint
1903 鹿毛
父の父
Carbine
1885 鹿毛
Musket Toxophilite
West Australian Mare
Mersey Knowsley
Clemence
父の母
Maid of the Mint
1897 鹿毛
Minting英語版 Lord Lyon
Mint Sauce
Warble Skylark
Coturnix

Concertina
1896 鹿毛
St.Simon
1881 鹿毛
Galopin Vedette
Flying Duchess
St.Angela King Tom
Adeline
母の母
Comic Song
1884 鹿毛
Petrarch英語版 Lord Clifden
Laura
Frivolity Macaroni英語版
Miss Agnes F-No.16-a
母系(F-No.) 16号族(FN:16-a) [§ 3]
5代内の近親交配 King Tom M4×S5 = 9.38%, Newminster S5×M5 = 6.25%, Stockwell S5×S5 = 6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ[8]およびnetkeiba.com[9]
  2. ^ netkeiba.com[9]および競馬ラボ[10]
  3. ^ JBISサーチ[8]およびnetkeiba.com[9]
  4. ^ JBISサーチ[8]およびnetkeiba.com[9]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『世界の名馬』(原田俊治 1970) では「幸運な臣下」と訳されている。
  2. ^ 不幸な事態が有ったのに幸運なリージ市でもあるまいという理由とも。

出典[編集]

  1. ^ レスター 1971, p. 432.
  2. ^ 白井透 1969.
  3. ^ 原田俊治 1970.
  4. ^ 山野浩一 & 1992年、1996年.
  5. ^ a b c d 原田俊治 1970, p. 188.
  6. ^ a b 原田俊治 1970, p. 190.
  7. ^ 原田俊治 1970, p. 189.
  8. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Plucky Liege(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年3月4日閲覧。
  9. ^ a b c d Plucky Liegeの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2023年3月4日閲覧。
  10. ^ Plucky Liegeの繁殖牝馬情報”. 競馬ラボ. 株式会社ドゥイノベーション. 2023年3月4日閲覧。

参考文献[編集]

  • レスター, サー・チャールズ 著、佐藤正人 訳『サラブレッドの世界』サラブレッド血統センター、1971年。 
  • 白井透『日本の種牡馬録』 1巻、サラブレッド血統センター、1969年。 
  • 原田俊治『世界の名馬』サラブレッド血統センター、1970年。 
  • 山野浩一吉沢譲治『サラブレッド血統事典』二見書房、1992年、1996年。 

外部リンク[編集]