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トマス・ブロリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トマス・ブロリン
名前
本名 ペア・トマス・ブロリン
Per Tomas Brolin
愛称 小さなバイキング
ラテン文字 Tomas Brolin
基本情報
国籍  スウェーデン
生年月日 (1969-11-29) 1969年11月29日(54歳)
出身地 イェヴレボリ県ヒーディクスバル
身長 178cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF / FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1986 スウェーデンの旗 ネスビケンIF 36 (10)
1987-1989 スウェーデンの旗 GIFスンツヴァル 55 (13)
1990 スウェーデンの旗 IFKノーショーピング 9 (7)
1990-1995 イタリアの旗 パルマAC 133 (20)
1995-1997 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッド 19 (4)
1997 スイスの旗 FCチューリッヒ (loan) 3 (0)
1997 イタリアの旗 パルマAC (loan) 11 (0)
1998 イングランドの旗 クリスタル・パレス 13 (0)
1998 スウェーデンの旗 ヒーディクスヴァルABK 1 (0)
代表歴
1986-1987  スウェーデン U-18 9 (3)
1988-1992  スウェーデン U-21 16 (6)
1990-1995 スウェーデンの旗 スウェーデン 47 (27)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トマス・ブロリン(Per Tomas Brolin, 1969年11月29日 - )は、スウェーデン出身の元同国代表サッカー選手、ポジションはMF

クラブ経歴

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1990年、ワールドカップイタリア大会ブラジル戦でのゴールで注目を集めて、大会終了後の1990-91シーズンにACパルマへ移籍した[1]。移籍初年度から7ゴールを決めるなど、パルマでは中心選手として、しなやかで技術の高いプレーでファンからの支持を獲得した[1]。1992-93シーズンのUEFAカップウィナーズカップ、1993-94シーズンのUEFAスーパーカップ、1994-95シーズンのUEFAカップを制するなど、クラブを欧州レベルに躍進させた[1]。しかし、1995-96シーズン途中、以降出場機会が減ってことから、リーズ・ユナイテッドへと移籍した[1]。しかし、ウイルキンソン監督との折り合いも悪く、活躍出来ないまま、FCチューリッヒへレンタル移籍した[1]。1997年にレンタルでパルマに複帰、チームはこの年リーグ2位に入ったが、エンリコ・キエーザエルナン・クレスポを中心としたチームにあって、殆ど出場機会を得られなかった[1]

引退後は彼の兄弟が所属するアマチュアクラブで一度だけプレーした(GKを務めた)後は完全にサッカー界から離れ、ビジネスマンとして『Undici』(背番号11の意、自身のパルマ在籍時の背番号が由来)というレストランの経営に携わっている。

代表経歴

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1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会直前にスウェーデン代表に招集されると同年4月25日のウェールズとの親善試合で2得点の活躍、そのまま代表へ定着した。本大会では1次リーグ敗退に終わるが、ブラジル戦で1得点を挙げた[1]

スウェーデン代表として地元開催の1992年の欧州選手権では3得点を挙げて、大会得点王を獲得するとともに、チームはベスト4進出した。

1994年のワールドカップ・アメリカ大会ではダーリンとアンデションへ度々好パスを供給するなど[2]、合計で4つのアシストを決め[3]、3位入賞に貢献した[2] 。1994年11月16日の欧州選手権予選ハンガリー戦で足首に重傷を負い、その後は一気に下降線を下った。また本人の太りやすい体質もあってか以前の鋭さを失い、代表からも外れクラブを転々とするようになり1998年に28歳で現役を引退した[4]

評価

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前述のようにパルマやスウェーデン代表として数多くの成功を収め、選手として絶頂期にあった1994年に負った怪我は、ブロリンの選手生命を左右するものとなった。1995年に移籍したリーズ・ユナイテッドや1998年に移籍したクリスタル・パレスでは殆ど結果を残すことが出来ず、2007年にタイムズ誌が発表したプレミアリーグで最も期待外れに終わった選手50人の第2位にランクされている[5]

タイトル

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クラブ

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イタリアの旗 パルマAC

個人

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  • グルドボレン:2回 (1990, 1994)
  • UEFA欧州選手権得点王 : (1992)
  • FIFAワールドカップ1994 オールスターチーム (1994)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g Tomas Brolin, la stella capace di brillare solo a Parma che concluse la carriera da portiere”. GOAL (2022年11月19日). 2023年8月7日閲覧。
  2. ^ a b ワールドカップUSA 94 完全総集編 WORLD SOCCER GRAPHIC 1994年8月号増刊 p.100-101
  3. ^ Top assisters at Qatar 2022”. FIFA. 2023年3月16日閲覧。
  4. ^ BROLIN QUITS AT 28
  5. ^ The 50 worst footballers

外部リンク

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