スコット・マギー
スコット・マギー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
スコット・マギー パット・マギー スコット・シャノン ゲーリー・ポーツ |
本名 |
ガーフィールド・ポーツ (ゲーリー・ポーツ) |
身長 | 185cm[1] |
体重 | 110kg(全盛時)[1] |
誕生日 | 1957年??月??日[2] |
出身地 |
イギリス イングランド ウェスト・ヨークシャー州 ブラッドフォード[2] |
トレーナー |
ジェフ・ポーツ カール・ゴッチ[1][2] バディ・ロジャース[2] リック・フレアー[2] リッキー・スティムボート[2] |
デビュー | 1979年[2] |
引退 | 1988年[3] |
スコット・マギー(Scott McGhee、本名:Garfield "Gary" Portz、1957年 - )は、アメリカ合衆国で活動したイギリス人プロレスラー。イングランドのウェスト・ヨークシャー州ブラッドフォード出身[2]。
ランカシャー・レスリングの名手として知られたジェフ・ポーツの実子であり、父同様に技巧派のベビーフェイスとして、NWAのフロリダ地区などを主戦場に活躍した[1][3]。
来歴
[編集]父のジェフ・ポーツと共にアメリカへ移住後、1970年代末にジム・クロケット・プロモーションズにてレフェリーを経てデビュー(渡米前にイギリスでデビューしていたともされる[1])。
1980年より、父親の主戦場でもあったフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に活動拠点を移し、イワン・コロフ、ニコライ・ボルコフ、ミスター・サイトー、ディック・スレーター、ボビー・ジャガーズ、R・T・タイラー、ロード・アルフレッド・ヘイズ、ハンス・シュローダーらヒール勢と対戦。10月18日にはバリー・ウインダムとのコンビでNWAフロリダ・タッグ王座を獲得した[4]。同年はレス・ソントンのNWA世界ジュニアヘビー級王座に再三挑戦し[5]、11月17日にはウェストパームビーチにてハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦している[6]。
1982年6月、新日本プロレスの『サマー・ファイト・シリーズ第1弾』に初来日。開幕戦の6月18日、蔵前国技館大会でのメインイベントにて、右膝の負傷で長期欠場を続けていたアントニオ猪木の復帰第1戦の相手を務めた[1]。7月2日の北海道・旭川大会ではアンドレ・ザ・ジャイアントのタッグパートナーに起用され、ハルク・ホーガン&坂口征二の日米スーパーヘビー級コンビと対戦している[7]。
その後もNWAの主要テリトリーで活動し、フロリダでは1983年にテリー・アレンやマイク・グラハムと組んで活躍。ファビュラス・カンガルーズ(ドン・ケント&ジョニー・ヘファーナン)、ボビー・ダンカン&アンジェロ・モスカ、イライジャ・アキーム&カリーム・モハメッドなどのチームを相手にNWAグローバル・タッグ王座を争った[8]。同年11月24日にはジム・クロケット・プロモーションズが開催した『スターケード』の第1回大会にも出場、ジョニー・ウィーバーをパートナーにケビン・サリバン&マーク・ルーインと対戦した[9]。同年は太平洋岸北西部にも参戦し、12月24日にカート・ヘニングと組んでダイナマイト・キッド&ジ・アサシンからNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取している[10]。
1984年はテネシー州メンフィスのCWAにてスパイク・ヒューバーとのタッグなどで活動[11]。本拠地のフロリダでは、7月29日にスーパースター・ビリー・グラハムを破りNWAフロリダ・ヘビー級王座を獲得[12]、9月から10月にかけてはリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦した[13]。翌11月、カール・ゴッチのブッキングでUWFに来日、前田日明やスーパー・タイガーとシングルマッチで対戦した[14]。
UWFへの再来日から帰米後の1985年9月、前年より全米侵攻を展開していたWWFに登場。10月1日のニューヨーク州ポキプシーでのTVテーピングではポール・ローマをパートナーに、グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキのドリーム・チームが保持していたWWF世界タッグ王座に挑戦[15]。以降、1987年初頭にかけてWWFの全米サーキットに参加し、ランディ・サベージ、テリー・ファンク、カウボーイ・ボブ・オートン、アドリアン・アドニス、キングコング・バンディ、ジェイク・ロバーツ、ハーキュリーズ、ホンキー・トンク・マン、ハート・ファウンデーション、カマラ、ディノ・ブラボーなど、ヒールのスーパースターのジョバーを務めた(レネ・グレイ、タイガー・チャン・リー、フレンチ・マーチン、テリー・ギッブス、スティーブ・ロンバルディなど、ヒール陣営のジョバーからは勝利を収めている)[16][17]。
WWF離脱後はカルガリーのスタンピード・レスリングにて、本名のガーフィールド・ポーツ名義で活動。ヒールのポジションに回ってジェリー・モローやガマ・シンと外国人ユニットを組み、オーエン・ハート、ブライアン・ピルマン、ジョニー・スミス、ミスター・ヒト、クリス・ベノワ、フィル・ラフルールらと対戦した[18]。
カルガリー滞在中の1988年1月31日、脳卒中を起こして引退[3]。回復後は看護師となって医療機関に勤務している[3]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- NWAフロリダ・ヘビー級王座:3回[12]
- NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / バリー・ウインダム)[4]
- NWAフロリダ・グローバル・タッグ王座:4回(w / テリー・アレン×3、マイク・グラハム)[8]
- パシフィック・ノースウエスト・レスリング
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P74(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d e f g h “Scott McGhee”. Wrestlingdata.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ a b c d “Scott McGhee”. Online World of Wrestling. 2014年4月22日閲覧。
- ^ a b “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “Scott McGhee”. Cagematch.net. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1980”. Wrestling-Titles.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by Scott McGhee in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ a b “NWA Global Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “NWA Starrcade 1983 - "A Flare For The Gold"”. Cagematch.net. 2014年4月22日閲覧。
- ^ a b “NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Scott McGhee in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ a b “NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1984”. Wrestling-Titles.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “The UWF matches fought by Scott McGhee in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Scott McGhee in 1985”. Wrestlingdata.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Scott McGhee in 1986”. Wrestlingdata.com. 2017年1月29日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Scott McGhee in 1987”. Wrestlingdata.com. 2017年1月29日閲覧。
- ^ “The Stampede matches fought by Scott McGhee in 1985”. Wrestlingdata.com. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “Scott McGhee”. Cagematch.net. 2014年4月22日閲覧。
- ^ “NWA United States Junior Heavyweight Title [Southeast/Continental]”. Wrestling-Titles.com. 2014年4月22日閲覧。