Ba 349 (航空機)

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Ba 349

敗戦後イギリス軍に鹵獲され、ファーンボローに移送されたBa 349(1946年)。機首のカバーは外されている。翼の鉤十字は、鹵獲後に描かれたもの

敗戦後イギリス軍鹵獲され、ファーンボローに移送されたBa 349(1946年)。機首のカバーは外されている。翼の鉤十字は、鹵獲後に描かれたもの

  • 用途要撃機(有人ミサイル)
  • 分類ロケット迎撃機
  • 設計者:エーリッヒ・バッヘム
  • 製造者:バッヘム
  • 運用者ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
  • 初飛行1945年3月1日
  • 生産数:11機
  • 運用状況:試験運用のみ

Ba 349(Ba 349)は、第二次世界大戦末期にドイツ試作されたロケット迎撃機である。「BP20」とも称する。愛称は「ナッター」(Natter, ドイツ語ナミヘビ科ヘビの意)。

概説[編集]

Ba 349は、エーリッヒ・バッヘム博士により設計された。機体は木製で、機首に24-33発のロケット弾を装着する。エンジンヴァルター式液体燃料ロケット機関(HWK 109-509A)1基で、垂直ランチャーから4基の固体燃料ロケットブースターを使用して発進する。発進後は目標付近まで無線誘導され、近接後機首のプラスチックカバーを外し、ロケット弾で攻撃を行う。その後、パイロットパラシュートで脱出し、同時にエンジンも分離され、落下後に再使用する構造である。このあまりの航続距離の短さ・単純さのため、後に連合軍からは「有人対空砲」と呼ばれるようになる。

1944年12月18日ロケットランチャーからの発射テストに成功したが、これは、乗員および液体ロケット無しであった。1945年2月に液体ロケットを装着した状態で無人テストに成功し、大量生産の計画が立てられた。最初の有人テストでは搭乗員ロタール・ジーベルトが打ち上げ直後に失神し、機体ごと墜落死する事故が起きた。しかし、テストパイロット志願者は不足しなかったため、有人テストは続行された。3回ほど予定通りの発進・飛行・帰還のテストが無事に実施された所で制式化、実戦配備が決まった。結局、終戦まで数十機の生産にとどまり、10機が部隊配備されたのは1945年4月だったために実戦参加はなかったとされる(出撃したとの説もある)。航続時間を改良したB型も2機製造された。

スペック[編集]

ミュンヘンドイツ博物館に展示されているBa 349の模型。赤い筒状のものが離陸用ブースター
Ba 349A[1]
  • 全長:6.18m
  • 全幅:3.97m
  • 主翼面積:4.80m²
  • 離昇重量:2,175kg
  • エンジン:ヴァルターHWK 109-509A(推力1,700kg)×1基/離昇ブースター固形燃料500kg×4基
  • 最大速度:870km/h
  • 上限率:10,900m/分
  • 航続距離:2分(B型:4.36分)
  • 武装:R4M ロケット弾×33またはフェーン73mm ロケット弾×24
  • 乗員:1名

脚注[編集]

  1. ^ 「ドイツ軍用機の全貌」1965年酣燈社刊

関連項目[編集]

外部リンク[編集]