ミステル

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ミステル

ミステル1 (Ju88 A-4 + Bf109 F-4、模型)

ミステル1 (Ju88 A-4 + Bf109 F-4、模型)

ミステル(ドイツ語:Mistel、ヤドリギの意)とは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが開発した特殊な爆撃システムである。有人の小型機と特殊な改造を受けた無人大型機が連結され、目標付近まで飛行した後に、無人機を分離・突入させるという計画だった。

大戦後半に実戦投入されたが、ドイツ軍の相次ぐ敗退により攻撃の機会に恵まれず、大きな成果を挙げることはできなかった。

設計[編集]

ミステルの一例 (ミステル3C)
Ju88 G-10Fw190 F-8の組み合わせ

ミステルは、目標物に突入する無人機と、その付近まで誘導する有人機とが結合した形態をとっている。この考案者は、ユンカースのテストパイロットであったジークフリード・ホルツバウア(Siegfried Holzbaur)であった[1]

それぞれ航空機には既存の機体を流用し、有人機には戦闘機などの軽快な機体が、無人機には双発爆撃機などの大型機が選ばれた。組み合わせとしては Bf 109 - Ju 88や、Fw 190 - Ju 88 といった一線で活躍するレシプロ機同士の他、Me 262 - Ju 287 等の新型ジェット機の使用も検討された。

この内作戦で使用されたのは Bf109 と Ju88の組み合わせで、Ju88 は1.8トンの弾頭を搭載するように改設計された。成形炸薬弾を使用した場合厚さ7メートルの装甲板を貫通可能で、特に艦船への攻撃に有効であると考えられた。

実戦[編集]

練習機型のミステルS3A
Ju88 A-4Fw190 A-8の組み合わせ
(いずれも有人機)

1944年6月6日連合軍ノルマンディー上陸作戦によりヨーロッパ大陸での本格的な反攻を開始したが、これを迎え撃ったのがミステルの最初の実戦となった。この作戦で操縦士は敵艦船への攻撃に成功したと報告したが、連合軍側に損失の記録はなく、マルベリー人工港英語版の一部として自沈し廃艦になっていたフランス海軍の旧式戦艦クールベ」を活動中の艦船と誤認して攻撃したのではないかと考えられている。ミステルによる攻撃は引き続き行われ、6月21日には至近弾によりイギリス海軍フリゲート「ニス」を損傷させることに成功した。さらに、スカパ・フローでの作戦も計画され約60機がデンマークの飛行場に集合した[2]。だが、悪天候と制空権が確保できない為に中止されている。

ミステルはソ連との戦いにも用いられた。当初はモスクワゴーリキー発電施設を攻撃する鉄槌作戦に用いる予定であったが、戦局の悪化により計画は中止に追いやられ、代わりに、橋梁を破壊してソ連軍の進撃を食い止めることになった。ドイツの敗北が決定的となる中、1945年4月12日からミステルを使用した攻撃が開始されたが、ソ連側の損害は軽微なもので、足止めの効果はほとんど無かった。

終戦までに製造されたミステルは、各種合わせて250機程度だった。

バリエーション[編集]

いずれの記述も左側が空中発射される無人機(子機)、右側が有人機(親機)。

ミステル1
ユンカース Ju88 A-4 / メッサーシュミット Bf109 F-4
ミステルS1
ミステル1の練習機型で、Ju88 A-4も通常の有人型が使用されている。
ミステル2
ユンカース Ju88 G-1 / フォッケウルフ Fw190 A-8/F-8
ミステルS2
ミステル2の練習機型で、Ju88 G-1も通常の有人型が使用されている。
ミステル3A
ユンカース Ju88 A-4 / フォッケウルフ Fw190 A-8
ミステルS3A
ミステル3Aの練習機型。
ミステル3B
ユンカース Ju88 H-4 / フォッケウルフ Fw190 A-8
ミステル3C
ユンカース Ju88 G-10 / フォッケウルフ Fw190 F-8
ミステル4
ユンカース Ju287 / メッサーシュミット Me262
ミステル5
アラド E.377 / ハインケル He162
その他、ペーパープランのみで呼称不明の組み合わせ
その他、有人機同士の組み合わせ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 『万有ガイド・シリーズ 4⃣ 航空機 第二次大戦 Ⅰ』172頁
  2. ^ 『万有ガイド・シリーズ 4⃣ 航空機 第二次大戦 Ⅰ』173頁