開成中学校・高等学校
開成中学校・高等学校 | |
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過去の名称 |
共立学校 尋常中学共立学校 東京府開成尋常中学校 東京府開成中学校 私立東京開成中学校 東京開成中学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人開成学園 |
設立年月日 | 1871年 |
創立者 | 佐野鼎 |
共学・別学 | 男子校 |
中高一貫教育 | 併設型(外部混合有) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 13596J |
中学校コード | 130772 |
所在地 | 〒116-0013 |
北緯35度43分56.8秒 東経139度45分53.9秒 / 北緯35.732444度 東経139.764972度座標: 北緯35度43分56.8秒 東経139度45分53.9秒 / 北緯35.732444度 東経139.764972度 | |
外部リンク | 公式サイト |
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開成中学校・高等学校(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Kaisei Junior & Senior High School)は、東京都荒川区西日暮里四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
高等学校では、高等学校第1学年に限り、中学校から入学した内部進学生(旧高生)と、高等学校から入学した外部進学生(新高生)を別クラス(5組・6組)にするが、高等学校第2学年からは旧高生と新高生を混合したクラス編成とする併設混合型中高一貫校[1]。長年東京大学合格者数が日本一である。
概要
1学年の生徒数は中学300名、高校400名となっている。「開成」を冠する学校は他にも多数存在するが、本稿で取り上げる開成学園の学校と歴史上関係がある学校は逗子開成中学校・高等学校と鎌倉女学院中学校・高等学校である(下記参照)。校風は質実剛健。校章の由来は「ペンは剣よりも強し」。運動会・水泳学校・ボートレース(筑波大学附属高校との対校戦)・マラソン大会などの行事が開成の特徴を表している。
初代校長は元総理大臣・大蔵大臣の高橋是清。
東京大学合格者数が39年連続で首位(1982年 - 2020年)である。
沿革
共立学校
1871年、加賀藩の洋学・砲術・海洋学の講師から小石川造兵司頭になった[2]佐野鼎らによって神田淡路町の相生橋(現:昌平橋)に共立学校(きょうりゅうがっこう)として創立された[3][4]。この時代の卒業生に高田早苗らがいる[5]。佐野のコレラによる死後には廃校同様となったが、1878年に大学予備門の教師をしていた高橋是清が校長、鈴木智雄らが講師に就任し、大学予備門への進学者のための寄宿制の受験予備校として改革[5]、英学科と和漢学科の二科の三年制(予科1年、本科3年)と定めた[6][7]。是清が校長に就任した翌年の1879年には、共立学校からの大学予備門入学者が定員466名のところ、実に112名に達した。以降も、東京英語学校(現:日本学園中・高)や成立学舎などとともに、一高への合格者数上位校として知られていた[8][9]。
1886年および1891年の中学校令公布により、1府県1中学以上と定められたことで、東京に受験生が集まらなくなった私立各校は軒並み経営が傾いた。そのためもあって1891年の尋常中学校令により尋常中学共立学校と改組・改称。さらに、当時官公立校に対してだけ認められていた在学生に対する徴兵猶予や校地に対する免税、卒業生の判任官任用などの特権を得る便法としての有利な条件も働き、数多ある私学のうち、まず共立中学(現:都立戸山高校)が、次いで共立学校(開成)が東京府の管轄下に入った。
開成
1895年にはそれぞれ東京府城北尋常中学校、東京府開成尋常中学校と改称した。このとき、校名が「共立学校」から「開成」となったのは、東京府当局が「共立」と「府立」は相容れないとして難色を示したためだとされている[10][8]。さらに中学校令改正により1899年に東京府開成中学校と改称。「開成」という名称は、易・繋辞伝(けいじでん)にある「夫易開物成務」という言葉が由来である。
まもなく各種特権が私学にも与えられるようになったこともあって、1901年に府の管轄から私立へ復して私立東京開成中学校となり、1919年に東京開成中学校と改称。1903年には開成夜学校を併設。1945年には戦局悪化のため、無試験入学となる。翌1946年には入学試験が再開されるが、筆記試験が復活するのは1953年のことであった。戦後、学制改革により、1947年に新制中学校(開成中学校)が発足し、1948年には新制高等学校(開成高等学校)が併設され、旧制5年制中学から新制6年制中高一貫の開成中学校・高等学校へ移行し現在に至る。
また、現在の道灌山の校地に移転したのは、関東大震災により淡路町校舎が焼失した後の1924年のこと[11]。1920年に初めて行われた東京高師附属中学校(現:筑波大附属高校)とのボートレースは現在も行われている。
2021年の創立150周年の記念事業として、高校新校舎建築を計画している。
年表
- 1871年 -「共立学校」創立。
- 1895年 - 校名を開成と改める。
- 1924年 - 学園は神田淡路町から西日暮里(現在地)に移る。
- 1947年 - 開成中学校が発足。
- 1948年 - 開成高等学校が発足。旧制5年制中学から新制6年制中高一貫の開成中学校・高等学校へ移行。
交通アクセス
年間行事
ボートレース
1920年以来、毎年4月にボート部の部員により戸田漕艇場にて開成と筑波大学附属高校(1920年当時は東京高等師範学校附属中学校)のボートレース[12]が行われている。これは現在まで続く学校間対校戦としては最も歴史を持つものである[13]。現在の種目は舵手付きクォドルプル(両手漕ぎ四人乗り)である。平成に入って以降8勝21敗と大きく負け越しているが、2010年から2012年に3連勝している。2019年は昨年に続き負け越し、2019年現在の通算成績は45勝46敗である[14]。高3が中1と新高生を指導し開成の伝統として応援練習を行い、当日は応援団および新入生が応援を行う。
運動会
例年5月の第2日曜日に行われる、開成最大の行事。生徒運営の、運動会準備委員会(運準)、運動会審判団(審判)、運動会審議会、運動会記録委員会の下、高3が中心となり一年間をかけて準備が行われる。中高合同で行われ、高校はクラスごと(1組から紫、白、青、緑、橙、黄、赤、黒と色が割り振られる)、中学は各クラス5・6人ずつ縦割りで前述の8組に分ける(中学は7クラスのため)。各組の運営や下級生指導は高3に委ねられている。
競技一覧
2019年度 (148th) [競技順]
- 中三 俵取り
- 中一 馬上鉢巻取り
- 高校個人 スウェーデンリレー
- 中学個人 学年別リレー
- 高二 棒倒し(五棒)
- 中二 綱取り
- 高一 騎馬戦
- 中学個人 要領次第(中一・ムカデ競走、中二・出前競走、中三・騎馬パン食い競走)
- 高三 棒倒し(六棒)
- 中学・高校個人 全学年リレー
アーチ、エール
各組の高3は毎年、在校生の応援席(桟敷)の上にアーチと呼ばれる絵を描き、組の応援歌であるエールを作る。観客による投票でアーチ賞・エール賞が選ばれる。
運動会準備委員会
委員長団・各係C(チーフ)・SC(サブチーフ)によって構成される運準総務の下、運準各係に所属する生徒が運動会の運営に貢献している。
- 委員長団(委員長、高2副委員長、高1副委員長、会務、会計)
- 会場係 - 会場設営全般
- 衛生係 - けが人の対応や各組の練習などの監督
- 演技準備係 - 競技に使われる俵や棒などの作成・管理
- 召集係 - 競技を行う選手の誘導
- 資材係 - 運動会に使われる資材の管理
- 報道係 - 公式サイト・Twitterなどでの広報業務、本番での観客の誘導(外勤)
- 得点係 - 得点計算・順位決定・得点櫓での掲示
- 放送係 - 放送・計時業務全般
運動会審判団
審判長と各競技ルール責任者・主審などの副審判長からなる審判総務の下、FJ (Field Judges) と呼ばれる生徒がジャッジを行っている。
- 審判長
(以下、副審判長)
- 各競技ルール責任者 - 前年度の主審が担当する
- 各競技主審
- 会計
- 庶務
- B倉庫管理
運動会審議会
前期審議会と後期審議会に分けられ、前者では議案の審議、後者では運動会の反省が主に行われる。議長を中心とする議長団、運準などの各組織の代表、中高各クラスのクラス代表により構成されている。議長団は毎年公示で募集され、中3(新高1)~高2(新高3)により構成される。
運動会記録委員会
実戦対抗(実対)や本番の記録業務を担っている。141stまでは高三各組および審判団の一部が記録業務を分担していたが、負担の重さを背景に142ndで運準記録係が組織された。そして143rdに運動会記録委員会として独立し、現在に至っている。そのため、記録委員会は運動会の組織の中で最も新しい組織である。
学年旅行(修学旅行)
中1から高2まで毎年行われ、中3と高2では修学旅行と呼ばれる。行き先や日程などは、旅行委員が主体となって決め、旅行会社との交渉を行うこともある。中1は富士山方面、中3は京都・奈良に行くのが慣例となっている。
水泳学校
毎年7月下旬、千葉県館山市の施設で中1が参加する。100年以上の伝統をもつ。元々は水泳部合宿であったが、2006年に中1対象の行事として復活させ、翌年に宿舎が新しくされた。東日本大震災以降、津波の心配から任意参加となった。現在は2泊3日で行われている。
文化祭
毎年9月に開催され、「開成祭」とも呼ばれる。生徒運営による「文化祭準備委員会」(略称:文準)の下、文化系の各部や同好会・サークル、有志などが参加団体(参団)として参加し、日頃の研究成果の発表やパフォーマンスなどが行われる。一部の運動部はグラウンドや体育館を利用して招待試合を行う。多くの生徒は高2の文化祭から12月にかけて部・サークル活動を引退するため、文化祭は多くの文化部において代替わりの時期となる。高3は、文化祭へ参加しないのが慣例となっている。
文化祭準備委員会
- 文化祭運営全般を担う組織であり、委員長団・各係C・SCによって構成される文準総務の下、のべ1000人を超える生徒が文準の一員として文化祭運営に貢献している。
- 委員長団(委員長、高2副委員長、高1副委員長、会務、特務、文準会計、参団会計)
- 参団係 - 参団の管理・指導
- 資材係 - 文化祭で用いられる資材の管理
- 会場係 - 観客の誘導
- 電気係 - リールなど、電気関連の管理業務
- 実演参団係 - 部活の招待試合など、展示参団以外の参団の管理・指導
- 装飾係 - アーチや宣伝などの装飾物の管理
- 縁日係 - 縁日の運営
- 広報係 - 公式サイト・Twitter等での広報業務およびパンフレットの作成
- 参画係 - スタンプラリー・開成ツアー等の運営
- 古本係 - 古本市の運営
- 講演会係 - 講演会(毎年恒例であり、校外から著名な人物が招かれる)の運営
- 喫茶係 - 文準喫茶の運営
- 模擬店係 - 模擬店の運営
- 演奏団体係 - 演奏団体(バンド・弾き語り等)の管理
- 中後夜祭係 - 中夜祭・後夜祭の運営
マラソン大会
荒川河川敷を利用して行われる。1903年に始まり、初めは中山道を経由して巣鴨~大宮間で行われていた。その後、江戸川河川敷など何回かのコース変更を経て、現行のコースとなった。距離は中1が5km、中2・3が6km、高校生は8kmである。
スキー学校
冬のスキー学校は毎年12月、春のスキー学校は毎年3月、長野県の菅平高原にて4泊5日で行われる。1960年に始まり、かつては長野県の乗鞍高原で行われていたこともある。希望者のみ、スノーボードを受講することも可能である。
入学試験
中学入試
募集人数は300人。毎年入学試験は2月1日にあり、試験科目は試験順に国語、算数、理科、社会の4教科である。配点は国語と算数は85点ずつ、理科と社会が70点ずつの310点満点である。
高校入試
募集人数は100人。入試は2月10日に行われ、国語、数学、英語、理科、社会の5教科である。配点は国語と英語と数学が100点ずつ、理科と社会が50点ずつの400点満点である。
部活動・個人活動
学内には約50の公式部、および19を超える同好会がある。
ボート部は、2017年3月の全国高等学校選抜ボート大会(舵手付きクォドルプル)で4位、2018年7月の全日本中学選手権競漕大会(舵手付きクォドルプル)で優勝の成績を収めている。
硬式野球部は、2005年夏の全国高等学校野球選手権大会に東東京大会のベスト16[15]、2012年夏にベスト32などの実績を残している。『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』のモデルとなった。
俳句部は「俳句甲子園」(全国高校俳句選手権大会)で22回大会(2019年まで)のうち優勝10回の戦績を誇る。 弁論部は全国中学・高校ディベート選手権に20回中12回出場し、20回大会では中学の部で全国優勝という好成績を収めている[16]。
囲碁部は、全国高校囲碁選手権大会団体男子の部において、第35回(2011年)・第36回(2012年)・第37回(2013年)で3連覇を達成している。
国際科学オリンピックでは、国際数学オリンピックや国際化学オリンピックなどに同校の生徒が日本代表として派遣され、好成績を収める例がある。
不祥事
2020年2月に行われた入学試験に合格し、入学手続きを済ませた男子生徒とは別の少年が、その男子生徒になりすまして登校していたこと、およびその経緯について9月28日、都内の私立学校を管轄する東京都生活文化局に報告した。7月下旬に本来であれば生徒の出身中学から送付されるはずの指導要録が高校に送付されなかったことで発覚した。実際に合格した生徒は開成とは別の高校に進学していたという。入試に合格した生徒は除籍処分、その生徒になりすましていた少年は立ち入り禁止処分とした。なお、その2人の関係について、学校側は両者とも未成年であることを理由に明らかにしていない[17]。
学校関係者と組織
関連団体
高校関係者一覧
関連学校
開成から分離独立した学校
開成の関係者が設立した学校
関連文献・映像
- 『東京開成中学校校史資料』(東京開成中学校、1936年)
- 『開成学園九十年史』(開成学園、1961年) - 開成学園九十年史編纂委員会編集
- 『開成110』(開成学園、1981年) - 開成学園校史委員会編集
- 『子供たちの復讐 / 上:開成高校生殺人事件 下:祖母殺し高校生殺人事件』(朝日新聞社、1979年) - 本多勝一編
脚注
- ^ 芳野俊彦著『開成学園 男の子を伸ばす教育』(小学館)の「第一章 新しい出会い」のうち「旧高生と新高生」(pp.21-23) によると、「高校の1年次だけは、5・6組は新高生、ほかは旧高生というクラス分けをし、旧高生と新高生を別の組にしています。(中略)2年次からは新旧シャッフルして、隔てなく8組にクラス分けをします。」と記載されている。
- ^ 東京開成中学校校史資料(東京開成中学校, 1936)
- ^ 開成中学校生徒会史(開成中学校生徒会、2017)
- ^ 「開成をつくった男」の人生から浮かび上がる「咸臨丸神話」の誤信(柳原 三佳) 現代ビジネス
- ^ a b : 世に処する道』高橋是清述 (今日の問題社, 1936)
- ^ 編(英蘭堂、1883)
- ^ 『東京遊學案内. 明治23年』(山縣順、1890)
- ^ a b 『明治前期中学校形成史 府県別編 I 』(神辺靖光、梓出版社、2006年7月)
- ^ 『日本学園百年史』など。
- ^ 『東京府公立中学校教育史』(桑原三二、1981年) P.28 -
- ^ 淡路町校舎の跡地には成立商業学校が設立された。
- ^ 開成では一般生徒からは単に「ボートレース」と呼ばれ、ボート部員では「対校戦」の呼称が用いられているが、筑波大附属では「開成レース」と呼んでいる。これは筑波大附属において毎年の「対校戦」が学習院とも行われているためである。
- ^ 同様に学校間対校戦として歴史を持つ早慶レガッタは、第1回が1905年であり、開成・附属のボートレースよりも古いが、第2回は1930年まで時代を下っているため、継続的な開催、かつ回数において開成・附属間の対校戦が上回っている。
- ^ 筑波大学附属高校端艇部 Fuzoku-Rowing — 第91回開成レース・第33回浦和一女戦 結果
- ^ 野球再発見:第3部・原点/3「限られた時間」 東京・開成 毎日新聞 2008年2月22日
- ^ 弁論部報告 開成高等学校ウェブサイト
- ^ 開成高校で合格者に「なりすまし」登校 同校が処分、都に報告
関連項目
- 旧制中学校
- 旧制中等教育学校の一覧 (東京都)
- 東京都中学校一覧
- 東京都高等学校一覧
- 日本の男女別学校一覧
- 「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー
- 人形劇団プーク
- 御三家
- チョート・ローズマリー・ホール