コンテンツにスキップ

バンド・オン・ザ・ラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。KANZENMUKETSU NO ROCK'N ROLLER (会話 | 投稿記録) による 2022年3月29日 (火) 06:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (解説)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ウイングス > ウイングスの作品 > バンド・オン・ザ・ラン
『バンド・オン・ザ・ラン』
ポール・マッカートニー&ウイングススタジオ・アルバム
リリース
録音
ジャンル ロック
時間
レーベル アップル・レコード / EMI
プロデュース ポール・マッカートニー
専門評論家によるレビュー
  • All Music Guide link
  • The Music Box link
  • Robert Christgau (C+) link
  • Rolling Stone (not rated) link
ポール・マッカートニー&ウイングス アルバム 年表
  • バンド・オン・ザ・ラン
  • (1973年 (1973)
テンプレートを表示

バンド・オン・ザ・ラン』(英語: Band on the Run)は、1973年に発売されたポール・マッカートニー&ウイングスのアルバム。ビートルズ解散後のポールのアルバムとしては5作目。ウイングス(ポール・マッカートニー&ウイングス名義を含む)名義では3作目。全英・全米とも1位になり、大ヒットを記録した。

解説

このアルバムはアメリカだけで300万枚以上、全世界では600万枚以上のセールスを記録し、現時点でビートルズ解散後にポール・マッカートニーが最も成功したアルバムとなっているが、その道のりは決して順調ではなかった。

前作『レッド・ローズ・スピードウェイ』の大ヒットとイギリス・ツアーの大成功の勢いのまま、7月27日から5週間にわたってスコットランドのポールの農場で曲作りのためのセッションを開始した。ところがその最中、ヘンリー・マカロックが演奏のやり方についてポールと意見が衝突して脱退してしまう。元々ヘンリーとともにポールのアイディアによるナイジェリアラゴスでのレコーディングを嫌がっていたデニー・シーウェルは、ギタリストの補充ができるまでアフリカ行きの延期を進言したが受け入れられなかったため、出発の前日になってグループを脱退してしまった。

メンバー2人が相次いで脱退したにもかかわらず、ポールはリンダ・マッカートニーデニー・レインを伴って予定通りラゴスに向かった。しかし到着してみると竣工しているはずのスタジオは未完成。さらに強盗にデモテープや歌詞を書いたメモを強奪され、挙げ句の果てには、レコーディング最中に豪雨で停電してしまうという、相次ぐ困難に見舞われてしまう。しかし同行していたレコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックの尽力で なんとかレコーディング作業を進めることができた。

リードギタリストとドラマーを失ったポールは、ソロ・アルバム制作時と同様に様々な楽器を演奏して[1]ベーシック・トラックを完成させた。イギリスに戻ると10月にはトニー・ヴィスコンティにオーケストレーションを依頼してオーバーダビング行い、最後にエメリックがミックス・ダウンを行って完成させた。

アルバムは年末商戦に合わせて12月5日にリリースされた。ところがアメリカでは売り上げアップを狙い、ヒット・シングル「愛しのヘレン」をアルバムに収めたにもかかわらず、発売から2週間以上たったクリスマス直前にビルボード誌初登場33位と、期待に反して売り上げが伸び悩んだ。一方イギリスでも12月22日にアルバム・チャート第9位まで上昇したが、翌週には第13位に落ちてしまった。レコード会社はこの状況を打破するためにはアルバムからのシングル・カットが必要と考え、ポールも仕方なく承諾した[2]

第1弾シングル「ジェット」は1974年1月28日にアメリカで発売され、2月9日には初登場69位、3月30日には7位にまで上昇した。このてこ入れが功を奏し、アルバムは発売から4ヶ月あまりたった4月13日にビルボード誌で第1位を獲得した。さらに4月20日に第2弾シングル「バンド・オン・ザ・ラン」が初登場68位でチャートインすると、6月8日には第1位に到達、アルバムも再び首位に返り咲いた。結局断続的に4週間第1位を獲得し、トップ10内にも32週間ランクされ、1974年度年間第3位を記録した。またキャッシュボックス誌でも、断続的に4週間第1位を獲得し、1974年度年間ランキング第2位を記録した。 一方イギリスでもシングルがヒットするとともに上昇、リリースから半年以上経過した7月27日から7週連続第1位を獲得し、トップ10内に計46週間もランクされるロング・ヒットとなった。

ポールはビートルズ解散後にソロ、ウイングスとして商業的な成功を収めてはいたが、その作品に対する音楽評論家の評価は必ずしも高くはなかった。しかし本作は非常に高く評価され、最高傑作に挙げられることも多い。『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』においては第418位に選ばれている[3]。発表当時、反目していたと言われるジョン・レノンも絶賛した作品でもある。

ジャケット写真

ジャケット写真は1973年10月28日 (1973-10-28)ロンドン西部のハウンズローにあるオスタレー・パーク内の敷地で、写真家クライブ・アロウスミスによって撮影された。ポールのアイディアで、刑務所から脱走しようとしている9人の囚人の一団(バンド)が、刑務官のサーチライトで照らし出されているという設定である。

写真に登場している人物は、いずれも当時のイギリス人なら誰でも知っている著名人である。左から順に、

また、裏ジャケットもアロウスミスによるもので、逃亡中のバンドを追跡している警察の机の上という設定である。

なお、後にこのジャケット写真のパロディをポール自身が「スパイズ・ライク・アス」のプロモーション・ヴィデオでチェビー・チェイスダン・エイクロイドと共に演じている。

収録曲

「ノー・ワーズ」(ポールとデニー・レインの共作)以外は、全曲ポール・マッカートニーと リンダ・マッカートニー作詞作曲。

Side A

  1. バンド・オン・ザ・ラン  – Band on the Run (5:10)
  2. ジェット  – Jet (4:06)
  3. ブルーバード  – Bluebird (3:22)
  4. ミセス・ヴァンデビルト  – Mrs Vandebilt (4:38)
  5. レット・ミー・ロール・イット  – Let Me Roll It (4:47)

Side B

  1. マムーニア  – Mamunia (4:50)
  2. ノー・ワーズ  – No Words (2:33)
  3. ピカソの遺言  – Picasso's Last Words (Drink to Me) (5:50)
  4. 1985年  – Nineteen Hundred and Eighty Five (5:27)

アメリカ盤Side B

  1. マムーニア  – Mamunia (4:50)
  2. ノー・ワーズ  – No Words (2:33)
  3. 愛しのヘレン  – Helen Wheels (3:44)
  4. ピカソの遺言  – Picasso's Last Words (Drink to Me) (5:50)
  5. 1985年  – Nineteen Hundred and Eighty Five (5:27)
    EMI傘下のキャピトル・レコードからリリース。後に発売されたピクチャー・レコード盤もこの仕様。

25周年記念エディション・ボーナス・トラック

  1. PAUL McCARTNEY (Dialogue Intro) / Band on the Run (Nicely Toasted Mix) (1:12)
  2. Band on the Run (Original) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 1) (2:17)
  3. Band on the Run (Barn Rehearsal 21 July 1989) (4:59)
  4. PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 2) / Mamunia (Original) / DENNY LAINE (Dialogue) / Mamunia (Original) / LINDA McCARTNEY (Dialogue) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 3) (4:23)
  5. Bluebird (Live Australia - 1975) (0:55)
  6. Bluebird (Original)/ PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 4) (0:23)
  7. PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 5) / No Words(Original) / GEOFF EMERICK (Dialogue) (1:24)
  8. No Words (Original) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 6) / TONY VISCONTI (Dialogue) / Band on the Run (Original) / TONY VISCONTI (Dialogue) (1:47)
  9. Jet (Original from Picasso's Last Words) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 7) / Jet (Original from Picasso's Last Words) / AL COURY (Dialogue) (2:55)
  10. Jet (Berlin Soundcheck - 3 September 1993) (3:52)
  11. PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 8) / CLIVE ARROWSMITH (Dialogue) (1:44)
  12. Nineteen Hundred and Eighty Five (Original) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 9) / JAMES COBURN (Dialogue) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 10) / JOHN CONTEH (Dialogue) (3:24)
  13. Mrs Vandebilt (Original) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 11) / KENNY LYNCH (Dialogue) (2:10)
  14. Let Me Roll It (Cardington Rehearsal - 5 February 1993) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 12) (3:52)
  15. PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 13) /Mrs Vandebilt (Background) / MICHAEL PARKINSON (Dialogue) / LINDA McCARTNEY (Band on the Run Photo Shoot) (Dialogue) / MICHAEL PARKINSON (Dialogue) (2:25)
  16. Helen Wheels (Crazed) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 14) / CHRISTOPHER LEE (Dialogue) (5:32)
  17. Band on the Run (Strum Bit) /PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 15) / CLEMENT FREUD (Dialogue) (1:01)
  18. Picasso's Last Words (Original)/ PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 16) / DUSTIN HOFFMAN (Dialogue) (4:22)
  19. Picasso's Last Words (Drink to Me) (Acoustic Version) (1:11)
  20. Band on the Run (Nicely Toasted Mix) / PAUL McCARTNEY (Dialogue Link 17) (0:42)
  21. Band on the Run (Northern Comic Version) (0:37)

演奏者

ポール・マッカートニー&ウイングス

ゲスト

チャート

アルバム

チャート 順位
1974年 (1974) Billboard Pop Albums 1

シングル

シングル チャート 順位
1974年 (1974) "Helen Wheels" Billboard Pop Singles 10
1974年 (1974) "Jet" Billboard Pop Singles 7
1974年 (1974) "Band on the Run" Billboard Pop Singles 1

受賞

団体 日付
RIAA – USA ゴールド 1973年12月20日 (1973-12-20)
BPI – UK ゴールド 1974年1月1日 (1974-01-01)
RIAA – USA プラチナ 1974年6月4日 (1974-06-04)
BPI – UK プラチナ 1975年5月1日 (1975-05-01)
RIAA – USA プラチナ 1991年11月27日 (1991-11-27)
RIAA – USA ダブル・プラチナ 1991年11月27日 (1991-11-27)
RIAA – USA トリプル・プラチナ 1991年11月27日 (1991-11-27)

グラミー受賞歴

Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocals をアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』で受賞。

脚注

  1. ^ 「バンド・オン・ザ・ラン」をラジオで耳にしたザ・フーキース・ムーンが「このドラムを叩いてるのは誰だ!?」と感嘆したというエピソードがある。
  2. ^ ポールはビートルズ時代からシングルとアルバムは独立したものと考えており、ヒット・シングルをアルバムに編入したり、アルバムを切り売りしたりすることは好まなかった。
  3. ^ 500 Greatest Albums of All Time: Paul McCartney and Wings, 'Band On The Run' | Rolling Stone

外部リンク

先代
Billboard 200 ナンバーワンアルバム
1974年4月13日(1週)
次代
  • ジョン・デンバー
  • 『故郷の詩』