ジョン・デンバー

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ジョン・デンバー
John Denver 1973.jpg
ジョン・デンバー(1973年撮影)
基本情報
出生名 ヘンリー・ジョン・デュッチェンドルフ・ジュニア
生誕 1943年12月31日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューメキシコ州ロズウェル
死没 1997年10月12日(満53歳没)
ジャンル カントリー・ミュージック
フォーク
カントリー・ロック
フォーク・ロック
職業 シンガーソングライター 
担当楽器
ギター
公式サイト www.johndenver.com
1985年の上院公聴会で証言するデンバー
証言の続き
映像外部リンク
「Take me home, country roads」の曲(JohnDenverVEVOによるアップロード)

ジョン・デンバー(John Denver、1943年12月31日 - 1997年10月12日)は、アメリカ合衆国シンガーソングライター。本名はヘンリー・ジョン・デュッチェンドルフ・ジュニア(Henry John Deutschendorf Jr.)。「故郷に帰りたい」「悲しみのジェット・プレーン」「太陽を背にうけて」など数多くのヒット曲を生み出し、1970年代フォークソング界において中心的な役割を果たした。

経歴[編集]

ニューメキシコ州ロズウェルにおいてドイツ系の家庭に生まれる。テキサス州フォートワースに移住し、当地のアーリントン・ハイツ高校を卒業した。

1965年、フォーク・グループのチャド・ミッチェル・トリオに加わる。トリオを脱退した1966年ビートルズなどのカバーを含むアルバム『John Denver Sings』を自主制作した。そのアルバムの中に収められていた「悲しみのジェット・プレーン」(当時のタイトルは「Babe, I Hate To Go」といった)がピーター・ポール&マリーの目に止まり、彼らのアルバム『Album 1700』(1967年)に収録された。

1969年10月、デビュー・アルバム『Rhymes & Reasons』を発表。

親しみやすい曲調と繊細で情感あふれる歌詞が特徴で、1971年4月に発表したシングル「故郷に帰りたいTake Me Home, Country Roads)」は全米チャート2位を記録する大ヒットとなった。同曲はオリビア・ニュートン=ジョンカバーされたほか、日本ではスタジオジブリ映画耳をすませば』の主題歌(映画ではオリビア・ニュートン=ジョンのカバー曲を使用)として使われた[1]

1976年、デンバーはコロラド州スノーマス近郊にニューエイジ・コミューン(New Age Commune、ニューエイジ村)を作り、合気道によって宇宙精神と合致することを目指したり、ピラミッドのなかで瞑想を行い、将来自分が大統領になることなどを信じて、生活をした[2]

米国内ツアーを終えてカリフォルニアで休日を過ごしていたが、1997年10月12日に自ら操縦している航空機が墜落し死亡[3]。53歳没。

2014年にハリウッド殿堂(Hollywood Walk of Fame)のレコーディング部門の2531番目の殿堂入りしたことが明らかとなった[4]

主要作品[編集]

以下の作品は、デンバーの自作または共作として発表されたものである。

  • 悲しみのジェット・プレーン (Leaving on a Jet Plane) 1969年
  • 故郷に帰りたい (Take Me Home, Country Roads) 1971年
  • ロッキー・マウンテン・ハイ (Rocky Mountain High) 1972年
  • さすらいのカウボーイ (I'd Rather Be A Cowboy) 1973年
  • 太陽を背にうけて (Sunshine on My Shoulders) 1973年
  • 緑の風のアニー (Annie's Song) 1974年
  • バック・ホーム・アゲイン (Back Home Again) 1974年
  • すばらしきカントリー・ボーイ (Thank God I'm a Country Boy) 1975年
  • アイム・ソーリー (I'm Sorry) 1975年

作品解説[編集]

太陽を背に受けて[編集]

「太陽を背に受けて」は、Dick Kniss と Mike Taylor との共同作品である。1973年にシングル盤とし発売され1974年初期には全米第1位になる。

デンバーは、Seventeen Magazine にこの曲を創作した経緯を寄稿している。「気分が滅入っていて、ブルーな曲を書きたいと思っていたとき、この曲想が思い付いた。この曲は、自分のライフスタイルを表現したものである。」と。

当初、「さすらいのカウボーイ」というシングル盤のB面に収録されて発売された。ベトナム戦争が終結したころ、この曲には重要な示唆が含まれていると一般に受け取られるようになり、アダルト・コンテンポラリーを扱う放送局で流され始めた。そのうちに、1974年1月26日には全米ヒットチャートの90位に入り、その後9週間に渡ってヒットチャートのナンバー1を記録した。

2008年にカナダのシンガーソングライター、カーリー・レイ・ジェプセンがカバーした。

ロッキー・マウンテン・ハイ[編集]

「ロッキー・マウンテン・ハイ」の歌碑

「ロッキー・マウンテン・ハイ」は、1973年にアメリカで流行したフォーク・ロックである。この曲は、デンバーの故郷である、アメリカのコロラド州アスペンへの愛着を現したものであり、1970年代に発表されたポピュラー音楽を代表するものの1つとされている。

この曲は、公開されると直ちにアメリカ国内に論争を巻き起こした。それというのは、同年アメリカ連邦通信委員会がドラッグの乱用を煽る音楽は取締りの対象とすることと決まったからであった。デンバーの釈明が行われるまでは、多くの放送局がこの曲の放送を禁止したのであった。1985年、デンバーは合衆国議会において、この経緯について釈明を行っている。その後長らくはコロラド州の非公式な州歌として見なされていたが、2007年3月12日、議会はこの「ロッキー・マウンテン・ハイ」を公式州歌として認めることとなった。

コロラド州アスペンリオグランデ州立公園には、コロラド州の公式州歌「ロッキー・マウンテン・ハイ」の歌碑が立っている。

緑の風のアニー[編集]

「緑の風のアニー」(Annie's Song)は、デンバー自身が作曲と作詞を行った。この曲は、アルバム『バック・ホーム・アゲイン』(Back Home Again)に収録され、1974年に RCAレコードから発売された。ミルト・オクンがプロデューサーを担当し、演奏時間は2分58秒である。1974年7月、2週間に渡って全米ナンバー1ヒットを記録したこの曲は、デンバーにとって2回目の全米ナンバーとなった曲でもある。イギリスにおいても、ナンバー1ヒットを記録した。

緑の風のアニーは、当時ジョン・デンバーの妻であった Annie Denver (旧姓 Annie Martel) に捧げた叙情詩(じょじょうし)である。 Annie は、アメリカのミネソタ州スリーピーアイ出身である。ミネソタ州の New Ulm 近郊の州立公園を二人で散歩していたとき、デンバーは周囲の景色の素晴らしさに感嘆しつつ、同時に妻のことに想いをはせながら、数分の内にこの曲を書き上げたとされる。この曲が流行するようになって以降、多くの人々の間で結婚式の際頻繁に演奏されるようになったり、相手に愛情を表現するための代わりに利用されるようになったりした。その理由は、この曲が聞き手の想像力に素晴らしく訴えるだけでなく、歌詞が誰にとっても普遍的な意味を含んでいるからである。ただし歌詞の中には、Annie という名前は一言も出て来ない。

主な出演映画・テレビドラマ[編集]

  • イエロー・イーグル/大空をかける友情 (1988)テレビドラマ  
  • 別れの時 (1987)テレビドラマ  
  • クリスマス・ギフト (1986)テレビドラマ  
  • ファイアー&アイス/白銀の恋人たち (1985) ナレーションと音楽を担当。  
  • オー!ゴッド (1977) 主演  
  • 警部マクロード/コロラド大追跡 (1974)テレビドラマ ゲスト出演  
  • サンシャイン (1973)

脚註[編集]

  1. ^ しかし、デンバー本人は実は一度も歌の舞台であるウェストヴァージニア州に行った事がなかったという。
  2. ^ 本山美彦「ネオコンの源流「ニューエイジャー」とピラミッド」經濟論叢177:3、京都大學經濟學會2006,p.5-6
  3. ^ 遺産は約2000万ドル超(日本円で約26億)。妻と元妻が遺産の配分を争い1998年に裁判になる。
  4. ^ “飛行機事故で亡くなった歌手ジョン・デンバーさんがハリウッド殿堂入り”. シネマトゥデイ. (2014年10月22日). http://www.cinematoday.jp/page/N0067434 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]