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1949年の中日ドラゴンズ(1949ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1949年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、天知俊一監督の1年目のシーズンである。
戦後2度目の最下位に沈んだチームは杉浦清前監督を更迭して前年総監督として中日入りした天知俊一を新監督に招聘しまた天知監督の教え子である杉下茂を入団させ、また他球団でプレーしていた西沢道夫を中日に復帰させるなど戦力を再編したことからAクラス候補に挙がるものの、チームは前年最下位の影響もあって開幕から波に乗れず6月に最下位に転落。7月以降は何とか態勢を整えて最下位こそ免れるものの、下位をウロウロするなど波に乗れなかった。最終的に貯金とAクラス入りはならなかったものの、前年の最下位から借金を減らして5位に躍進した。投手陣は大エース服部受弘がチーム1位の24勝を挙げ、清水秀雄が12勝を挙げたものの2桁勝利はこの2人だけで杉下は8勝、前年最多敗の近藤貞雄は防御率ベスト10に入るも7勝止まりで、チーム防御率3.76はリーグ3位に終わった。打撃陣は出戻りした西沢がチームトップの37本塁打、前年まで選手兼任だった杉浦が23本塁打、杉山悟が31本塁打と打ちまくりチーム本塁打はリーグ2位を記録した。選手選任シーズンオフの球界再編により、中日は巨人主導のセ・リーグに所属することになった。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1949年日本野球連盟順位変動
順位 |
4月終了時 |
5月終了時 |
6月終了時 |
7月終了時 |
8月終了時 |
9月終了時 |
最終成績
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1位
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
南海 |
3.0
|
大阪 |
4.0
|
南海 |
4.0
|
大阪 |
9.0
|
大阪 |
9.5
|
大映 |
14.5
|
阪急 |
16.0
|
3位
|
大阪 |
3.5
|
南海 |
4.5
|
大映
|
大映 |
9.5
|
阪急 |
12.0
|
阪急 |
16.0
|
大映 |
17.5
|
4位
|
大映 |
5.0
|
大映 |
7.0
|
大阪 |
5.0
|
阪急 |
11.0
|
大映 |
14.5
|
大阪 |
18.0
|
南海 |
18.5
|
5位
|
中日 |
6.5
|
阪急 |
9.5
|
阪急 |
7.0
|
南海 |
14.5
|
南海 |
15.5
|
南海
|
中日 |
19.5
|
6位
|
東急 |
8.0
|
中日 |
11.5
|
大陽 |
11.5
|
中日 |
17.5
|
東急 |
20.0
|
中日 |
20.0
|
大阪 |
20.5
|
7位
|
阪急 |
9.0
|
大陽 |
11.5
|
東急 |
14.0
|
東急 |
18.0
|
中日 |
20.5
|
東急 |
24.5
|
東急 |
23.0
|
8位
|
大陽
|
東急 |
12.0
|
中日 |
14.5
|
大陽 |
24.5
|
大陽 |
28.0
|
大陽 |
33.0
|
大陽 |
33.0
|
選手・スタッフ[編集]
[2][3]
表彰選手[編集]
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |