雪印集団食中毒事件

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雪印集団食中毒事件(ゆきじるししゅうだんしょくちゅうどくじけん)とは、2000年(平成12年)6月から7月にかけて、近畿地方を中心に発生した、雪印乳業(現:雪印メグミルク)の乳製品(主に低脂肪乳)による集団食中毒事件。

本事件は、認定者数14,780人[1][2]の、戦後最大の集団食中毒事件となった。

経緯[編集]

2000年6月25日、雪印乳業大阪工場(大阪府大阪市都島区)で製造された「雪印低脂肪乳」を飲んだ子供が嘔吐や下痢などの症状を呈した。6月27日に大阪市内の病院から大阪市保健所に食中毒の疑いが通報された。6月30日に保健所から大阪工場に製品の回収を指導した[1]

この頃には各地から食中毒の情報が入ってきていたが、大阪工場は言を左右にして応じようとしなかった。6月29日に事件のプレス発表と約30万個の製品の回収が行われたが、既に対応が遅れ、プレス発表後は被害の申告者が爆発的に増え、大阪府・兵庫県和歌山県など広範囲に渡って14,780人の被害者が発生するという前代未聞の集団食中毒に発展し、世間を震撼させた。

被害者の訴えた症状は嘔吐・下痢・腹痛であり、総じて比較的軽いものであったが、入院に至った重症者もいた。

原因[編集]

事件直後の7月1日に行われた会社側の記者会見では、大阪工場の逆流防止弁の洗浄不足による汚染が明らかにされた[3]。大阪保健所も、それ以上の原因追及は行わなかった。

しかし、大阪府警のその後の捜査により、大阪工場での製品の原料となる脱脂粉乳を生産していた北海道広尾郡大樹町にある大樹工場での汚染が原因であることが判明した。

2000年3月31日、大樹工場の生産設備で氷柱の落下で3時間の停電が発生し、同工場内のタンクにあった脱脂乳が20度以上にまで温められたまま約4時間も滞留した。この間に病原性黄色ブドウ球菌が増殖して毒素エンテロトキシンA)が発生していたことが原因であった[1]。本来なら滞留した原料は廃棄すべきものであったが、殺菌装置で黄色ブドウ球菌を死滅させれば安全と判断し、脱脂粉乳を製造した。ところが、殺菌で黄色ブドウ球菌が死滅しても、菌類から発生した毒素の毒性は失われないため、この毒素に汚染された脱脂乳を飲んだ子供が食中毒を起こすこととなった。

同社は、1955年(昭和30年)にも八雲工場(北海道山越郡八雲町(当時))で同様な原因による雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件を起こしており、事故後の再発防止対策にも不備があったと推測される。

このため、雪印グループ各社の全生産工場の操業が全面的に停止する事態にもなり、スーパーなど小売店から雪印グループの商品が全品撤去され、ブランドイメージも急激に低下した。

その際、報道陣にこの事件を追及された当時の社長、石川哲郎は、エレベーター付近で寝ずに待っていた記者団にもみくちゃにされながら、会見の延長を求める記者に「では後10分」と答えたところ「何で時間を限るのですか。時間の問題じゃありませんよ。」と記者から詰問され、「そんなこと言ったってねぇ、わたしは寝ていないんだよ!!」と発言[4]。一方の報道陣からは記者の一部が「こっちだって寝てないですよ、そんなこと言ったら! 10ヶ月の子供が病院行ってるんですよ!」と猛反発。石川哲郎はすぐに謝ったものの、この会話がマスメディア等で広く配信されたことから世論の指弾を浴びることとなった。

その後の混乱[編集]

その後、雪印グループの製品が全品撤去に至るなど、親会社の不祥事とは言え、グループ会社全体の経営が悪化してしまう。そして2001年(平成13年)から2002年(平成14年)にかけてBSE問題が表面化。これによって追い打ちをかけられたグループ会社の雪印食品は、雪印牛肉偽装事件(雪印乳業本体ではなく、子会社不監督)を発生させてしまった。この事件によってイメージダウンは決定的になり、グループの解体・再編を余儀なくされる結果となった。さらにこれが原因で同社がスポンサーであった『料理バンザイ!』(テレビ朝日系)が、2002年3月31日で放送終了となった。

1997年の山一證券北海道拓殖銀行の倒産ともあわせ、戦後のバブル経済まで絶対的に信奉されてきた「一流企業」ブランドに対する信頼は崩れ落ち、高度成長期以来の価値観の転換を象徴する事件となった。

雪印グループは、スキージャンプアイスホッケーなどウィンタースポーツの振興に寄与していたが、雪印グループの再編により雪印の実業団は、(スキージャンプのチームである)「チーム雪印」を除き廃され、多くの選手が競技を続けられなくなった。長引く不景気により多くの企業が実業団に資金を注げなくなったこともあり、1998年長野冬季オリンピックではスキージャンプで金メダルを獲得するまでに至っていた日本のウィンタースポーツは急速に凋落した。

影響は雪印に留まらなかった。他の乳業メーカーへ注文が殺到したために、乳業各社で生産・配送が受注に追いつかなくなった。また、乳業以外の食品メーカーでも衛生管理をめぐる不祥事が明るみにされたり、パントマトジュースなどをはじめとした食品への異物(など)が混入する騒ぎなど、食品業界全体に大きな影響を与えた。

さらにこの事件が社会に与えた影響として以下のものが挙げられる。

  • 商品名への「牛乳」の命名基準が厳しくなり、コーヒー牛乳フルーツ牛乳などの名称が消えた。
  • 成分無調整「牛乳」への需要の集中などにより、夏場の「牛乳」不足が深刻となる。
    • 当初、牛乳・乳製品の需要は低下すると予測され、同業各社は減産を検討していたが、予測に反してほとんど需要が低下しなかった上、最大手の雪印が事実上操業停止に追い込まれたため、明治乳業(現:明治)・森永乳業などの大手から地域の零細メーカーまで、フル操業でも需要を満たせないような状況になった。
    • お膝元である北海道では、雪印全工場の操業停止により「地元で作られた牛乳を地元で飲めない」という問題が発生。中でもパイロットファームで有名な根釧原野を有する釧路・根室地方では、市乳工場であった雪印釧路工場が撤退していたため、他地域以上に問題視された。このためよつ葉乳業は首都圏向け商品に特化していた根釧工場で、2004年から「根釧牛乳」を生産・発売することとなった。
  • 乳製品の再利用について、2001年5月に社団法人日本乳業協会が「飲用乳の製品の再利用に関するガイドライン[5]」を作成し、「工場の冷蔵管理下にある一定量の製品についてのみ行われる」ことが決定された。
  • 大阪工場が総合衛生管理製造過程HACCPが要件、厚生労働省が審査/承認)承認工場であったことから、それまで書類審査のみであった承認審査に現地調査が導入されるとともに、3年ごとに更新申請が必要とされるなど、「総合衛生管理製造過程」見直しのきっかけとなった。
  • 当事件をきっかけに大阪工場が閉鎖。跡地にマンションおおさかパルコープ都島支所が建設された。
  • 雪印は、当事件発生を理由にJTキーコーヒーとともに展開予定だった『Roots』ブランド[6]を返上・離脱した[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 雪印乳業食中毒事件の原因究明調査結果について(最終報告) (Report). 厚生省. (2000-12). http://www.mhlw.go.jp/topics/0012/tp1220-2.html 2012年4月16日閲覧。. 
  2. ^ ただしこれは自己申告を中心とする数字であり、額面通りには受け取れない。医学的な検討により、第3次診定で食中毒と認定できたのは13,420人に減少しており(『時事ニュースワード2001』(時事通信社)はこの数字を被害者数としている)、さらに最終の第5次診定では4,852人まで減少している。
  3. ^ この記者会見についても会社側のずさんな対応が語り草となっている。社長は会見内容を事前にまともに聞かされておらず、会見中の担当者の発表に驚き「君、それは本当かね」と口を挟む始末であった。
  4. ^ “拝啓 岡崎トミ子国家公安委員長殿 日本の過去よりまず自分の過去と向き合うべきではないですか?”. (2010年10月31日). p. 1. http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110108/plc11010804330045-n1.htm 2013年4月3日閲覧。 
  5. ^ 社団法人日本乳業協会 (2001年5月). “飲用乳の製品の再利用に関するガイドライン”. 日本ミルクコミュニティ株式会社. 2004年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月14日閲覧。
  6. ^ 雪印では、「Roots」ブランドによるテトラパック入りのミルクコーヒーをスーパーマーケットとコンビニエンスストア、雪印牛乳販売店の販売ルートで発売する予定だった。
  7. ^ なお、『Roots』ブランドは、JTとキーコーヒーの2社で展開している(2013年8月時点)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]