ガチャマン景気
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(糸ヘン景気から転送)
ガチャマン景気(ガチャマンけいき)とは、1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争(朝鮮特需)を機に日本で発生した景気拡大現象である。「(織機を)ガチャンと織れば万の金が儲かる」といった含意から、「ガチャ万」とも表記される[1]。「繊維」、「紡績」といった糸偏の付く漢字の業種が儲かったことから「糸へん景気」とも言う[2]。
概要
[編集]太平洋戦争にて敗戦を喫した日本では、1950年に勃発した朝鮮戦争に伴い、国連軍の要請で食糧や車両修理、各種鋼材などの調達を求められた(朝鮮特需)[1]。中でもその大部分の特需が土嚢用麻袋[3]、軍服[4]などの繊維製品であったといわれる。
繊維業界においても1951年にレーヨン糸の生産量が1949年に比べて2.1倍、レーヨンステープルが3.8倍にも高騰した[2]。
「ガチャマン景気」ないし「糸へん景気」の終焉時期は1951年春とされる[2]。
脚注
[編集]- ^ a b “天声人語”. 朝日新聞・朝刊: p. 1. (2012年5月16日). "戦後の日本経済は朝鮮戦争の特需で息を吹き返した。繊維などの業界で「ガチャ万」や「ガチャマン景気」と言われたのはそのころだ。機械をガチャと動かせば「万」のお金がもうかった。" - 聴蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b c 世界大百科事典『糸へん景気』 - コトバンク:『世界大百科事典』に「糸へん景気」の項目があるわけではなく、「化学繊維」「繊維工業」の項目にある関連する記述が表示される。
- ^ “電子を刷る⑧ ニューロング精密工業”. 日刊工業新聞. (1980年6月12日) 2014年10月10日閲覧。
- ^ ロバート・マーチン (1951年4月13日). “[外人記者の直言]ずるい一部日本業者”. 読売新聞・夕刊: p. 1 - ヨミダス歴史館にて閲覧