第22即応機動連隊
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(第22普通科連隊から転送)
第22即応機動連隊 | |
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機動展開する機動戦闘車隊 | |
創設 |
1958年(昭和33年)6月17日 (第22普通科連隊) |
廃止 | 2019年(平成31年)3月25日 |
再編成 |
2019年(平成31年)3月26日 (第22即応機動連隊) |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 諸職種混成 |
所在地 | 宮城県多賀城市及び同県黒川郡大和町 |
編成地 | 南仙台 |
上級単位 | 第6師団 |
担当地域 | 宮城県 |
第22即応機動連隊(だいにじゅうにそくおうきどうれんたい、JGSDF 22nd Rapid Deployment Regiment)は、宮城県多賀城市の多賀城駐屯地に連隊主力、宮城県黒川郡大和町の大和駐屯地に機動戦闘車隊が駐屯する、陸上自衛隊第6師団隷下の即応機動連隊である。
概要
[編集]26中期防に基づき編成された2個の即応機動連隊(諸職種混成の戦闘団に準ずる部隊)のうちのひとつで、第22普通科連隊を基幹に第6戦車大隊、第6特科連隊、第6高射特科大隊の一部を統合・再編した。連隊本部・本部管理中隊・3個普通科中隊・火力支援中隊は多賀城駐屯地に、機動戦闘車隊は母体となった第6戦車大隊が所在していた大和駐屯地に引き続き駐屯している。
訓練は王城寺原演習場などで実施する。
沿革
[編集]第22普通科連隊
- 1958年(昭和33年)6月17日:南仙台駐屯地において第22普通科連隊が編成完結。
- 1961年(昭和36年)8月5日:多賀城駐屯地に移駐(第1・第3大隊欠)[1]。
- 1962年(昭和37年)8月15日:第6管区隊の第6師団への改編に伴い、連隊再編。本部管理中隊及び4個普通科中隊、重迫撃砲中隊編成となる。
- 1990年(平成 2年)3月26日:師団近代化への改編により、自動車化。
- 1999年(平成11年)3月26日:第6対戦車隊の廃止に伴い、対戦車中隊を新編。
- 2006年(平成18年)3月27日:即応近代化改編
- 軽装甲機動車、01式軽対戦車誘導弾が配備。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第6後方支援連隊第2整備大隊第2普通科直接支援中隊へ移管。
- 2018年(平成30年)
- 3月25日:対戦車中隊を廃止。
- 3月26日:本部管理中隊に対戦車小隊を新編[2]。
- 8月1日:郡山駐屯地・仙台駐屯地・八戸駐屯地等から招集した野戦特科隊員を基幹とした新重迫撃砲中隊が始動。
- ※連隊の即応機動連隊化に向けた各中隊の慣熟訓練のため、師団内の第6戦車大隊から複数両の96式装輪装甲車(B型・Ⅱ型のB型)が一時的な管理替えで連隊本部に配備される。連隊の新装備として本部管理中隊対戦車小隊に中距離多目的誘導弾を配備。
- 2019年(平成31年)3月25日:第22普通科連隊(多賀城駐屯地)が廃止。
第22即応機動連隊
警備隊区
[編集]多賀城市、塩竈市、東松島市、石巻市、名取市、岩沼市、登米市、気仙沼市、栗原市、大崎市、仙台市、七ヶ浜町、松島町、女川町、南三陸町、美里町、涌谷町、利府町
部隊編成
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 第22即応機動連隊本部 -(多賀城駐屯地)- 82式指揮通信車
- 第1科(S-1) - 人事 - 第1科広報室
- 第2科(S-2) - 情報
- 第3科(S-3) - 作戦(運用訓練)
- 第4科(S-4) - 兵站
- 最先任上級曹長(CSM)
- 本部管理中隊
- 第1普通科中隊
- 中隊本部班
- 第1小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第2小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第3小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 迫撃砲小隊 ‐ 81mm迫撃砲 L16
- 第2普通科中隊
- 中隊本部班
- 第1小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第2小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第3小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 迫撃砲小隊 ‐ 81mm迫撃砲 L16
- 第3普通科中隊
- 中隊本部班
- 第1小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第2小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第3小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 迫撃砲小隊 ‐ 81mm迫撃砲 L16
- 火力支援中隊 ‐ 120mm迫撃砲 RT
- 機動戦闘車隊 -(旧第6戦車大隊・大和駐屯地)
整備支援部隊
[編集]第22普通科連隊
第22即応機動連隊
- 第6後方支援連隊第2整備大隊即応機動直接支援中隊「6後支-2整-即」(多賀城駐屯地):2019年(平成31年)3月26日から 第22即応機動連隊を支援。
- 第6後方支援連隊第2整備大隊即応機動直接支援中隊直接支援小隊(大和駐屯地):2019年(平成31年)3月26日から 第22即応機動連隊機動戦闘車隊を支援。
第22普通科連隊廃止時の編成
[編集]- 第22普通科連隊本部
- 本部管理中隊「22普-本」 - 82式指揮通信車・軽装甲機動車・偵察用オートバイ・中距離多目的誘導弾等
- 第1普通科中隊「22普-1」 - 高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 第2普通科中隊「22普-2」 - 高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 第3普通科中隊「22普-3」 - 高機動車、81mm迫撃砲 L16
- 第4普通科中隊「22普-4」 - 軽装甲機動車、81mm迫撃砲 L16
- 重迫撃砲中隊「22普-重」 - 120mm迫撃砲 RT
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
---|---|---|---|---|
第22即応機動連隊長 兼 多賀城駐屯地司令 |
1等陸佐 | 山下正浩 | 2024年 | 8月 2日第1空挺団本部高級幕僚 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|
第22普通科連隊長 | ||||
1 | 樋口六之助 | 1958年 | 6月17日 - 1960年 7月31日第21普通科連隊付 | 東北方面監察隊長 兼 東北方面総監部監察課長 |
2 | 谷口太郎 | 1960年 | 8月 1日 - 1962年 3月15日陸上自衛隊幹部学校教育部教官 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
3 | 竹田津護作 | 1962年 | 3月16日 - 1963年 7月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上幕僚監部第4部副部長 |
4 | 中山平八郎 | 1963年 | 8月 1日 - 1965年 3月15日陸上幕僚監部第3部研究班長 | 東北方面総監部第3部長 |
5 | 布施谷力 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 3月15日東部方面総監部第2部長 | 第4師団司令部幕僚長 |
6 | 安田隆雄 | 1967年 | 3月16日 - 1968年 7月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 第13師団司令部幕僚長 |
7 | 南雲克郎 | 1968年 | 7月16日 - 1970年 7月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 自衛隊長野地方連絡部長 |
8 | 河野一敏 | 1970年 | 7月16日 - 1972年 3月15日東北方面総監部第2部長 | 第10師団司令部幕僚長 |
9 | 佐藤瑞 | 1972年 | 3月16日 - 1974年 7月15日西部方面総監部第1部長 | 東北方面総監部総務課勤務 |
10 | 馬郡道生 | 1974年 | 7月16日 - 1976年 3月15日陸上幕僚監部付 | 陸上幕僚監部第5部学校班長 |
11 | 飯澤耕作 | 1976年 | 3月16日 - 1977年 7月31日自衛隊山形地方連絡部長 | 東北方面総監部監察官 |
12 | 黒田崧 | 1977年 | 8月 1日 - 1979年 3月15日陸上幕僚監部第1部勤務 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
13 | 枡康博 | 1979年 | 3月16日 - 1980年 7月31日陸上幕僚監部防衛部防衛課 防衛班長 |
第7師団司令部幕僚長 |
14 | 野口有三 | 1980年 | 8月 1日 - 1983年 3月15日陸上幕僚監部調査部付 | 西部方面総監部幕僚副長 (陸将補昇任) |
15 | 瀬戸昭 | 1983年 | 3月16日 - 1985年 8月 7日西部方面総監部人事部人事課長 | 東北方面総監部総務部長 |
16 | 木家勝 | 1985年 | 8月 8日 - 1987年 7月31日北部方面総監部防衛部防衛課長 | 北部方面総監部防衛部長 |
17 | 藤原利將 | 1987年 | 8月 1日 - 1989年 6月29日陸上幕僚監部監理部総務課 庶務班長 |
陸上幕僚監部教育訓練部教育課長 |
18 | 小野寺平正 | 1989年 | 6月30日 - 1991年 7月31日第12師団司令部第3部長 | 北部方面総監部人事部長 |
19 | 佐々木達士 | 1991年 | 8月 1日 - 1993年 3月23日東部方面総監部防衛部訓練課長 | 東北方面総監部防衛部長 |
20 | 清水明德 | 1993年 | 3月24日 - 1995年 6月29日中部方面総監部防衛部防衛課長 | 陸上幕僚監部総括副監察官 |
21 | 井岡久 | 1995年 | 6月30日 - 1997年12月 7日陸上幕僚監部教育訓練部訓練課 訓練班長 |
陸上幕僚監部防衛部研究課長 |
22 | 内田益次郎 | 1997年12月 | 8日 - 1998年12月 7日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上幕僚監部教育訓練部訓練課長 |
23 | 木﨑俊造 | 1998年12月 | 8日 - 2000年 6月29日陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長 | 陸上幕僚監部人事部援護業務課長 |
24 | 上口信行 | 2000年 | 6月30日 - 2002年12月 1日北部方面総監部防衛部訓練課長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長 |
25 | 加藤誠 | 2002年12月 | 2日 - 2005年 7月31日陸上自衛隊研究本部企画調整官 | 自衛隊島根地方連絡部長 |
26 | 角南良児 | 2005年 | 8月 1日 - 2007年 3月27日陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練課 訓練・演習班長 |
統合幕僚監部運用部運用第2課長 |
27 | 菅野茂 | 2007年 | 3月28日 - 2009年 7月31日陸上幕僚監部人事部補任課 人事第2班長 |
陸上自衛隊研究本部研究員 |
28 | 國友昭 | 2009年 | 8月 1日 - 2012年 3月22日第13旅団司令部第3部長 | 第12旅団司令部幕僚長 |
29 | 永田真一 | 2012年 | 3月23日 - 2014年 8月 4日北部方面総監部防衛部防衛課長 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
30 | 松永幸二 | 2014年 | 8月 5日 - 2015年 8月 3日陸上幕僚監部防衛部防衛課 業務計画班長 |
陸上幕僚監部防衛部防衛課長 |
31 | 二瓶惠司 | 2015年 | 8月 4日 - 2018年 3月22日陸上幕僚監部防衛部 情報通信・研究課情報通信室勤務 |
陸上幕僚監部人事教育部 人事教育計画課予備自衛官室長 |
未 | 大場智覚 | 2018年 | 3月23日 - 2019年 3月25日陸上幕僚監部人事教育部 募集・援護課総括班長 |
第22即応機動連隊長 兼 多賀城駐屯地司令 |
第22即応機動連隊長 | ||||
1 | 大場智覚 | 2019年 | 3月26日 - 2020年 3月17日第22普通科連隊長 兼 多賀城駐屯地司令 |
陸上幕僚監部人事教育部募集・援護課長 |
2 | 石井伸幸 | 2020年 | 3月18日 - 2022年 7月31日陸上総隊司令部情報部情報第2課長 | 陸上総隊司令部情報部副部長 |
3 | 中本能久 | 2022年 | 8月 1日 - 2024年 8月 1日陸上幕僚監部防衛部防衛課業務計画班長 | 統合幕僚監部運用部運用第2課長 |
4 | 山下正浩 | 2024年 | 8月 2日 -第1空挺団本部高級幕僚 |
主要装備
[編集]- 16式機動戦闘車
- 96式装輪装甲車(A型・B型・Ⅱ型)
- 82式指揮通信車
- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 中型セミトレーラ
- 燃料タンク車
- 89式5.56mm小銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 9mm拳銃
- 84mm無反動砲
- 01式軽対戦車誘導弾
- 中距離多目的誘導弾
- 93式近距離地対空誘導弾(近SAM)
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 朝雲新聞社編集局 監修・陸上幕僚監部『陸上自衛隊20年年表』朝雲新聞社、1971年。
- ^ “第22即応機動連隊ホームページ”. www.mod.go.jp. 2022年11月24日閲覧。
- ^ 防衛省発令(1佐職人事)2019年3月26日付 (PDF)
- ^ “第22即応機動連隊ホームページ”. 2020年3月28日閲覧。
“防衛省人事発令”. 2015年8月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- 第22即応機動連隊紹介ページ
- 多賀城駐屯地 (@TagajoGSDFpr ) - Twitter