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自民党大分県連が次期参院選の候補者を公募で決定する方針を打ち出したことに反発、[[2006年]](平成18年)5月26日に[[逢沢一郎]]幹事長代理に対して離党届けを提出。自民党執行部は離党届を受理せず、党紀委員会で決定することにし、6月23日に党紀委員会は離党届を受理した。6月28日、[[無所属]]議員として参議院[[院内会派|会派]]「国民新党・[[新党日本]]・[[無所属の会 (会派)|無所属の会]]」に入会。7月26日、国民新党に入党し<ref>国民新党は郵政民営化反対を主張して自民党を離党した議員により結党され、後藤とは主張が一致した。</ref>、次期参院選大分県選挙区への出馬を表明した<ref>当初は、地元大分ではなく、[[参議院比例区|比例区]]への出馬が決まっていた。これは、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]と[[参議院一人区]]で推し進める[[野党]]共闘に配慮したことによるが、社民党の立てた候補を嫌った民主党県連が独自候補を擁立し、共闘は失敗。混戦模様となったため、後藤も選挙区からの立候補に転換した。</ref>。
自民党大分県連が次期参院選の候補者を公募で決定する方針を打ち出したことに反発、[[2006年]](平成18年)5月26日に[[逢沢一郎]]幹事長代理に対して離党届けを提出。自民党執行部は離党届を受理せず、党紀委員会で決定することにし、6月23日に党紀委員会は離党届を受理した。6月28日、[[無所属]]議員として参議院[[院内会派|会派]]「国民新党・[[新党日本]]・[[無所属の会]]」に入会。7月26日、国民新党に入党し<ref>国民新党は郵政民営化反対を主張して自民党を離党した議員により結党され、後藤とは主張が一致した。</ref>、次期参院選大分県選挙区への出馬を表明した<ref>当初は、地元大分ではなく、[[参議院比例区|比例区]]への出馬が決まっていた。これは、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]と[[参議院一人区]]で推し進める[[野党]]共闘に配慮したことによるが、社民党の立てた候補を嫌った民主党県連が独自候補を擁立し、共闘は失敗。混戦模様となったため、後藤も選挙区からの立候補に転換した。</ref>。


2007年7月の[[第21回参議院議員通常選挙]]に大分県選挙区より国民新党から出馬するが、上記のように[[野党]]の候補統合に失敗したため、自民党の新人である[[礒崎陽輔]]に敗れ落選した。
2007年7月の[[第21回参議院議員通常選挙]]に大分県選挙区より国民新党から出馬するが、上記のように[[野党]]の候補統合に失敗したため、自民党の新人である[[礒崎陽輔]]に敗れ落選した。

2023年3月30日 (木) 10:53時点における版

後藤博子
ごとう ひろこ
生年月日 (1948-05-21) 1948年5月21日(76歳)
出生地 日本の旗 日本 大分県大分市
出身校 別府大学短期大学部初等教育学科
前職 会社役員
所属政党自由民主党→)
国民新党
称号 準学士
旭日中綬章
公式サイト 後藤ひろこ ブログ

選挙区 大分県選挙区
当選回数 1回
在任期間 2001年7月29日 - 2007年7月28日
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後藤 博子(ごとう ひろこ、1948年昭和23年)5月21日 - )は、日本政治家、社会活動家。国民新党の元参議院議員(1期)。

概要

大分県大分市出身。一男一女をもうける。国際協力事業団(JICA)支援によりブラジルアマゾナス州マナウスに家族で工業移住。 マナウス日伯文化協会の日本語学校で日系二世・三世に日本語日本文化について指導する。

2001年(平成13年)の第19回参議院議員通常選挙では自由民主党の公認を受け、大分県選挙区から出馬し参議院議員に初当選。2004年(平成16年)、政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。2005年(平成17年)8月8日郵政民営化関連法案の参議院本会議採決では反対票を投じ、「郵政解散」につながる同法案否決への道を開いた。

自民党大分県連が次期参院選の候補者を公募で決定する方針を打ち出したことに反発、2006年(平成18年)5月26日に逢沢一郎幹事長代理に対して離党届けを提出。自民党執行部は離党届を受理せず、党紀委員会で決定することにし、6月23日に党紀委員会は離党届を受理した。6月28日、無所属議員として参議院会派「国民新党・新党日本無所属の会」に入会。7月26日、国民新党に入党し[1]、次期参院選大分県選挙区への出馬を表明した[2]

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に大分県選挙区より国民新党から出馬するが、上記のように野党の候補統合に失敗したため、自民党の新人である礒崎陽輔に敗れ落選した。

2009年4月に行われた大分県佐伯市長選挙に無所属で出馬するが、4名中最下位で落選。その後は国民新党に復党したが、同年8月の第45回衆議院議員総選挙には出馬せず、同党大分県支部長の傍ら、同年10月に法人認証を受けたNPO法人の「大分日伯国際交流協会」代表として活動している。

略歴

経歴

政歴

脚注

  1. ^ 国民新党は郵政民営化反対を主張して自民党を離党した議員により結党され、後藤とは主張が一致した。
  2. ^ 当初は、地元大分ではなく、比例区への出馬が決まっていた。これは、民主党社会民主党参議院一人区で推し進める野党共闘に配慮したことによるが、社民党の立てた候補を嫌った民主党県連が独自候補を擁立し、共闘は失敗。混戦模様となったため、後藤も選挙区からの立候補に転換した。
  3. ^ a b c d e 国会議員 元参議院議員 国民新党 後藤 博子”. Yahoo!みんなの政治(archive.is). 2018年1月27日閲覧。
  4. ^ プロフィール - 後藤ひろこ ブログ

関連項目

外部リンク