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|ユース年1=-1999|ユースクラブ1={{Flagicon|SWE}} オストラ・トルプGIF
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'''アンドレーアス・イサクソン'''(Andreas Isaksson, [[1981年]][[10月3日]] - )は、[[スウェーデン]]・[[トレッレボリ]]出身の[[サッカースウェーデン代表|同国代表]]の[[サッカー選手]]。ポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]。
'''アンドレーアス・イサクソン'''('''Andreas Isaksson''', [[1981年]][[10月3日]] - )は、[[スウェーデン]]・{{仮リンク|トレッレボリ市|en|Trelleborg Municipality}}{{interlang|en|Smygehamn}}出身の[[サッカースウェーデン代表|同国代表]]の[[サッカー|サッカー選手]]。ポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== クラブ ===
[[1999年]]に地元クラブの[[トレッレボリFF]]でキャリアをスタート。後イタリアの名門[[ユヴェントスFC]]に移籍したが、[[エトヴィン・ファン・デル・サール]]が在籍していたため正ゴールキーパーとなることはなく、さらに[[ジャンルイジ・ブッフォン]]の加入もあって[[2001年]]に母国の[[ユールゴーデンIF]]へ移籍。正GKとして活躍し、[[2002年]]には代表デビューを果たした。後に[[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]のメンバーにも選出されている。また同年には[[アルスヴェンスカン]]最優秀ゴールキーパーにも選ばれた。
==== スウェーデンとイタリア ====
{{仮リンク|トレッレボリ市|en|Trelleborg Municipality}}{{interlang|en|Smygehamn}}に生まれたイサクソンは、ユース時代を地元のオストラ・トルプGIF(Östra Torp GIF)で過ごし、1999年に[[トレッレボリFF]]へ移籍すると、2人のGKが怪我したことで出番が訪れ17歳の時に[[アルスヴェンスカン|トップリーグ]]デビューを果たした。その才能が注目を集め、1999年6月に[[セリエA (サッカー)|イタリア1部]]の名門[[ユヴェントスFC]]に引き抜かれた。しかし、同時期に[[サッカーオランダ代表|オランダ代表]]の[[エトヴィン・ファン・デル・サール]]が加入したことで出番は訪れず、2001年1月16日に母国の[[ユールゴーデンIF]]と契約を締結した<ref>[http://dif.se/2001/01/16/isaksson-till-djurgarden/ "Isaksson till Djurgården"]</ref>。


ユールゴーデンでは[[ラミ・シャーバン]]を控えに追いやり正GKの座を掴み、[[w:de:Stefan Bärlin|ステファン・バルリン]], [[w:de:Niclas Rasck|ニクラス・ラスク]], [[w:en:Abgar Barsom|アブガル・バルサム]], {{仮リンク|ステファン・レーン|en|Stefan Rehn}}らと共に中心選手として2002年シーズンのリーグ優勝に貢献。また、[[スウェーデン・カップ|カップ戦]]決勝でライバルの[[AIKソルナ]]を1-0で破り、[[ルアイ・チャンコ]], [[w:en:Babis Stefanidis|バビス・ステファニディス]], [[キム・シェルストレーム]]らと優勝カップを掲げ、[[ダブル (サッカー)|2冠]]を達成。その結果から年間最優秀GK賞に輝いた<ref name=gk>[http://fogis.se/fotbollsgalan/tidigare-vinnare/ovriga-utmarkelser/ "Övriga utmärkelser"]</ref>。また、翌2003シーズンもリーグを制し2連覇を達成、再び年間最優秀GK賞に選出されている<ref name=gk />。
[[2003年]]からは[[リーグ・アン|フランス]]の[[スタッド・レンヌ]]へ移籍。初年度は[[ペトル・チェフ]]が正GKを務めていたため控えの立場であったが、[[2004年]]夏にチェフが[[プレミアリーグ|イングランド]]の[[チェルシーFC]]に移籍した後は出場機会を得るようになった。[[サッカー欧州選手権2004|EURO2004]]では、ケガをしていた[[マグヌス・ヘドマン]]に代わって出番を得ると、以来代表でも正GKの座を掴み[[2006 FIFAワールドカップ]]にも出場している。


==== レンヌ ====
[[2006年]]より[[マンチェスター・シティ]]でプレー。しかし、出場機会には恵まれず翌年はレンタルから戻った[[ジョー・ハート]]にポジションを奪われた。[[2008年]][[7月2日]]に[[エウレリョ・ダ・シウヴァ・ゴメス|エウレリョ・ゴメス]]を[[トッテナム・ホットスパーFC]]に放出した[[エールディヴィジ|オランダ]]の[[PSVアイントホーフェン]]に移籍。移籍後は正GKとして活躍した。しかし2011年に[[サッカーポーランド代表|ポーランド代表]]の[[プジェミスワフ・ティトン]]が加入後は正GKの座を奪われて出場機会が減少。結局2011-12シーズン終了を持って契約満了で退団した。
2004年7月、[[プレミアリーグ|イングランド1部]]の[[チェルシーFC]]へ移籍した[[ペトル・チェフ]]の後釜として[[リーグ・アン|フランス1部]]の[[スタッド・レンヌ]]と契約。[[2004-05 リーグ・アン|1シーズン目]]は全38試合に出場し、得点王に輝く[[アレクサンダー・フライ]]と共に4位躍進の原動力として活躍、{{仮リンク|UEFAカップ2005-06|en|2005–06 UEFA Cup}}出場権を得た。[[2005-06 リーグ・アン|2シーズン目]]は7位に終わったものの、前年に引き続き、そして4年連続となるスウェーデン年間最優秀GK賞を受賞した<ref name=gk />。


==== マンチェスター・シティ ====
[[2012年]][[7月9日]]、[[トルコ・シュペル|トルコ]]の[[カスムパシャAS]]へ2015年までの3年契約で移籍した<ref>[http://jp.uefa.com/memberassociations/association=tur/news/newsid=1839868.html イサクソン、PSVからカスムパシャへ]UEFA.com 2012年7月9日(8月19日閲覧)</ref>。[[10月12日]]の[[サッカーフェロー諸島代表|フェロー諸島]]戦で史上7人目の代表通算100試合出場を果たした
2006年8月15日にイングランド1部の[[マンチェスター・シティFC]]へ移籍金200万ポンドで加入<ref name=manc>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/4787101.stm "Isaksson completes Man City move"]</ref>。[[ポーツマスFC]]へ移籍した[[デイヴィッド・ジェームス]]の後釜そして正GKとして期待された<ref name=manc />が、[[サッカースウェーデン代表|代表]]戦での足の怪我、さらにクラブの練習中に[[ベルナルド・コッラーディ]]と衝突したことによる膝の怪我からなかなか出番が訪れず<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11679/2390150/Isaksson-bemoans-injuries "Isaksson bemoans injuries"]</ref>、12月9日の[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]との[[マンチェスター・ダービー]](1-3敗北)中に怪我をした{{仮リンク|ニッキー・ウィーバー|en|Nicky Weaver}}と交代する形でようやく移籍後初出場を果たした<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11679/2397533/ "Isaksson claims career best"]</ref>。その後もウィーバーにポジションを明け渡していた<ref>[http://www.manchestereveningnews.co.uk/sport/football/football-news/isaksson-and-weaver-battle-for-no-1-1047709 "Isaksson and Weaver battle for No 1 spot"]</ref>ものの、2007年3月14日の[[チェルシーFC]]戦(0-1敗北)で移籍後2度目となる先発出場を果たすと、同試合から最終節までの残り10試合全てに出場、そのうち4試合を無失点に抑え、最終節の[[トッテナム・ホットスパー]]戦(1-2敗北)で[[ジャーメイン・デフォー]]のPKを防ぐ<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/6627855.stm "Tottenham 2-1 Man City"]</ref>など活躍した。

[[プレミアリーグ2007-2008|2007-08シーズン]]前にスウェーデンと[[ベルギー]]で行った試合の殆どに出場していたが、練習で親指を骨折、その後に右膝を怪我した<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11679/2771682/ "Reserve outing for Isaksson"]</ref>ことで同シーズン最初の2ヶ月を欠場を余儀なくされた。2007年10月31日の[[フットボールリーグカップ]][[ボルトン・ワンダラーズFC]]戦で2007-08シーズン初出場を果たし無失点に抑える<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11679/2841084/ "Isaksson happy to play"]</ref>も、若手の[[ジョー・ハート]]と世界的GK[[ピーター・シュマイケル]]の息子[[カスパー・シュマイケル]]の存在からなかなか出番が訪れずにいた<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11679/2886002/ "Isaksson - Sven promised"]</ref>。その後、11月末から12月の5試合にローテーションの一環として起用されたものの、[[スヴェン・ゴラン・エリクソン]]監督が近い将来の正GKをハートに見据えた<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11679/2995175/ "Hart to be City's No.1"]</ref>こともあり、出場機会を求めて2008年1月に別のクラブを模索し、これに呼応するように[[スュペル・リグ|トルコ1部]]の強豪[[ガラタサライSK]]からローンでの移籍話が舞い込むんだが、完全移籍のみを望んだため拒否、残留が決定した<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11679/3113531/ "Isaksson - I made right choice"]</ref>。しかし、シュマイケルが[[フットボールリーグ・チャンピオンシップ|2部]]の[[カーディフ・シティ]]に貸し出され第2GKの地位に就くもベンチを温める日々が続いた。5月11日の最終節[[ミドルスブラFC]]戦(1-8敗北)で久しぶりに出場したが大量失点を被り<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/7381794.stm "Middlesbrough 8-1 Man City"]</ref>、この試合がマンチェスター・シティでの最後の試合となった。

==== PSV ====
2008年7月2日、[[トッテナム・ホットスパーFC]]へ移籍した[[エウレリョ・ダ・シウヴァ・ゴメス|エウレリョ・ゴメス]]の後釜として[[エールディヴィジ|オランダ1部]]の強豪[[PSVアイントホーフェン]]と4年契約を締結<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11679/3766724/ "PSV tie up Isaksson swoop"]</ref>。移籍してすぐさま[[ディルク・マルセリス]], [[イブラヒム・アフェレイ]], [[ジェイソン・クリナ]], [[ティミー・シモンス]]らと共に中心選手としてプレーすることに成功するも、前シーズン王者として臨んだこの2008-09シーズンは、[[UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09]]で勝利したのは10月23日の[[オリンピック・マルセイユ]]戦(2-0)<ref>[http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=2009/matches/round=15276/match=302728/postmatch/report/index.html "PSV、終盤の2点でマルセイユを下す"]</ref>のみとグループリーグを最下位で敗退し、さらにリーグ戦では4位に終わったことで[[UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10]]出場権獲得には至らず、チームとしては失敗に終わった。

2009年夏に[[フレット・ルッテン]]監督が就任以降も正GKとして起用され、2009-10シーズンのクラブは第25節まで無敗で首位の座に着いていたが、残り9試合で勝ち点僅か13しか獲得出来ず、最終的に王者[[FCトゥウェンテ]], 2位の[[アヤックス・アムステルダム]]に次ぐ3位に終わった。翌2010-11シーズンもこの3クラブ間での争いになったが再び3位に終わり、またしても[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場を逃した。

PSVでは、マンチェスター・シティ時代とは打って変わり背番号1を付けて正GKを務めていたが、2011-12シーズンの3月上旬に行われたトゥウェンテ戦(ホーム2-6敗北)[[UEFAヨーロッパリーグ 2011-12]]の[[リーガ・エスパニョーラ|スペイン1部]][[バレンシアCF]]戦(2-4敗北)と2試合合計10失点と大量失点を被ったことで[[サッカーポーランド代表|ポーランド代表]][[プジェミスワフ・ティトン]]の起用を考慮され<ref>[http://www.goal.com/nl/news/213/eredivisie/2012/03/09/2956981/isaksson-dreigt-plaats-te-verliezen-aan-tyton "Isaksson dreigt plaats te verliezen aan Tyton"]</ref>、そのまま同選手にポジションを奪われた。以降、出番が訪れることはなく同シーズン終了に伴い契約満了したため退団が決定。PSVではリーグ戦出場124試合を記録した。

==== トルコ ====
2012年7月9日に4シーズンぶりに昇格を果たしたトルコ1部の{{仮ンク|カスムパシャAS|en|Kasımpaşa Spor Kulübü}}へ2015年までの3年契約で移籍した<ref>[http://jp.uefa.com/memberassociations/association=tur/news/newsid=1839868.html "イサクソン、PSVからカスムパシャへ"]UEFA.com 2012年7月9日(8月19日閲覧)</ref>。

=== 代表 ===
2002年3月の[[サッカースイス代表|スイス]]戦で[[ラーシュ・ラーゲルベック]]監督と{{仮リンク|トミー・セデベリ|en|Tommy Söderberg}}監督率いる[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン代表]]デビュー<ref name=isak>[http://www1.skysports.com/football/news/14625/3610030/ "Andreas Isaksson - skysports"]</ref>をし、同年に[[2002 FIFAワールドカップ]]のメンバーに選出されるも、[[マグヌス・ヘドマン]]と{{仮リンク|マグヌス・シールステット|en|Magnus Kihlstedt}}に次ぐ第3GKとしての役割から出場はなかった。以降は、ヘドマンの控えとしての日々が続いていた<ref name=isak />が、その後、怪我をした同選手にとって代わり[[UEFA EURO 2004予選]]終盤から正GKの座を掴むと[[UEFA EURO 2004|本大会]]でも引き続き正GKとして出場し、[[オロフ・メルベリ]], [[クリスティアン・ヴィルヘルムソン]], [[ズラタン・イブラヒモヴィッチ]], [[エリック・エドマン]]らと共にグループリーグ首位突破に貢献した。しかし、続く[[サッカーオランダ代表|オランダ]]戦(0-0)では[[PK戦]](4-5)の末に惜しくも敗退した<ref>[http://www.uefa.com/uefaeuro/season=2004/matches/round=1582/match=1059190/postmatch/report/index.html "Dutch delight in quarter-final shoot-out"]</ref>。

[[File:Andreas Isaksson 20120611.jpg|left|200px|thumb|[[UEFA EURO 2012]]で[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン代表]]としてプレーするイサクソン。]]
続く[[2006 FIFAワールドカップ]]でも正GKを務め、[[フレドリック・ユングベリ]], [[マルクス・アルベック]], [[テディ・ルチッチ]], [[ニクラス・アレクサンデション]]らと共に2位でグループリーグを突破するも、[[サッカードイツ代表|ドイツ]]とのベスト16で[[ヘンリク・ラーション]]のPK失敗、そして[[ルーカス・ポドルスキ]]の2得点に沈んだ<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2006/4991466.stm "Germany 2-0 Sweden"]</ref>。

[[UEFA EURO 2008]]では、初戦の[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]戦(2-0勝利)で前回王者相手に無失点に抑える<ref>[http://jp.uefa.com/news/newsid=712441.html "スウェーデンが王者ギリシャに完勝"]</ref>活躍を見せ、メルベリ, イブラヒモヴィッチ, [[フレドリック・ストール]], [[ダニエル・アンデション]]らが尽力するも3位でグループリーグ敗退に終わった。また、[[2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]でも引き続き正GKを務めたが、[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]], [[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]に次ぐ3位に終わったため、[[2010 FIFAワールドカップ|本大会]]出場権を逃している。

[[UEFA EURO 2012予選]]では10試合中9試合に出場。チームは、予選最終節で首位[[サッカーオランダ代表|オランダ]]に勝利したことで全予選グループで最も成績が良い2位チームとなったことで、プレーオフを経ず[[UEFA EURO 2012|本大会]]進出が決定<ref>[http://jp.uefa.com/news/newsid=1695416.html "スウェーデン、最高成績の2位チームに"]</ref>。2012年5月29日に{{仮リンク|エリック・ハムレーン|en|Erik Hamrén}}監督の下で本大会23人のメンバーに選出される<ref>[http://sport.stv.tv/football/international/103743-sweden-include-mikael-lustig-in-23-man-squad-for-euro-2012/ "Sweden include Mikael Lustig in 23-man squad for Euro 2012"]</ref>と、グループリーグ最終節の[[サッカーフランス代表|フランス]]戦(2-0勝利)で無失点に抑えた<ref>[http://jp.uefa.com/uefaeuro/season=2012/matches/round=15172/match=2003341/postmatch/report/index.html "フランス、敗北も2位で準々決勝へ"]</ref>ものの、前回大会に続き、グループリーグ敗退に終わった。

2012年10月12日の[[サッカーフェロー諸島代表|フェロー諸島]]戦でスウェーデン代表史上8人目となる通算出場数100試合を達成した<ref>[http://svenskfotboll.se/arkiv/landslag/2012/10/isaksson-snart-med-i-hundraklubben/ "Isaksson snart med i hundraklubben"]</ref>。


== 所属クラブ ==
== 所属クラブ ==
* {{flagicon|SWE}} [[トレッレボリFF]] 1999
*{{flagicon|SWE}} [[トレッレボリFF]] 1999
* {{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC]] 1999-2001
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* {{flagicon|SWE}} [[ユールゴーデンIF]] 2001-2003.12
*{{flagicon|SWE}} [[ユールゴーデンIF]] 2001-2004
* {{flagicon|FRA}} [[スタッド・レンヌ]] 2004.1-2006
*{{flagicon|FRA}} [[スタッド・レンヌ]] 2004.7-2006
* {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・シティFC]] 2006-2008
*{{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・シティFC]] 2006-2008
* {{flagicon|NED}} [[PSVアイントホーフェン]] 2008-2012
*{{flagicon|NED}} [[PSVアイントホーフェン]] 2008-2012
* {{flagicon|TUR}} [[カスムパシャAS]] 2012-
*{{flagicon|TUR}} [[カスムパシャAS]] 2012-


== タイトル ==
== タイトル ==
;クラブ
;クラブ
; {{flagicon|SWE}} ユールゴーデンIF
;{{flagicon|SWE}} ユールゴーデンIF
* [[アルスヴェンスカン]] 2002, 2003
*[[アルスヴェンスカン]] : 2002, 2003
* [[スウェーデン・カップ]] 2002
*[[スウェーデン・カップ]] : 2002

; {{flagicon|NED}} PSVアイントホーフェン
;{{flagicon|NED}} PSVアイントホーフェン
* [[ヨハン・クライフ・シャール]] 2008
*[[ヨハン・クライフ・シャール]] : 2008

;個人
;個人
* スウェーデン最優秀GK賞 2002, 2003, 2004, 2005
*スウェーデン年間最優秀GK賞 : 2002, 2003, 2004, 2005, 2009, 2011, 2012<ref name=gk />


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Andreas Isaksson}}
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*[http://www.stade-rennais-online.com/Andreas-Isaksson.html Andreas Isaksson's profile, stats & pics]
*[http://www.stade-rennais-online.com/Andreas-Isaksson.html Andreas Isaksson's profile, stats & pics]
*[http://www.transfermarkt.co.uk/en/andreas-isaksson/profil/spieler_6590.html transfermarkt]
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2013年6月18日 (火) 16:34時点における版

アンドレーアス・イサクソン
名前
ラテン文字 Andreas Isaksson
基本情報
国籍  スウェーデン
生年月日 (1981-10-03) 1981年10月3日(42歳)
出身地 スウェーデンの旗 トレッレボリ市Smygehamn
身長 198cm
体重 87kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 カスムパシャAS
ポジション GK
背番号 15
利き足 右足
ユース
-1999 スウェーデンの旗 オストラ・トルプGIF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999 スウェーデンの旗 トレッボリ 11 (0)
1999-2001 イタリアの旗 ユヴェントス 0 (0)
2001-2004 スウェーデンの旗 ユールゴーデン 75 (0)
2004-2006 フランスの旗 レンヌ 62 (0)
2006-2008 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 19 (0)
2008-2012 オランダの旗 PSV 124 (0)
2012- トルコの旗 カスムパシャ 34 (0)
代表歴2
1996-1997 スウェーデンの旗 スウェーデン U-16 19 (0)
1998 スウェーデンの旗 スウェーデン U-18 1 (0)
1999-2003 スウェーデンの旗 スウェーデン U-21 23 (0)
2002- スウェーデンの旗 スウェーデン 106 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年6月17日現在。
2. 2013年6月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンドレーアス・イサクソンAndreas Isaksson, 1981年10月3日 - )は、スウェーデントレッレボリ市英語版Smygehamn出身の同国代表サッカー選手。ポジションはゴールキーパー

経歴

クラブ

スウェーデンとイタリア

トレッレボリ市英語版Smygehamnに生まれたイサクソンは、ユース時代を地元のオストラ・トルプGIF(Östra Torp GIF)で過ごし、1999年にトレッレボリFFへ移籍すると、2人のGKが怪我したことで出番が訪れ17歳の時にトップリーグデビューを果たした。その才能が注目を集め、1999年6月にイタリア1部の名門ユヴェントスFCに引き抜かれた。しかし、同時期にオランダ代表エトヴィン・ファン・デル・サールが加入したことで出番は訪れず、2001年1月16日に母国のユールゴーデンIFと契約を締結した[1]

ユールゴーデンではラミ・シャーバンを控えに追いやり正GKの座を掴み、ステファン・バルリン, ニクラス・ラスク, アブガル・バルサム, ステファン・レーン英語版らと共に中心選手として2002年シーズンのリーグ優勝に貢献。また、カップ戦決勝でライバルのAIKソルナを1-0で破り、ルアイ・チャンコ, バビス・ステファニディス, キム・シェルストレームらと優勝カップを掲げ、2冠を達成。その結果から年間最優秀GK賞に輝いた[2]。また、翌2003シーズンもリーグを制し2連覇を達成、再び年間最優秀GK賞に選出されている[2]

レンヌ

2004年7月、イングランド1部チェルシーFCへ移籍したペトル・チェフの後釜としてフランス1部スタッド・レンヌと契約。1シーズン目は全38試合に出場し、得点王に輝くアレクサンダー・フライと共に4位躍進の原動力として活躍、UEFAカップ2005-06出場権を得た。2シーズン目は7位に終わったものの、前年に引き続き、そして4年連続となるスウェーデン年間最優秀GK賞を受賞した[2]

マンチェスター・シティ

2006年8月15日にイングランド1部のマンチェスター・シティFCへ移籍金200万ポンドで加入[3]ポーツマスFCへ移籍したデイヴィッド・ジェームスの後釜そして正GKとして期待された[3]が、代表戦での足の怪我、さらにクラブの練習中にベルナルド・コッラーディと衝突したことによる膝の怪我からなかなか出番が訪れず[4]、12月9日のマンチェスター・ユナイテッドFCとのマンチェスター・ダービー(1-3敗北)中に怪我をしたニッキー・ウィーバーと交代する形でようやく移籍後初出場を果たした[5]。その後もウィーバーにポジションを明け渡していた[6]ものの、2007年3月14日のチェルシーFC戦(0-1敗北)で移籍後2度目となる先発出場を果たすと、同試合から最終節までの残り10試合全てに出場、そのうち4試合を無失点に抑え、最終節のトッテナム・ホットスパー戦(1-2敗北)でジャーメイン・デフォーのPKを防ぐ[7]など活躍した。

2007-08シーズン前にスウェーデンとベルギーで行った試合の殆どに出場していたが、練習で親指を骨折、その後に右膝を怪我した[8]ことで同シーズン最初の2ヶ月を欠場を余儀なくされた。2007年10月31日のフットボールリーグカップボルトン・ワンダラーズFC戦で2007-08シーズン初出場を果たし無失点に抑える[9]も、若手のジョー・ハートと世界的GKピーター・シュマイケルの息子カスパー・シュマイケルの存在からなかなか出番が訪れずにいた[10]。その後、11月末から12月の5試合にローテーションの一環として起用されたものの、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が近い将来の正GKをハートに見据えた[11]こともあり、出場機会を求めて2008年1月に別のクラブを模索し、これに呼応するようにトルコ1部の強豪ガラタサライSKからローンでの移籍話が舞い込むんだが、完全移籍のみを望んだため拒否、残留が決定した[12]。しかし、シュマイケルが2部カーディフ・シティに貸し出され第2GKの地位に就くもベンチを温める日々が続いた。5月11日の最終節ミドルスブラFC戦(1-8敗北)で久しぶりに出場したが大量失点を被り[13]、この試合がマンチェスター・シティでの最後の試合となった。

PSV

2008年7月2日、トッテナム・ホットスパーFCへ移籍したエウレリョ・ゴメスの後釜としてオランダ1部の強豪PSVアイントホーフェンと4年契約を締結[14]。移籍してすぐさまディルク・マルセリス, イブラヒム・アフェレイ, ジェイソン・クリナ, ティミー・シモンスらと共に中心選手としてプレーすることに成功するも、前シーズン王者として臨んだこの2008-09シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09で勝利したのは10月23日のオリンピック・マルセイユ戦(2-0)[15]のみとグループリーグを最下位で敗退し、さらにリーグ戦では4位に終わったことでUEFAチャンピオンズリーグ 2009-10出場権獲得には至らず、チームとしては失敗に終わった。

2009年夏にフレット・ルッテン監督が就任以降も正GKとして起用され、2009-10シーズンのクラブは第25節まで無敗で首位の座に着いていたが、残り9試合で勝ち点僅か13しか獲得出来ず、最終的に王者FCトゥウェンテ, 2位のアヤックス・アムステルダムに次ぐ3位に終わった。翌2010-11シーズンもこの3クラブ間での争いになったが再び3位に終わり、またしてもUEFAチャンピオンズリーグ出場を逃した。

PSVでは、マンチェスター・シティ時代とは打って変わり背番号1を付けて正GKを務めていたが、2011-12シーズンの3月上旬に行われたトゥウェンテ戦(ホーム2-6敗北)UEFAヨーロッパリーグ 2011-12スペイン1部バレンシアCF戦(2-4敗北)と2試合合計10失点と大量失点を被ったことでポーランド代表プジェミスワフ・ティトンの起用を考慮され[16]、そのまま同選手にポジションを奪われた。以降、出番が訪れることはなく同シーズン終了に伴い契約満了したため退団が決定。PSVではリーグ戦出場124試合を記録した。

トルコ

2012年7月9日に4シーズンぶりに昇格を果たしたトルコ1部のカスムパシャASへ2015年までの3年契約で移籍した[17]

代表

2002年3月のスイス戦でラーシュ・ラーゲルベック監督とトミー・セデベリ英語版監督率いるスウェーデン代表デビュー[18]をし、同年に2002 FIFAワールドカップのメンバーに選出されるも、マグヌス・ヘドマンマグヌス・シールステット英語版に次ぐ第3GKとしての役割から出場はなかった。以降は、ヘドマンの控えとしての日々が続いていた[18]が、その後、怪我をした同選手にとって代わりUEFA EURO 2004予選終盤から正GKの座を掴むと本大会でも引き続き正GKとして出場し、オロフ・メルベリ, クリスティアン・ヴィルヘルムソン, ズラタン・イブラヒモヴィッチ, エリック・エドマンらと共にグループリーグ首位突破に貢献した。しかし、続くオランダ戦(0-0)ではPK戦(4-5)の末に惜しくも敗退した[19]

UEFA EURO 2012スウェーデン代表としてプレーするイサクソン。

続く2006 FIFAワールドカップでも正GKを務め、フレドリック・ユングベリ, マルクス・アルベック, テディ・ルチッチ, ニクラス・アレクサンデションらと共に2位でグループリーグを突破するも、ドイツとのベスト16でヘンリク・ラーションのPK失敗、そしてルーカス・ポドルスキの2得点に沈んだ[20]

UEFA EURO 2008では、初戦のギリシャ戦(2-0勝利)で前回王者相手に無失点に抑える[21]活躍を見せ、メルベリ, イブラヒモヴィッチ, フレドリック・ストール, ダニエル・アンデションらが尽力するも3位でグループリーグ敗退に終わった。また、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でも引き続き正GKを務めたが、デンマーク, ポルトガルに次ぐ3位に終わったため、本大会出場権を逃している。

UEFA EURO 2012予選では10試合中9試合に出場。チームは、予選最終節で首位オランダに勝利したことで全予選グループで最も成績が良い2位チームとなったことで、プレーオフを経ず本大会進出が決定[22]。2012年5月29日にエリック・ハムレーン英語版監督の下で本大会23人のメンバーに選出される[23]と、グループリーグ最終節のフランス戦(2-0勝利)で無失点に抑えた[24]ものの、前回大会に続き、グループリーグ敗退に終わった。

2012年10月12日のフェロー諸島戦でスウェーデン代表史上8人目となる通算出場数100試合を達成した[25]

所属クラブ

タイトル

クラブ
スウェーデンの旗 ユールゴーデンIF
オランダの旗 PSVアイントホーフェン
個人
  • スウェーデン年間最優秀GK賞 : 2002, 2003, 2004, 2005, 2009, 2011, 2012[2]

脚注

外部リンク