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「ヴァルナ (ブルガリア)」の版間の差分

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{{世界の市
{{基礎情報 ブルガリアの基礎自治体
|正式名称 =ヴァルナ
|coa=Varna-coat-of-arms.svg
|公用語名称 =Варна
|official_name = ヴァルナ
|愛称 =
|native_name={{lang|bg|Варна}}<br />{{lang|tr|Varna}}
|標語 =
|subdivision_name1=[[ヴァルナ州]]
|画像 =Varna-Collage-TB.jpg
|population_total=360865{{ref |gdgrao}}
|画像サイズ指定 =300px
|population_as_of=2009年06月15日
|画像の見出し =ヴァルナの光景
|population_town=352674{{ref |gdgrao}}
|市旗 =Varna flag.png
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|市章 =
|elevation_m=79
|位置図 =Varna location in Bulgaria.png
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|位置図の見出し =ブルガリアにおけるヴァルナの位置
|blank_info=B
|緯度度=43 |緯度分=12 |緯度秒=37 |N(北緯)及びS(南緯)=N
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|成立日 =
|下位区分名 ={{BGR}}
|下位区分種類1 =
|下位区分名1 =[[ヴァルナ州]]
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|下位区分名2 =[[ヴァルナ基礎自治体]]
|規模 =市
|最高行政執行者称号 =市長
|最高行政執行者名 =Кирил Йорданов
|総面積(平方キロ) =238
|標高(メートル) =80
|人口の時点 =2011年2月
|人口に関する備考 =<ref name="Census">[http://www.nsi.bg/nrnm/show9.php?sid=3728&ezik=bul Einwohnerzahlen von Warna nach Jahr], Nationales Statistikamt, Zugriff am 31. August 2012</ref>
|総人口 =343,704
|人口密度(平方キロ当たり)=1,780
|都市圏人口 =475,000
|都市圏人口密度(平方キロ)=
|等時帯 =[[東ヨーロッパ時間]]
|協定世界時との時差 =+2
|夏時間の等時帯 =[[東ヨーロッパ夏時間]]
|夏時間の協定世界時との時差=+3
|郵便番号の区分 = 郵便番号
|郵便番号 =9000-9030
|市外局番 =(+359) 052
|ナンバープレート =B
|公式ウェブサイト =[http://www.varna.bg varna.bg]
|備考 =
}}
}}
[[画像:Warna1.jpg|thumb|250px|right|[[ブルガリア正教会]]の[[生神女就寝大聖堂 (ヴァルナ)|生神女就寝大聖堂]]]]
[[画像:Warna1.jpg|thumb|250px|right|[[ブルガリア正教会]]の[[生神女就寝大聖堂 (ヴァルナ)|生神女就寝大聖堂]]]]
[[画像:Warna3.jpg|thumb|250px|right]]
[[画像:Warna3.jpg|thumb|250px|right|聖ニコラウス船員教会]]
'''ヴァルナ'''([[ブルガリア語]]:{{lang|bl|Варна}}, {{lang|en|Varna}}) は、[[ブルガリア]]北東部の[[ヴァルナ州]]西部に位置する中心都市である。[[2000年代]]初頭の人口は約35万人である。


'''ヴァルナ'''({{lang-bg|Варна}}、ラテン文字表記:''Varna''、発音:{{ipa|ˈvarnɐ}})は[[ブルガリア]]北東部[[ヴァルナ州]]に位置する都市で、ブルガリアの黒海沿岸では保養地であり最大の都市でブルガリア国内では首都[[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア]]や[[プロヴディフ]]に次いで3番目に大きな都市である。2011年2月現在の人口は市街で334,870人<ref name="cities census 2011">[http://www.nsi.bg/census2011/pagebg2.php?p2=36&sp2=37&SSPP2=45 National Statistical Institute – Main Towns Census 2011 -in Bulgarian]{{dead link|date=June 2012}}</ref>、基礎自治体全体では343,704人でった。ヴァルナは[[ヴァルナ州]]やヴァルナ基礎自治体の行政的な中心地で、バルカン半島では[[イスタンブル]]、[[アテネ]]、[[ブカレスト]]、ソフィア、[[ベオグラード]]、[[テッサロニキ]]、[[ザグレブ]]、[[スコピエ]]、[[ティラナ]]、プロブディフに次いで11番目に大きな都市である。ヴァルナはブルガリアの「海の首都」あるいは「夏の首都」とよく言われ、メジャーな観光地でありビジネスや大学、海港、ブルガリア海軍の司令部、商船などの各拠点が置かれている。[[1949年]]から[[1956年]]までは、[[ヨシフ・スターリン]]の名をとって'''スターリン''' ({{lang|bl|Сталин}}, {{lang|en|Stalin}}) という都市名であった。ヴァルナ州や統計的な地域である[[ドブリチ州]]や[[シュメン州]]、[[トゥルゴヴィシテ州]]を含むブルガリア北東計画地域([[地域統計分類単位|NUTS II]])の中心都市である。[[ヴァルナ空港]]は2011年に1,181,830人の旅客を扱っており、ブルガリアでは[[ブルガス国際空港|ブルガス空港]]や[[ソフィア空港]]に次いで3番目に旅客数が多い空港である。
ヴァルナはブルガリア東部の港湾都市であり、[[黒海]]西岸に位置している。ブルガリアの「海の首都」あるいは「夏の首都」の異名を持つ。[[1949年]]から[[1956年]]までは、[[ヨシフ・スターリン]]の名をとって'''スターリン''' ({{lang|bl|Сталин}}, {{lang|en|Stalin}}) という都市名であった。

2008年4月にヴァルナは黒海欧州地域 ''Black Sea Euro-Region''(''Black Sea Euroregion''と同一でない新たな組織)の中心として[[欧州評議会]]で指定された。<ref name="bg-news.org">{{cite web|url=http://www.bg-news.org/news101235_5 |title=Varna Becomes Centre of the Black Sea Euro-Region (Bulgarian)|publisher=Bg-news.org |accessdate=2012-06-08}}</ref>

ヴァルナ・ネクロポリスでは世界最古の黄金の宝物が発見され、これらはコインと武器、宝石などで構成され紀元前4,600年頃に遡る。<ref>{{cite book |title=Gems and gemstones: Timeless natural beauty of the mineral world |last=Grande |first=Lance |year=2009 |publisher=The University of Chicago Press |isbn=978-0-226-30511-0 |page= 292 |url=http://books.google.com/?id=RnE9Fa4pbn0C&pg=PA290&dq=varna+necropolis+oldest#v=onepage&q=varna%20necropolis%20oldest&f=false|accessdate=20 December 2011|quote=The oldest known gold jewelry in the world is from an archaeological site in Varna Necropolis, Bulgaria, and is over 6,000 years old (radiocarbon dated between 4,600BC and 4,200BC).}}</ref>

== 地理・交通 ==
ヴァルナの市域面積は{{convert|154|km2|sqmi|0|abbr=on}}、基礎自治体の面積は{{convert|238|km2|sqmi|0|abbr=on}}<ref name="varna.bg">[http://www.varna.bg/varna/varna.htm Municipality of Varna: Information (Bulgarian). Retrieved on 2007-02-10]{{dead link|date=June 2012}}</ref> を占め北側の高原(海抜356m)から下がって来た緑豊かな台地([[モエシア]][[プラットフォーム (地質学)|プラットフォーム]]のヴァルナ{{仮リンク|単斜|en|monocline}})と南のアヴレン台地、馬蹄型に沿った黒海のヴァルナ湾、細長い{{仮リンク|ヴァルナ湖|en|Lake Varna}}や湾と湖をつなぐ二つの人工的な運河、{{仮リンク|アスパルホフ橋|en|Asparuhov most}}が占めている。中心部は[[コナベーション]]が沿岸に沿って北側に{{convert|20|km|mi|0|abbr=on}} 、南側に{{convert|10|km|mi|0|abbr=on}}にわたり成長し広がっている。南側はほとんどが住宅地や保養地が広がる街並で、湖に沿った西側{{convert|25|km|mi|0|abbr=on}}は交通や産業用の施設がほとんどである。古代以来、都市の周辺はブドウ畑や果樹園、森林に囲まれている。商船施設は湖の内側や運河に再配置され湾内は保養地となりそのほとんどがウォーターフロントの緑地である。

市街地には {{convert|20|km|mi|0|abbr=on}} を超える砂浜と豊富な温泉の源泉(35-55℃)がある。海の影響による穏やかな気候により地中海同様の秋や日が良く照る温暖さであるが、地中海よりはそよ風や規則的な降水により涼しい夏となっている。ヴァルナの降水量はブルガリア平均の三分の二であるが、豊富な地下水により緑豊かな丘陵地は夏の間保たれている。ヴァルナは北や北東の風が湾の入江に沿った丘陵により遮られるが、1月や2月は、風雪により時々ひどく寒くなることがある。黒海の海水は1989年以降、後背地域での化学肥料の使用量減少により奇麗になっている。

ヴァルナから首都ソフィアは北東 470km 、近隣の大きな都市[[ドブリチ]]の北側に45km、[[シュメン]]は西に80km、[[ブルガス]]は南西に125kmそれぞれ離れている。ヴァルナへは空路では[[ヴァルナ空港]]が海路では{{仮リンク|ヴァルナ港|en|Port of Varna}} にクルージングターミナルがある。鉄道では{{仮リンク|ヴァルナ駅|en|Varna railway station}}からブルガリア各地へ列車が運行されている。ヴァルナを通る幹線道路には[[欧州自動車道路]]のE70号線により[[ブカレスト]]、E87号線では[[イスタンブル]]や[[コンスタンツァ]]、高速道路ではA-2{{仮リンク|ヘムス高速道路|en|Hemus motorway}}により首都ソフィアへ、A-5{{仮リンク|黒海高速道路|en|Cherno More motorway}}によりブルガスに達する。多くの長距離バス路線もヴァルナからは運行されており、ブルガリアの主要都市や近隣国とを結んでおり市内には2つのバスターミナルがある。フェリーでは[[ウクライナ]]の[[オデッサ]]やロシア、グルジアの[[ポチ (グルジア)|ポチ]]、[[バトゥミ]]などと結ばれている。

公共交通機関は広範囲をカバーし、料金も手頃で80を超えるローカルや急行バス、トロリーバス、決まったルートを走るミニバスの路線が設定されている。多くのタクシーも市内では営業している。2007年には多くのダブルデッカーバスが購入された。2008年夏の市長の公約では、市内全てのバスをエアコン付きとし、更にメタンガスを燃料とするとしている。

=== 気候 ===
ヴァルナの気候は[[温暖湿潤気候]](ケッペンの気候区分では ''Cfa'')にかなりの[[海洋性気候]]と[[湿潤大陸性気候]]の影響がある。冬は冷たく時折寒くなるが内陸部よりは温暖である。夏は5月の半ばに始まり、10月初旬や中旬まで続く。夏の気温は通常夜間は20-25℃の範囲で昼間は27-35℃の範囲で6月から8月に気温が40℃を超えることは稀である。黒海沿岸は他のブルガリアの地域に比べ風の影響により過ごし易い。海水温は夏の間は通常22-27℃の範囲であるが、2010年に海水温が32℃に達する記録を付けた。冬は夜間の気温は0℃前後まで下がり、昼間は10℃程度である。時折、0℃以下の場合もある。降雪は12月から2月にかけ見られる場合があり3月は稀である。降雪は稀であり、降っても直に解ける。最高気温の記録は41.4℃で、最低気温は1929年2月10日に記録した。ヴァルナの1日の最高降水量は1951年8月21日に記録されたもので、強烈なスコールにより数時間で積算292mmの降雨があった。ヴァルナの北10kmに位置する近郊のサナトリウムでは342mmの降雨を記録している。最近では2011年10月17日-18日に169.2mmの降水量を記録している。

{{Weather box
|location = ヴァルナ
|metric first = yes
|single line = yes
|Jan record high C = 22.8
|Feb record high C = 23.0
|Mar record high C = 29.5
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|source 1 = World Meteorological Organisation (UN)<ref name= WMO >{{cite web
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| accessdate = 20 January 2011
| publisher = United Nations }}</ref>
|date=January 2011 http://ru.wikipedia.org/wiki/%d0%92%d0%b0%d1%80%d0%bd%d0%b0#.d0.93.d0.b5.d0.be.d0.b3.d1.80.d0.b0.d1.84.d0.b8.d1.8f_.d0.b8_.d0.ba.d0.bb.d0.b8.d0.bc.d0.b0.d1.82
http://www.stringmeteo.com
}}


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[紀元前4600年]]頃~[[紀元前4200年]]頃、ヴァルナ墓地と呼ばれる[[銅器時代|金石併用時代]]の200基以上に及ぶ墳墓群が築かれる。


=== 先史時代 ===
[[紀元前580年]]頃、古代ギリシャがヴァルナ近郊に入植し、[[アポイキア]]と呼ばれる交易植民市[[オデッソス]]を建設した。
{{see also|:w:Varna Necropolis}}
先史時代の集落である[[銅器時代]]の{{仮リンク|ヴァルナ・ネクロポリス|en|Varna Necropolis}}([[放射性炭素年代測定]]で紀元前5,000年半ばに遡る。)は世界の先史時代の考古学上の鍵となる遺跡で{{仮リンク|古ヨーロッパ|en|Old Europe (archaeology)}}や{{仮リンク|ヴァルナ文化|en|Varna culture}}のエポニムであり、現代の都市域では世界的に最古で最大の金の工芸品が発見されている。広い地域では1900年以前は淡水湖であったヴァルナ湖と隣接した[[カルスト地形]]の泉や洞窟では30を超える先史時代の集落が発見され、{{仮リンク|旧石器時代中期|en|Middle Paleolithic}}か10万年以上前の最初期の遺品が発見されている。


=== 古代とブルガリア人の征服 ===
[[ローマ帝国]]時代になると、ローマ人によって要塞や浴場が建設された。[[2世紀]]頃に建設された浴場は、ブルガリア最大規模のローマ時代の遺跡として残っている。
[[File:VarnaRoman.JPG|right|thumb|オデソスに残る古代ローマの遺跡]]
[[File:Warna ruiny.jpg|right|thumb|テルマエ西側のアポディテリウム。背後は聖アサナシウス教会の鐘楼]]
古代の[[トラキア]]には紀元前1,000年には[[トラキア人]]が居住していた。[[ミレトス]]の人々によりオデソスに交易地点であるアポイキア''apoikia''が紀元前7世紀の終わり頃に設立されたか、古代ギリシャの地理書''Pseudo-Scymnus''{{enlink|Pseudo-Scymnus|a=on}}によれば当時[[アステュアゲス]](紀元前572-570年頃と言われている。)で初期のトラキア人の居住地であった。オデソスの名称はおそらくギリシャ以前の[[アナトリア語派]]の{{仮リンク|カリア語|en|Carian}}がもとであるとされる。ポントスの{{仮リンク|ペンタポリス|en|Pentapolis}}のメンバーであったオデソスには様々なコミュニティがありイオニア人と後背地のトラキア人([[ゲタイ]]、{{仮リンク|クロビゾイ|en|Krobyzoi}}、{{仮リンク|テリジ|en|Terizi}})との接触の場であった。


トラキア人の土地の近くの発掘では紀元前7世紀から4世紀にかけて絶え間なく居住しており、植民と商業が密接していた。[[ギリシャ文字]]が[[トラキア語]]に少なくとも紀元前5世紀から使われている。
[[1393年]]、[[東ローマ帝国]]の都市であったオデッソスは、[[オスマン帝国]]の拡張に伴ってオスマン帝国の支配下に入った。
紀元前425年、オデソスは[[デロス同盟]]の評価に含まれていた。紀元前339年の[[ピリッポス2世]]の包囲は成功しなかったが、紀元前335年[[アレクサンドロス3世]]に降伏しその後、[[ディアドコイ]]である[[リュシマコス]]により支配された。紀元前313年には他のポントスやゲタイの都市の一部が連合し反乱を起こしている。ローマ都市としてのオデソスは最初、海岸県''Praefectura orae maritimae''に含まれていたが[[15年]]に[[モエシア]](後のモエシア・インフェリオル)に併合され、今日のヴァルナ中心部には47ヘクタールを占めた公共浴場の[[古代ローマの公衆浴場|テルマエ]]があり2世紀後半に建築され、今日ではブルガリアに残る最大のローマのもので建物は幅 {{convert|100|m|2|abbr=on}} 、長さ {{convert|70|m|2|abbr=on}} 、高さ{{convert|25|m|2|abbr=on}}でヨーロッパでも4番目に大きなローマ風呂として知られている。3世紀頃には大きな陸上競技会が5年ごとに開かれていた。


オデソスは初期の[[初代教会]]の中心で、10カ所の初期のバシリカの跡がそれを物語っており<ref name="varna.info.bg">{{cite web|author=Borislav Petrov |url=http://varna.info.bg/bazilika.htm |title=Ранновизантийската базилика |publisher=Varna.info.bg |accessdate=2009-05-06}}</ref>、[[単性説]]修道院や[[七十門徒]]、{{仮リンク|アンプリアト|en|Ampliatus}}、[[アンデレ]]の門弟が表れて主教が務めていた。
[[1444年]][[11月]]、ヴァルナ近郊の港において、[[コンスタンティノポリス]]に向けて出港するために集結した約3万人のハンガリー軍(ヴァルナ十字軍)と、[[ムラト2世]]率いる約12万人のオスマン軍との間で、[[ヴァルナの戦い]]が起こった。この戦いにおいてハンガリー軍は大敗を喫し、20歳になったばかりのポーランド王兼ハンガリー王[[ヴワディスワフ3世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ3世]](ハンガリー王としてはウラースロー1世)が死亡した(と伝えられるが、遺体も遺物も発見されておらず、異説もある)。ヴァルナにはヴワディスワフ3世の霊廟が建てられている。
6世紀、帝国の文書では「聖なる都市」''sacratissima civitas''と呼ばれていた。442年、[[テオドシウス2世]]と[[アッティラ]]との間で和平協定がオデソスで結ばれた。513年{{仮リンク|ウィタリアヌス|en|Vitalian (general)}}の反乱の中心となった。536年[[ユスティニアヌス1世]]は独特の行政区画で ''quaestor Justinianus'' などが治める''Quaestura exercitus''{{enlink|Quaestura exercitus|a=on}}の中心を設け下モエシアや{{仮リンク|スキュティア|en|Scythia}}、カリア、[[エーゲ海諸島]]、キプロスが含まれていた。後にオデソスの外に軍の野営地に他のローマ人上級司令官の中心が置かれた。{{仮リンク|イレチャク・ライン|en|Jireček Line}}またはラテンとギリシャを分けるおおよその言語的な境界線がオデソスからアドリア海にかけて当時走っていた。


{{仮リンク|テオファナスの証聖者|en|Theophanes the Confessor}}に最初のヴァルナの言及があり6-7世紀にかけスラヴ人によるバルカン半島の征服により知られるようになった。この名称はおそらくもっと古く、{{仮リンク|インド・ヨーロッパ祖語語根|en|Proto-Indo-European root}}の水を意味する''we-r-'' <ref name="bartleby.com">{{cite web|url=http://www.bartleby.com/61/roots/IE575.html |title=w-r- The American Heritage Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000 |publisher=Bartleby.com |accessdate=2009-05-06}}{{dead link|date=June 2012}}</ref> や[[スラヴ祖語]]がルーツである黒を意味する ''varn'' 、[[イラン語群]]で野営地や要塞を意味する ''bar'' や''var''からもたらされている可能性もある。
[[1962年]]、ヴァルナにおいて第15回[[チェスオリンピック]]が開催された。


テオフォーヌによれば680年に[[第一次ブルガリア帝国]]の建国者である[[アスパルフ]]はドナウデルタ近くで[[コンスタンティノス4世]]の一軍団を敗北させた後、追跡し続けヴァルナと称するオデソス近くに達しった。おそらく、最初にヴァルナの新しい名称が使われたのは近隣の川や湖、ローマ人の野営地や島などで街の名称として使われたのは後のことである。10世紀後半、ヴァルナの名称はしっかりと確立したがブルガリア人から970年代にビザンティンに支配が戻った時も古代のオデソスを使うよりもヴァルナの名称が使われた。681年の[[東ローマ帝国|ビザンティン帝国]]との和平条約により新しいブルガリアの国が建国され一時的にドナウ以南のブルガリアの最初の首都とされた。ことによると、古代の都市はヴァルナ湖の北岸近くユスティ二アヌス1世によりテオドリアス(Θεοδωριάς/Theodorias)と名付けられた場所で、70km西の{{仮リンク|プリスカ (ブルガリア) |en|Pliska}}へ移動する以前に置かれた。<ref name="paper.standartnews.com">{{cite web|author=Standartnews Ltd. |url=http://paper.standartnews.com/archive/2006/01/28/supplement/s4689_9.htm |title=Дървен град предхожда каменната Плиска|language=Bulgarian|publisher=Paper.standartnews.com |accessdate=2012-06-08}}</ref>
[[1969年]]、ヴァルナにおいて第4回[[世界新体操選手権]]が開催された。


要塞化されたアスパルクはヴァルナ川低地のおそらくビザンティンの上陸を阻止する為のもので、アスパルホヴォの壁(Asparuhov val)は今でも残されている。多くの7世紀の[[ブルガール人]]の集落が市内やさらに西側で発見されており、ヴァルナ湖の北岸にはすべての地域でもっとも多くのブルガール人が密集して住んでいた。アスパルクは重要なローマの軍の野営地(campus tribunalis)でユスティ二アヌス1世によりオデソスの外に設けられ下モエシアやスキュティアを治める中心であったと考えられる。
[[1974年]]、ヴァルナにおいて第18回[[世界体操競技選手権]]が開催された。

=== 中世 ===
中世の間、ビザンティンとブルガリアとの間で支配が幾度となく変わった。9世紀後半から10世紀前半にかけてのヴァルナは[[ボリス1世]]により与えられた修道院の{{仮リンク|プレスラフ文学校|en|Preslav Literary School}}の重要な[[写字室]]が置かれていた。写字室は[[キュリロス (スラヴの(亜)使徒)|キュリロス]]と[[メトディオス (スラヴの(亜)使徒)|メトディオス]]のある弟子の教えの下、ブルガリア人の学者が[[キリル文字]]を発達させるのに鍵となる役割を演じたかもしれない。考古学者の{{仮リンク|カレル・シュコルピル|en|Karel Škorpi}}はボリス1世がそこに埋葬されていることを示唆している。ギリシャのトラキア人やローマ人、同様に東のアルメニアやシリア、ペルシャの特徴で合わさった文化によりユスティニアヌス1世統治下のオデソス周辺は発達し、それらの文化は[[第一次ブルガリア帝国]]のプリスカ・プレスラフ文化に影響を与えた可能性があり表面上は建築や人工的な装飾芸術で、ことによるとキリルの学問を含む文学なども含まれる。1201年、[[カロヤン・アセン]]は[[攻城塔]]を使用して、[[聖土曜日]]にビザンティンの下にあったヴァルナ要塞を占領し、[[第二次ブルガリア帝国]]を確実なものとした。

13世紀後半の1261年に軍事同盟であるニンファエム条約が[[ミカエル8世パレオロゴス]]と[[ジェノヴァ共和国]]の間に結ばれ、黒海からジェノヴァにかけての通商が開かれヴァルナはジェノヴァや後の[[ヴェネツィア共和国]]や[[ラグーサ共和国]]などの商船がやってくる商港都市として繁栄した。二つの海の共和国は領事館や国外居住者の居留地を有しており、ラグーサの商人の港での活動は[[プロヴァディヤ]]近くの居留地から17世紀まで残っていた。街には両側に二つの城塞とカストリツィ(Kastritsi)とガラタ(Galata)の小さな商港があり、それらは互いの視界内にあり湖やマグリズ(Maglizh)、ペトリチ(Petrich)を見下ろす二つの要塞により保護されていた。

小麦や動物の皮、蜂蜜、 蝋、ワイン、材木、他に地元の農産品をイタリアやコンスタンティノープルの市場へ主に輸出し、地中海の食品や贅沢品を輸入していた。ヴァルナでは自らの通貨制度を導入しヴァルナ・{{仮リンク|ヒュペルピュロン |en|Hyperpyron}}と呼ばれる貨幣が14世紀半ば頃から流通し、ブルガリアとヴェネチアの為替レートは条約により固定されていた。質の高い宝石加工や陶器、皮革、食品加工や他の手工業が栄え、{{仮リンク|カムチヤ川 |en|Kamchiya}}河口では造船業が発達した。
14世紀、イタリア人の[[羅針儀海図]]ではヴァルナはおそらくコンスタンティノープルとドナウデルタの間の重要な港であることを示し彼らは大抵は{{仮リンク|ザゴレ|en|Zagore}}と表示していた。ヴァルナは不運にも[[サヴォワ]]の{{仮リンク|アメデーオ6世|en|Amadeus VI}}より包囲され1366年にブルガリアの要塞は南側のガラタを含め攻略された。1386年、ヴァルナは一時的に{{仮リンク|ドブロジャ専制公|en|Despotate of Dobruja}}の首都になり1389年にはオスマン帝国に支配され、1413年からおそらく1444年まで一時的に[[マヌエル2世パレオロゴス]]に譲渡されたり、1414年に[[クリミア・タタール人]]に略奪された。

=== ヴァルナの戦い ===
{{Main|ヴァルナの戦い}}
[[File:VarnaMemorial.jpg|right|thumb|1444年のヴァルナの戦いの記念物は古代トラキア人の墓地の中に刻まれている。]]
1444年11月10日、ヨーロッパの十字軍の歴史でも最後の最大規模の戦いが城壁の外側で行われた。オスマン帝国は[[ヴワディスワフ3世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ3世]]率いる2万の十字軍戦士を敗走させ<ref name="www.vn.government.bg">{{cite web|url=http://www.vn.government.bg/stranici/oblast/560/shanko3.doc |author=Apostolov, Shanko (Director, Władysław Warneńczyk Park Museum, Varna)|title=The Campaigns of Ladislaus of Varna and John Hunyadi in 1443–1444|language=Bulgarian |accessdate=2012-06-08}}</ref> 、コンスタンティノープルへ出帆するため港に集まった。キリスト教徒の軍は55,000から60,000の[[スルターン]][[ムラト2世]]が率いる数では勝ったオスマンの軍に攻撃された。ヴワディスワフ3世はスルタンを捕らえるため、大胆な試みにより殺されてしまうが''Warneńczyk''のニックネームを得る。(ハンガリー語では ''Várnai Ulászló''、ラテン語では''Ladislaus Varnensis''で知られる。){{仮リンク|ヴァルナの十字軍|en|Crusade of Varna}}の失敗は1453年にオスマン帝国によりコンスタンティノープルを陥落させられることを避けられず、ヴァルナや他のブルガリアの地域はオスマンに4世紀を超えてその支配下にあった。今日、ヴワディスワフ3世の慰霊碑がヴァルナにある。

=== オスマン支配後期 ===
[[File:Etnografisch Museum.jpg|right|thumb|オスマン期の建築物]]
16-17世紀のオスマン支配期には主要な港、農業や交易、造船の中心であり都市としての重要性やブルガリア人の経済活動はそのまま維持されていた。ヴァルナではその後、[[ルセ]]や[[シュメン]]、{{仮リンク|ヒュペルピュロン |en|Silistra}}と一緒に「四辺形の要塞」の一つが造られ[[ドブロジャ]]は露土戦争により残りのブルガリアからは切り離されロシアに含まれた。ロシアは1773年に一時的に攻略し、1828年に再び攻略し後に{{仮リンク|ヴァルナ包囲|en|Crusade of Varna}}が続いた。中世の要塞は完全に破壊された後、2年後にオスマン帝国に戻っている。

19世紀初期、多くの地元ギリシャ人は愛国的な組織である[[フィリキ・エテリア]]に参加していた。[[ギリシャ独立戦争]]が1821年に勃発するとヴァルナでも革命的な活動が記録されている。この結果、ギリシャの国民運動に参加した地元の著名人はオスマン当局により処刑され、その間に他の者はギリシャに逃れ闘争を続けた。<ref>{{cite web|last=Kotzabassi|first=Maria|title=Varna (Modern period)|url=http://blacksea.ehw.gr/Forms/fLemmaBodyExtended.aspx?lemmaID=11495|publisher=Εγκυκλοπαίδεια Μείζονος Ελληνισμού|accessdate=9 October 2011}}</ref>

イギリスとフランスのロシアに対する軍事行動である[[クリミア戦争]](1854-1856)ではヴァルナは司令部や主要な海軍基地として使われ、多くの兵士がコレラで死亡し街は大火による破壊も経験している。イギリスとフランスの記念碑はコレラの犠牲者が埋葬された墓地に印されている。1866年、ブルガリア初の鉄道がヴァルナとドナウ畔のルセとを結びオスマンの首都であるコンスタンティノープルと中央ヨーロッパが結ばれることになった。その数年後に[[オリエントエクスプレス]]がこのルートを走るようになった。ヴァルナ港は主要な食糧供給とくに隣接する穀倉地帯である{{仮リンク|南ドブロジャ|en|Southern Dobruja}}からの小麦の供給とコンスタンティノープルや他の欧州の首都からの輸入の忙しいハブとして開発が進んだ。12の外国の領事館がヴァルナには開かれている。地元のブルガリア人は{{仮リンク|ブルガリア再生運動|en|Bulgarian National Revival}}に参加し、{{仮リンク|ヴァシル・レフスキ|en|Vasil Levskil}}は秘密革命委員会を設置した。

=== 現代まで ===
[[File:Karte der Stadt Warna 1897.jpg|right|thumb|1897年のヴァルナ市街の地図]]
[[File:Varna-garden-gruev3.JPG|right|thumb|シーガーデンの外にある1900年頃の邸宅]]

1878年にオスマントルコからブルガリアは解放され、当時街の人口は2万6千人で[[ベルリン条約 (1878年)|ベルリン条約]]によりブルガリアへ譲渡された。ロシアの軍隊が7月27日に入城している。ヴァルナはその後、[[第一次バルカン戦争]]や[[第一次世界大戦]]の前線都市となり、経済は悪い状況となり一時的(1913-1916、1919-1940)に農業の後背地である南ドブロジャからルーマニアは損失の影響を受けた。解放後の最初の数十年でほとんどのトルコ人やギリシャ人は街を出て行き、ブルガリア人が内陸やドブロジャ北部、[[ベッサラビア]]、[[小アジア]]、その後[[マケドニア]]やトラキア東部、ドブロジャ南部から難民がやって来ており、続く第二次バルカン戦争や第一次世界大戦では民族の多様性はブルガリア人が多い状況になったものの、かなりの少数民族である[[ガガウズ人]]や[[アルメニア人]]、[[セファルディム]]の人々はその後数十年間残っている。
第二次世界大戦では1944年9月に[[赤軍]]が街を進駐し、ブルガリアで共産主義統治を確かなものにするのを助けている。

ヴァルナは初期の産業開発やブルガリア労働運動の中心で、ブルガリアでの重要な輸出港が設けられ主要な穀物産出や{{仮リンク|ヴィティカルチャー |en|viticulture}}(ブドウ栽培)の中心で首都ソフィア以外ではブルガリア国内で最古の高等教育機関の本拠が置かれている。また、国際的な祭典やイベントが多く行われ夏の離宮である{{仮リンク|エフクシヌグラート|en|Euxinograd}}は今でも残り、ブルガリア政府の迎賓館や夏の演奏会などに使われている。ヴァルナが現代のような大規模な観光地として姿を現すようになるのは1950年代後半のことである。重工業や貿易のソ連のブームは1950年代から1970年代にかけて続いた。

1949年12月20日から1956年10月20日にかけてヴァルナの街の名称は共産主義政府によりソビエトの独裁者であった[[ヨシフ・スターリン]]にちなみスターリンに改名されていた。<ref name=autogenerated2>{{cite web|author=BSH |url=http://varna.info.bg/english/name_of_varna_en.htm |title=The names of Varna |publisher=Varna.info.bg |date=1949-12-21 |accessdate=2009-05-06}}</ref>
1962年には第15回の[[チェス・オリンピアード]]が開かれている。1969年と1987年には新体操の世界チャンピオンシップの主催となった。1973年9月30日から10月4日にかけてはスポーツ宮殿において[[オリンピックコングレス]]が開催されている。2019年にヴァルナは[[欧州文化首都]]になる。


== 経済 ==
== 経済 ==
[[File:Varna Plage.JPG|right|thumb|ヴァルナのビーチ]]
ヴァルナはブルガリアおよび黒海沿岸地域における経済活動の重要地点であり、運輸業や造船業を中心に発展した都市である。[[ヴァルナ港]]や[[ヴァルナ国際空港]]などの巨大輸送拠点がある。また観光においても重要な位置を占め、[[アルベナ]]、[[ゴールデン・サンズ]]、[[コンスタンティン・エレナ]]、ホリデイクラブ・リビエラなどのヴァルナ近郊の保養地へ向かうための経由地として、世界中から毎年数百万人の観光客を受け入れている。
[[File:Port of Varna East.jpg|right|thumb|クルーズ船ターミナルやマリーナに転換予定のヴァルナ港東部]]
[[File:Pfohe Mall Varna.jpg|right|thumb|トルシェヴォ地区の新しいショッピングセンター]]


ヴァルナの経済はサービス産業を基盤とし61%の収益は商取引や観光から得ており、14%は製造業や交通、通信、6%は建設業によるものである。<ref name=autogenerated1>{{cite web|url=http://www.varna.bg/invest/iconom.htm |title=:-Община Варна-: |publisher=Varna.bg |accessdate=2009-05-06}}{{dead link|date=June 2012}}</ref>金融業でもとくに銀行業や保険、投資マネージメント、不動産金融がブームとなっている。2008年12月時点での世界金融危機による景気後退は軽微であった。ヴァルナは{{仮リンク|汎ヨーロッパ交通回廊|en|Pan-European corridors}}8号線の東端に位置しており、[[ルセ]]を経由して7号線や9号線と接続している。伝統的な主力産業は物流・輸送に関するものであり、ヴァルナ港やヴァルナ国際空港、{{仮リンク|ナヴィブルガル|en|Navibulgar}}のような古い商船会社や物流基地「ロジスティクス・パーク」<ref>{{cite web|url=http://www.propertywisebulgaria.com/article/logistic-park-varna-received-first-class-investor-certificate/id_562/catid_12 |title=Logistic Park Varna received First Class Investor Certificate – Daily News Article |publisher=Propertywisebulgaria.com |date=2008-02-08 |accessdate=2009-05-06}}</ref>などがある。また造船や船舶の修繕などが海洋に関する産業が発展しており、スウェーデンを基盤とする{{仮リンク|オーシャニック・クリエーションズ|en|Oceanic-Creations}}などの造船所が立地する。
ヴァルナは隣接する[[デヴニャ]]とともに[[ヴァルナ・デヴニャ工業団地]]を形成し、化学薬品や電化製品などの巨大な製造工場が存在している。


2007年6月に[[Eni]]や[[ガスプロム]]によって[[サウス・ストリーム]]のプロジェクトが公表されたが、この計画では{{convert|900|km|mi|0|abbr=on}}の天然ガスのパイプラインによってロシアの{{仮リンク|ジューブガ|en|Dzhubga}}から年間容量630億立方メートルがヴァルナへ送られ、近海のガラタ沖のガス田からさらにイタリアやオーストリアへと送られる。近隣の町である[[ベロスラフ]]や[[デヴニャ]]とヴァルナは{{仮リンク|ヴァルナ・デヴニャ工業団地|en|Varna-Devnya Industrial Complex}}を構成しブルガリアでも最大の化学工場や火力発電所、製造設備を有する。その中にはヴァルナ火力発電所や''Sodi Devnya''が含まれており、これらは民主化以降のブルガリアの歴史上、最大級の民営化案件であった。また、電波航法機器や家電、セキュリティシステム、織物、服飾、飲料や食品、印刷などの工場が注目される。一部の使われなくなった工場施設は再開発され、以前のVAMOディーゼルエンジン工場はECEショッピングモールになり、ヴァルナビール醸造所はコンベンションセンターに置き換わった。
[[1994年]][[9月]]、[[外国直接投資]]の機関誌はヴァルナの地理的重要性、急速に成長する経済、豊かな文化的遺産、高水準の教育を例に挙げて、未来のヨーロッパ南東部を代表する都市になるだろうと称賛した。


観光はヴァルナにとってもっとも重要な産業であり郊外の海辺のリゾートである{{仮リンク|ゴールデン・サンズ|en|Golden Sands}}({{lang|bg|Златни пясъци, ''Zlatni pyasatsi''}})やホリデークラブ・リビエラ、サニーデイ、{{仮リンク|聖コンスタンティン・エレナ|en|Constantine and Helena}}や他のリゾート地を合わせた宿泊受け入れ可能数は2005年現在60,000ベッドで毎年数百万人もの人が訪れる。2006年には474万人が訪れそのうち399万人は国外からであった。<ref name="sofiaecho1">{{cite web|url=http://www.sofiaecho.com/article/bulgarias-varna-taking-centre-stage/id_21990/catid_23 |title=Business |publisher=The Sofia Echo |date=2007-04-23 |accessdate=2009-05-06}}</ref>リゾート地が国内外からかなり多くの投資を受けるようになったのは1990年代後半から21世紀に入ってからであり、環境的には適切で化学工場や他の重工業地帯からは離れた場所に位置している。ヴァルナはブルガリアでは唯一、国際的な[[クルーズ船]]の寄港地で2007年には30のクルーズ船の寄港が予定されていた。またメジャーな国際的なコンベンションやスパの中心である。2003-2008年の不動産ブームによってブルガリア国内では一番高い価格となり2007年秋には首都ソフィアを上回り、2009年4月現在でも保っていた。商業用の不動産ではメジャーな国際的なオフィスタワー計画の開発をしている。<ref>[http://www.m-y-s.com/Portfolio/Building-Types/Mix-Development/Mall-of-Varna ]{{Dead link|date=May 2009}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.bpv.bg/ |title=Business Park Varna – ONE STEP FORWARD |publisher=Bpv.bg |accessdate=2009-06-18}}</ref><ref>{{cite web|url=http://money.ibox.bg/news/id_1816540227 |title=Money.bg – "Варна Тауърс" ООД взе отличие за топ – инвеститор |publisher=Money.ibox.bg |date=2006-09-27 |accessdate=2009-05-06}}</ref>
== 娯楽 ==
ヴァルナの住民にとって、代表的な娯楽は2つある。1つは暑い夏の日に爽快感を味わえる黒海の浜辺で過ごすこと。もう1つは地元のサッカー・クラブ、[[スパルタク・ヴァルナ]]である。スパルタク・ヴァルナはブルガリアで最も有名なサッカー・クラブの1つであり、ヴァルナにはこのクラブの熱狂的なサポーターが数多くいる。ヴァルナの人々は街の誇りのためにスタジアムに集い、サッカーの試合を楽しんでいる。土曜日の夜には、ヴァルナの下町のあちこちで「ヴァルナ!ヴァルナ!」の大合唱を聴くことができる。
小売りにおいては国際的に大きな小売店を集めているだけでなく<ref>{{cite web|url=http://www.dnevnik.bg/show/?storyid=349410 |title=Бизнес &#124; Варна започва строителството на още един мол |publisher=Dnevnik.bg |date=2007-06-14 |accessdate=2009-05-06}}</ref>、ヴァルナ発祥を誇るチェーン店がブルガリアの大きな都市に点在しておりスーパーマーケットチェーンの{{仮リンク|ピカデリースーパー|en|Piccadilly (supermarket chain)}}やレストランチェーンのハッピー、薬局チェーンのサニタなどがある。2008年には3つの大きなショッピングモールが営業しており、さらに4つの様々な段階の計画がありヴァルナは国際的に魅力的なショッピングの目的地へと転換させている<ref>{{cite web|url=http://www.dominuss.com/ |title=Dominus Home Page |publisher=Dominuss.com |accessdate=2011-09-16}}</ref>。


ヴァルナの経済はブルガリアの中でも好調であり急成長が続いており2007年の失業率は2.34%とブルガリア国内平均の三分の一の低さで賃金の中間値はソフィアやブルガス並みに高い。<ref>{{cite web|author=WebFX Studio |url=http://www.chernomore.bg/index.php?nid=18510 |title=Черно море – новините тогава, когато се случват |publisher=Chernomore.bg |accessdate=2009-05-06}}</ref>多くのブルガリア人はヴァルナを好況にわく町と見なしており、なかにはソフィアやプロヴディフから移住したり、または西側諸国から戻って来る者もいる。しかし、ほとんどはドブリチやシュメンなどの近隣地域からヴァルナへ移って来ている。
その他カジノが市内またリゾート地の至る所に見られる。

2004年9月の''[[フィナンシャル・タイムズ |Financial Times]] Business Ltd publication''が出版するビジネス誌FDi magazineは戦略的な地理や急成長する経済、豊かな文化遺産、高い教育水準などからヴァルナを南東ヨーロッパで将来性がある都市と公言している<ref>{{cite web|url=http://www.fdimagazine.com/news/fullstory.php/aid/769/SOUTHERN_EUROPE_-_South-eastern_city_of_the_future:_Varna,_Bulgaria.html |title=SOUTHERN EUROPE – South-eastern city of the future: Varna, Bulgaria – Foreign Direct Investment (fDi) |publisher=Fdimagazine.com |date=2004-08-09 |accessdate=2009-05-06}}{{dead link|date=June 2012}}</ref> 。また2007年4月には [[スタンダード&プアーズ]]はヴァルナの格付けを引き上げている。<ref name="sofiaecho1"/>
2007年12月と2008年10月にヴァルナはブルガリアで一番生活するのに適した都市に選ばれている。<ref name="dariknews1">{{cite web|url=http://dariknews.bg/view_article.php?article_id=204974 |title=Варна е най-добрият град за живеене в България – DARIK News |publisher=Dariknews.bg |accessdate=2009-05-06}}</ref>

== 統計 ==
最初の人口の資料は17世紀半ばに遡り、当時の町の人口は4,000人程度であったと考えられる。<ref>{{cite web|url=http://www.ceeol.com/aspx/getdocument.aspx?logid=5&id=6D1CD1EF-78E7-4FFD-92FE-55F8CAF9E64C |title=CEEOL Balkan Studies, Issue 2 /2004 |publisher=Ceeol.com |accessdate=2009-05-06}}</ref> その後、1878年にトルコから解放されると1881年に最初の人口統計調査が行われ24,555人を数え<ref>{{cite web|author=Georgi Gentchev |url=http://www.varna-bg.com/chronicle/varna_d/d_bib.htm |title=varna sled 1876 |publisher=Varna-bg.com |accessdate=2009-05-06}}{{dead link|date=June 2012}}</ref>、これは当時の[[大ブルガリア公国]]ではルセの26,156人に次ぐ2番目の規模であった。{{仮リンク|ブルガリアの統一|en|Unification of Bulgaria}}により、ヴァルナはブルガリアで3番目に大きな都市となった。このポジションは首位や4位の都市が入れ替わる中120年間維持されている。

2006年12月以来、{{仮リンク|ブルガリア国営テレビ|en|Bulgarian National Television}}、国営新聞、調査会社、首長府、地元警察など様々な情報筋からヴァルナの人口は50万人を超え、現在ブルガリアでは2番目に大きな都市であると言われている。<ref name="dnevnik.bg">{{cite web|url=http://www.dnevnik.bg/show/?storyid=377043 |title=Varna, the City that Outran Statistics|language=Bulgarian |publisher=Dnevnik.bg |date=2007-09-16 |accessdate=2012-06-08}}</ref><ref name="varna">[http://akcent.hit.bg/arhiv/br134/2-1.html Plovdiv uncrowned on New Year 2007, it's now put third after Varna.]</ref>しかしながら、公式の統計である''GRAO''や ''NSI''はこの宣言は裏付けていない。

2008年に副市長ヴェネリン・ゼチェフ(Venelin Zhechev)は実際の人口は650,000人と推計している。<ref>{{cite web|url=http://moreto.net/novini.php?n=18505&c=09&p= |title=Варна &#124; Варна ще се застрои до Бяла, смята зам.-кмет |publisher=Moreto.net |date=2008-02-22 |accessdate=2009-05-06}}</ref>2008年12月に市長の{{仮リンク|キリル・ヨルダノフ|en|Kiril Yordanov}}は実際の常住人口は970,000人<ref>{{cite web|url=http://www.moreto.net/novini.php?n=31854&c=09 |title=Варна &#124; Кирил Йорданов: Във Варна живеят близо 1 милион. 60% са без варненска регистрация |publisher=Moreto.net |date=2008-12-23 |accessdate=2009-05-06}}</ref>であるとし、そのうちの60%は住民登録されていない人々である。2009年1月にフィナンシャル・タイムズは現在ヴァルナには毎年約3万人の新しい住民を引き寄せていると述べている。<ref name="http1">{{cite web|url=http://www.ft.com/cms/s/2/ac62c054-e29c-11dd-b1dd-0000779fd2ac.html |title=/ Weekend / House & Home – Port in a storm |work=Financial Times |date=2009-01-17 |accessdate=2009-05-06}}</ref>

今日、ヴァルナ市の人口は334,870人でブルガリアでは3番目に大きな都市である。基礎自治体全体では343,704人、都市圏人口(ヴァルナ自治体、隣接するアクサコフォ、アヴレン、ベロスラフ、デヴニャ自治体。隣接するドブリチ州の部分は除く。)は公式の推計人口は475,000人<ref name="grao.bg">{{cite web|url=http://www.grao.bg/tna/tab02.txt |title=General Directorate of Citizens' Registration and Administrative Services: Population Chart by permanent and tempoprary address (for provinces, municipalities and settlements) as of 15 September 2010|language=Bulgarian|accessdate=2012-06-08}}</ref> である。ここではヴァルナ=デヴニャ=プロヴァディヤアグロメーションはヴァルナ都市圏と同一とは見なされていない。ヴァルナはブルガリアでは数少ない人口の自然増を誇っており(2009年は出生数6,300に対して死亡数3,600<ref name="Moreto.net">{{cite web|url=http://moreto.net/novini.php?n=71833&c=09&p=6 |title=По неофициални данни населението на Варна е над 550 000 хиляди души |publisher=Moreto.net |date=2010-01-14 |accessdate=2010-01-15}}</ref>)、新しい小児医療センターが開かれている。<ref>{{cite web|url=http://www.dnevnik.bg/show/?storyid=410353 |title=Мрежа &#124; Започва битката за детските градини &#124; Общината: Не правете обсади, класирането ще е онлайн |publisher=Dnevnik.bg |date=2007-12-27 |accessdate=2009-05-06}}</ref>

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||320,837
||334,870
||<ref name="cities census 2011"/><ref name="pop1992">{{cite web|url=http://statlib.nsi.bg:8181/isisbgstat/ssp/lister.asp?content=/Fullt/extpages/DN_21_2_1992_1994/DN_21_2_1992_1994_P*.pdf&from=1&to=282&index=&cont=/Fullt/extpages/DN_21_2_1992_1994/DN_21_2_1992_1994_content.pdf&type=%F1%F2%F0%E0%ED%E8%F6%E8 |title=National Statistical Institute – Towns population 1956–1992 – in Bulgarian |publisher=Statlib.nsi.bg:8181 |accessdate=2012-06-08}}</ref><ref name="statistika">{{cite web|author=WebDesign Ltd. www.webdesign-bg.eu |url=http://www.nsi.bg/otrasalen.php?otr=53&a1=1583&a2=1584&a3=1588#cont |title=Bulgarian National Statistical Institute – Bulgarian towns in 2009 |publisher=Nsi.bg |accessdate=2012-06-08}}</ref><ref name="population">{{cite web|url=http://www.citypopulation.de/Bulgaria-Cities.html |title=Bulgaria (Major Cities): Districts, Major Cities & Towns – Statistics & Maps on City Population |publisher=Citypopulation.de |date=2011-12-31 |accessdate=2012-06-08}}</ref><ref name="pop-stat">{{cite web|url=http://pop-stat.mashke.org/bulgaria-cities.htm |title=Cities of Bulgaria |publisher=Pop-stat.mashke.org |date=2011-02-01 |accessdate=2012-06-08}}</ref><ref name="BAN">{{cite web|url=http://www.geography.iit.bas.bg/2009/1-09/13-17.pdf |title=Bulgarian Academy of Sciences -in Bulgarian |format=PDF |accessdate=2012-06-08}}</ref></small>
|}
</div>

=== 民族構成 ===
ヴァルナで多数派を占める民族は[[ブルガリア人]]でヴァルナ自治体では92.5%を占めている。<ref>http://www.strategy.bg/FileHandler.ashx?fileId=200</ref>トルコ人は伝統的に2番目の位置を占め、2009年には自治体人口の3.8%を占めている。ロシア人や他の最近のロシア語話者の移民は20,000人を超え、おそらくそれ以上に多い。それに匹敵する数のロマがおり、そのほとんどがマクスダ、ロゾヴォ、ドリナの[[アスパルホヴォ]]の3つの貧しい地区やチェンゲネ・クラ、ヴラディスラヴォヴォの地区に住んでいる。ヴァルナではいくつかのロマの差別撤廃のプログラムを率先している。アルメニア人やギリシャ人、ユダヤ人、他の昔から居る民族は現在でもはるかに少ない人口で存在し、これに近年新たにアジア系やアフリカ系の移民や企業の駐在員が増加している。

== 行政 ==
[[File:Kaloyan Varna.jpg|right|thumb|カロヤン・アセンの像]]
ヴァルナ基礎自治体({{lang|bg|[[:bg:Община Варна|Община Варна]]}}はヴァルナ市と5つの郊外の町村(カメナル{{lang|bg|[[:bg:Каменар (Област Варна)|Каменар]]}}・カザシュコ {{lang|bg|[[:bg:Казашко|Казашко]]}}・コンスタンティノヴォ {{lang|bg|[[:bg:Константиново (Област Варна)|Константиново]]}}・トポリ {{lang|bg|[[:bg:Тополи|Тополи]]}}・ズヴェズディツァ{{lang|bg|[[:bg:Звездица (Област Варна)|Звездица]]}})に分かれており、公共交通機関の運営も行われている。ヴァルナは地域の司法機関の中心でもある。<ref>{{cite web|url=http://varna.court-bg.org/ |title=Окръжен съд Варна |publisher=Varna.court-bg.org |accessdate=2009-06-18}}</ref>

=== 市長 ===
基礎自治体の首長は市長(кмет)である。共産党により一党独裁時代が終わった1990年以降、ヴァルナは3人の市長が担って来た。1990-91年が[[民主勢力同盟]](SDS)のヴォイノ・ヴォイノフ(Voyno Voynov)、1991-1999年がSDSのヒリスト・キルツェフ(Hristo Kirchev)、1999年から現在まではSDSのキリル・ヨルダノフが就いている。ヨルダノフは2007年に再選され現在3期目である。<ref>{{cite web|url=http://www.varna.bg/kmet/index.htm |title=:-Община Варна-: |publisher=Varna.bg |accessdate=2009-05-06}}{{dead link|date=June 2012}}</ref>

=== 政治 ===
2009年1月現在の市議会(общински съвет)は51議席で、中道左派の[[ブルガリア社会党]](BSP)が9議席、中道右派の[[ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民]](GERB)が9議席、''Dvizhenie Nashiyat Grad''(市長を支持する地元グループ)が6議席、''Red, Zakonnost i Spravedlivost''「秩序、法の支配、司法」が5議席、[[権利と自由運動]](DPS)が4議席、民主勢力同盟と{{仮リンク|強いブルガリア民主党|en|Democrats for a Strong Bulgaria}}(DSB)、
と他の中道右派政党の3議席の連立、他のグループや無所属が15席を占める。ブルガリア社会党のボリスラフ・グツァノフが議長である。<ref>{{cite web|url=http://www.varna.bg/adm/obs/rukov.htm |title=:-Община Варна-: |publisher=Varna.bg |accessdate=2009-05-06}}{{dead link|date=June 2012}}</ref>

ヴァルナで大きな政党はBSP、GERB、SDS、{{仮リンク|安定と進歩のための国民運動|en|National Movement for Stability and Progress}}(NDSV) 、これら4政党以外にDSB、ブルガリア民主党、[[内部マケドニア革命組織]](IMRO, VMRO)、[[アタカ国民連合]]なども活動している。SDSは2009年に地元リーダーの息子の学生が若い女性に対して残忍な殺人を犯したことによって打撃を受けている。地元の経済界は全国的な傾向を背景に最近の地方選のために政党を組織している。

=== 領事館 ===
ヴァルナにはチェコ、フランス、ドイツ、ハンガリー、イタリア、マルタ、ポーランド、ロシア、スロバキア、スウェーデン、ウクライナ、イギリスなど欧州各国の領事館が置かれている。<ref>{{cite web|url=http://www.embassypages.com/bulgaria.php |title=Bulgaria – Embassies and Consulates |publisher=Embassypages.com |accessdate=2009-05-06}}</ref>

===行政区 ===
ヴァルナ基礎自治体({{lang|bg|[[:bg:Община Варна|Община Варна]]}})の域内には6つの町村(集落)がある。また、ヴァルナは5つの区に分かれている。区([[ラヨン]]、{{lang|bg|Район (градско подразделение)}} / ''rayon'')は基礎自治体({{lang|bg|Община}} / ''Obshtina'')より更に下位の行政区分である。町村({{lang|bg|град}}、{{lang|bg|село}})は[[集落]]([[自然村]])のことであり、行政単位ではない。[[アスパルホヴォ]] 、[[ムラドスト]]、[[オデソス]](歴史的な中心地)、[[プリモルスキ]](行政区では最大の人口102,000人でリゾート地を含み市北部の中心)、[[ヴラディスラフ・ヴァルネンチク]]にそれぞれ分かれておりこれらの地区にも様々な地域があり独特な特徴や歴史が含まれている。<ref name="http2">http://www.grao.bg/tna/tab02.txt</ref>
村落には村長か代理官(кметски наместник)などが置かれている。

;ヴァルナ行政区や地域
{| class="wikitable sortable"
|-
! 地区
! キリル文字
! 行政区
! 人口
|-
| [[ヴラディスラフ・ヴァルネンチク]]
| [[:bg:Владислав Варненчик (квартал)|Владислав Варненчик]]
| [[ヴラディスラフ・ヴァルネンチク]]
| style="text-align:right;"| 48,740
|-
| Kaisieva Gradina
| [[:bg:Кайсиева градина (квартал на Варна)|Кайсиева Градина]]
| '''[[ヴラディスラフ・ヴァルネンチク]]'''
| style="text-align:right;"| 48,740
|-
| Troshevo
| [[:bg: Трошево|Трошево]]
| '''[[ムラドスト (ヴァルナ)|ムラドスト]]'''
| style="text-align:right;"| 87,256
|-
| [[ムラドスト]]
| [[:bg:Младост (квартал на Варна)|Младост]]
| '''[[ムラドスト (ヴァルナ)|ムラドスト]]'''
| style="text-align:right;"| 87,256
|-
| Chayka
| [[:bg:Чайка (квартал на Варна)|Чайка]]
| '''[[プリモルスキ]]'''
| style="text-align:right;"| 105,340
|-
| Central
| [[:bg:Център (Варна)|Център]]
| [[オデソス]]
| style="text-align:right;"| 82,784
|-
| [[アスパルホヴォ ]]
| [[:bg:Аспарухово|Аспарухово]]
| [[アスパルホヴォ ]]
| style="text-align:right;"| 27,178
|-
| Vinitsa
| [[:bg:Виница (квартал на Варна)|Виница]]
| '''[[プリモルスキ]]'''
| style="text-align:right;"| 105,340
|-
| Golden Sands
| [[:bg:Златни Пясъци|Златни пясъци]]
| '''[[プリモルスキ]]'''
| style="text-align:right;"| 105,340
|-
| Hristo Botev
| [[:bg:Христо Ботев (квартал на Варна)|Христо Ботев]]
| [[オデソス]]
| style="text-align:right;"| 82,784
|-
| Galata
| [[:bg:Галата (квартал)|Галата]]
| [[アスパルホヴォ]]
| style="text-align:right;"| 27,178
|-
| Vazrazhdane
| [[:bg:Възраждане (квартал на Варна)|Възраждане]]
| '''[[ムラドスト (ヴァルナ)|ムラドスト]]'''
| style="text-align:right;"| 87,256
|-
| Pobeda
| [[:bg: Победа (квартал на Варна)|Победа]]
| '''[[ムラドスト (ヴァルナ)|ムラドスト]]'''
| style="text-align:right;"| 87,256
|-
| Zapadna Promishlena
| [[:bg:Западна промишлена зона (Варна)|Западна промишлена зона]]
| '''[[ムラドスト (ヴァルナ)|ムラドスト]]'''
| style="text-align:right;"| 87,256
|}

== みどころ ==
ヴァルナのランドマークには{{仮リンク|ヴァルナ考古学博物館|en|Varna Archaeological Museum}}や{{仮リンク|ヴァルナ・ネクロポリス|en|Varna Necropolis}}(黄金のヴァルナ)、[[ヴァルナの戦い]]公園博物館、イタリア様式の''Villa Assareto''内にある海軍博物館に展示されている博物館船[[ドルースキ (水雷艇)|ドルースキ]]、オスマン期の地元の都市住民や漁師、19世紀後半から20世紀初めにかけての農民の暮らしぶりの特徴を組み合わせた民俗誌博物館などが含まれる。

シーガーデンはヴァルナでは一番古くおそらく街で一番大きな公園で、国際的なバレー競技会やオペラ公園、コンサートなどが行われる野外劇場、1932年に開館した{{仮リンク|ヴァルナ水族館|en|Varna Archaeological Museum}}、1984年に開館した ''Festa Dolphinarium'' (イルカ水族館)、自然史博物館、[[テラリウム]]、動物園、子供用の遊技施設、池やボートハウスなど様々な施設が含まれる。国家再生の小道にはブルガリアの著名人の銅像が飾られ、宇宙飛行士の小道には[[ユーリイ・ガガーリン]]や他のソビエトやブルガリアの宇宙飛行士が植樹した木が含まれる。ガーデンはブルガリアの国の景観建築のモニュメントでバルカンでは最大の美しい公園とも言われる。

海沿いの遊歩道にはビーチクラブが活気に満ちたロックシーンやヒップホップ、ブルガリアンやアメリカンポッポ、テクノ、[[チャルガ]]などを売り物にしている。2006年10月に[[インデペンデント]]紙はヴァルナを「欧州の新しいファンキーな街、ブルガリアの上質な時間の中心地」としている。<ref>{{cite news|url=http://travel.independent.co.uk/europe/article1778375.ece |title=Bulgaria: Get the party started – Europe, Travel – The Independent |work=The Independent |date= 2006-10-01|accessdate=2009-05-06 | location=London | first=Nick | last=Clark}}</ref> ヴァルナは全国的なロックやヒップホップ、ワールドミュージック、他のアーティストやクラブ、それらに関連した{{仮リンク|ジュライ・モーニング|en|July Morning}}、国際的なロックやヒップホップ、[[グラフィティ]]<ref>{{cite web|url=http://www.beachbulgaria.com/varna/news/grafitti_festival_en.html |title=Graffiti Festival Organized in Varna resort, Bulgaria |publisher=Beachbulgaria.com |date=2006-05-26 |accessdate=2009-05-06}}</ref>などのイベントにより評価を享受している。

街の海岸は海浴場(морски бани, ''morski bani'')として知られ55℃の硫黄泉の源泉が点在し、温泉や水泳プール公共のシャワーに使われ小さなマリーナが立地している。これに、長さ {{convert|2.05|km|mi|abbr=on}} 高さ {{convert|52|m|ft|0|abbr=on}} のアスパルホフ橋は[[バンジージャンプ]]の人気スポットになっている。郊外には{{仮リンク|エフクシヌグラート宮殿|en|Euxinograd}}や公園、[[ワイナリー]]、{{仮リンク|ソフィア大学|en|University of Sofia}}の植物園(Ecopark Varna)、{{仮リンク|ポビティ・カマニ|en|Pobiti Kamani}}の奇岩、中世の洞窟修道院である{{仮リンク|アラジャ修道院|en|Aladzha Monastery}}がある。

=== 建築 ===
1878年当時のヴァルナはオスマンの都市でほとんどが木造の建物で黒海沿岸の典型的なスタイルで狭い通りを満たしていた。<ref>http://auction-victoria.com/image.asp?image=4358</ref><ref>http://catalog.libvar.bg/view/show_jpg_image.pl?MATERIAL=photo&image_id=67115563.401251512462638592429</ref>堀と装飾された鉄門、両側に建つ塔、ヴァルナの川を横切るアーチ状の石橋に1830年代に修復された周辺の石壁が囲んでいた。今日、この名残は僅かに残されているだけで、街の中心は19世紀から20世紀初めにブルガリアの中産階級の発生により西洋型のネオ・ルネサンス、ネオ・バロック、[[アール・ヌーヴォー]]、[[アール・デコ]]となっている。所有権が1989年に復帰すると建物の多くは改装された。
取り壊された城壁からの石造りの部分は大聖堂と2つのエリート高校、新しい大通りの舗装材に使われている。中産階級は実用的な[[タウンハウス]]や戸建ての建物を建築している。洗練された大邸宅は主要な大通りや街の北部のブドウ畑に面してた建てられた。少数の労働者階級も郊外に現れ、1910年代の戦争難民もまた都市の周辺の同じような貧しい活気ある地区に居住している。

1960年代から1980年代初期の間の急速な都市化により大規模な住宅団地が以前の小規模なブドウ畑や農地に広がり、都市の人口は3倍になった。ビーチリゾートの多くはほとんどが画一的な現代的なスタイルだったが、最近の手間をかけた刷新によりある程度変わって来ている。他のブルガリアの黒海沿岸のように行き過ぎた観光開発が行われること無く、多くの緑地は保護されており古い街の中心や周辺部の建物の造りかえが始まっている。<ref>{{cite web
|url=http://www.varna-bulgaria.info/Photos/index.php?gallery=Modern%20and%20contemporary%20architecture%20in%20Varna&image=TheShip-Vanya_Karadjova.jpg
|title=TheShip – winner for best architect of 2005 for Vanya Karadjova
|publisher=Varna Bulgaria Info|accessdate=不明
}}</ref><ref>{{cite web
|url=http://www.nirvarna.net/downtown4.html
|title=Apollo Centre
|publisher=The Sawyers Group, UK|accessdate=不明
}}</ref>

== スポーツ ==

[[File:Varna Sea Garden Sport Complex.jpg|right|thumb|公営運動場]]
[[File:Olympian Swimming pool, Varna.jpg|right|thumb|公営プール]]

サッカーはヴァルナにおいては最大の観衆を集めるスポーツで、2つの競合クラブがあり[[ブルガリアプロサッカーリーグ]]のクラブチームである{{仮リンク|PFCチェルノ・モレ・ヴァルナ|en|PFC Cherno More Varna}}(ザ・セイラーズ)は1913年に設立され、4度にわたりナショナル・チャンピオンに輝き1925年の最初のチャンピオンシップも含まれる。{{仮リンク|PFC スパルタク・ヴァルナ|en|PFC Spartak Varna}}(ザ・ファルコンズ)は1918年に創設され一度だけチャンピオンになっている他、[[UEFAカップウィナーズカップ]]の[[UEFAカップウィナーズカップ 1983-84|1983]]では2回戦で[[マンチェスター・ユナイテッド]]と対戦し敗れている。

ヴァルナは19世紀後半にブルガリアサッカーの誕生した地と考えられており、スイスの体育教師{{仮リンク|ジョルジュ・ドゥ・レジブス|en|Georges de Regibusa}}が最初の男子高校サッカーの代表チームを監督している。2007年2月にヴァルナ市では1950年代の古くなった公営の{{仮リンク|ユーリイ・ガガーリンスタジアム|en|Yuri Gagarin Stadium}}を新しい[[欧州サッカー連盟|UEFA]]や[[国際サッカー連盟|FIFA]]の水準を満たす競技場に換えることを決定した。<ref>{{cite web|url=http://www.sportcomplexvarna.com/ |title=Ńďîđňĺí Ęîěďëĺęń Âŕđíŕ |publisher=Sportcomplexvarna.com |accessdate=2009-06-18}}</ref> {{仮リンク|新ヴァルナスタジアム|en|New Varna Stadium}}は客席数30,000人でコンサート開催時には立ち席を含め40,000人の収容人員になる。他の国営の陸上競技施設は5,000人の収容人員とプロと公共のトレーニングホールを備えムラドスト地区に失われた古いヴァルナスタジアムの運動場とトラックを補償するために2009年に開設された。<ref>{{cite web|author=WebDesign Ltd. www.digitalentropia.com |url=http://proactive-bg.eu/novinabg.php?n=91 |title=Нов лекоатлетически стадион "Младост" във Варна |publisher=Proactive-bg.eu |accessdate=2009-05-06}} {{Dead link|date=October 2010|bot=H3llBot}}</ref>

男子バスケットボール (''Euroins Cherno More''など)や女子バレーボール、体操、ボクシング、武道、セーリングなども盛んである。ガラタ岬からヴァルナにかけての{{convert|4.5|km|mi|abbr=on}}のスイミングマラソンはポピュラーな会場となっている。ヴァルナでは国際的な競技大会や国内大会が行われており、その中にはオートレースやモトクロスも含まれている。ブルガリアのナショナルバスケットボールチームやバレーボールチームの試合がヴァルナでは行われており、その中には[[バレーボールワールドカップ]]も含まれブルガリアでは最大のアリーナである1968年に完成した文化・スポーツ宮殿(Дворец на културата и спорта)で開催されている。
2011年現在では3つの18ホールを備えたプロ水準の[[ゴルフ場]]がヴァルナの北部[[バルチク]]や[[カヴァルナ]]に近接する地域に建設されている。これらには''Thracian Cliffs''、''Lighthouse Golf''、''Black Sea Rama''が含まれる。市の南にはアヴレンゴルフクラブ<ref name="avrengolf">{{cite web|url=http://avrengolf.com/ |title=Avren Golf Club |publisher=Avrengolf.com |accessdate=2012-06-08}}</ref>は2012/2013年の間に完成する。
カートレーシングトラックや競馬場、乗馬学校などがヴィニツァ地区にある。

2007年8月にサッカー場やバスケットボール、バレーボールの競技施設を備えた新しい自治体の新しいスポーツ複合施設がオープンし、ムラドストのミニゴルフやテニス、バイクレーン、小さな湖、アイススケートリンクは大きな複合施設の一部である。小さな自治体の運動場はシーガーデン、アスパルホフ・ヴァル公園など各所に開かれオリンピック規格のスイミングプール施設が2007年に再建されている。シーガーデンと最西部の住宅地を結ぶ自転車レーンの最初の部分が完成している。<ref>{{cite web|url=http://www.standartnews.com/bg/article.php?d=2007-08-24&article=201062 |title=Денят – Откриват първата велоалея във Варна – Стандарт |publisher=Standartnews.com |accessdate=2009-05-06}}</ref>最近ではクリケットも行われるようになっている。


== 姉妹都市 ==
== 姉妹都市 ==
76行目: 471行目:
* [[File:Flag of Russia.svg|20px]] [[File:Coat of Arms of Saint Petersburg (2003).svg|15px]] [[サンクトペテルブルク]], [[ロシア]]
* [[File:Flag of Russia.svg|20px]] [[File:Coat of Arms of Saint Petersburg (2003).svg|15px]] [[サンクトペテルブルク]], [[ロシア]]
</div><br style="clear: left;" />
</div><br style="clear: left;" />

== 町村と行政区分 ==
ヴァルナ基礎自治体({{lang|bg|[[:bg:Община Варна|Община Варна]]}})の域内には6つの町村(集落)がある。また、ヴァルナは5つの区に分かれている。
区([[ラヨン]]、{{lang|bg|Район (градско подразделение)}} / ''rayon'')は基礎自治体({{lang|bg|Община}} / ''Obshtina'')より更に下位の行政区分であり、日本の[[政令指定都市]]の区に類似している。町村({{lang|bg|град}}、{{lang|bg|село}})は[[集落]]([[自然村]])のことであり、行政単位ではない。

=== 町村 ===
[[画像:Beach_of_Varna.jpg|thumb|ヴァルナの海岸]]
ヴァルナ基礎自治体には、その中心であるヴァルナをはじめ、以下の町村(集落)が存在する。
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* '''{{lang|bg|[[:bg:Варна|Варна]]}}'''
* {{lang|bg|[[:bg:Звездица (Област Варна)|Звездица]]}}
* {{lang|bg|[[:bg:Казашко|Казашко]]}}
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* {{lang|bg|[[:bg:Каменар (Област Варна)|Каменар]]}}
* {{lang|bg|[[:bg:Константиново (Област Варна)|Константиново]]}}
* {{lang|bg|[[:bg:Тополи|Тополи]]}}
</div><br style="clear: left;" />

=== 行政区分 ===
ヴァルナには5個の区が存在する。
* [[アスパルホヴォ]] ({{lang|bg|[[:bg:Аспарухово (район)|Аспарухово]]}}、''Asparuhovo'')
* [[ヴラディスラフ・ヴァルネンチク]] ({{lang|bg|[[:bg:Владислав Варненчик (район)|Владислав Варненчик]]}}、''Vladislav Varnenchik'')
* [[ムラドスト (ヴァルナ)|ムラドスト]] ({{lang|bg|[[:bg:Младост (район във Варна)|Младост]]}}、''Mladost'')
* [[オデソス]] ({{lang|bg|[[:bg:Одесос (район)|Одесос]]}}、''Odesos'')
* [[プリモルスキ]] ({{lang|bg|[[:bg:Приморски (район)|Приморски]]}}、''Primorski'')


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{commons|Category:Varna}}
* [[生神女就寝大聖堂 (ヴァルナ)]]
* [[生神女就寝大聖堂 (ヴァルナ)]]
* [[ヴァルナ国際空港]]
* [[ヴァルナ国際空港]]
111行目: 480行目:
* [[ヴァルナ国際バレエコンクール]] - 1964年から開催されている国際バレエ・コンクール。
* [[ヴァルナ国際バレエコンクール]] - 1964年から開催されている国際バレエ・コンクール。
* [[オデッサ]] - ヴァルナのギリシャ名オデッソスにちなみ命名された。
* [[オデッサ]] - ヴァルナのギリシャ名オデッソスにちなみ命名された。

== ギャラリー ==
<gallery perrow=5>
File:Hotel Cherno More.jpg
File:Asparuhov most.jpg
File:Night shot of Varna.jpg
File:City of Varna.jpg
File:Varna shopping area.jpg
File:Kabakum.JPG
File:Christmas in Varna, Bulgaria 8.jpg
File:Theotokos_Cathedralnight.jpg
File:Bulgaria-Varna-02.JPG
File:Theater Varna.jpg
File:Bulgaria-Varna-01.JPG
File:Euxinograd Palace - view 1.jpg
File:Bulgaria-Varna-03.JPG
File:Aquarium Varna, Bulgaria.JPG
File:Roman Thermae Varna.jpg
File:Varna Railway Station HDR.png
File:Bulgaria-Varna-04.JPG
File:Preslavska.jpg
File:Varna-archeological-museum-outside.JPG
File:Varna Artgallery.jpg
File:Varna-garden-gruev.JPG
File:Pantheon Varna.jpg
File:Bulgaria-Fanagoria-01.JPG
File:Verni and Tsezar' Kunikov in Varna, 2009.jpg
<!-- Deleted image removed: File:Mall Varna Outside.jpg|[[Mall Varna]] -->
</gallery>


== 脚注 ==
== 脚注 ==
# {{note |gdgrao}}{{Cite web
|author=Главна Дирекция - Гражданска Регистрация и Административно Обслужване
|date=2009年06月15日
|url=http://grao.bg/tna/tab02.txt
|title=Таблица на населението по постоянен и настоящ адрес
|language=ブルガリア語
|accessdate=2009年07月30日
}}
{{Reflist}}
{{Reflist}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commons category|Varna}}
* [http://www.varna.bg/ 公式ウェブサイト](ブルガリア語)
* [http://www.varna.bg/ 公式ウェブサイト](ブルガリア語)
* [http://www.innoslab.com/compchem/Varna.jpg Public transit map]
* Squished panorama photos [http://storage3.album.bg/0f5/eyevn_5_179a2_10846062.jpg 1], [http://storage3.album.bg/e06/varna89_146c0_10846119.jpg 2]
* QTVRs and panorama photos of Varna [http://dichev.com/panorama/bulgaria/varna/cathedral/ Cathedral], [http://dichev.com/panorama/bulgaria/varna/christmas_new_year_2007/ Christmas], [http://dichev.com/panorama/bulgaria/varna/municipality/ City Hall], [http://dichev.com/panorama/bulgaria/varna/archaeological_museum/ Archaeological museum], [http://dichev.com/panorama/bulgaria/varna/shipka/ Shipka St.], [http://dichev.com/panorama/bulgaria/varna/gulf_night/ Harbour], [http://dichev.com/panorama/bulgaria/varna/north_view_night_1/ Night]
* [http://velina.info/gallery/view/pobiti_kamani/ Varna, Pobiti Kamani – Photo gallery]
* [http://www.flickr.com/search/?q=varna&w=25935663%40N00 More photos]
* [http://www.varna-bulgaria.info/Photos/ Photos from Varna – The Beach, Architecture, The People]
* [http://www.youtube.com/watch?v=TUs6rmdWmuM Song of Varna (YouTube music video), Planeta Payner]
* [http://retrobulgaria.com/varna/index.html Varna in old pictures and postcards]
* [http://vbox7.com/play:e4fc20a6 Varna, Beautiful Varna] – song by Los Paraguayos
* [http://yourstayinvarna.com/ yourstayinvarna.com]


{{Bulgaria-stub}}
{{Bulgaria-stub}}
185行目: 586行目:
[[ro:Varna]]
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190行目: 592行目:
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[[tk:Warna]]
[[tr:Varna]]
[[tr:Varna]]

2013年1月27日 (日) 12:12時点における版

ヴァルナ
Варна
ヴァルナの光景
ヴァルナの光景
ヴァルナの市旗
市旗
位置
ブルガリアにおけるヴァルナの位置の位置図
ブルガリアにおけるヴァルナの位置
座標 : 北緯43度12分37秒 東経27度54分35秒 / 北緯43.21028度 東経27.90972度 / 43.21028; 27.90972
行政
 ブルガリア
  ヴァルナ州
  ヴァルナ基礎自治体
 市 ヴァルナ
市長 Кирил Йорданов
地理
面積  
  市域 238 km2
標高 80 m
人口
人口 (2011年2月現在)
  市域 343,704人
    人口密度   1,780人/km2
  都市圏 475,000人
  備考 [1]
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
郵便番号 9000-9030
市外局番 (+359) 052
ナンバープレート B
公式ウェブサイト : varna.bg
ブルガリア正教会生神女就寝大聖堂
聖ニコラウス船員教会

ヴァルナ(ブルガリア語: Варна、ラテン文字表記:Varna、発音:/ˈvarnɐ/)はブルガリア北東部ヴァルナ州に位置する都市で、ブルガリアの黒海沿岸では保養地であり最大の都市でブルガリア国内では首都ソフィアプロヴディフに次いで3番目に大きな都市である。2011年2月現在の人口は市街で334,870人[2]、基礎自治体全体では343,704人でった。ヴァルナはヴァルナ州やヴァルナ基礎自治体の行政的な中心地で、バルカン半島ではイスタンブルアテネブカレスト、ソフィア、ベオグラードテッサロニキザグレブスコピエティラナ、プロブディフに次いで11番目に大きな都市である。ヴァルナはブルガリアの「海の首都」あるいは「夏の首都」とよく言われ、メジャーな観光地でありビジネスや大学、海港、ブルガリア海軍の司令部、商船などの各拠点が置かれている。1949年から1956年までは、ヨシフ・スターリンの名をとってスターリン (Сталин, Stalin) という都市名であった。ヴァルナ州や統計的な地域であるドブリチ州シュメン州トゥルゴヴィシテ州を含むブルガリア北東計画地域(NUTS II)の中心都市である。ヴァルナ空港は2011年に1,181,830人の旅客を扱っており、ブルガリアではブルガス空港ソフィア空港に次いで3番目に旅客数が多い空港である。

2008年4月にヴァルナは黒海欧州地域 Black Sea Euro-RegionBlack Sea Euroregionと同一でない新たな組織)の中心として欧州評議会で指定された。[3]

ヴァルナ・ネクロポリスでは世界最古の黄金の宝物が発見され、これらはコインと武器、宝石などで構成され紀元前4,600年頃に遡る。[4]

地理・交通

ヴァルナの市域面積は154 km2 (59 sq mi)、基礎自治体の面積は238 km2 (92 sq mi)[5] を占め北側の高原(海抜356m)から下がって来た緑豊かな台地(モエシアプラットフォームのヴァルナ単斜英語版)と南のアヴレン台地、馬蹄型に沿った黒海のヴァルナ湾、細長いヴァルナ湖英語版や湾と湖をつなぐ二つの人工的な運河、アスパルホフ橋英語版が占めている。中心部はコナベーションが沿岸に沿って北側に20 km (12 mi) 、南側に10 km (6 mi)にわたり成長し広がっている。南側はほとんどが住宅地や保養地が広がる街並で、湖に沿った西側25 km (16 mi)は交通や産業用の施設がほとんどである。古代以来、都市の周辺はブドウ畑や果樹園、森林に囲まれている。商船施設は湖の内側や運河に再配置され湾内は保養地となりそのほとんどがウォーターフロントの緑地である。

市街地には 20 km (12 mi) を超える砂浜と豊富な温泉の源泉(35-55℃)がある。海の影響による穏やかな気候により地中海同様の秋や日が良く照る温暖さであるが、地中海よりはそよ風や規則的な降水により涼しい夏となっている。ヴァルナの降水量はブルガリア平均の三分の二であるが、豊富な地下水により緑豊かな丘陵地は夏の間保たれている。ヴァルナは北や北東の風が湾の入江に沿った丘陵により遮られるが、1月や2月は、風雪により時々ひどく寒くなることがある。黒海の海水は1989年以降、後背地域での化学肥料の使用量減少により奇麗になっている。

ヴァルナから首都ソフィアは北東 470km 、近隣の大きな都市ドブリチの北側に45km、シュメンは西に80km、ブルガスは南西に125kmそれぞれ離れている。ヴァルナへは空路ではヴァルナ空港が海路ではヴァルナ港英語版 にクルージングターミナルがある。鉄道ではヴァルナ駅英語版からブルガリア各地へ列車が運行されている。ヴァルナを通る幹線道路には欧州自動車道路のE70号線によりブカレスト、E87号線ではイスタンブルコンスタンツァ、高速道路ではA-2ヘムス高速道路英語版により首都ソフィアへ、A-5黒海高速道路英語版によりブルガスに達する。多くの長距離バス路線もヴァルナからは運行されており、ブルガリアの主要都市や近隣国とを結んでおり市内には2つのバスターミナルがある。フェリーではウクライナオデッサやロシア、グルジアのポチバトゥミなどと結ばれている。

公共交通機関は広範囲をカバーし、料金も手頃で80を超えるローカルや急行バス、トロリーバス、決まったルートを走るミニバスの路線が設定されている。多くのタクシーも市内では営業している。2007年には多くのダブルデッカーバスが購入された。2008年夏の市長の公約では、市内全てのバスをエアコン付きとし、更にメタンガスを燃料とするとしている。

気候

ヴァルナの気候は温暖湿潤気候(ケッペンの気候区分では Cfa)にかなりの海洋性気候湿潤大陸性気候の影響がある。冬は冷たく時折寒くなるが内陸部よりは温暖である。夏は5月の半ばに始まり、10月初旬や中旬まで続く。夏の気温は通常夜間は20-25℃の範囲で昼間は27-35℃の範囲で6月から8月に気温が40℃を超えることは稀である。黒海沿岸は他のブルガリアの地域に比べ風の影響により過ごし易い。海水温は夏の間は通常22-27℃の範囲であるが、2010年に海水温が32℃に達する記録を付けた。冬は夜間の気温は0℃前後まで下がり、昼間は10℃程度である。時折、0℃以下の場合もある。降雪は12月から2月にかけ見られる場合があり3月は稀である。降雪は稀であり、降っても直に解ける。最高気温の記録は41.4℃で、最低気温は1929年2月10日に記録した。ヴァルナの1日の最高降水量は1951年8月21日に記録されたもので、強烈なスコールにより数時間で積算292mmの降雨があった。ヴァルナの北10kmに位置する近郊のサナトリウムでは342mmの降雨を記録している。最近では2011年10月17日-18日に169.2mmの降水量を記録している。

ヴァルナの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 22.8
(73)
23.0
(73.4)
29.5
(85.1)
29.2
(84.6)
34.3
(93.7)
40.8
(105.4)
41.4
(106.5)
40.7
(105.3)
37.2
(99)
33.4
(92.1)
26.8
(80.2)
26.5
(79.7)
41.4
(106.5)
平均最高気温 °C°F 5.5
(41.9)
6.5
(43.7)
9.6
(49.3)
14.8
(58.6)
20.1
(68.2)
24.8
(76.6)
27.1
(80.8)
27.3
(81.1)
23.8
(74.8)
18.4
(65.1)
13.1
(55.6)
8.1
(46.6)
16.59
(61.86)
日平均気温 °C°F 2.5
(36.5)
2.8
(37)
6.0
(42.8)
10.4
(50.7)
15.9
(60.6)
20.3
(68.5)
22.4
(72.3)
22.4
(72.3)
18.6
(65.5)
13.7
(56.7)
8.3
(46.9)
4.1
(39.4)
12.28
(54.1)
平均最低気温 °C°F −1.1
(30)
0.0
(32)
2.4
(36.3)
7.1
(44.8)
11.8
(53.2)
15.7
(60.3)
17.8
(64)
17.6
(63.7)
14.4
(57.9)
9.8
(49.6)
5.5
(41.9)
1.6
(34.9)
8.55
(47.38)
最低気温記録 °C°F −19
(−2)
−24.2
(−11.6)
−8.3
(17.1)
−1.6
(29.1)
3.5
(38.3)
7.2
(45)
10.9
(51.6)
10.8
(51.4)
4.4
(39.9)
−3.6
(25.5)
−9.2
(15.4)
−12.8
(9)
−24.2
(−11.6)
降水量 mm (inch) 38
(1.5)
41
(1.61)
34
(1.34)
44
(1.73)
40
(1.57)
46
(1.81)
37
(1.46)
32
(1.26)
31
(1.22)
36
(1.42)
50
(1.97)
45
(1.77)
474
(18.66)
平均降水日数 9 9 8 10 9 9 7 5 6 7 8 9 96
平均月間日照時間 83.7 87.6 120.9 159.0 220.1 240.0 282.1 279.0 219.0 164.3 105.0 71.3 2,032
出典:World Meteorological Organisation (UN)[6]

歴史

先史時代

先史時代の集落である銅器時代ヴァルナ・ネクロポリス英語版放射性炭素年代測定で紀元前5,000年半ばに遡る。)は世界の先史時代の考古学上の鍵となる遺跡で古ヨーロッパ英語版ヴァルナ文化英語版のエポニムであり、現代の都市域では世界的に最古で最大の金の工芸品が発見されている。広い地域では1900年以前は淡水湖であったヴァルナ湖と隣接したカルスト地形の泉や洞窟では30を超える先史時代の集落が発見され、旧石器時代中期か10万年以上前の最初期の遺品が発見されている。

古代とブルガリア人の征服

オデソスに残る古代ローマの遺跡
テルマエ西側のアポディテリウム。背後は聖アサナシウス教会の鐘楼

古代のトラキアには紀元前1,000年にはトラキア人が居住していた。ミレトスの人々によりオデソスに交易地点であるアポイキアapoikiaが紀元前7世紀の終わり頃に設立されたか、古代ギリシャの地理書Pseudo-Scymnus (enによれば当時アステュアゲス(紀元前572-570年頃と言われている。)で初期のトラキア人の居住地であった。オデソスの名称はおそらくギリシャ以前のアナトリア語派カリア語がもとであるとされる。ポントスのペンタポリス英語版のメンバーであったオデソスには様々なコミュニティがありイオニア人と後背地のトラキア人(ゲタイクロビゾイ英語版テリジ英語版)との接触の場であった。

トラキア人の土地の近くの発掘では紀元前7世紀から4世紀にかけて絶え間なく居住しており、植民と商業が密接していた。ギリシャ文字トラキア語に少なくとも紀元前5世紀から使われている。

紀元前425年、オデソスはデロス同盟の評価に含まれていた。紀元前339年のピリッポス2世の包囲は成功しなかったが、紀元前335年アレクサンドロス3世に降伏しその後、ディアドコイであるリュシマコスにより支配された。紀元前313年には他のポントスやゲタイの都市の一部が連合し反乱を起こしている。ローマ都市としてのオデソスは最初、海岸県Praefectura orae maritimaeに含まれていたが15年モエシア(後のモエシア・インフェリオル)に併合され、今日のヴァルナ中心部には47ヘクタールを占めた公共浴場のテルマエがあり2世紀後半に建築され、今日ではブルガリアに残る最大のローマのもので建物は幅 100 m (328.08 ft) 、長さ 70 m (229.66 ft) 、高さ25 m (82.02 ft)でヨーロッパでも4番目に大きなローマ風呂として知られている。3世紀頃には大きな陸上競技会が5年ごとに開かれていた。

オデソスは初期の初代教会の中心で、10カ所の初期のバシリカの跡がそれを物語っており[7]単性説修道院や七十門徒アンプリアト英語版アンデレの門弟が表れて主教が務めていた。 6世紀、帝国の文書では「聖なる都市」sacratissima civitasと呼ばれていた。442年、テオドシウス2世アッティラとの間で和平協定がオデソスで結ばれた。513年ウィタリアヌスの反乱の中心となった。536年ユスティニアヌス1世は独特の行政区画で quaestor Justinianus などが治めるQuaestura exercitus (enの中心を設け下モエシアやスキュティア、カリア、エーゲ海諸島、キプロスが含まれていた。後にオデソスの外に軍の野営地に他のローマ人上級司令官の中心が置かれた。イレチャク・ライン英語版またはラテンとギリシャを分けるおおよその言語的な境界線がオデソスからアドリア海にかけて当時走っていた。

テオファナスの証聖者英語版に最初のヴァルナの言及があり6-7世紀にかけスラヴ人によるバルカン半島の征服により知られるようになった。この名称はおそらくもっと古く、インド・ヨーロッパ祖語語根英語版の水を意味するwe-r- [8]スラヴ祖語がルーツである黒を意味する varnイラン語群で野営地や要塞を意味する barvarからもたらされている可能性もある。

テオフォーヌによれば680年に第一次ブルガリア帝国の建国者であるアスパルフはドナウデルタ近くでコンスタンティノス4世の一軍団を敗北させた後、追跡し続けヴァルナと称するオデソス近くに達しった。おそらく、最初にヴァルナの新しい名称が使われたのは近隣の川や湖、ローマ人の野営地や島などで街の名称として使われたのは後のことである。10世紀後半、ヴァルナの名称はしっかりと確立したがブルガリア人から970年代にビザンティンに支配が戻った時も古代のオデソスを使うよりもヴァルナの名称が使われた。681年のビザンティン帝国との和平条約により新しいブルガリアの国が建国され一時的にドナウ以南のブルガリアの最初の首都とされた。ことによると、古代の都市はヴァルナ湖の北岸近くユスティ二アヌス1世によりテオドリアス(Θεοδωριάς/Theodorias)と名付けられた場所で、70km西のプリスカ (ブルガリア) へ移動する以前に置かれた。[9]

要塞化されたアスパルクはヴァルナ川低地のおそらくビザンティンの上陸を阻止する為のもので、アスパルホヴォの壁(Asparuhov val)は今でも残されている。多くの7世紀のブルガール人の集落が市内やさらに西側で発見されており、ヴァルナ湖の北岸にはすべての地域でもっとも多くのブルガール人が密集して住んでいた。アスパルクは重要なローマの軍の野営地(campus tribunalis)でユスティ二アヌス1世によりオデソスの外に設けられ下モエシアやスキュティアを治める中心であったと考えられる。

中世

中世の間、ビザンティンとブルガリアとの間で支配が幾度となく変わった。9世紀後半から10世紀前半にかけてのヴァルナはボリス1世により与えられた修道院のプレスラフ文学校英語版の重要な写字室が置かれていた。写字室はキュリロスメトディオスのある弟子の教えの下、ブルガリア人の学者がキリル文字を発達させるのに鍵となる役割を演じたかもしれない。考古学者のカレル・シュコルピル英語版はボリス1世がそこに埋葬されていることを示唆している。ギリシャのトラキア人やローマ人、同様に東のアルメニアやシリア、ペルシャの特徴で合わさった文化によりユスティニアヌス1世統治下のオデソス周辺は発達し、それらの文化は第一次ブルガリア帝国のプリスカ・プレスラフ文化に影響を与えた可能性があり表面上は建築や人工的な装飾芸術で、ことによるとキリルの学問を含む文学なども含まれる。1201年、カロヤン・アセン攻城塔を使用して、聖土曜日にビザンティンの下にあったヴァルナ要塞を占領し、第二次ブルガリア帝国を確実なものとした。

13世紀後半の1261年に軍事同盟であるニンファエム条約がミカエル8世パレオロゴスジェノヴァ共和国の間に結ばれ、黒海からジェノヴァにかけての通商が開かれヴァルナはジェノヴァや後のヴェネツィア共和国ラグーサ共和国などの商船がやってくる商港都市として繁栄した。二つの海の共和国は領事館や国外居住者の居留地を有しており、ラグーサの商人の港での活動はプロヴァディヤ近くの居留地から17世紀まで残っていた。街には両側に二つの城塞とカストリツィ(Kastritsi)とガラタ(Galata)の小さな商港があり、それらは互いの視界内にあり湖やマグリズ(Maglizh)、ペトリチ(Petrich)を見下ろす二つの要塞により保護されていた。

小麦や動物の皮、蜂蜜、 蝋、ワイン、材木、他に地元の農産品をイタリアやコンスタンティノープルの市場へ主に輸出し、地中海の食品や贅沢品を輸入していた。ヴァルナでは自らの通貨制度を導入しヴァルナ・ヒュペルピュロン と呼ばれる貨幣が14世紀半ば頃から流通し、ブルガリアとヴェネチアの為替レートは条約により固定されていた。質の高い宝石加工や陶器、皮革、食品加工や他の手工業が栄え、カムチヤ川 英語版河口では造船業が発達した。

14世紀、イタリア人の羅針儀海図ではヴァルナはおそらくコンスタンティノープルとドナウデルタの間の重要な港であることを示し彼らは大抵はザゴレ英語版と表示していた。ヴァルナは不運にもサヴォワアメデーオ6世英語版より包囲され1366年にブルガリアの要塞は南側のガラタを含め攻略された。1386年、ヴァルナは一時的にドブロジャ専制公英語版の首都になり1389年にはオスマン帝国に支配され、1413年からおそらく1444年まで一時的にマヌエル2世パレオロゴスに譲渡されたり、1414年にクリミア・タタール人に略奪された。

ヴァルナの戦い

1444年のヴァルナの戦いの記念物は古代トラキア人の墓地の中に刻まれている。

1444年11月10日、ヨーロッパの十字軍の歴史でも最後の最大規模の戦いが城壁の外側で行われた。オスマン帝国はヴワディスワフ3世率いる2万の十字軍戦士を敗走させ[10] 、コンスタンティノープルへ出帆するため港に集まった。キリスト教徒の軍は55,000から60,000のスルターンムラト2世が率いる数では勝ったオスマンの軍に攻撃された。ヴワディスワフ3世はスルタンを捕らえるため、大胆な試みにより殺されてしまうがWarneńczykのニックネームを得る。(ハンガリー語では Várnai Ulászló、ラテン語ではLadislaus Varnensisで知られる。)ヴァルナの十字軍の失敗は1453年にオスマン帝国によりコンスタンティノープルを陥落させられることを避けられず、ヴァルナや他のブルガリアの地域はオスマンに4世紀を超えてその支配下にあった。今日、ヴワディスワフ3世の慰霊碑がヴァルナにある。

オスマン支配後期

オスマン期の建築物

16-17世紀のオスマン支配期には主要な港、農業や交易、造船の中心であり都市としての重要性やブルガリア人の経済活動はそのまま維持されていた。ヴァルナではその後、ルセシュメンヒュペルピュロン と一緒に「四辺形の要塞」の一つが造られドブロジャは露土戦争により残りのブルガリアからは切り離されロシアに含まれた。ロシアは1773年に一時的に攻略し、1828年に再び攻略し後にヴァルナ包囲英語版が続いた。中世の要塞は完全に破壊された後、2年後にオスマン帝国に戻っている。

19世紀初期、多くの地元ギリシャ人は愛国的な組織であるフィリキ・エテリアに参加していた。ギリシャ独立戦争が1821年に勃発するとヴァルナでも革命的な活動が記録されている。この結果、ギリシャの国民運動に参加した地元の著名人はオスマン当局により処刑され、その間に他の者はギリシャに逃れ闘争を続けた。[11]

イギリスとフランスのロシアに対する軍事行動であるクリミア戦争(1854-1856)ではヴァルナは司令部や主要な海軍基地として使われ、多くの兵士がコレラで死亡し街は大火による破壊も経験している。イギリスとフランスの記念碑はコレラの犠牲者が埋葬された墓地に印されている。1866年、ブルガリア初の鉄道がヴァルナとドナウ畔のルセとを結びオスマンの首都であるコンスタンティノープルと中央ヨーロッパが結ばれることになった。その数年後にオリエントエクスプレスがこのルートを走るようになった。ヴァルナ港は主要な食糧供給とくに隣接する穀倉地帯である南ドブロジャからの小麦の供給とコンスタンティノープルや他の欧州の首都からの輸入の忙しいハブとして開発が進んだ。12の外国の領事館がヴァルナには開かれている。地元のブルガリア人はブルガリア再生運動英語版に参加し、ヴァシル・レフスキは秘密革命委員会を設置した。

現代まで

1897年のヴァルナ市街の地図
ファイル:Varna-garden-gruev3.JPG
シーガーデンの外にある1900年頃の邸宅

1878年にオスマントルコからブルガリアは解放され、当時街の人口は2万6千人でベルリン条約によりブルガリアへ譲渡された。ロシアの軍隊が7月27日に入城している。ヴァルナはその後、第一次バルカン戦争第一次世界大戦の前線都市となり、経済は悪い状況となり一時的(1913-1916、1919-1940)に農業の後背地である南ドブロジャからルーマニアは損失の影響を受けた。解放後の最初の数十年でほとんどのトルコ人やギリシャ人は街を出て行き、ブルガリア人が内陸やドブロジャ北部、ベッサラビア小アジア、その後マケドニアやトラキア東部、ドブロジャ南部から難民がやって来ており、続く第二次バルカン戦争や第一次世界大戦では民族の多様性はブルガリア人が多い状況になったものの、かなりの少数民族であるガガウズ人アルメニア人セファルディムの人々はその後数十年間残っている。 第二次世界大戦では1944年9月に赤軍が街を進駐し、ブルガリアで共産主義統治を確かなものにするのを助けている。

ヴァルナは初期の産業開発やブルガリア労働運動の中心で、ブルガリアでの重要な輸出港が設けられ主要な穀物産出やヴィティカルチャー 英語版(ブドウ栽培)の中心で首都ソフィア以外ではブルガリア国内で最古の高等教育機関の本拠が置かれている。また、国際的な祭典やイベントが多く行われ夏の離宮であるエフクシヌグラート英語版は今でも残り、ブルガリア政府の迎賓館や夏の演奏会などに使われている。ヴァルナが現代のような大規模な観光地として姿を現すようになるのは1950年代後半のことである。重工業や貿易のソ連のブームは1950年代から1970年代にかけて続いた。

1949年12月20日から1956年10月20日にかけてヴァルナの街の名称は共産主義政府によりソビエトの独裁者であったヨシフ・スターリンにちなみスターリンに改名されていた。[12] 1962年には第15回のチェス・オリンピアードが開かれている。1969年と1987年には新体操の世界チャンピオンシップの主催となった。1973年9月30日から10月4日にかけてはスポーツ宮殿においてオリンピックコングレスが開催されている。2019年にヴァルナは欧州文化首都になる。

経済

ヴァルナのビーチ
クルーズ船ターミナルやマリーナに転換予定のヴァルナ港東部
トルシェヴォ地区の新しいショッピングセンター

ヴァルナの経済はサービス産業を基盤とし61%の収益は商取引や観光から得ており、14%は製造業や交通、通信、6%は建設業によるものである。[13]金融業でもとくに銀行業や保険、投資マネージメント、不動産金融がブームとなっている。2008年12月時点での世界金融危機による景気後退は軽微であった。ヴァルナは汎ヨーロッパ交通回廊英語版8号線の東端に位置しており、ルセを経由して7号線や9号線と接続している。伝統的な主力産業は物流・輸送に関するものであり、ヴァルナ港やヴァルナ国際空港、ナヴィブルガル英語版のような古い商船会社や物流基地「ロジスティクス・パーク」[14]などがある。また造船や船舶の修繕などが海洋に関する産業が発展しており、スウェーデンを基盤とするオーシャニック・クリエーションズ英語版などの造船所が立地する。

2007年6月にEniガスプロムによってサウス・ストリームのプロジェクトが公表されたが、この計画では900 km (559 mi)の天然ガスのパイプラインによってロシアのジューブガ英語版から年間容量630億立方メートルがヴァルナへ送られ、近海のガラタ沖のガス田からさらにイタリアやオーストリアへと送られる。近隣の町であるベロスラフデヴニャとヴァルナはヴァルナ・デヴニャ工業団地英語版を構成しブルガリアでも最大の化学工場や火力発電所、製造設備を有する。その中にはヴァルナ火力発電所やSodi Devnyaが含まれており、これらは民主化以降のブルガリアの歴史上、最大級の民営化案件であった。また、電波航法機器や家電、セキュリティシステム、織物、服飾、飲料や食品、印刷などの工場が注目される。一部の使われなくなった工場施設は再開発され、以前のVAMOディーゼルエンジン工場はECEショッピングモールになり、ヴァルナビール醸造所はコンベンションセンターに置き換わった。

観光はヴァルナにとってもっとも重要な産業であり郊外の海辺のリゾートであるゴールデン・サンズЗлатни пясъци, Zlatni pyasatsi)やホリデークラブ・リビエラ、サニーデイ、聖コンスタンティン・エレナ英語版や他のリゾート地を合わせた宿泊受け入れ可能数は2005年現在60,000ベッドで毎年数百万人もの人が訪れる。2006年には474万人が訪れそのうち399万人は国外からであった。[15]リゾート地が国内外からかなり多くの投資を受けるようになったのは1990年代後半から21世紀に入ってからであり、環境的には適切で化学工場や他の重工業地帯からは離れた場所に位置している。ヴァルナはブルガリアでは唯一、国際的なクルーズ船の寄港地で2007年には30のクルーズ船の寄港が予定されていた。またメジャーな国際的なコンベンションやスパの中心である。2003-2008年の不動産ブームによってブルガリア国内では一番高い価格となり2007年秋には首都ソフィアを上回り、2009年4月現在でも保っていた。商業用の不動産ではメジャーな国際的なオフィスタワー計画の開発をしている。[16][17][18]

小売りにおいては国際的に大きな小売店を集めているだけでなく[19]、ヴァルナ発祥を誇るチェーン店がブルガリアの大きな都市に点在しておりスーパーマーケットチェーンのピカデリースーパー英語版やレストランチェーンのハッピー、薬局チェーンのサニタなどがある。2008年には3つの大きなショッピングモールが営業しており、さらに4つの様々な段階の計画がありヴァルナは国際的に魅力的なショッピングの目的地へと転換させている[20]

ヴァルナの経済はブルガリアの中でも好調であり急成長が続いており2007年の失業率は2.34%とブルガリア国内平均の三分の一の低さで賃金の中間値はソフィアやブルガス並みに高い。[21]多くのブルガリア人はヴァルナを好況にわく町と見なしており、なかにはソフィアやプロヴディフから移住したり、または西側諸国から戻って来る者もいる。しかし、ほとんどはドブリチやシュメンなどの近隣地域からヴァルナへ移って来ている。

2004年9月のFinancial Times Business Ltd publicationが出版するビジネス誌FDi magazineは戦略的な地理や急成長する経済、豊かな文化遺産、高い教育水準などからヴァルナを南東ヨーロッパで将来性がある都市と公言している[22] 。また2007年4月には スタンダード&プアーズはヴァルナの格付けを引き上げている。[15] 2007年12月と2008年10月にヴァルナはブルガリアで一番生活するのに適した都市に選ばれている。[23]

統計

最初の人口の資料は17世紀半ばに遡り、当時の町の人口は4,000人程度であったと考えられる。[24] その後、1878年にトルコから解放されると1881年に最初の人口統計調査が行われ24,555人を数え[25]、これは当時の大ブルガリア公国ではルセの26,156人に次ぐ2番目の規模であった。ブルガリアの統一英語版により、ヴァルナはブルガリアで3番目に大きな都市となった。このポジションは首位や4位の都市が入れ替わる中120年間維持されている。

2006年12月以来、ブルガリア国営テレビ英語版、国営新聞、調査会社、首長府、地元警察など様々な情報筋からヴァルナの人口は50万人を超え、現在ブルガリアでは2番目に大きな都市であると言われている。[26][27]しかしながら、公式の統計であるGRAONSIはこの宣言は裏付けていない。

2008年に副市長ヴェネリン・ゼチェフ(Venelin Zhechev)は実際の人口は650,000人と推計している。[28]2008年12月に市長のキリル・ヨルダノフ英語版は実際の常住人口は970,000人[29]であるとし、そのうちの60%は住民登録されていない人々である。2009年1月にフィナンシャル・タイムズは現在ヴァルナには毎年約3万人の新しい住民を引き寄せていると述べている。[30]

今日、ヴァルナ市の人口は334,870人でブルガリアでは3番目に大きな都市である。基礎自治体全体では343,704人、都市圏人口(ヴァルナ自治体、隣接するアクサコフォ、アヴレン、ベロスラフ、デヴニャ自治体。隣接するドブリチ州の部分は除く。)は公式の推計人口は475,000人[31] である。ここではヴァルナ=デヴニャ=プロヴァディヤアグロメーションはヴァルナ都市圏と同一とは見なされていない。ヴァルナはブルガリアでは数少ない人口の自然増を誇っており(2009年は出生数6,300に対して死亡数3,600[32])、新しい小児医療センターが開かれている。[33]

1887 1910 1934 1946 1956 1965 1975 1985 1992 2001 2005 2009 2011 出典
25,256 41,419 69,563 76,954 120,345 180,633 253,039 302,816 308,601 312,889 312,026 320,837 334,870 [2][34][35][36][37][38]

民族構成

ヴァルナで多数派を占める民族はブルガリア人でヴァルナ自治体では92.5%を占めている。[39]トルコ人は伝統的に2番目の位置を占め、2009年には自治体人口の3.8%を占めている。ロシア人や他の最近のロシア語話者の移民は20,000人を超え、おそらくそれ以上に多い。それに匹敵する数のロマがおり、そのほとんどがマクスダ、ロゾヴォ、ドリナのアスパルホヴォの3つの貧しい地区やチェンゲネ・クラ、ヴラディスラヴォヴォの地区に住んでいる。ヴァルナではいくつかのロマの差別撤廃のプログラムを率先している。アルメニア人やギリシャ人、ユダヤ人、他の昔から居る民族は現在でもはるかに少ない人口で存在し、これに近年新たにアジア系やアフリカ系の移民や企業の駐在員が増加している。

行政

ファイル:Kaloyan Varna.jpg
カロヤン・アセンの像

ヴァルナ基礎自治体(Община Варнаはヴァルナ市と5つの郊外の町村(カメナルКаменар・カザシュコ Казашко・コンスタンティノヴォ Константиново・トポリ Тополи・ズヴェズディツァЗвездица)に分かれており、公共交通機関の運営も行われている。ヴァルナは地域の司法機関の中心でもある。[40]

市長

基礎自治体の首長は市長(кмет)である。共産党により一党独裁時代が終わった1990年以降、ヴァルナは3人の市長が担って来た。1990-91年が民主勢力同盟(SDS)のヴォイノ・ヴォイノフ(Voyno Voynov)、1991-1999年がSDSのヒリスト・キルツェフ(Hristo Kirchev)、1999年から現在まではSDSのキリル・ヨルダノフが就いている。ヨルダノフは2007年に再選され現在3期目である。[41]

政治

2009年1月現在の市議会(общински съвет)は51議席で、中道左派のブルガリア社会党(BSP)が9議席、中道右派のヨーロッパ発展のためのブルガリア市民(GERB)が9議席、Dvizhenie Nashiyat Grad(市長を支持する地元グループ)が6議席、Red, Zakonnost i Spravedlivost「秩序、法の支配、司法」が5議席、権利と自由運動(DPS)が4議席、民主勢力同盟と強いブルガリア民主党英語版(DSB)、 と他の中道右派政党の3議席の連立、他のグループや無所属が15席を占める。ブルガリア社会党のボリスラフ・グツァノフが議長である。[42]

ヴァルナで大きな政党はBSP、GERB、SDS、安定と進歩のための国民運動英語版(NDSV) 、これら4政党以外にDSB、ブルガリア民主党、内部マケドニア革命組織(IMRO, VMRO)、アタカ国民連合なども活動している。SDSは2009年に地元リーダーの息子の学生が若い女性に対して残忍な殺人を犯したことによって打撃を受けている。地元の経済界は全国的な傾向を背景に最近の地方選のために政党を組織している。

領事館

ヴァルナにはチェコ、フランス、ドイツ、ハンガリー、イタリア、マルタ、ポーランド、ロシア、スロバキア、スウェーデン、ウクライナ、イギリスなど欧州各国の領事館が置かれている。[43]

行政区

ヴァルナ基礎自治体(Община Варна)の域内には6つの町村(集落)がある。また、ヴァルナは5つの区に分かれている。区(ラヨンРайон (градско подразделение) / rayon)は基礎自治体(Община / Obshtina)より更に下位の行政区分である。町村(градсело)は集落自然村)のことであり、行政単位ではない。アスパルホヴォムラドストオデソス(歴史的な中心地)、プリモルスキ(行政区では最大の人口102,000人でリゾート地を含み市北部の中心)、ヴラディスラフ・ヴァルネンチクにそれぞれ分かれておりこれらの地区にも様々な地域があり独特な特徴や歴史が含まれている。[44] 村落には村長か代理官(кметски наместник)などが置かれている。

ヴァルナ行政区や地域
地区 キリル文字 行政区 人口
ヴラディスラフ・ヴァルネンチク Владислав Варненчик ヴラディスラフ・ヴァルネンチク 48,740
Kaisieva Gradina Кайсиева Градина ヴラディスラフ・ヴァルネンチク 48,740
Troshevo Трошево ムラドスト 87,256
ムラドスト Младост ムラドスト 87,256
Chayka Чайка プリモルスキ 105,340
Central Център オデソス 82,784
アスパルホヴォ Аспарухово アスパルホヴォ 27,178
Vinitsa Виница プリモルスキ 105,340
Golden Sands Златни пясъци プリモルスキ 105,340
Hristo Botev Христо Ботев オデソス 82,784
Galata Галата アスパルホヴォ 27,178
Vazrazhdane Възраждане ムラドスト 87,256
Pobeda Победа ムラドスト 87,256
Zapadna Promishlena Западна промишлена зона ムラドスト 87,256

みどころ

ヴァルナのランドマークにはヴァルナ考古学博物館英語版ヴァルナ・ネクロポリス英語版(黄金のヴァルナ)、ヴァルナの戦い公園博物館、イタリア様式のVilla Assareto内にある海軍博物館に展示されている博物館船ドルースキ、オスマン期の地元の都市住民や漁師、19世紀後半から20世紀初めにかけての農民の暮らしぶりの特徴を組み合わせた民俗誌博物館などが含まれる。

シーガーデンはヴァルナでは一番古くおそらく街で一番大きな公園で、国際的なバレー競技会やオペラ公園、コンサートなどが行われる野外劇場、1932年に開館したヴァルナ水族館英語版、1984年に開館した Festa Dolphinarium (イルカ水族館)、自然史博物館、テラリウム、動物園、子供用の遊技施設、池やボートハウスなど様々な施設が含まれる。国家再生の小道にはブルガリアの著名人の銅像が飾られ、宇宙飛行士の小道にはユーリイ・ガガーリンや他のソビエトやブルガリアの宇宙飛行士が植樹した木が含まれる。ガーデンはブルガリアの国の景観建築のモニュメントでバルカンでは最大の美しい公園とも言われる。

海沿いの遊歩道にはビーチクラブが活気に満ちたロックシーンやヒップホップ、ブルガリアンやアメリカンポッポ、テクノ、チャルガなどを売り物にしている。2006年10月にインデペンデント紙はヴァルナを「欧州の新しいファンキーな街、ブルガリアの上質な時間の中心地」としている。[45] ヴァルナは全国的なロックやヒップホップ、ワールドミュージック、他のアーティストやクラブ、それらに関連したジュライ・モーニング英語版、国際的なロックやヒップホップ、グラフィティ[46]などのイベントにより評価を享受している。

街の海岸は海浴場(морски бани, morski bani)として知られ55℃の硫黄泉の源泉が点在し、温泉や水泳プール公共のシャワーに使われ小さなマリーナが立地している。これに、長さ 2.05 km (1.27 mi) 高さ 52 m (171 ft) のアスパルホフ橋はバンジージャンプの人気スポットになっている。郊外にはエフクシヌグラート宮殿英語版や公園、ワイナリーソフィア大学の植物園(Ecopark Varna)、ポビティ・カマニ英語版の奇岩、中世の洞窟修道院であるアラジャ修道院英語版がある。

建築

1878年当時のヴァルナはオスマンの都市でほとんどが木造の建物で黒海沿岸の典型的なスタイルで狭い通りを満たしていた。[47][48]堀と装飾された鉄門、両側に建つ塔、ヴァルナの川を横切るアーチ状の石橋に1830年代に修復された周辺の石壁が囲んでいた。今日、この名残は僅かに残されているだけで、街の中心は19世紀から20世紀初めにブルガリアの中産階級の発生により西洋型のネオ・ルネサンス、ネオ・バロック、アール・ヌーヴォーアール・デコとなっている。所有権が1989年に復帰すると建物の多くは改装された。

取り壊された城壁からの石造りの部分は大聖堂と2つのエリート高校、新しい大通りの舗装材に使われている。中産階級は実用的なタウンハウスや戸建ての建物を建築している。洗練された大邸宅は主要な大通りや街の北部のブドウ畑に面してた建てられた。少数の労働者階級も郊外に現れ、1910年代の戦争難民もまた都市の周辺の同じような貧しい活気ある地区に居住している。

1960年代から1980年代初期の間の急速な都市化により大規模な住宅団地が以前の小規模なブドウ畑や農地に広がり、都市の人口は3倍になった。ビーチリゾートの多くはほとんどが画一的な現代的なスタイルだったが、最近の手間をかけた刷新によりある程度変わって来ている。他のブルガリアの黒海沿岸のように行き過ぎた観光開発が行われること無く、多くの緑地は保護されており古い街の中心や周辺部の建物の造りかえが始まっている。[49][50]

スポーツ

公営運動場
公営プール

サッカーはヴァルナにおいては最大の観衆を集めるスポーツで、2つの競合クラブがありブルガリアプロサッカーリーグのクラブチームであるPFCチェルノ・モレ・ヴァルナ(ザ・セイラーズ)は1913年に設立され、4度にわたりナショナル・チャンピオンに輝き1925年の最初のチャンピオンシップも含まれる。PFC スパルタク・ヴァルナ英語版(ザ・ファルコンズ)は1918年に創設され一度だけチャンピオンになっている他、UEFAカップウィナーズカップ1983では2回戦でマンチェスター・ユナイテッドと対戦し敗れている。

ヴァルナは19世紀後半にブルガリアサッカーの誕生した地と考えられており、スイスの体育教師ジョルジュ・ドゥ・レジブス英語版が最初の男子高校サッカーの代表チームを監督している。2007年2月にヴァルナ市では1950年代の古くなった公営のユーリイ・ガガーリンスタジアム英語版を新しいUEFAFIFAの水準を満たす競技場に換えることを決定した。[51] 新ヴァルナスタジアム英語版は客席数30,000人でコンサート開催時には立ち席を含め40,000人の収容人員になる。他の国営の陸上競技施設は5,000人の収容人員とプロと公共のトレーニングホールを備えムラドスト地区に失われた古いヴァルナスタジアムの運動場とトラックを補償するために2009年に開設された。[52]

男子バスケットボール (Euroins Cherno Moreなど)や女子バレーボール、体操、ボクシング、武道、セーリングなども盛んである。ガラタ岬からヴァルナにかけての4.5 km (2.8 mi)のスイミングマラソンはポピュラーな会場となっている。ヴァルナでは国際的な競技大会や国内大会が行われており、その中にはオートレースやモトクロスも含まれている。ブルガリアのナショナルバスケットボールチームやバレーボールチームの試合がヴァルナでは行われており、その中にはバレーボールワールドカップも含まれブルガリアでは最大のアリーナである1968年に完成した文化・スポーツ宮殿(Дворец на културата и спорта)で開催されている。 2011年現在では3つの18ホールを備えたプロ水準のゴルフ場がヴァルナの北部バルチクカヴァルナに近接する地域に建設されている。これらにはThracian CliffsLighthouse GolfBlack Sea Ramaが含まれる。市の南にはアヴレンゴルフクラブ[53]は2012/2013年の間に完成する。 カートレーシングトラックや競馬場、乗馬学校などがヴィニツァ地区にある。

2007年8月にサッカー場やバスケットボール、バレーボールの競技施設を備えた新しい自治体の新しいスポーツ複合施設がオープンし、ムラドストのミニゴルフやテニス、バイクレーン、小さな湖、アイススケートリンクは大きな複合施設の一部である。小さな自治体の運動場はシーガーデン、アスパルホフ・ヴァル公園など各所に開かれオリンピック規格のスイミングプール施設が2007年に再建されている。シーガーデンと最西部の住宅地を結ぶ自転車レーンの最初の部分が完成している。[54]最近ではクリケットも行われるようになっている。

姉妹都市

ヴァルナの姉妹都市は次の通りである。


関連項目

ギャラリー

脚注

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  2. ^ a b National Statistical Institute – Main Towns Census 2011 -in Bulgarian[リンク切れ]
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外部リンク

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