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'''世界遺産'''(せかいいさん World Heritage)とは、[[1972年]]の[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」([[世界遺産条約]])に基づいて'''世界遺産リスト'''に登録された[[遺跡]][[景観]]そして[[自然]]など、[[人類]]が共有すべき「顕著な普遍的価値」(Outstanding universal value)をもつ[[不動産]]を指す
'''世界遺産'''(せかいいさんは、[[1972年]]の[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]総会で採択された「[[世界遺産条約|世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約]]」(世界遺産条約)に基づいて'''世界遺産リスト'''に登録された[[遺跡]][[景観]][[自然]]など、[[人類]]が共有すべき「顕著な普遍的価値」をもつ物件のことで、移動が不可能な[[不動産]]やそれに準ずるものが対象となっている

== 歴史 ==
[[ファイル:AbuSimbelTempleEgypt RamsisFront 2007jan9-39 byDanielCsorfoly.JPG|thumb|アブ・シンベル神殿]]
[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の設立後、1954年に[[ハーグ条約]]が採択され、武力紛争の際にも[[文化財]]などに対する破壊行為を行うべきでないことが打ち出された。

[[1960年]]、[[エジプト]]政府が[[ナイル川]]流域に[[アスワン・ハイ・ダム]]を建設し始めた。この[[ダム]]が完成した場合、[[ヌビア遺跡]]が水没することが懸念された。これを受けて、ユネスコが、'''ヌビア水没遺跡救済キャンペーン'''を開始。世界の60ヶ国の援助をもとに技術支援、[[考古学]]調査支援などが行われ、ヌビア遺跡内の[[アブ・シンベル神殿]]の移築が実現した。これがきっかけとなり、開発から[[歴史]]的価値のある遺跡や建築物等を国際的な組織運営で守ろうという機運がうまれた。

1965年には関連する国際組織である[[国際記念物遺跡会議]]が発足した<ref>このあたりの流れは、世界遺産の概説書の多くで触れられている。世界遺産アカデミー (2010) など。</ref>。

他方、[[アメリカ合衆国]]ではホワイトハウス国際協力協議会自然資源委員会が1965年に「世界遺産トラスト」を提唱し、優れた自然を護る国際的な枠組みが模索されており、[[リチャード・ニクソン]]大統領も1971年の教書において、1972年までに具体化することをはっきりと打ち出した。1972年はアメリカで[[国立公園]]制度が生まれてから100周年に当たる<ref>ルーカス (1998) pp.22-23</ref>。

それら二つの流れが1972年の[[国連人間環境会議]]で一つにまとまった結果、同年[[11月16日]]、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、'''世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約'''([[世界遺産条約]])が満場一致で成立した。翌年[[アメリカ合衆国]]が第1番目に批准、締結し、20ヶ国が条約締結した[[1975年]]に正式に発効した。

[[1978年]]の第2回[[世界遺産委員会]]で、アメリカの[[イエローストーン]]や[[エクアドル]]の[[ガラパゴス諸島]]など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、第1号の世界遺産リスト登録を果たした。

[[日本国|日本]]は、[[先進国]]では最後の[[1992年]]に世界遺産条約を[[批准]]し、同年の6月30日に125番目の締約国となった(日本についての発効は同年9月30日)<ref>古田 (2010) p.24</ref>。なお、現在のリストでは124番目となっているが、これは日本の締約後に[[ユーゴスラビア]]解体によって繰り上がったことによる。日本の参加が他の国と比べて遅れたのは、国内での態勢が未整備だったためとされるが、他方で[[世界遺産基金]]の分担金拠出などに関する議論が決着しなかったためとも指摘されている<ref>伊東孝『日本の近代化遺産』岩波新書、2000年、p.30</ref>。

[[2010年]]現在の条約締約国は187か国である。


== 分類 ==
== 分類 ==
=== 公式上の分類 ===
世界遺産はその内容によって以下の三種類に大別される<ref>文化遺産は世界遺産条約第1条、自然遺産は同第2条に規定されている。複合遺産は「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下単に「作業指針」)第46項で定義付けられている。</ref>
世界遺産はその内容によって以下の三種類に大別される<ref>文化遺産は世界遺産条約第1条、自然遺産は同第2条に規定されている。複合遺産は「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下単に「作業指針」)第46項で定義付けられている。</ref>。
;[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]
;[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]
:顕著な普遍的価値をもつ建築物や遺跡など。
:顕著な普遍的価値をもつ建築物や遺跡など。
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また、内容上の分類ではないが、後世に残すことが難しくなっているか、その強い懸念が存在する場合には、該当する物件は'''[[危機にさらされている世界遺産]]リスト'''(危機遺産リスト)に加えられ、別途保存や修復のための配慮がなされる事になっている<ref>世界遺産条約第11条4項、「作業指針」第177項 - 第191項。</ref>。
また、内容上の分類ではないが、後世に残すことが難しくなっているか、その強い懸念が存在する場合には、該当する物件は'''[[危機にさらされている世界遺産]]リスト'''(危機遺産リスト)に加えられ、別途保存や修復のための配慮がなされる事になっている<ref>世界遺産条約第11条4項、「作業指針」第177項 - 第191項。</ref>。
== 歴史 ==
[[ファイル:AbuSimbelTempleEgypt RamsisFront 2007jan9-39 byDanielCsorfoly.JPG|thumb|アブ・シンベル神殿]]
[[1960年代]]、[[エジプト]]の[[ナイル川]]流域に[[アスワン・ハイ・ダム]]を建設する計画が持ち上がった。この[[ダム]]が完成した場合、[[ヌビア遺跡]]が水没することが懸念された。これを受けて、ユネスコが、'''ヌビア水没遺跡救済キャンペーン'''を開始。世界の60ヶ国の援助により、技術支援、[[考古学]]調査支援などが行われた。ヌビア遺跡内の[[アブ・シンベル神殿]]の移築が行われ、これがきっかけとなり、開発から[[歴史]]的価値のある遺跡、建築物、自然等を国際的な組織運営で守ろうという機運がうまれた。


なお、後述するように、[[無形文化遺産]]は世界遺産条約の対象ではない。
1972年[[11月16日]]、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、'''世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約'''(世界遺産条約)が満場一致で成立。[[1973年]]、[[アメリカ合衆国]]が第1番目に批准、締結。20ヶ国が条約締結した[[1975年]]に正式に発効した。


=== 非公式な分類 ===
[[1978年]]に、アメリカの[[イエローストーン]]や、[[エクアドル]]の[[ガラパゴス諸島]]など12件(自然遺産4、文化遺産8)が第1号の世界遺産リスト登録を果たす。
世界遺産には、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]、[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]、あるいは文化遺産の中での[[文化的景観]]や[[産業遺産]]など、世界遺産センターや[[国際記念物遺跡会議|ICOMOS]]によって公式に認められた分類とは別に、非公式に使われている分類もある。


==== 負の世界遺産 ====
日本は、[[先進国]]では最後の[[1992年]]に世界遺産条約を[[批准]]し、同年の9月に125番目の加盟国となった。日本の加盟が他の国と比べて遅れたのは、[[文化財保護法]]や世界遺産基金の問題が絡んでいたためである<ref>http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q108818940</ref>。
[[ファイル:Auschwitz_I_entrance_snow.jpg|thumb|アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。登録の際に、類似の案件は二度と登録しないことが決議された。]]
{{main|負の世界遺産}}
平和の希求や人種差別の撤廃などを訴えていく上で重要な物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名「負の世界遺産」(負の遺産)と呼ばれている。


負の遺産としてしばしば挙げられるのは、[[原爆ドーム]]、[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]、[[奴隷貿易]]の拠点であった[[ゴレ島]]、[[マンデラ]]大統領が幽閉された島[[ロベン島]]<ref>『世界遺産年報2002』pp.58-59と世界遺産アカデミー『世界遺産学検定(1)』講談社、2005年、p.10は、いずれも以上4件のみを「負の遺産」として例示している。</ref>。このほか、2010年に登録された[[ビキニ環礁|ビキニ環礁の核実験場]]も、登録された際には負の遺産として報じられた<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201008010235.html ビキニ環礁が世界遺産に 核実験の被害語る「負の遺産」](朝日新聞2010年8月1日)</ref>。
[[2010年]]現在の条約締約国は187か国である。

==== 裏世界遺産 ====
裏世界遺産とは、[[世界遺産委員会]]などでの審議の結果、登録が見送られた物件を指す。もともとインターネット上の私的なサイト<ref>[http://homepage1.nifty.com/uraisan/index.html 世界遺産資料館]</ref>で打ち出された概念だが、公刊された文献でも取り上げているものが複数ある<ref>『地球の歩き方MOOK 見て読んで旅する世界遺産』ダイヤモンド・ビッグ社、2002年、pp.142-143「裏世界遺産から、世界遺産の真価を読む」; 佐滝 (2006) pp.204-206「『裏世界遺産』」</ref>。


== 世界遺産リスト登録手続きと登録後の保全 ==
== 世界遺産リスト登録手続きと登録後の保全 ==
世界遺産リスト登録に必要となる前提、審査の流れ、登録後の保全状況報告などは、「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下「作業指針」)<ref>1977年の制定以降、頻繁な改定が行われているが、この記事で用いられているのは2005年改訂版である。</ref>で規定されている。
世界遺産リスト登録に必要となる前提、審査の流れ、登録後の保全状況報告などは、「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下「作業指針」)<ref>1977年の制定以降、頻繁な改定が行われているが、この記事で用いられているのは2005年改訂版である。</ref>で規定されている。


=== 登録までの流れ ===
登録までの流れを図示すると以下のようになる。

{| cellspacing=3 cellpadding=0 style="margin:0 auto;text-align:center;"
{| cellspacing=3 cellpadding=0 style="margin:0 auto;text-align:center;"
| colspan="2" style="padding:5px;background:#f9f9f9;border:1px solid gray;" | 登録を求める地域の担当政府機関が候補地推薦・暫定リスト提出
| colspan="2" style="padding:5px;background:#f9f9f9;border:1px solid gray;" | 登録を求める地域の担当政府機関が候補地推薦・暫定リスト提出
38行目: 61行目:
| ↓
| ↓
|-
|-
| style="padding:5px;background:#f9f9f9;border:1px solid gray;" | 文化遺産候補は[[国際記念物遺跡会議]](ICOMOS)が現地調査し報告。<small>文化的景観に関しては、IUCNとも協議が行われる場合がある。<ref>「作業指針」第146項</ref></small>
| style="padding:5px;background:#f9f9f9;border:1px solid gray;" | 文化遺産候補は[[国際記念物遺跡会議]](ICOMOS)が現地調査し報告。<br /><small>文化的景観に関しては、IUCNとも協議が行われる場合がある。<ref>「作業指針」第146項</ref></small>
| style="padding:5px;background:#f9f9f9;border:1px solid gray;" | 自然遺産候補は[[国際自然保護連合]](IUCN)が現地調査し報告
| style="padding:5px;background:#f9f9f9;border:1px solid gray;" | 自然遺産候補は[[国際自然保護連合]](IUCN)が現地調査し報告
|-
|-
55行目: 78行目:
|}
|}


=== 前提条件 ===
=== 登録対象 ===
登録される物件は[[不動産]]、つまり移動が不可能な土地や建造物に限られる。そのため、例えば寺院が世界遺産になっている場合でも、中に安置されている[[仏像]]などの美術品([[動産]])は、通常は世界遺産登録対象とはならない。ただし、[[東大寺大仏]]のように移動が困難と認められる場合には、世界遺産登録対象となっている場合がある<ref>世界遺産アカデミー (2009a) p.11;佐滝 (2009) pp.108-109</ref>。このような対象の設定に対する限界が、のちの[[無形文化遺産]]の枠組みにつながったが<ref>松浦・西村 (2010) pp.19-21</ref>、この点は後述する。
登録されるためには、「顕著な普遍的価値」をもつことが前提となり、以下に示した世界遺産登録基準を、少なくとも1つは満たしていると判断される必要がある。

世界遺産に登録されるためには、後述する世界遺産登録基準を少なくとも1つは満たし、その「顕著な普遍的価値」を証明できる「完全性」と「真正性」を備えていると、[[世界遺産委員会]]から判断される必要がある。その際、同一の歴史や文化に属する場合や、生物学的・地質学的特質などに類似性が見られる場合に、「連続性のある資産」(シリアル・ノミネーション)としてひとまとめに登録することが認められている<ref>「作業指針」第137項</ref>。例えば、イギリスとドイツという国境を接しない2カ国の世界遺産である[[ローマ帝国の国境線]]や、10カ国の世界遺産である[[シュトルーヴェの測地弧]]などはその好例である。


[[ファイル:Gambaku_Dome_of_Hiroshima.jpg|thumb|[[原爆ドーム]]。登録の際には[[戦争遺跡]]は世界遺産条約の対象外とする米国などが反発した。]]
[[ファイル:Gambaku_Dome_of_Hiroshima.jpg|thumb|[[原爆ドーム]]。登録の際には[[戦争遺跡]]は世界遺産条約の対象外とする米国などが反発した。]]
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日本の場合、文化遺産候補は[[文化庁]]、自然遺産候補は[[環境省]]、[[林野庁]]が主に担当する。これに[[文部科学省]]、[[国土交通省]]などで構成される'''世界遺産条約関係省庁連絡会議'''で推薦物件が決定される。推薦物件は、暫定リストとして、[[外務省]]を通じユネスコに提出される。
日本の場合、文化遺産候補は[[文化庁]]、自然遺産候補は[[環境省]]、[[林野庁]]が主に担当する。これに[[文部科学省]]、[[国土交通省]]などで構成される'''世界遺産条約関係省庁連絡会議'''で推薦物件が決定される。推薦物件は、暫定リストとして、[[外務省]]を通じユネスコに提出される。


なお、世界遺産リストへの推薦は、各国の関係機関しか行うことは出来ない。ただし、[[危機にさらされている世界遺産|危機遺産]]リストへの登録の場合は、きちんとした根拠が示されれば、個人や団体からの申請であっても受理されることがある。
なお、世界遺産リストへの推薦は、各国の関係機関しか行うことは出来ない。ただし、[[危機にさらされている世界遺産|危機遺産]]リストへの登録の場合は、きちんとした根拠が示されれば、個人や団体からの申請であっても受理されることがある<ref>『世界遺産年報2001』p.42</ref>

=== 登録範囲 ===
世界遺産の登録に当たっては、登録物件の周囲に緩衝地域 (Buffer zone) が設けられることがしばしばである。ただし、それは「顕著な普遍的価値」を有するとは認められていない地域で、世界遺産登録地域ではない。

かつては、世界遺産そのものの登録地域を核心地域 (Core zone) と呼んでいたが、核心地域と緩衝地域がともに世界遺産登録地域であるかのように誤認されないために<ref>『世界遺産年報2009』p.40</ref>、2008年からは世界遺産そのものの登録地域は資産 (property) と呼んで、緩衝地域と明確に区別されるようになった。


=== 暫定リスト ===
=== 暫定リスト ===
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ただし、大[[地震]]で壊滅的損壊を蒙った[[アルゲ・バム|バムとその文化的景観]]([[2004年]]登録)のように、不測の事態によって緊急で登録する必要性が認められた場合には、「緊急登録推薦」に関する条項<ref>「作業指針」第161・162項</ref>に従い、暫定リスト登録を飛び越えて正式登録が認められる場合がある<ref>『世界遺産年報2008』p.45 etc</ref>。「緊急登録推薦」に関する条項はイラクの[[アッシュール]]([[2003年]])の時にも適用されている<ref>『世界遺産年報2004』p.50</ref>。
ただし、大[[地震]]で壊滅的損壊を蒙った[[アルゲ・バム|バムとその文化的景観]]([[2004年]]登録)のように、不測の事態によって緊急で登録する必要性が認められた場合には、「緊急登録推薦」に関する条項<ref>「作業指針」第161・162項</ref>に従い、暫定リスト登録を飛び越えて正式登録が認められる場合がある<ref>『世界遺産年報2008』p.45 etc</ref>。「緊急登録推薦」に関する条項はイラクの[[アッシュール]]([[2003年]])の時にも適用されている<ref>『世界遺産年報2004』p.50</ref>。


暫定リストは、あくまでも各国が1年から10年以内をめどに世界遺産委員会への登録申請を目指すもののリストであって<ref>『世界遺産年報』p.45</ref>、世界遺産委員会がその「顕著な普遍的価値」を認めたものではない。現在暫定リストに掲載されているものには、ICOMOSが登録延期を勧告し、既に一度世界遺産委員会で登録見送りが決議されたものもある。ただし、世界遺産委員会で「不登録」(後述)と決議されたものを、暫定リストに掲載し続けることは、原則として認められていない(不登録時と異なる評価基準に基づいて新規に推薦することは認められている)<ref>「作業指針」第68項、第158項</ref>。
暫定リストは、あくまでも各国が1年から10年以内をめどに世界遺産委員会への登録申請を目指すもののリストであって<ref>『世界遺産年報2008』p.45</ref>、世界遺産委員会がその「顕著な普遍的価値」を認めたものではない。現在暫定リストに掲載されているものには、ICOMOSが登録延期を勧告し、既に一度世界遺産委員会で登録見送りが決議されたものもある。ただし、世界遺産委員会で「不登録」(後述)と決議されたものを、暫定リストに掲載し続けることは、原則として認められていない(不登録時と異なる評価基準に基づいて新規に推薦することは認められている)<ref>「作業指針」第68項、第158項</ref>。


世界遺産委員会は、条約締結各国に対して、暫定リストへの掲載に当たっては、その遺産の「顕著な普遍的価値」を厳格に吟味することや、保護活動が適正に行われていることを十分示すように求めている。また、委員会は、暫定リスト作成では、まだ登録されていないような種類の物件に光を当てることや、世界遺産を多く抱える国は極力暫定リストを絞り込むことなどを呼びかけており、後述の「登録物件の偏り」を是正するための一助とすることを企図している<ref>「作業指針」第59・60項、『世界遺産年報2001』p.55 etc.</ref>。
世界遺産委員会は、条約締結各国に対して、暫定リストへの掲載に当たっては、その遺産の「顕著な普遍的価値」を厳格に吟味することや、保護活動が適正に行われていることを十分示すように求めている。また、委員会は、暫定リスト作成では、まだ登録されていないような種類の物件に光を当てることや、世界遺産を多く抱える国は極力暫定リストを絞り込むことなどを呼びかけており、後述の「登録物件の偏り」を是正するための一助とすることを企図している<ref>「作業指針」第59・60項、『世界遺産年報2001』p.55 etc.</ref>。
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世界遺産委員会は、推薦された物件について審査を行い、「'''登録'''」「'''情報照会'''」「'''登録延期'''」「'''不登録'''」のいずれかの決議を行う<ref>「作業指針」第153-160項</ref>。「情報照会」の場合、期日までに追加書類の提出を行えば、翌年の世界遺産委員会で再審査を受ける事ができる。より踏み込んだ再検討が必要な場合は「登録延期」と決議される。この場合、必要な書類の再提出を行った上で、諮問機関の再調査を受ける必要があるため、世界遺産委員会での再審査は、早くとも翌々年以降になる。
世界遺産委員会は、推薦された物件について審査を行い、「'''登録'''」「'''情報照会'''」「'''登録延期'''」「'''不登録'''」のいずれかの決議を行う<ref>「作業指針」第153-160項</ref>。「情報照会」の場合、期日までに追加書類の提出を行えば、翌年の世界遺産委員会で再審査を受ける事ができる。より踏み込んだ再検討が必要な場合は「登録延期」と決議される。この場合、必要な書類の再提出を行った上で、諮問機関の再調査を受ける必要があるため、世界遺産委員会での再審査は、早くとも翌々年以降になる。


「不登録」と決議された物件は原則として再度推薦する事ができない。
「不登録」と決議された物件は原則として再度推薦する事ができない。ただし、不登録となったものと異なる理由で再提案すること、例えば、自然遺産として不登録になった物件を文化遺産として再提出するなどは可能である


=== 保全状況の調査 ===
=== 保全状況の調査 ===
登録後、保全状況を6年ごとに報告し、世界遺産委員会での再審査を受ける必要がある。
登録後、保全状況を6年ごとに報告し、世界遺産委員会での再審査を受ける必要がある。

物件の保全に問題がある場合、[[危機にさらされている世界遺産]]リストに登録されることがある。また、2007年からは「強化モニタリング」(監視強化)という分類も登場し、危機遺産でなくとも監視が強められる場合が存在するようになった。強化モニタリング対象は危機遺産リスト登録物件と一部重複するが、2010年の第34回世界遺産委員会では36件について強化モニタリングが要請された<ref>古田 (2010) p.18</ref>。


=== 抹消 ===
=== 抹消 ===
世界遺産は、登録時に存在していた「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合、もしくは条件付で登録された物件についてその後条件が満たされなかった場合に、削除される事がある<ref>「作業指針」第192-198項</ref>。初めて抹消されたのは、[[2007年]]の[[アラビアオリックスの保護区]]([[オマーン]])である。この物件は元々保護計画の不備を理由とするIUCNの「登録延期」勧告を覆して登録された経緯があったが、計画が整備されるどころか保護区の大幅な縮小などの致命的悪化が確認されたことや、オマーン政府が開発優先の姿勢を明示した事から、抹消が決まった<ref>『世界遺産年報2008』p.38</ref>。[[2009年]]には[[ドレスデン・エルベ渓谷]]([[ドイツ]])が抹消されている。これは、景観を損ねる橋が建設されたことによるものである。
世界遺産は、登録時に存在していた「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合、もしくは条件付で登録された物件についてその後条件が満たされなかった場合に、削除される事がある<ref>「作業指針」第192-198項</ref>。初めて抹消されたのは、[[2007年]]の[[アラビアオリックスの保護区]]([[オマーン]])である。この物件は元々保護計画の不備を理由とするIUCNの「登録延期」勧告を覆して登録された経緯があったが、計画が整備されるどころか保護区の大幅な縮小などの致命的悪化が確認されたことや、オマーン政府が開発優先の姿勢を明示した事から、抹消が決まった<ref>『世界遺産年報2008』p.38</ref>。[[2009年]]には[[ドレスデン・エルベ渓谷]]([[ドイツ]])が抹消されている。これは、景観を損ねる橋が建設されたことによるものである。


== 世界遺産登録基準 ==
== 顕著な普遍的価値とその評価基準 ==
すでに述べたように、世界遺産となるためには、「顕著な普遍的価値」(Outstanding Universal Value, 関連文献では OUV と略されることもある)を有している必要がある。しかし、世界遺産条約では「顕著な普遍的価値」自体を定義していない。その当否を検討するための基準が10項目からなる世界遺産登録基準である<ref>ref. 河上 (2008) p.3</ref>。

世界遺産はその基準を満たした「最上の代表」(representative of the best)が選ばれるとされる。自然遺産については「最上の最上」(The best of the best)が選ばれるとされたこともあったが、「最上の代表」を選ぶ方向に推移してきた<ref>河上 (2008) p.6</ref>。

=== 世界遺産登録基準 ===
<!--- この節は世界遺産の各記事から[[世界遺産#世界遺産登録基準|登録基準]]としてリンクされています。節名変更の際はリンクに注意を!! --->
<!--- この節は世界遺産の各記事から[[世界遺産#世界遺産登録基準|登録基準]]としてリンクされています。節名変更の際はリンクに注意を!! --->


世界遺産登録基準は、当初、文化遺産基準 (1) - (6)と自然遺産基準 (1) - (4)に分けられていた。しかし、2005年に2つの基準を統一することが決まり、2007年の第31回世界遺産委員会から適用されることになった。新基準の (1) - (6)は旧文化遺産基準 (1) - (6)に対応しており、新基準(7), (8), (9), (10)は順に旧自然遺産基準(3), (1), (2), (4)に対応している。このため、実質的には過去の物件に新基準を遡及適用させることが可能であり、現在の世界遺産センターの情報では、旧基準で登録された物件の登録基準も新基準で示している。
世界遺産登録基準は、当初、文化遺産基準 (1) - (6) と自然遺産基準 (1) - (4)に分けられていた。しかし、2005年に2つの基準を統一することが決まり、2007年の第31回世界遺産委員会から適用されることになった。新基準の (1) - (6) は旧文化遺産基準 (1) - (6) に対応しており、新基準 (7)(8)(9)(10) は順に旧自然遺産基準 (3)(1)(2)(4) に対応している。このため、実質的には過去の物件に新基準を遡及して適用ることが可能であり、現在の世界遺産センターの情報では、旧基準で登録された物件の登録基準も新基準で示している。


基準が統一された後も文化遺産と自然遺産の区分は存在し続けており、新基準 (1) - (6)の適用された物件が文化遺産、新基準 (7) - (10)の適用された物件が自然遺産、(1) - (6)のうち1つ以上と(7) - (10)のうち1つ以上の基準がそれぞれ適用された物件が複合遺産となっている。
基準が統一された後も文化遺産と自然遺産の区分は存在し続けており、新基準 (1) - (6) の適用された物件が文化遺産、新基準 (7) - (10) の適用された物件が自然遺産、(1) - (6) のうち1つ以上と (7) - (10) のうち1つ以上の基準がそれぞれ適用された物件が複合遺産となっている。


登録基準の内容は以下の通りである<ref>「作業指針」第77項</ref>。
登録基準の内容は以下の通りである<ref>「作業指針」第77項</ref>。
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{{世界遺産基準|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11}}
{{世界遺産基準|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11}}


登録基準は不変のものではなく、過去にも文面の修正は行われてきた。例えば基準 (5) は、1980年、1994年、2006年に改訂されている。1994年と2006年の改訂は[[文化的景観]]という概念が導入されたなどに関連したものである<ref>佐滝 (2009) pp.87-89</ref>。
== 負の世界遺産 ==

[[ファイル:Auschwitz_I_entrance_snow.jpg|thumb|アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。登録の際に、類似の案件は二度と登録しないことが決議された。]]
ほかに、基準 (6) の他の基準との併用が望ましい旨の追記も当初は存在しなかった上、1990年代後半には極めて例外的なものである等とかなり厳しい拘束がなされていた時期もあった<ref>『世界遺産年報2011』pp.16-17</ref>。
{{main|負の世界遺産}}

戦争や人種差別など人類の犯した罪を証明するような物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名負の世界遺産(負の遺産)と呼ばれている。負の遺産としてしばしば挙げられるのは、[[原爆ドーム]]、[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]、[[奴隷貿易]]の拠点であった[[ゴレ島]]、[[マンデラ]]大統領が幽閉された島[[ロベン島]]などである<ref>『世界遺産年報2002』pp.58-59と世界遺産アカデミー『世界遺産学検定(1)』講談社、2005年、p.10は、いずれもこの4件のみを「負の遺産」として例示している。</ref>。また、[[ターリバーン]]政権によって破壊された[[バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群|バーミヤン遺跡]]も負の遺産と見なされることがある<ref>[[青柳正規]]監修『ビジュアルワイド世界遺産』小学館、2003年、p.63</ref>。
=== 完全性と真正性 ===
完全性とは、その物件の「顕著な普遍的価値」を証明するために必要な要素が全て揃っていることなどを指す。

真正性とは、特に文化遺産について、そのデザイン、材質、機能などが本来の価値を有していることなどを指す。

再建された建造物の歴史的価値は、1980年登録の「[[ワルシャワ歴史地区]]」で早くも問題になった。ワルシャワの町並みは[[第二次世界大戦]]で徹底的に破壊され、戦後に壁のひび割れなどまで再現されたといわれるほどの再建事業を経て、忠実に復元されたものだったからである。


その後、登録物件の偏りなどとの関連で「真正性」の問題がクローズアップされた。石の建造物を主体とするヨーロッパの文化遺産と違い、木や土を主体とするアジアやアフリカの文化遺産は、古い文化遺産がそのまま残り続けているとは限らないためである。そこで、1994年に[[奈良市]]で開催された「世界遺産の真正性に関する国際会議」で採択された奈良文書において、建材が新しいものに取り替えられても、その建材の種類や伝統的な工法・機能などが維持されていれば、真正性が認められることになった。この真正性の定義づけには、日本も積極的に関わった<ref>松村・西村 (2010) p.22</ref>。
このほか、2010年に登録された[[ビキニ環礁|ビキニ環礁の核実験場跡]]も、登録された際には負の遺産として報じられた<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201008010235.html ビキニ環礁が世界遺産に 核実験の被害語る「負の遺産」](朝日新聞2010年8月1日)</ref>。


== 課題 ==
== 課題 ==
109行目: 152行目:
第34回[[世界遺産委員会]](2010年)終了時点で、世界遺産は911件登録されているが、その内訳は文化遺産704件、自然遺産180件、複合遺産27件である。一見して明らかな通り、文化遺産の登録数の方が圧倒的に多く、地域的には文化遺産の約半数を占めるヨーロッパの物件に偏っている。
第34回[[世界遺産委員会]](2010年)終了時点で、世界遺産は911件登録されているが、その内訳は文化遺産704件、自然遺産180件、複合遺産27件である。一見して明らかな通り、文化遺産の登録数の方が圧倒的に多く、地域的には文化遺産の約半数を占めるヨーロッパの物件に偏っている。


また、イタリア(45件)、スペイン(42件)、中国(40件)、フランス(35件)、ドイツ(33件)<ref>スペインとフランスで共有している「[[モン・ペルデュ|ピレネー山脈のモン・ペルデュ]]」などは、スペイン、フランス双方に各1件として加算している。</ref>など非常に多くの物件が登録されている国がある一方で、世界遺産条約締約187か国中、1件も登録物件を持たない国が36か国ある(数字はいずれも第34回委員会終了時点)<ref>http://whc.unesco.org/en/list</ref>。
また、イタリア(45件)、スペイン(42件)、中国(40件)、フランス(35件)、ドイツ(33件)<ref>スペインとフランスで共有している「[[モン・ペルデュ|ピレネー山脈のモン・ペルデュ]]」などは、スペイン、フランス双方に各1件として加算している。</ref>など非常に多くの物件が登録されている国がある一方で、世界遺産条約締約187か国中、1件も登録物件を持たない国が36か国ある(数字はいずれも第34回委員会終了時点)<ref>http://whc.unesco.org/en/list</ref>。

[[ファイル:Sydney Opera House Australia.jpg|thumb|[[シドニー・オペラハウス]]。完成から登録までに30年ほどしか経過していないこのような新しい建築物の登録には、グローバル・ストラテジーが大きく関わっている]]
[[ファイル:Sydney Opera House Australia.jpg|thumb|[[シドニー・オペラハウス]]。完成から登録までに30年ほどしか経過していないこのような新しい建築物の登録には、グローバル・ストラテジーが大きく関わっている]]
こうした内容的・地域的な偏りを是正するために、世界遺産委員会では様々な試みが行われている。内容的な不均衡是正の一例としては、「世界遺産リストの代表性、均衡性、信用性のためのグローバル・ストラテジー」([[1994年]])が打ち出され、[[文化的景観]]、[[産業遺産]]、[[20世紀]]以降の[[現代建築]]などを登録していくための比較研究の必要性が示された<ref>http://whc.unesco.org/archive/global94.htm#debut</ref>。2004年から具体的な作業が行われている「顕著な普遍的価値」の再定義や、暫定リスト作成時点で、偏りをなくすような適切な選択がなされるように働きかけていくことなどもその例である<ref>『世界遺産年報』各年版(特に2005年版から2007年版)に基づく。</ref>。
こうした内容的・地域的な偏りを是正するために、世界遺産委員会では様々な試みが行われている。内容的な不均衡是正の一例としては、「世界遺産リストの代表性、均衡性、信用性のためのグローバル・ストラテジー」([[1994年]])が打ち出され、[[文化的景観]]、[[産業遺産]]、[[20世紀]]以降の現代建築などを登録していくための比較研究の必要性が示された<ref>http://whc.unesco.org/archive/global94.htm#debut</ref>。2004年から具体的な作業が行われている「顕著な普遍的価値」の再定義や、暫定リスト作成時点で、偏りをなくすような適切な選択がなされるように働きかけていくことなどもその例である<ref>『世界遺産年報』各年版(特に2005年版から2007年版)に基づく。</ref>。


=== 上限 ===
=== 上限 ===
世界遺産の登録数に上限は設けられていない<ref>「作業指針」第58項</ref>。ただし、ユネスコ内部では上限に関する議論も存在するといい、ユネスコ事務局長[[松浦晃一郎]]は、モニタリングの制約などから、現実的に設定される可能性のある数字としては、1500や2000という数字を挙げている<ref>松浦晃一郎『世界遺産―ユネスコ事務局長は訴える』講談社、2008年、pp.286-293</ref>。
世界遺産の登録数に上限は設けられていない<ref>「作業指針」第58項</ref>。ただし、ユネスコ内部では上限に関する議論も存在するといい、第8代ユネスコ事務局長[[松浦晃一郎]]は、モニタリングの制約などから、現実的に設定される可能性のある数字としては、1500や2000という数字を挙げている<ref>松浦 (2008) pp.286-293</ref>。


なお、現在、1回の委員会での審議数には上限が設けられている。かつては[[ナポリ]]で開催された第21回委員会([[1997年]])で[[イタリアの世界遺産]]が新規に10件登録されたこともあったが、現在は1回の委員会で各国が推薦できるのは2件までである(文化遺産と自然遺産各1件とされていたが、2007年の第31回世界遺産委員会で文化遺産2件でも許可される事になった<ref>古田陽久 古田真美『世界遺産ガイド - 世界遺産条約とオペレーショナル・ガイドラインズ編』シンクタンクせとうち、2008年、p.118</ref>)。ただし、過去に1件も登録されていない国はこの限りではない。また、全体の審議物件総数は45件までとされている。審議数の上限については、様々な意見が出ているため、年々修正が加えられている。
なお、現在、1回の委員会での審議数には上限が設けられている。かつては[[ナポリ]]で開催された第21回委員会([[1997年]])で[[イタリアの世界遺産]]が新規に10件登録されたこともあったが、現在は1回の委員会で各国が推薦できるのは2件までである(文化遺産と自然遺産各1件とされていたが、2007年の第31回世界遺産委員会で文化遺産2件でも許可される事になった<ref>古田陽久 古田真美『世界遺産ガイド - 世界遺産条約とオペレーショナル・ガイドラインズ編』シンクタンクせとうち、2008年、p.118</ref>)。ただし、過去に1件も登録されていない国はこの限りではない。また、全体の審議物件総数は45件までとされている。審議数の上限については、様々な意見が出ているため、年々修正が加えられている。

なお、登録数の増加にともなって審査が厳しくなっているとしばしば言われるが、公式には認められていない。そもそも、世界遺産リストに登録されづらくなっている背景には、[[ピラミッド]]や[[万里の長城]]のような「分かりやすい」世界遺産が既にあらかた登録され、その「顕著な普遍的価値」を認めにくい物件や価値を裏支えするストーリーが理解しづらい物件が増えていることもあるのではないかとも指摘されている<ref>『世界遺産年報2010』pp33-34, 佐滝 (2009) pp.90-94.</ref>。また、日本の世界遺産登録物件にしても、世界遺産条約参加当初の物件の時点で、日本が推薦理由としていた評価基準がしばしば退けられたことを理由に、昔から十分に厳しかったと指摘する者もいる<ref>岡田 (2011) p.21</ref>。


=== 保全活動 ===
=== 保全活動 ===
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世界遺産の登録は、[[景観]]や環境の保全が義務付けられるため、周辺の開発との間で摩擦が生じることがある。第28回から第30回まで3年にわたって、大きな論点になった[[ケルン大聖堂]]などはその好例である。この件では、近隣での高層ビル建設による景観の破壊が問題となった。
世界遺産の登録は、[[景観]]や環境の保全が義務付けられるため、周辺の開発との間で摩擦が生じることがある。第28回から第30回まで3年にわたって、大きな論点になった[[ケルン大聖堂]]などはその好例である。この件では、近隣での高層ビル建設による景観の破壊が問題となった。


現在でも、“北のヴェネツィア”とも称される[[サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群|サンクトペテルブルクの歴史的町並み]]が、同市内に[[ガスプロム|ガスプロム社]]が計画している超高層ビル[[オフタ・センター]](高さ396m)の建設を巡って、経済開発を優先する市側と、世界遺産登録抹消を危惧するロシア文化省との間で軋轢が生じる事態になっている
現在でも、“北のヴェネツィア”とも称される[[サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群|サンクトペテルブルクの歴史的町並み]]が、同市内に[[ガスプロム|ガスプロム社]]が計画している超高層ビル[[オフタ・センター]](高さ396m)の建設を巡って、経済開発を優先する市側と、世界遺産登録抹消を危惧するロシア文化省との間で軋轢が生じる事態になっており、第32回世界遺産委員会(2008年)でも議題の一つとなった<ref>『世界遺産年報2008』p.40</ref>


また、[[ドレスデン・エルベ渓谷]]のように、橋梁の建設による景観の破壊を理由として世界遺産リストからの抹消が実際に決議された例もある。
また、[[ドレスデン・エルベ渓谷]]のように、橋梁の建設による景観の破壊を理由として世界遺産リストからの抹消が実際に決議された例もある。
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世界遺産に登録されることは、周辺地域の観光産業に多大な影響がある。 [[白川郷]]、[[五箇山]]では、登録後に観光客数が激増した。白川郷の場合、登録直前の数年間には毎年60万人台で推移していた観光客数が、[[21世紀]]初めの数年間は140-150万人台で推移している<ref>『世界遺産年報2008』p.42</ref>。これらの地域では世界遺産の公共性を曲解した一部観光客が住民の日常生活を無遠慮に覗き込むなどのトラブルも発生した<ref>世界遺産シンポジウムでの報告(『世界遺産年報1998』p.35)</ref>。
世界遺産に登録されることは、周辺地域の観光産業に多大な影響がある。 [[白川郷]]、[[五箇山]]では、登録後に観光客数が激増した。白川郷の場合、登録直前の数年間には毎年60万人台で推移していた観光客数が、[[21世紀]]初めの数年間は140-150万人台で推移している<ref>『世界遺産年報2008』p.42</ref>。これらの地域では世界遺産の公共性を曲解した一部観光客が住民の日常生活を無遠慮に覗き込むなどのトラブルも発生した<ref>世界遺産シンポジウムでの報告(『世界遺産年報1998』p.35)</ref>。


また、少なくとも日本では世界遺産に登録されることで観光客を呼び込もうとする動きのあることも指摘されている<ref>佐滝剛弘『旅する前の「世界遺産」』文春新書、2006年、pp.206-207</ref>。2006年度と2007年度に文化庁が暫定リスト候補の公募を行ったときには、各地の[[地方公共団体]]から2006年度には24件、2007年度には32件の応募が寄せられるなど、大きな関心を集めた<ref>[http://bunka.nii.ac.jp/jp/world/h_14.html 応募のあったもののリスト]</ref>。
また、少なくとも日本では世界遺産に登録されることで観光客を呼び込もうとする動きのあることも指摘されている<ref>佐滝 (2006) pp.206-207</ref>。2006年度と2007年度に文化庁が暫定リスト候補の公募を行ったときには、各地の[[地方公共団体]]から2006年度には24件、2007年度には32件の応募が寄せられるなど、大きな関心を集めた<ref>[http://bunka.nii.ac.jp/jp/world/h_14.html 応募のあったもののリスト]</ref>。


安易な観光地化は、保全の妨げが懸念される。世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨ではないため、世界遺産登録によって観光上の開発が制限されている地域は多く観光客立ち入り禁止になっている物件も数多い(オーストラリアの[[マッコーリー島]]ほか)[[富士山]]では、観光開発が制限されることを懸念した地元住民による反対が起こり、世界遺産へ推薦が見送れた。その一方で、貧困にあえぐ国どでは観光を活性化させることで雇用を創出することが、結果的に世界遺産を守ることに繋がる場合もある。こうした問題に関連して、[[2001年]]の世界遺産委員会では、世界遺産を守る持続可能観光計画」作成が行われた<ref>ーサー・ペデルン「世界遺産と観光」『世界遺産年2008』による。</ref>。
安易な観光地化は、保全の妨げが懸念される。世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨ではないため、世界遺産登録によって観光上の開発が制限されている地域もあり[[マッコーリー島]]のように観光客立ち入り禁止されている物件もある文化遺産では、宗教上理由か女性入山を切認め[[アトス山]]のような事例もある<ref>2007年まの登録物件については、『21世紀世界遺産の旅』(小学館、2007年)に、外務省の退避勧告どの有無も含め、各物件へのアス情が記載されている。</ref>。

その一方で、貧困にあえぐ国などでは観光を活性化させることで雇用を創出することが、結果的に世界遺産を守ることに繋がる場合もある。こうした問題に関連して、[[2001年]]の世界遺産委員会では、「世界遺産を守る持続可能な観光計画」の作成が行われた<ref>ペデルセン (2008) による。</ref>。


== 登録されている世界遺産の一覧 ==
== 登録されている世界遺産の一覧 ==
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*[[世界遺産の一覧 (危機遺産リスト)]]
*[[世界遺産の一覧 (危機遺産リスト)]]
*[[世界遺産の一覧 (英語索引)]]
*[[世界遺産の一覧 (英語索引)]]
*[[世界遺産の一覧 (仏語索引)]]
</div><br style="clear: left;" />
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なお、世界遺産登録名は英語とフランス語で付けられており、公式な日本語訳は存在しない。日本ユネスコ協会連盟の訳も含めていずれの日本語訳も仮訳であり、物件によっては文献ごとに表記の異なる場合が存在する。

== 無形文化遺産 ==
世界遺産条約は上に述べた発足の経緯などから、不動産のみを対象としている。このため、地域ごとに多様な形態で存在する文化を包括的に保護するためには、無形の文化遺産を保護することも認識されるようになり、2003年のユネスコ総会で[[無形文化遺産保護条約]]が採択された。2011年現在では世界遺産と[[無形文化遺産|(世界)無形文化遺産]]は別個のものであり、事務局も別である(前者はユネスコ世界遺産センター、後者はユネスコ文化局無形遺産課)。ただし、ユネスコは将来的に統一する見通しを示している<ref>世界遺産アカデミー『世界遺産検定2007』p.160</ref>。

なお、無形遺産「[[イフガオ族]]の[[フドゥフドゥ詠歌]]」と世界遺産「[[フィリピン・コルディリェーラの棚田群]]」、無形遺産「[[エルチェの神秘劇]]」と世界遺産「[[エルチェの椰子園]]」、無形遺産「[[ジャマーア・エル・フナ広場の文化的空間]]」と世界遺産「[[マラケシュ|マラケシュの旧市街]]」のように、世界無形遺産の中には世界遺産リスト登録物件との間に密接な結びつきがあり、有形と無形の「複合遺産」と捉えられるものもあることが指摘されている<ref>世界遺産アカデミー『世界遺産検定2007』p.164, 佐滝 (2006) pp.192-193</ref>。

== 世界遺産学 ==
世界遺産を専門に研究する学問として「世界遺産学」という学際的な枠組みが提唱されることがある。専攻などとして設置されている事例としては、[[筑波大学]]大学院人間総合科学研究科の「世界遺産専攻・世界文化遺産専攻」<ref>[http://www.heritage.tsukuba.ac.jp/ 世界遺産専攻・世界文化遺産専攻公式サイト]</ref>、[[奈良大学]]文学部の「世界遺産コース」<ref>[http://www.nara-u.ac.jp/bun/department/depart06.html 世界遺産コース公式サイト]</ref>、[[サイバー大学]]の「世界遺産学部」<ref>[http://www.cyber-u.ac.jp/faculty/heritage/index.html 世界遺産学部公式サイト](新規学生の募集を停止)</ref>などが挙げられる。海外でも、[[ブランデンブルク工科大学]](ドイツ)に、世界遺産専攻コースが設置されている<ref>佐滝 (2006) pp.41-42</ref>。

また、検定試験として[[特定非営利活動法人]][[世界遺産アカデミー]]による「[[世界遺産検定]]」が存在する。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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<div class="references-small">{{reflist|2}}</div>
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== 参考文献 ==
記事執筆の際に参照した文献・サイトのうち、主要なものを挙げる。なお、パリのユネスコ世界遺産センターが公式に監修した日本語文献は、『ユネスコ世界遺産』(講談社、全13巻)のみである。
* [http://whc.unesco.org/ ユネスコ世界遺産センター](英語・フランス語)
** [http://whc.unesco.org/pg.cfm?cid=31 ユネスコの世界遺産一覧表(英語)]
** [http://whc.unesco.org/en/141 世界遺産条約履行のための作業指針](各年度版)
*** [http://bunka.nii.ac.jp/jp/world/h_13.html 文化庁による日本語訳](2005年版の訳)
* [[世界遺産アカデミー]] (2009a)『世界遺産検定公式テキスト(1)』 毎日コミュニケーションズ
* 世界遺産アカデミー (2009b)『世界遺産検定公式テキスト(2)』 毎日コミュニケーションズ
* 世界遺産アカデミー (2009c)『世界遺産検定公式テキスト(3)』 毎日コミュニケーションズ
* 世界遺産アカデミー (2010)『世界遺産検定公式ガイド300』 毎日コミュニケーションズ
* 日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報』各年版
** P. H. C. ルーカス (1998) 「ユネスコと自然遺産」(『ユネスコ世界遺産年報1997-1998』芸術新聞社、pp.22-27)
** アーサー・ペデルセン (2008) 「世界遺産と観光」 (『世界遺産年報2008』日経ナショナルジオグラフィック社、pp.40-43)
** [[松浦晃一郎]] [[西村幸夫]] (2010) 「特別対談 世界遺産とともに歩んで ― 在任10年の成果と今後の課題」 (『世界遺産年報2010』 東京書籍、pp.14-24)
** 岡田保良 (2011)「『関連性』-世界遺産登録にあたっての評価基準をめぐって」 (『世界遺産年報2011』東京書籍、pp.19-21)
* 河上夏織 (2008)「世界遺産条約のグローバル戦略を巡る議論とそれに伴う顕著な普遍的価値の解釈の質的変容」 (『外務省調査月報』2008/No.1)
* [[佐滝剛弘]] (2006)『旅する前の「世界遺産」』 文藝春秋社〈文春新書〉
* 佐滝剛弘 (2009)『「世界遺産」の真実』 祥伝社〈祥伝社新書〉
* [[古田陽久]] (2010)『世界遺産データ・ブック 2011年版』 シンクタンクせとうち
* [[松浦晃一郎]] (2008)『世界遺産―ユネスコ事務局長は訴える』 講談社
<!-- 世界遺産関連書は膨大な数に上るため、 記事本文の加筆を伴わない形で文献だけ付け加える行為はお控えください。--><!--記事の成長のために、このような一義的な宣言はなるべく遠慮がちにお願いいたしますよ。-->
<!--==文献情報==
*「歴史的遺産の保全をめぐる国家と住民の関係性 : サマルカンドの都市・建築研究」亀井・村松(学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠2007-07-31)[http://ci.nii.ac.jp/naid/110006643191][http://ci.nii.ac.jp/els/110006643191.pdf?id=ART0008657220&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1305399901&cp=]
*「観光地化が伝統的民家の使用に及ぼす影響について : 世界遺産都市・中国雲南省麗江旧市街地を事例として」藤木・柏原・山村(日本建築学会計画系論文集2008-07-30)[http://ci.nii.ac.jp/naid/110006794574][http://ci.nii.ac.jp/els/110006794574.pdf?id=ART0008743012&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1305399572&cp=]
*「世界遺産条約が持つ二つの側面 : 「制度」と「理念」が抱える課題について」石田聖(熊本大学社会文化研究)[http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/handle/2298/11510][http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/11510/2/SB007_015-033.pdf]
*「世界遺産をめぐる国境紛争 : プレアビヒア寺院遺跡」山下明博(安田女子大学紀要2011)[http://ci.nii.ac.jp/naid/110008103456][http://lib.jimu.yasuda-u.ac.jp/library/reposit/bulletin/02896494039023.pdf]
<!--世界遺産登録による課題や負の側面がちと弱い印象があったのでciniiから追記。-->


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{ウィキポータルリンク|世界遺産}}
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{{ウィキプロジェクトリンク|世界遺産}}
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{{sisterlinks|commons=Category:World Heritage Sites}}
*[[:Category:世界遺産画像|世界遺産の画像一覧]]
*[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]
*[[国際連合教育科学文化機関]](ユネスコ
*[[世界無形遺産]]
*[[無形文化遺産]]
*[[世界の記憶]]
*[[世界の記憶]]
*[[水中文化遺産保護条約]]
*[[水中文化遺産保護条約]]
180行目: 267行目:
*[[文化庁]]
*[[文化庁]]
*[[世界遺産検定]]
*[[世界遺産検定]]
*[[:Category:世界遺産画像|世界遺産の画像一覧]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{wikinews|中国の殷墟など新たに世界遺産登録}}
{{wikitravelpar|世界遺産}}
*[http://whc.unesco.org/ ユネスコ世界遺産センター](英語・フランス語)
** [http://whc.unesco.org/pg.cfm?cid=31 ユネスコの世界遺産一覧表(英語)]
** [http://whc.unesco.org/en/141 世界遺産条約履行のための作業指針](各年度版)
*** [http://bunka.nii.ac.jp/jp/world/h_13.html 文化庁による日本語訳](2005年版の訳)
*[http://www.unesco.jp/contents/isan/ 社団法人日本ユネスコ協会連盟 - 世界遺産活動]
*[http://www.unesco.jp/contents/isan/ 社団法人日本ユネスコ協会連盟 - 世界遺産活動]
** [http://www.unesco.jp/contents/isan/list.html 日本ユネスコ協会連盟訳による世界遺産一覧表]
** [http://www.unesco.jp/contents/isan/list.html 日本ユネスコ協会連盟訳による世界遺産一覧表]
* [http://www.wheritage.net/ 世界遺産と総合学習の杜]
* [http://www.wheritage.net/ 世界遺産と総合学習の杜]


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[[th:มรดกโลก]]
[[th:มรดกโลก]]

2011年5月15日 (日) 02:46時点における版

世界遺産(せかいいさん)は、1972年ユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡景観自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」をもつ物件のことで、移動が不可能な不動産やそれに準ずるものが対象となっている。

歴史

アブ・シンベル神殿

ユネスコの設立後、1954年にハーグ条約が採択され、武力紛争の際にも文化財などに対する破壊行為を行うべきでないことが打ち出された。

1960年エジプト政府がナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムを建設し始めた。このダムが完成した場合、ヌビア遺跡が水没することが懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60ヶ国の援助をもとに技術支援、考古学調査支援などが行われ、ヌビア遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が実現した。これがきっかけとなり、開発から歴史的価値のある遺跡や建築物等を国際的な組織運営で守ろうという機運がうまれた。

1965年には関連する国際組織である国際記念物遺跡会議が発足した[1]

他方、アメリカ合衆国ではホワイトハウス国際協力協議会自然資源委員会が1965年に「世界遺産トラスト」を提唱し、優れた自然を護る国際的な枠組みが模索されており、リチャード・ニクソン大統領も1971年の教書において、1972年までに具体化することをはっきりと打ち出した。1972年はアメリカで国立公園制度が生まれてから100周年に当たる[2]

それら二つの流れが1972年の国連人間環境会議で一つにまとまった結果、同年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約世界遺産条約)が満場一致で成立した。翌年アメリカ合衆国が第1番目に批准、締結し、20ヶ国が条約締結した1975年に正式に発効した。

1978年の第2回世界遺産委員会で、アメリカのイエローストーンエクアドルガラパゴス諸島など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、第1号の世界遺産リスト登録を果たした。

日本は、先進国では最後の1992年に世界遺産条約を批准し、同年の6月30日に125番目の締約国となった(日本についての発効は同年9月30日)[3]。なお、現在のリストでは124番目となっているが、これは日本の締約後にユーゴスラビア解体によって繰り上がったことによる。日本の参加が他の国と比べて遅れたのは、国内での態勢が未整備だったためとされるが、他方で世界遺産基金の分担金拠出などに関する議論が決着しなかったためとも指摘されている[4]

2010年現在の条約締約国は187か国である。

分類

公式上の分類

世界遺産はその内容によって以下の三種類に大別される[5]

文化遺産
顕著な普遍的価値をもつ建築物や遺跡など。
自然遺産
顕著な普遍的価値をもつ地形や生物、景観などをもつ地域。
複合遺産
文化と自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるもの。

また、内容上の分類ではないが、後世に残すことが難しくなっているか、その強い懸念が存在する場合には、該当する物件は危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)に加えられ、別途保存や修復のための配慮がなされる事になっている[6]

なお、後述するように、無形文化遺産は世界遺産条約の対象ではない。

非公式な分類

世界遺産には、自然遺産文化遺産、あるいは文化遺産の中での文化的景観産業遺産など、世界遺産センターやICOMOSによって公式に認められた分類とは別に、非公式に使われている分類もある。

負の世界遺産

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。登録の際に、類似の案件は二度と登録しないことが決議された。

平和の希求や人種差別の撤廃などを訴えていく上で重要な物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名「負の世界遺産」(負の遺産)と呼ばれている。

負の遺産としてしばしば挙げられるのは、原爆ドームアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所奴隷貿易の拠点であったゴレ島マンデラ大統領が幽閉された島ロベン島[7]。このほか、2010年に登録されたビキニ環礁の核実験場も、登録された際には負の遺産として報じられた[8]

裏世界遺産

裏世界遺産とは、世界遺産委員会などでの審議の結果、登録が見送られた物件を指す。もともとインターネット上の私的なサイト[9]で打ち出された概念だが、公刊された文献でも取り上げているものが複数ある[10]

世界遺産リスト登録手続きと登録後の保全

世界遺産リスト登録に必要となる前提、審査の流れ、登録後の保全状況報告などは、「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下「作業指針」)[11]で規定されている。

登録までの流れを図示すると以下のようになる。

登録を求める地域の担当政府機関が候補地推薦・暫定リスト提出
ユネスコ世界遺産センターが評価依頼
文化遺産候補は国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が現地調査し報告。
文化的景観に関しては、IUCNとも協議が行われる場合がある。[12]
自然遺産候補は国際自然保護連合(IUCN)が現地調査し報告
ユネスコ世界遺産センターが登録推薦を判定
世界遺産委員会で最終審議
正式登録

登録対象

登録される物件は不動産、つまり移動が不可能な土地や建造物に限られる。そのため、例えば寺院が世界遺産になっている場合でも、中に安置されている仏像などの美術品(動産)は、通常は世界遺産登録対象とはならない。ただし、東大寺大仏のように移動が困難と認められる場合には、世界遺産登録対象となっている場合がある[13]。このような対象の設定に対する限界が、のちの無形文化遺産の枠組みにつながったが[14]、この点は後述する。

世界遺産に登録されるためには、後述する世界遺産登録基準を少なくとも1つは満たし、その「顕著な普遍的価値」を証明できる「完全性」と「真正性」を備えていると、世界遺産委員会から判断される必要がある。その際、同一の歴史や文化に属する場合や、生物学的・地質学的特質などに類似性が見られる場合に、「連続性のある資産」(シリアル・ノミネーション)としてひとまとめに登録することが認められている[15]。例えば、イギリスとドイツという国境を接しない2カ国の世界遺産であるローマ帝国の国境線や、10カ国の世界遺産であるシュトルーヴェの測地弧などはその好例である。

原爆ドーム。登録の際には戦争遺跡は世界遺産条約の対象外とする米国などが反発した。

また登録された後、将来にわたって継承していくために、推薦時点で国内法等によって既に保護や管理の枠組みが策定されていることも必要である。日本の例でいえば、原爆ドームの世界遺産推薦に先立ち、文化財保護法が改正されて原爆ドームの史跡指定が行われた事も、そうした点に合致させる必要があったためである[16]

日本の場合、文化遺産候補は文化庁、自然遺産候補は環境省林野庁が主に担当する。これに文部科学省国土交通省などで構成される世界遺産条約関係省庁連絡会議で推薦物件が決定される。推薦物件は、暫定リストとして、外務省を通じユネスコに提出される。

なお、世界遺産リストへの推薦は、各国の関係機関しか行うことは出来ない。ただし、危機遺産リストへの登録の場合は、きちんとした根拠が示されれば、個人や団体からの申請であっても受理されることがある[17]

登録範囲

世界遺産の登録に当たっては、登録物件の周囲に緩衝地域 (Buffer zone) が設けられることがしばしばである。ただし、それは「顕著な普遍的価値」を有するとは認められていない地域で、世界遺産登録地域ではない。

かつては、世界遺産そのものの登録地域を核心地域 (Core zone) と呼んでいたが、核心地域と緩衝地域がともに世界遺産登録地域であるかのように誤認されないために[18]、2008年からは世界遺産そのものの登録地域は資産 (property) と呼んで、緩衝地域と明確に区別されるようになった。

暫定リスト

暫定リストは、世界遺産登録に先立ち、各国がユネスコ世界遺産センターに提出するリストのことである。原則として、文化遺産については、このリストに掲載されていないものを、世界遺産委員会に登録推薦することは認められていない。

崩壊前のバム

ただし、大地震で壊滅的損壊を蒙ったバムとその文化的景観2004年登録)のように、不測の事態によって緊急で登録する必要性が認められた場合には、「緊急登録推薦」に関する条項[19]に従い、暫定リスト登録を飛び越えて正式登録が認められる場合がある[20]。「緊急登録推薦」に関する条項はイラクのアッシュール2003年)の時にも適用されている[21]

暫定リストは、あくまでも各国が1年から10年以内をめどに世界遺産委員会への登録申請を目指すもののリストであって[22]、世界遺産委員会がその「顕著な普遍的価値」を認めたものではない。現在暫定リストに掲載されているものには、ICOMOSが登録延期を勧告し、既に一度世界遺産委員会で登録見送りが決議されたものもある。ただし、世界遺産委員会で「不登録」(後述)と決議されたものを、暫定リストに掲載し続けることは、原則として認められていない(不登録時と異なる評価基準に基づいて新規に推薦することは認められている)[23]

世界遺産委員会は、条約締結各国に対して、暫定リストへの掲載に当たっては、その遺産の「顕著な普遍的価値」を厳格に吟味することや、保護活動が適正に行われていることを十分示すように求めている。また、委員会は、暫定リスト作成では、まだ登録されていないような種類の物件に光を当てることや、世界遺産を多く抱える国は極力暫定リストを絞り込むことなどを呼びかけており、後述の「登録物件の偏り」を是正するための一助とすることを企図している[24]

世界遺産委員会の決議

世界遺産委員会は、推薦された物件について審査を行い、「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」のいずれかの決議を行う[25]。「情報照会」の場合、期日までに追加書類の提出を行えば、翌年の世界遺産委員会で再審査を受ける事ができる。より踏み込んだ再検討が必要な場合は「登録延期」と決議される。この場合、必要な書類の再提出を行った上で、諮問機関の再調査を受ける必要があるため、世界遺産委員会での再審査は、早くとも翌々年以降になる。

「不登録」と決議された物件は原則として再度推薦する事ができない。ただし、不登録となったものと異なる理由で再提案すること、例えば、自然遺産として不登録になった物件を文化遺産として再提出するなどは可能である。

保全状況の調査

登録後、保全状況を6年ごとに報告し、世界遺産委員会での再審査を受ける必要がある。

物件の保全に問題がある場合、危機にさらされている世界遺産リストに登録されることがある。また、2007年からは「強化モニタリング」(監視強化)という分類も登場し、危機遺産でなくとも監視が強められる場合が存在するようになった。強化モニタリング対象は危機遺産リスト登録物件と一部重複するが、2010年の第34回世界遺産委員会では36件について強化モニタリングが要請された[26]

抹消

世界遺産は、登録時に存在していた「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合、もしくは条件付で登録された物件についてその後条件が満たされなかった場合に、削除される事がある[27]。初めて抹消されたのは、2007年アラビアオリックスの保護区オマーン)である。この物件は元々保護計画の不備を理由とするIUCNの「登録延期」勧告を覆して登録された経緯があったが、計画が整備されるどころか保護区の大幅な縮小などの致命的悪化が確認されたことや、オマーン政府が開発優先の姿勢を明示した事から、抹消が決まった[28]2009年にはドレスデン・エルベ渓谷ドイツ)が抹消されている。これは、景観を損ねる橋が建設されたことによるものである。

顕著な普遍的価値とその評価基準

すでに述べたように、世界遺産となるためには、「顕著な普遍的価値」(Outstanding Universal Value, 関連文献では OUV と略されることもある)を有している必要がある。しかし、世界遺産条約では「顕著な普遍的価値」自体を定義していない。その当否を検討するための基準が10項目からなる世界遺産登録基準である[29]

世界遺産はその基準を満たした「最上の代表」(representative of the best)が選ばれるとされる。自然遺産については「最上の最上」(The best of the best)が選ばれるとされたこともあったが、「最上の代表」を選ぶ方向に推移してきた[30]

世界遺産登録基準

世界遺産登録基準は、当初、文化遺産基準 (1) - (6) と自然遺産基準 (1) - (4)に分けられていた。しかし、2005年に2つの基準を統一することが決まり、2007年の第31回世界遺産委員会から適用されることになった。新基準の (1) - (6) は旧文化遺産基準 (1) - (6) に対応しており、新基準 (7)、(8)、(9)、(10) は順に旧自然遺産基準 (3)、(1)、(2)、(4) に対応している。このため、実質的には過去の物件に新基準を遡及して適用することが可能であり、現在の世界遺産センターの情報では、旧基準で登録された物件の登録基準も新基準で示している。

基準が統一された後も文化遺産と自然遺産の区分は存在し続けており、新基準 (1) - (6) の適用された物件が文化遺産、新基準 (7) - (10) の適用された物件が自然遺産、(1) - (6) のうち1つ以上と (7) - (10) のうち1つ以上の基準がそれぞれ適用された物件が複合遺産となっている。

登録基準の内容は以下の通りである[31]


  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  • (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
  • (7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
  • (8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
  • (9) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
  • (10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

登録基準は不変のものではなく、過去にも文面の修正は行われてきた。例えば基準 (5) は、1980年、1994年、2006年に改訂されている。1994年と2006年の改訂は文化的景観という概念が導入されたなどに関連したものである[32]

ほかに、基準 (6) の他の基準との併用が望ましい旨の追記も当初は存在しなかった上、1990年代後半には極めて例外的なものである等とかなり厳しい拘束がなされていた時期もあった[33]

完全性と真正性

完全性とは、その物件の「顕著な普遍的価値」を証明するために必要な要素が全て揃っていることなどを指す。

真正性とは、特に文化遺産について、そのデザイン、材質、機能などが本来の価値を有していることなどを指す。

再建された建造物の歴史的価値は、1980年登録の「ワルシャワ歴史地区」で早くも問題になった。ワルシャワの町並みは第二次世界大戦で徹底的に破壊され、戦後に壁のひび割れなどまで再現されたといわれるほどの再建事業を経て、忠実に復元されたものだったからである。

その後、登録物件の偏りなどとの関連で「真正性」の問題がクローズアップされた。石の建造物を主体とするヨーロッパの文化遺産と違い、木や土を主体とするアジアやアフリカの文化遺産は、古い文化遺産がそのまま残り続けているとは限らないためである。そこで、1994年に奈良市で開催された「世界遺産の真正性に関する国際会議」で採択された奈良文書において、建材が新しいものに取り替えられても、その建材の種類や伝統的な工法・機能などが維持されていれば、真正性が認められることになった。この真正性の定義づけには、日本も積極的に関わった[34]

課題

種類と地域の偏り

第34回世界遺産委員会(2010年)終了時点で、世界遺産は911件登録されているが、その内訳は文化遺産704件、自然遺産180件、複合遺産27件である。一見して明らかな通り、文化遺産の登録数の方が圧倒的に多く、地域的には文化遺産の約半数を占めるヨーロッパの物件に偏っている。

また、イタリア(45件)、スペイン(42件)、中国(40件)、フランス(35件)、ドイツ(33件)[35]など非常に多くの物件が登録されている国がある一方で、世界遺産条約締約187か国中、1件も登録物件を持たない国が36か国ある(数字はいずれも第34回委員会終了時点)[36]

シドニー・オペラハウス。完成から登録までに30年ほどしか経過していないこのような新しい建築物の登録には、グローバル・ストラテジーが大きく関わっている

こうした内容的・地域的な偏りを是正するために、世界遺産委員会では様々な試みが行われている。内容的な不均衡是正の一例としては、「世界遺産リストの代表性、均衡性、信用性のためのグローバル・ストラテジー」(1994年)が打ち出され、文化的景観産業遺産20世紀以降の現代建築などを登録していくための比較研究の必要性が示された[37]。2004年から具体的な作業が行われている「顕著な普遍的価値」の再定義や、暫定リスト作成時点で、偏りをなくすような適切な選択がなされるように働きかけていくことなどもその例である[38]

上限

世界遺産の登録数に上限は設けられていない[39]。ただし、ユネスコ内部では上限に関する議論も存在するといい、第8代ユネスコ事務局長松浦晃一郎は、モニタリングの制約などから、現実的に設定される可能性のある数字としては、1500や2000という数字を挙げている[40]

なお、現在、1回の委員会での審議数には上限が設けられている。かつてはナポリで開催された第21回委員会(1997年)でイタリアの世界遺産が新規に10件登録されたこともあったが、現在は1回の委員会で各国が推薦できるのは2件までである(文化遺産と自然遺産各1件とされていたが、2007年の第31回世界遺産委員会で文化遺産2件でも許可される事になった[41])。ただし、過去に1件も登録されていない国はこの限りではない。また、全体の審議物件総数は45件までとされている。審議数の上限については、様々な意見が出ているため、年々修正が加えられている。

なお、登録数の増加にともなって審査が厳しくなっているとしばしば言われるが、公式には認められていない。そもそも、世界遺産リストに登録されづらくなっている背景には、ピラミッド万里の長城のような「分かりやすい」世界遺産が既にあらかた登録され、その「顕著な普遍的価値」を認めにくい物件や価値を裏支えするストーリーが理解しづらい物件が増えていることもあるのではないかとも指摘されている[42]。また、日本の世界遺産登録物件にしても、世界遺産条約参加当初の物件の時点で、日本が推薦理由としていた評価基準がしばしば退けられたことを理由に、昔から十分に厳しかったと指摘する者もいる[43]

保全活動

世界遺産リストからの抹消も議論されたケルン大聖堂

世界遺産の登録は、景観や環境の保全が義務付けられるため、周辺の開発との間で摩擦が生じることがある。第28回から第30回まで3年にわたって、大きな論点になったケルン大聖堂などはその好例である。この件では、近隣での高層ビル建設による景観の破壊が問題となった。

現在でも、“北のヴェネツィア”とも称されるサンクトペテルブルクの歴史的町並みが、同市内にガスプロム社が計画している超高層ビルオフタ・センター(高さ396m)の建設を巡って、経済開発を優先する市側と、世界遺産登録抹消を危惧するロシア文化省との間で軋轢が生じる事態になっており、第32回世界遺産委員会(2008年)でも議題の一つとなった[44]

また、ドレスデン・エルベ渓谷のように、橋梁の建設による景観の破壊を理由として世界遺産リストからの抹消が実際に決議された例もある。

観光地化

世界遺産登録後に観光客が激増した白川郷

世界遺産に登録されることは、周辺地域の観光産業に多大な影響がある。 白川郷五箇山では、登録後に観光客数が激増した。白川郷の場合、登録直前の数年間には毎年60万人台で推移していた観光客数が、21世紀初めの数年間は140-150万人台で推移している[45]。これらの地域では世界遺産の公共性を曲解した一部観光客が住民の日常生活を無遠慮に覗き込むなどのトラブルも発生した[46]

また、少なくとも日本では世界遺産に登録されることで観光客を呼び込もうとする動きのあることも指摘されている[47]。2006年度と2007年度に文化庁が暫定リスト候補の公募を行ったときには、各地の地方公共団体から2006年度には24件、2007年度には32件の応募が寄せられるなど、大きな関心を集めた[48]

安易な観光地化は、保全の妨げが懸念される。世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨ではないため、世界遺産登録によって観光上の開発が制限されている地域もあり、マッコーリー島のように観光客の立ち入りが禁止されている物件もある。文化遺産では、宗教上の理由から女性の入山を一切認めないアトス山のような事例もある[49]

その一方で、貧困にあえぐ国などでは観光を活性化させることで雇用を創出することが、結果的に世界遺産を守ることに繋がる場合もある。こうした問題に関連して、2001年の世界遺産委員会では、「世界遺産を守る持続可能な観光計画」の作成が行われた[50]

登録されている世界遺産の一覧


なお、世界遺産登録名は英語とフランス語で付けられており、公式な日本語訳は存在しない。日本ユネスコ協会連盟の訳も含めていずれの日本語訳も仮訳であり、物件によっては文献ごとに表記の異なる場合が存在する。

無形文化遺産

世界遺産条約は上に述べた発足の経緯などから、不動産のみを対象としている。このため、地域ごとに多様な形態で存在する文化を包括的に保護するためには、無形の文化遺産を保護することも認識されるようになり、2003年のユネスコ総会で無形文化遺産保護条約が採択された。2011年現在では世界遺産と(世界)無形文化遺産は別個のものであり、事務局も別である(前者はユネスコ世界遺産センター、後者はユネスコ文化局無形遺産課)。ただし、ユネスコは将来的に統一する見通しを示している[51]

なお、無形遺産「イフガオ族フドゥフドゥ詠歌」と世界遺産「フィリピン・コルディリェーラの棚田群」、無形遺産「エルチェの神秘劇」と世界遺産「エルチェの椰子園」、無形遺産「ジャマーア・エル・フナ広場の文化的空間」と世界遺産「マラケシュの旧市街」のように、世界無形遺産の中には世界遺産リスト登録物件との間に密接な結びつきがあり、有形と無形の「複合遺産」と捉えられるものもあることが指摘されている[52]

世界遺産学

世界遺産を専門に研究する学問として「世界遺産学」という学際的な枠組みが提唱されることがある。専攻などとして設置されている事例としては、筑波大学大学院人間総合科学研究科の「世界遺産専攻・世界文化遺産専攻」[53]奈良大学文学部の「世界遺産コース」[54]サイバー大学の「世界遺産学部」[55]などが挙げられる。海外でも、ブランデンブルク工科大学(ドイツ)に、世界遺産専攻コースが設置されている[56]

また、検定試験として特定非営利活動法人世界遺産アカデミーによる「世界遺産検定」が存在する。

脚注

  1. ^ このあたりの流れは、世界遺産の概説書の多くで触れられている。世界遺産アカデミー (2010) など。
  2. ^ ルーカス (1998) pp.22-23
  3. ^ 古田 (2010) p.24
  4. ^ 伊東孝『日本の近代化遺産』岩波新書、2000年、p.30
  5. ^ 文化遺産は世界遺産条約第1条、自然遺産は同第2条に規定されている。複合遺産は「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下単に「作業指針」)第46項で定義付けられている。
  6. ^ 世界遺産条約第11条4項、「作業指針」第177項 - 第191項。
  7. ^ 『世界遺産年報2002』pp.58-59と世界遺産アカデミー『世界遺産学検定(1)』講談社、2005年、p.10は、いずれも以上4件のみを「負の遺産」として例示している。
  8. ^ ビキニ環礁が世界遺産に 核実験の被害語る「負の遺産」(朝日新聞2010年8月1日)
  9. ^ 世界遺産資料館
  10. ^ 『地球の歩き方MOOK 見て読んで旅する世界遺産』ダイヤモンド・ビッグ社、2002年、pp.142-143「裏世界遺産から、世界遺産の真価を読む」; 佐滝 (2006) pp.204-206「『裏世界遺産』」
  11. ^ 1977年の制定以降、頻繁な改定が行われているが、この記事で用いられているのは2005年改訂版である。
  12. ^ 「作業指針」第146項
  13. ^ 世界遺産アカデミー (2009a) p.11;佐滝 (2009) pp.108-109
  14. ^ 松浦・西村 (2010) pp.19-21
  15. ^ 「作業指針」第137項
  16. ^ 伊東孝『日本の近代化遺産』岩波新書、2000年、pp.2-3 ; 中国新聞社編『ユネスコ世界遺産・原爆ドーム』中国新聞社、1997年 etc.
  17. ^ 『世界遺産年報2001』p.42
  18. ^ 『世界遺産年報2009』p.40
  19. ^ 「作業指針」第161・162項
  20. ^ 『世界遺産年報2008』p.45 etc
  21. ^ 『世界遺産年報2004』p.50
  22. ^ 『世界遺産年報2008』p.45
  23. ^ 「作業指針」第68項、第158項
  24. ^ 「作業指針」第59・60項、『世界遺産年報2001』p.55 etc.
  25. ^ 「作業指針」第153-160項
  26. ^ 古田 (2010) p.18
  27. ^ 「作業指針」第192-198項
  28. ^ 『世界遺産年報2008』p.38
  29. ^ ref. 河上 (2008) p.3
  30. ^ 河上 (2008) p.6
  31. ^ 「作業指針」第77項
  32. ^ 佐滝 (2009) pp.87-89
  33. ^ 『世界遺産年報2011』pp.16-17
  34. ^ 松村・西村 (2010) p.22
  35. ^ スペインとフランスで共有している「ピレネー山脈のモン・ペルデュ」などは、スペイン、フランス双方に各1件として加算している。
  36. ^ http://whc.unesco.org/en/list
  37. ^ http://whc.unesco.org/archive/global94.htm#debut
  38. ^ 『世界遺産年報』各年版(特に2005年版から2007年版)に基づく。
  39. ^ 「作業指針」第58項
  40. ^ 松浦 (2008) pp.286-293
  41. ^ 古田陽久 古田真美『世界遺産ガイド - 世界遺産条約とオペレーショナル・ガイドラインズ編』シンクタンクせとうち、2008年、p.118
  42. ^ 『世界遺産年報2010』pp33-34, 佐滝 (2009) pp.90-94.
  43. ^ 岡田 (2011) p.21
  44. ^ 『世界遺産年報2008』p.40
  45. ^ 『世界遺産年報2008』p.42
  46. ^ 世界遺産シンポジウムでの報告(『世界遺産年報1998』p.35)
  47. ^ 佐滝 (2006) pp.206-207
  48. ^ 応募のあったもののリスト
  49. ^ 2007年までの登録物件については、『21世紀世界遺産の旅』(小学館、2007年)に、外務省の退避勧告などの有無も含め、各物件へのアクセス情報が記載されている。
  50. ^ ペデルセン (2008) による。
  51. ^ 世界遺産アカデミー『世界遺産検定2007』p.160
  52. ^ 世界遺産アカデミー『世界遺産検定2007』p.164, 佐滝 (2006) pp.192-193
  53. ^ 世界遺産専攻・世界文化遺産専攻公式サイト
  54. ^ 世界遺産コース公式サイト
  55. ^ 世界遺産学部公式サイト(新規学生の募集を停止)
  56. ^ 佐滝 (2006) pp.41-42

参考文献

記事執筆の際に参照した文献・サイトのうち、主要なものを挙げる。なお、パリのユネスコ世界遺産センターが公式に監修した日本語文献は、『ユネスコ世界遺産』(講談社、全13巻)のみである。

  • ユネスコ世界遺産センター(英語・フランス語)
  • 世界遺産アカデミー (2009a)『世界遺産検定公式テキスト(1)』 毎日コミュニケーションズ
  • 世界遺産アカデミー (2009b)『世界遺産検定公式テキスト(2)』 毎日コミュニケーションズ
  • 世界遺産アカデミー (2009c)『世界遺産検定公式テキスト(3)』 毎日コミュニケーションズ
  • 世界遺産アカデミー (2010)『世界遺産検定公式ガイド300』 毎日コミュニケーションズ
  • 日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報』各年版
    • P. H. C. ルーカス (1998) 「ユネスコと自然遺産」(『ユネスコ世界遺産年報1997-1998』芸術新聞社、pp.22-27)
    • アーサー・ペデルセン (2008) 「世界遺産と観光」 (『世界遺産年報2008』日経ナショナルジオグラフィック社、pp.40-43)
    •  松浦晃一郎 西村幸夫 (2010) 「特別対談 世界遺産とともに歩んで ― 在任10年の成果と今後の課題」 (『世界遺産年報2010』 東京書籍、pp.14-24)
    • 岡田保良 (2011)「『関連性』-世界遺産登録にあたっての評価基準をめぐって」 (『世界遺産年報2011』東京書籍、pp.19-21)
  • 河上夏織 (2008)「世界遺産条約のグローバル戦略を巡る議論とそれに伴う顕著な普遍的価値の解釈の質的変容」 (『外務省調査月報』2008/No.1)
  • 佐滝剛弘 (2006)『旅する前の「世界遺産」』 文藝春秋社〈文春新書〉
  • 佐滝剛弘 (2009)『「世界遺産」の真実』 祥伝社〈祥伝社新書〉
  • 古田陽久 (2010)『世界遺産データ・ブック 2011年版』 シンクタンクせとうち
  • 松浦晃一郎 (2008)『世界遺産―ユネスコ事務局長は訴える』 講談社

関連項目

外部リンク

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