コンテンツにスキップ

牧野治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

牧野 治郎(まきの じろう、1949年(昭和24年)10月22日[1] - )は、日本の財務官僚。財務省理財局長財務総合政策研究所長、国税庁長官などを歴任。日本損害保険協会特別顧問。血液型はO型[2]

人物

[編集]

東京都渋谷区出身。1973年 東京大学経済学部経済学科卒業、 大蔵省入省(銀行局銀行課[3]。1978年7月 佐久税務署長主計局総務課課長補佐(企画係)を経て[4]、1983年6月 主計官補佐主査)となり、建設、公共事業の予算を担当する。1991年 人事院給与第二課長。1993年 主計局調査課長。その後主計官や主計局総務課長を歴任する。行革関係の特命事項や特殊法人・公益法人などを担当する官房審議官(官房担当)などを経て[5][6]、2001年 主計局次長となるなど、73年入省者には少ない主計畑を歩き[7]、2003年より理財局長を3年間務める。一時は事務次官候補で官房長起用説もあったが[7]、当時の東京大学法学部による官界支配に批判的だったことから、2006年7月 「待機ポスト」とされる財務総合政策研究所長に回り[8]、2007年より国税庁長官となる。2008年、辞職。2021年、瑞宝重光章受章[9]

略歴

[編集]

家族・親族

[編集]

大蔵省同期

[編集]

金田勝年法務大臣外務副大臣)、新井将敬衆議院議員)、佐藤隆文日本取引所自主規制法人理事長金融庁長官)、井戸清人日本銀行理事)、加藤秀樹内閣府行政刷新会議事務局長)、森信茂樹財務総合政策研究所長、東京税関長)、東正和さわやか信用金庫専務理事(代表理事)、東京国税局長国税庁調査査察部長、関東信越国税局長)、塚原治中小企業金融公庫理事、アジア開発銀行理事)、花角和男税務大学校長総務省人事・恩給局次長)、山田孝夫横浜税関長北陸財務局長)、柏木茂雄慶應義塾大学大学院商学研究科教授、財務総合政策研究所次長)など。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 日本損害保険協会 - ニュースリリース
  2. ^ 『日本の官庁 その人と組織:大藏省、経済企画庁』政策時報社、1989年発行、84頁
  3. ^ a b 『大蔵省名鑑』時評社、1997年発行、45頁
  4. ^ a b 『日本の官庁 その人と組織:大蔵省、経済企画庁』政策時報社、1989年4月発行、96頁
  5. ^ 『官界,第5~8号』行政問題研究所、2001年発行、106頁
  6. ^ 『政界・官庁人事録,第2部』東洋経済新報社、2004年発行、469頁
  7. ^ a b 国税庁長官に牧野治郎氏”. FACTA ONLINE. 2019年10月28日閲覧。
  8. ^ 〔ひと&こと〕エコノミスト 第84巻 第44号
  9. ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日
  10. ^ 『大蔵要覧 昭和55年度版』1979年12月発行
  11. ^ フォーサイト 第12巻、7〜12号』2001年7〜12月発行、65頁
  12. ^ 国税庁長官に牧野治郎氏 FACTA2007年3月号
  13. ^ 損保協会、牧野治郎氏が副会長に就任 サーチナ
  14. ^ シンニチ保険Web
  15. ^ 長谷川幸洋 『官邸敗北』 講談社、2010年、50頁
官職
先代
福田進
日本の旗 国税庁長官
2007年 - 2008年
次代
石井道遠
先代
森信茂樹
日本の旗 財務総合政策研究所
2006年 - 2007年
次代
石井道遠
先代
寺澤辰麿
日本の旗 財務省理財局長
2003年 - 2006年
次代
丹呉泰健
先代
津田広喜
日本の旗 財務省主計局次長(筆頭)
2002年 - 2003年
次代
杉本和行
先代
津田広喜
日本の旗 財務省主計局次長(次席)
2001年 - 2002年
次代
杉本和行