木暮武彦
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木暮武彦 | |
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別名 | シャケ、木暮"shake"武彦 |
生誕 |
1960年3月8日(59歳) 東京都杉並区 |
出身地 |
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学歴 | 国士舘大学中退 |
ジャンル | ロック |
職業 |
ギタリスト 作曲家 |
担当楽器 | ギター |
活動期間 |
1984年 - 1985年 (レベッカ) 1986年 - 1989年 (RED WARRIORS) 1990年 - (ソロ他) |
レーベル |
CBS・ソニー(FITZBEATレーベル) (1984年 - 1985年) 日本コロムビア(BODYレーベル) (1986年 - 1990年) ポニーキャニオン (1997年) 徳間ジャパンコミュニケーションズ (1999年 - 2003年) |
共同作業者 | RED WARRIORS |
公式サイト | 木暮"shake"武彦 official web site |
木暮 武彦(こぐれ たけひこ、1960年3月8日 - )は、日本のロック・ギタリスト。木暮"shake"武彦名義で活動する。通称シャケ。東京都杉並区生まれ。武南高等学校卒業、国士舘大学中退。元レベッカ、RED WARRIORSなどのメンバー。
略歴[編集]
- 幼少時、上野駅近辺の絵描きが描く一筆描きの龍を見て、クリエイターになりたいと思うようになる。
- 高校時代は一年生の夏まで野球部に所属していた[1]。
1980年代[編集]
- 1984年、レベッカのメンバーとしてデビュー。曲作りでも中心的な役割を担った。2枚のアルバム発表後、脱退の形であるものの、事実上の解雇、のち離反する。
- 1986年、田所豊などと共にRED WARRIORSで再デビュー。1989年の解散までに、オリジナル・アルバム4枚とライヴ・アルバム1枚発表。
- 1989年に渡米。
アメリカ時代[編集]
- 1990年、渡米初期バンド活動のナンバーを含んだソロ名義アルバム『EARLY L.A.WORKS』を日本コロムビア・BODYレーベルが発表。リリースは本意でない本人はのちに「これは私生児のようなアルバムだ」と語る。
- 元BOWWOW/VOW WOWの厚見玲衣らと共に、多国籍バンドCASINO DRIVE(バンド)を結成。
- 左腕に「CASINO DRIVE」のタトゥーを入れる。後年本人は「イノセントだったんだろうね」と語っている。
- 『FEVER VISIONS』(1992年)、『エデンの裏口から』(1994年)の2枚のアルバムをポニーキャニオンより発表。ヴォーカルのケネス・アンドリューが2ndアルバム制作前に脱退し、その後木暮はキャリア上初めてアルバム単位のリード・ヴォーカルを務めることとなる。
- JAPAN TOUR以後、CASINO DRIVEの活動を停止。そのまま帰国。
帰国後[編集]
- 1995年、プロジェクト、サイコデリシャスを立ち上げる。ポニーキャニオンより1stアルバム『不思議な旅』発表。
- 平行してRED WARRIORSの活動も続ける。
- 1999年、インディーズレーベルより2ndアルバム『真夜中の太陽』発表。
- 2001年、『真夜中の太陽』を再録音、リミックス、ナンバー入れ換えなどした上でImagineレーベルより『一人だけの世界』として再発表。
- 2006年、Mt.DELICIOUSを結成し、『夜明けのドラゴン』発表。
- 2011年、ソロアルバム『水と光の魔法』発表。Mt.DELICIOUSを休止。
- 2013年、ソロアルバム『儚(はかない)』発表。
ソロアルバム[編集]
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- 水と光の魔法 (2013年10月09日、クリアスカイ、CS-1154)
- 儚 (2011年11月16日、クリアスカイ、CS-1155)
- 惑星にて(2016年12月21日発売)[2]
脚注[編集]
- ^ ロッキング・オン・ジャパン 1988年8月号 VOL.14. (株)ロッキング・オン. (1988/8/16).
- ^ “元レベッカ 木暮“shake”武彦、12・21ソロアルバム 6年ぶりにエレキ演奏”. ORICON STYLE. (2016年10月20日) 2016年10月20日閲覧。