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月光院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

月光院(げっこういん、貞享2年(1685年) - 宝暦2年9月19日1752年10月25日))は、江戸幕府6代将軍・徳川家宣側室で、7代将軍徳川家継の生母。本名は勝田輝子(かつたてるこ)で、家宣が死去してから月光院と呼ばれる。側室としての名は喜世(きよ)が知られる。また局としての名に左京の局(さきょうのつぼね)がある。

生涯

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父は元加賀藩士で浅草唯念寺住職勝田玄哲、母は和田治左衛門の娘。

初め京極家、次に戸田家に出仕し、後に4代将軍徳川家綱付きの御年寄矢島局の養子であった矢島治太夫の養女に迎えられた。そして宝永元年(1704年)には徳川綱豊(後に家宣)の桜田御殿に出仕するようになった。

やがて喜世は綱豊から寵愛を受ける。その年の12月には5代将軍徳川綱吉の養嗣に綱豊が迎えられ、江戸城西の丸に入ることになり、正室近衛熙子や喜世らの側室も西の丸に同行した。

宝永6年(1709年)には綱豊が家宣となり6代将軍に就任する。同年7月、喜世は男児(家宣の四男)を出産、鍋松と名付けられた。後の家継である。喜世も左京の局と呼ばれるようになった。また、右近の方(お古牟の方)が「一のお部屋様」、新典侍(お須免の方)が「二のお部屋様」と称されたのにならい、左京の方は「三のお部屋様」とも呼ばれた。この時、家宣には大五郎(家宣の三男)という側室の須免が産んだ子がいたが、宝永7年(1710年)に大五郎が3歳で急逝した。その2年後の正徳2年(1712年)10月に家宣が死去し、喜世は落飾して月光院と号した。大奥での順位は、先代御台所であり従一位の天英院(近衛熙子)が首座となり、月光院は次席となる[1]。翌正徳3年(1713年)、家継に将軍宣下。月光院は従三位の位を賜った。

「徳川実紀」に記載はないが、「三王外記」には「章王(家継)幼く、月光夫人の所に在り。即ち昼夜無く詮房(間部詮房)独り之に従う、因りて夫人と通ず」とあり、間部詮房との艶聞が記載されている。

正徳4年(1714年)、月光院の右腕とも言える月光院付きの御年寄・江島が家宣墓参り代参の帰りに歌舞伎役者生島新五郎を宴会に招いて大奥門限に遅れ、これから江島生島事件が発生、江島は失脚・遠島処分(実際は大名預け)となり、月光院の勢力にも影響を及ぼした。

享保元年(1716年)、家継は風邪をこじらせて死去した。月光院が風邪を引いていた家継を無理に能楽鑑賞をさせたためとも言われる。その後の8代将軍には、家宣の遺言ということもあり、紀州徳川家から徳川吉宗が迎えられた。吉宗が延享2年(1745年)に引退の動きを見せると、9代将軍に田安宗武を推すなど、晩年にも影響力を行使しようとしたともいわれる。

吉宗時代になると月光院は大奥を離れ、城内吹上御殿に移って年間8600両の報酬で暮らした[2]

宝暦元年(1751年)に吉宗の死を見届けた翌年、宝暦2年(1752年)に68歳で没する。法名は月光院理誉清玉智天大禅定尼。墓所は増上寺

埋葬された増上寺で徳川将軍家の墓地が改葬された際に、遺骨の調査を担当した鈴木尚が中心となって編纂した『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』によれば、血液型はA型で、四肢骨から推定した身長は144.4センチメートルである。この鑑定によって、当時としては目元がかなりぱっちりとしていたこともわかっている。[要出典]

月光院は和歌にも優れており、歌集『車玉集』を著している。

生家の勝田家は町医者から幕臣(旗本)に取り立てられ、3千石もの大身で旗本寄合席となった。

関連作品

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歌舞伎
小説
映画
テレビドラマ
テレビ番組

脚注

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  1. ^ 徳川実紀」正徳二年十二月五日条
  2. ^ 竹内誠『徳川「大奥」事典』(東京堂出版)P261
  3. ^ “NMB48メンバーで“大奥”の一大スキャンダルを再現 『歴史秘話ヒストリア』”. ORICON STYLE. (2016年4月26日). https://www.oricon.co.jp/news/2070783/full/ 2016年4月26日閲覧。 


徳川家継の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. 徳川秀忠
 
 
 
 
 
 
 
8. 徳川家光
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. 豊臣達子
 
 
 
 
 
 
 
4. 徳川綱重
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. 岡部重家
 
 
 
 
 
 
 
9. 於夏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2. 徳川家宣
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
10. 田中時通
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5. 田中保良子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1. 江戸幕府7代将軍
徳川家継
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
12. 勝田清崇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6. 勝田著邑
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3. 勝田輝子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
14. 和田治左衛門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7. 和田治左衛門娘