土屋正勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
土屋 正勝
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県旭市
生年月日 (1956-11-06) 1956年11月6日(60歳)
身長
体重
180 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1974年 ドラフト1位
初出場 1975年4月7日
最終出場 1986年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

土屋 正勝(つちや まさかつ、1956年11月6日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球投手である。

来歴・人物[編集]

叔父は千葉県立銚子商業高等学校第47回全国高等学校野球選手権大会で準優勝した際の左翼手[1]。土屋も銚子商に進学。1973年春から4期連続で甲子園に出場し、同年の第55回全国高等学校野球選手権大会では、2回戦で作新学院高江川卓に延長12回の末投げ勝ち、ベスト8に進出。翌1974年第46回選抜高等学校野球大会でもベスト8。だが、甲子園や練習試合等での酷使がたたったのか、同年夏は地区予選で肘を痛め、第56回全国高等学校野球選手権大会に出場は果たしたものの、甲子園には電気治療器を携えての登板となった。大会では土屋の快投と、篠塚和典(のち巨人)ら強力打線の爆発により、圧倒的な強さで見事優勝を成し遂げる。土屋は球威は衰えたものの、抜群のコントロールと投球術で相手打線を翻弄、5試合で失点わずか1という見事なピッチングを見せた[2]

同年秋のドラフト会議では高校生の目玉として注目を集め、中日ドラゴンズの1位指名を受けて1975年入団。入団後も度々肘や肩の故障に苦しみ、1979年には開幕から五番手の先発要員として起用され17試合に先発するも、わずか2勝に終わる。その後も先発で結果を残すことはなく中継ぎ要員となる。1984年ロッテオリオンズに移籍。1986年5月10日の試合には1球で勝利投手になった。この年のシーズン終了後に現役を引退した。現在は郷里で保険代理業を営む。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1975 中日 14 6 0 0 0 0 1 0 -- .000 179 39.2 44 8 15 0 2 22 0 0 22 19 4.28 1.49
1976 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 56 11.2 19 3 7 0 0 6 0 0 11 11 8.25 2.23
1977 9 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 82 20.1 23 2 2 0 0 7 0 0 14 12 5.40 1.23
1978 16 4 0 0 0 0 2 0 -- .000 194 38.2 57 11 25 0 3 12 2 0 36 32 7.38 2.12
1979 32 17 1 0 0 2 6 0 -- .250 459 104.0 117 21 44 1 2 43 3 0 62 55 4.76 1.55
1980 28 6 0 0 0 1 4 0 -- .200 261 61.0 71 13 15 1 1 39 5 0 36 33 4.87 1.41
1981 23 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 129 33.0 23 2 10 3 0 16 0 0 8 7 1.91 1.00
1982 13 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 67 15.1 15 1 6 3 0 5 0 0 6 5 3.00 1.37
1984 ロッテ 29 2 0 0 0 0 3 1 -- .000 286 62.2 67 8 32 2 3 32 1 0 42 37 5.31 1.58
1985 33 0 0 0 0 2 2 0 -- .500 395 89.2 98 13 35 2 4 43 2 0 58 47 4.72 1.48
1986 36 1 0 0 0 2 3 2 -- .400 160 41.0 45 8 17 0 1 19 4 0 30 21 4.61 1.51
通算:11年 240 38 1 0 0 8 22 4 -- .267 2289 517.0 579 90 208 12 16 244 17 0 325 279 4.86 1.52

記録[編集]

背番号[編集]

  • 16 (1975年 - 1983年)
  • 27 (1984年 - 1986年)

脚注[編集]

  1. ^ 「銚子商、悲願の初優勝」毎日新聞、1974年8月20日東京朝刊14面
  2. ^ 『甲子園の星たち』(ベースボール・マガジン社)ISBN 978-4-583-61069-6

関連項目[編集]