兼森義則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

兼森 義則(かねもり よしのり、1949年5月23日 - )は、広島県呉市出身の日本男性アニメーターキャラクターデザイナー監督作画監督演出家である。マッドハウス所属。東京デザイナー学院アニメーション科卒業。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

1980年代東映動画作品で、1990年代から2000年代まではマッドハウス作品で、数々の漫画を原作とするテレビアニメキャラクターデザインを手がけて来た。演出家としては、広島出身ということもあり、プロ野球球団「広島東洋カープ」設立を題材としたアニメ映画の監督を任せられた。

略歴[編集]

東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)を卒業後、アニメ制作会社朝日フィルムへ入社。朝日フィルムは東映動画作品の外注を主にこなす会社で、兼森はここでテレビアニメゲゲゲの鬼太郎』(第2作)や『マジンガーZ』の作画をこなす。『マジンガーZ』の途中で、海外とのアニメの合作を主にするトップクラフトへ移籍。さらに洋燈社を経て、1976年に作画スタジオスタジオバードを設立した、メンバーは兼森の専門学校の同期生で、朝日フィルムから行動を共にして来たアニメーターの稲野義信(秋野洋一)、及川博史である。

1970年代後半から1980年代前半は、スタジオバードで東映動画作品を中心に活動し、特にテレビ版『銀河鉄道999』では主力の作画スタジオとなって活躍した。これが認められて、後番組のテレビ版『新竹取物語 1000年女王』(1981年)ではスタジオバードの面々がキャラクターデザインに抜擢され、兼森は総作画監督の責を負った。東映動画ではこの後も、1983年ストップ!! ひばりくん!』、1984年夢戦士ウイングマン』、1985年ゲゲゲの鬼太郎』、1988年ひみつのアッコちゃん』と立て続けにキャラクターデザインを任せられた。

やがて、稲野がサンライズを仕事の中心にするなどして、兼森も東映動画中心のスタジオバードから、1989年のテレビアニメ『YAWARA!』のキャラクターデザインの仕事から仕事の拠点をマッドハウスへと移した。以後、演出にも進出しながら、数々の作品をこなした。一般のアニメ以外にも、1993年にはテレビ朝日ニュース番組ニュースステーション』のオープニングアニメーションの作画を担当している。

参加作品[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

劇場アニメ[編集]

その他[編集]

  • 〜宇宙とコミュニケート〜Let's Talk!(1988年、キャラクターデザイン、瀬戸大橋博'88岡山でのNTTパビリオン内上映アニメ)
  • ニュースステーション(1993年、オープニングアニメ原画、テレビ番組、マッドハウス)
  • みんなのうた月のワルツ」(2004年、作画[2]、マッドハウス)
  • Young Alive! 〜iPS細胞がひらく未来〜(2010年、アニメーション監督・キャラクターデザイン、日本科学未来館ドームシアターガイア上映アニメ、マッドハウス)
  • 明治 果汁グミ Tweet Love Story 「メグミとタイヨウ」(2011年、アニメーションキャラクターデザイン・作画監督、TVCM、マッドハウス)

脚注[編集]

  1. ^ ほえろブンブン”. マッドハウス. 2016年6月26日閲覧。
  2. ^ マッドハウス風雲録 其の二 いしづかあつこインターネットアーカイブのキャッシュ)

関連項目[編集]