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中濱裕之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中濱 裕之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県郡山市
生年月日 (1978-04-10) 1978年4月10日(46歳)
身長
体重
180 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1996年 ドラフト4位
初出場 2001年10月2日
最終出場 2003年5月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中濱 裕之(なかはま ひろゆき、1978年4月10日 - )は、福島県郡山市出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

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仙台育英学園高等学校在籍時、1995年第67回選抜大会第77回全国選手権1996年夏の第78回全国選手権に出場。1996年度ドラフト会議にて近鉄バファローズから4位指名を受けて入団。

2002年オフに小野仁永池恭男とのトレードで吉川元浩と共に読売ジャイアンツへ移籍。2005年オフに戦力外通告を受けた。トライアウトを受けるもオファーがなく、埼玉県のクラブチームである一球幸魂倶楽部に入団。

2006年3月にはクラブチーム選抜メンバー「Clubチャレンジニッポン!」のメンバーに選出される。同年9月からは西多摩倶楽部に在籍。

2007年シーズンからNTTグループ東北マークスに所属し、7月から楽天の主催する野球塾のコーチに就任。第78回都市対抗野球では、所属チームは東北一次予選で敗退したものの、岩手21赤べこ野球軍団に補強されて本大会初出場を果たし、1回戦の対四国銀行戦では4番レフトで先発出場して2安打を放った。この年もプロ復帰を目指して12球団合同トライアウトに参加したが声はかからなかった。

2008年から楽天イーグルスジュニアスクールのコーチに就任し、2015年からは楽天が保有するリトルシニアチーム「東北楽天リトルシニア」の監督となる[1]。就任2年目の2016年には秋季新人東北大会優勝、全国出場に導いた[1]2021年9月1日からは宮城県仙台市で個別野球スクール「ドリームベースボール」を立ち上げた[1]

人物

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現役時代の自身を「生意気な問題児」「失敗者」と振り返り、不遜な態度を取ったり、コーチと衝突することもあったという[2]。改心した転機として2008年の楽天ジュニアスクールコーチ就任を挙げている[2][1]。中濱は「失敗からいろいろなことを考え、成長できた。僕だから伝えていけることもあると思うんです」「性格はなかなか変えられないですが、考え方は変えられる。僕を慕って来てくれる子どもたちがいる。彼らのことを考えたら、自然とそうなりましたね」と語っている[2]

子どもの野球指導では『長所を褒める。個々に応じて適切な言葉を選ぶ。時に冗談を言い合う』[2]。この小さな積み重ねを大事にしている[2]。中濱は「どれだけ子どもたちが分かりやすく、理論的に説明できるか。頭ごなしに指示しても子どもたちは理解できない。理解できなければやろうとはしない」「子どもたちは楽しいから野球をやる。それを継続させるためのコーチ。楽しくないと次に進めないですからね」「僕は子どもたちに諦めないで欲しいんです。これから絶対に挫折はある。その時に諦めないでやれる子を育てたい。それは人生もそうですから」と語っている[2]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2001 近鉄 2 3 3 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .667 1.000
2003 巨人 6 5 5 1 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .200 .200 .200 .400
通算:2年 8 8 8 1 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .250 .250 .375 .625

記録

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背番号

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  • 56(1997年 - 2002年)
  • 51(2003年 - 2005年)

脚注

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  1. ^ a b c d 元プロ中濱裕之さん「東北の野球のレベルを上げたい」個人レッスン教室開講”. 日刊スポーツ (2021年9月24日). 2021年10月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 【野球】ヤンチャだった元巨人選手が野球スクール開校「失敗者」だからこそ伝えられること”. デイリースポーツ online (2021年9月9日). 2021年10月12日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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