ルースキエ・ヴィーチャズィ

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ルースキエ・ヴィーチャズィのSu-27

ルースキエ・ヴィーチャズィ(ロシア語:Пилотажная группа "Русские Витязи"ピラタージュナヤ・グルーッパ・ルースキイェ・ヴィーチャズィ)は、ロシア空軍展示飛行チームソ連時代の1991年4月5日に、Su-27を装備する部隊として結成された。

チーム名は、「ロシアの勇者たち」という意味。対外向けアピールもあり、「Russian Knights」の名も使用している。但し「ヴィーチャスィ」とは、半ば伝説と化した古代ロシア・ルーシ固有の英傑のことを指す名称で、「ナイト」(Knights)とは別物である。日本語では、ロシアン・ナイツと呼ばれることもある。ロシアでは、たんに「ヴィーチャズィ」とも呼ばれている。ルースキイェ・ビチャジ、ルースキエ・ビチャジと表記されることもあるが、ロシア語の日本語訳としては正しくない。

概要[編集]

Su-27
Su-27UB

クビンカ飛行場では、1935年赤軍空軍の部隊が置かれて以来、さまざまな新型機種の飛行試験が行われてきた。1989年5月、クビンカ飛行場のI・N・コジェドゥープ記念第237展示飛行技術センターにSu-27が装備されると、それまでの戦闘機に対し行われてきたのと同様、さまざまな試験や訓練が開始された。そうした中で明らかとなったのは、Su-27が同時期に配備されたMiG-29より編隊飛行が難しいということであった。だが、こうした欠点の克服は、それまでMiG-19MiG-21MiG-23などでも課されてきた、ごく当然の課題であった。その後、正式な構成スタッフが決定された。

かくして、1991年4月5日、クビンカ空軍基地で6 機のSu-27/UBを装備する部隊としてルースキエ・ヴィーチャズィは誕生した。このチームは、同年9月にイギリスソ連空軍部隊として初めての西側での展示飛行を行った。

1995年12月12日には訓練中に3 機のSu-27が衝突する事故が発生し、パイロット4 名の生命が失われた。これは、独立後のロシアの経済低迷による空軍の訓練不足を象徴する出来事として報道された。翌1996年10月には、この惨事を追悼する記念碑が建てられた。

その後しばらくチームは飛行を停止していたが、やがて残る4 機のSu-27を用いて活動を再開した。それらは新しい明るい色の塗装を施され、1996年9月に観衆の前に姿を現した。1997年には6 機編隊へ回復した。この年の6月には、事故後初めて海外遠征を行った。

近年では、新しいSu-27Mが優先配備されるなど、「ロシア空軍の顔」としての重要な役割を担い続けている。また、ルースキエ・ヴィーチャズィの順調な活動はロシア経済の順調な復調を象徴するひとつのアピールともなっている。また、2006年にはチーム結成15周年を記念し、ロシアやベラルーシなどの各地で展示飛行を披露している。

2006年の中国ツアーより正式にレッドブルのスポンサードを受けることになり、ユニフォームと機体マーキングにレッドブルのロゴが書き込まれた。

2009年8月16日、モスクワ航空ショーに向けてのアクロバット飛行訓練の最中に隊長機と僚機が接触し、二機とも墜落した。乗員のうち二名は脱出したが、乗員の一人であった、ルースキエ・ヴィーチャズィ隊長のイーゴリ・トカチェンコ大佐が死亡した。

2011年、空軍予算の縮小に伴いチームはモスクワエアショーをもって解散する事と言う噂が出たが、ホームベースをクビンカ基地から移動して存続する事が発表された。

実績[編集]

チームが展示飛行を実施した国は以下の通り。

クビンカの展示飛行チーム[編集]

外部リンク[編集]

(ロシア語)