パトルイユ・ド・フランス

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パトルイユ・ド・フランス
パトルイユ・ド・フランス (2011年)
活動期間1931 – 現在
国籍 フランス
軍種 フランス航空宇宙軍
任務曲芸飛行
兵力8–9 パイロット
35 サポートメンバー
Baseサロン・ド・プロヴァンス空軍基地英語版
サロン=ド=プロヴァンス, Bouches-du-Rhône, フランス 1964–
渾名La PAF
彩色青、白、赤
使用作戦機
練習機1953–1954 F-84
1954–1957 ウーラガン
1957–1964 ミステールIV
1964–1981 フーガ・マジステール
1981–現在 アルファジェット

パトルイユ・ド・フランス(Patrouille de France)は、フランス航空宇宙軍アクロバットチームサロン=ド=プロヴァンスに本拠地を置く。

パトルイユとは、フランス語で「編隊」を意味する。

沿革[編集]

フランスでは、ジェット時代になっても実戦部隊内に編成されたパートタイムのアクロチームが多く存在しており、この中から毎年空軍の公式アクロチームを選抜していた。1956年から、ディスプレイに感激したショーのナレーターによる紹介がきっかけで「パトルイユ・ド・フランス」の名称で代表チームは呼ばれるようになる。この選抜システムはジェット戦闘機の複雑化・高コスト化に連れて自然淘汰され、空軍大学の傘下に置かれたフーガ・マジステールのチームがパトルイユ・ド・フランスの名称を継承し、現在に至る。2010年には、ジェットアクロチームとして初めて女性パイロットのビルジニー・ギヨ少佐をリーダーに起用。2013年には創立60周年を迎えた。

編成[編集]

8機編成で、演技は8機による編隊科目、4機ずつに分かれての科目、6機編隊とソロ2機による科目で構成されるが、リーダーが毎年交代するため、演技内容がシーズンごとに変化するのが特徴。ただ、演技を締めくくる8機全機での「ファイナル・ブレイク」などいくつかの科目には手を加えないという暗黙の了解がある。演技内容のレベルは非常に高く、イギリスレッドアローズイタリアフレッチェ・トリコローリと並ぶヨーロッパアクロチーム御三家の一角をなしている。チームには毎年3名の新パイロットが加わるが、フォーメーション先頭のリーダー機の後ろ(スロット)に位置する4番機のパイロットが翌年のリーダーの定位置となっている。

使用機種[編集]

事故[編集]

2019年7月25日、ペルピニャン=リヴザルト空港でパトルイユ・ド・フランスのアルファジェットが滑走路を逸脱し、コンクリート壁で停止した。パイロットは脱出したが負傷し、サン=シプリアンで予定されていた展示飛行は中止された[1]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 井上孝司「航空最新ニュース・海外軍事航空 パトルイユ・ド・フランス機滑走路を逸脱」『航空ファン』通巻802号(2019年10月号)文林堂 P.116

外部リンク[編集]