フランス領ウバンギ・シャリ

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Oubangui-Chari
植民地
1903–1958
国旗 国章
国歌
再生
ラ・マルセイエーズ
緑:フランス領ウバンギ・シャリ(~1916年)
薄緑:1916年にドイツ領カメルーンから獲得
黄緑:その他のフランス領赤道アフリカ
灰:その他のフランス植民地
黒:フランス第三共和政
首都 アビラス英語版(1903~1906年)
フォート・デ・ポッセル英語版(1906年)
バンギ(1906~1958年)
言語 フランス語
政治機構 植民地
歴史
 •  創立 1903年
 •  チャドと合併 1906
 •  フランス領赤道アフリカに併合 1910~1916
 •  分離 1916~1934
 •  フランス領赤道アフリカに再併合 1934~1958
 •  自治植民地英語版 1958年12月1日
通貨 AEFフラン英語版
CFAフラン
1910年頃の地図
1924年の1センタイム英語版切手。二重加刷が有る。

フランス領ウバンギ・シャリ(フランス語:Oubangui-Chari)は、フランス1903年1958年まで中央アフリカに領有していた植民地。 半分以上の期間はフランス領赤道アフリカの一部だった。 ウバンギ川シャリ川周辺に存在した。

歴史[編集]

1889年、ウバンギ川の航行拠点としてバンギ事務局が設置された。

1891年12月9日フランス領コンゴ内に上ウバンギが設置された。

1892年ベルギー王の私領地であるコンゴ自由国のウバンギ・ボム州(フランス語:Oubangui-Bomou)との境界が北緯4度線に設定されたが、領土問題が発生した。

1894年7月13日、上ウバンギが独立した植民地になった。

1895年、コンゴ自由国との領土問題が解決した。

1899年、上ウバンギがフランス領コンゴに併合された。

1900年9月5日、上シャリ(フランス語:Haut-Chari)が設置された[1]上ウバンギ・スルタン国会社英語版が、上ウバンギの14万km2以上の領域でコンセッション方式で独占商業権を獲得した[2]

1903年12月29日、上ウバンギと上シャリを合わせてウバンギ・シャリとし、フランス領コンゴから分離した。

1906年2月11日チャド湖周辺の植民地を合併し、ウバンギ・シャリ・チャド(フランス語:Oubangui-Chari-Tchad)となった[1]

1909年ベルギー領コンゴからゼミオ・スルタン国とラファイ・スルタン国を獲得した[3]

1910年1月15日、フランス領コンゴとガボンと合併し、フランス領赤道アフリカ(FEA)となった。

1916年4月12日、ウバンギ・シャリ・チャドとして分離した。

1920年、チャド湖周辺を喪失した。

1934年6月30日、フランス領赤道アフリカに再合併した。

1937年12月31日フランスの海外県・海外領土として宣言された[1]

1940年6月16日8月29日ヴィシー政権に従った。 その後自由フランスに占領された。

1958年12月1日中央アフリカ共和国に改名し、自治権を獲得した。

1960年8月13日、名前はそのままで独立した[1]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d World Statesmen. "Central African Republic." Accessed 29 Mar 2014.
  2. ^ Richard Bradshaw and Juan Fandos-Rius, Historical Dictionary of the Central African Republic (Scarecrow Press, 2016), p. 176.
  3. ^ World History at KMLA. "Central African Republic". Accessed 29 Mar 2014.

外部リンク[編集]