ドン・フェルダー
ドン・フェルダー Don Felder | |
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2009年 | |
基本情報 | |
出生名 | Donald William Felder |
生誕 | 1947年9月21日(75歳) |
出身地 |
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ジャンル |
ロック カントリー |
職業 |
ギタリスト シンガーソングライター |
担当楽器 |
ギター 歌 マンドリン バンジョー キーボード ペダル・スティールギター |
活動期間 | 1968年 - |
共同作業者 | イーグルス |
著名使用楽器 | |
ギブソン・EDS-1275 ギブソン・レスポール フェンダー・ストラトキャスター グレッチ・ホワイトファルコン |
ドン・フェルダー(Don Felder、1947年9月21日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州ゲインズビル出身のミュージシャン、シンガーソングライター、ギタリスト。1970年代のウェストコースト・ロックを代表するバンド、イーグルスのメンバーとして、またホテル・カリフォルニアの作曲者として著名。巧みなギターテクニックを持つギタリストでもある。
来歴[編集]
少年時代にゲインズビルに転居してきたスティーヴン・スティルスやバーニー・レドンと出会い、彼らとバンド活動を始める。のちに彼らは父親の仕事の都合で去っていった。この頃楽器店の教室でトム・ペティにギターのレッスンをしている。
1968年ころにチャック・ニューコムらとフローを結成。ニューヨークに進出しジャズ・レーベルのCTIレコードからアルバムを発表したものの、あまり売れず解散する。
その後バーニーと再会しロサンゼルスに移り、グレアム・ナッシュやデヴィッド・ブルーのツアー・バンドのギタリストとして活動し、アルバム『オン・ザ・ボーダー』をレコーディング中だったイーグルスにスライドギターの演奏を依頼され、そのまま加入する[注釈 1]。ちなみに後に発表された自伝で明らかにされたことであるが、この時、同時に設立された有限会社イーグルスに既存メンバーと同等の権利をもつメンバーとして参加しており、これが2001年に不当解雇でフライ、ヘンリーの両者を訴え、その後両者がフェルダーの主張の正当性を一部認めた上で示談が成立するという流れの伏線となった。
『呪われた夜』では「Visions」でのリード・ボーカル担当、『ホテル・カリフォルニア』ではタイトル曲を作曲し(作詞はドン・ヘンリー)、イーグルスの活動に貢献したが、イーグルスは1980年に解散となる。
解散後はソロで活動していたが、1994年にイーグルスが再結成され、フェルダーも参加する。しかし、2000年にグレンから「バンドに貢献していない。」と解雇を言い渡される。当時は詳細が明らかにされなかったが、実際の理由は音楽的なことではなく、フライ、ヘンリーの専横にフェルダーが不満をもらし続けたことに業を煮やしたフライの決断であった。
2001年にフェルダーは解雇の撤回と報酬分配の見直しを求めてグレンとドン・ヘンリーを告訴する。再結成されたイーグルスでは二人が他のメンバーの倍の報酬を要求し、両者の取り分がそれぞれ七分の二、残りの三人が七分の一ずつを受け取ることを強要されたことが2010年に発表された自伝で暴露されている。2006年に示談が成立したが、結局フェルダーはイーグルスに復帰しなかった。
2010年、暴露本「ドン・フェルダー自伝 天国と地獄 イーグルスという人生」を発表する。噂で漏れ伝わっていたイーグルスのメンバー間の軋轢や、ドン・ヘンリー、グレン・フライの横暴さが暴露されているが[注釈 2]、この著書の中で、ホテル・カリフォルニアの作曲者がフェルダー自身(ドン・ヘンリーは作詞のみ)であり、曲が完成されていく詳細が初めて公式に明らかにされた。一方で両親から受けた影響や妻とのなれそめ、離婚に至った経緯、セッションマン時代の苦労話なども事細かに書かれており、暴露ものという以上に内容のある自伝として成立している。そのほか、60年代 - 70年代のロック・ミュージックの歴史が記された記録としての側面も興味深いものがある。
作品[編集]
フロー[編集]
- 1970年 Flow
イーグルス[編集]
- 1974年 On The Border
- 1975年 One Of These Nights
- 1976年 Hotel California
- 1979年 The Long Run
- 1980年 Eagles Live
- 1994年 Hell Freezes Over
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ スライドギターの奏法についてはフロリダにいた頃にデュアン・オールマンから教わっている。
- ^ もっとも顕著なのはホテル・カリフォルニアの作詞・作曲者のクレジットの順番を変えた件である。