トマス・ジェイムズ・ヴィルサック

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トマス・ジェイムズ・ヴィルサック
Thomas James Vilsack
Tom Vilsack, official USDA photo portrait.jpg
生年月日 1950年12月12日(63歳)
出生地 ペンシルベニア州ピッツバーグ
出身校 ハミルトン・カレッジ
オールバニ法科大学院
所属政党 民主党

アメリカ合衆国の旗 第30代農務長官
任期 2009年1月20日 -
大統領 バラク・オバマ

任期 1999年1月15日 - 2007年1月12日
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トマス・ジェイムズ・ヴィルサック(Thomas James Vilsack、1950年12月12日 - )は、アメリカ合衆国政治家アメリカ合衆国農務長官民主党に所属し、第40代アイオワ州知事を務めた。

生い立ち[編集]

トマス・ジェイムズ・ヴィルサックは1950年12月12日にペンシルベニア州ピッツバーグにおいて誕生した。ヴィルサックは生後間もなく捨て子となり、ローマ・カトリック教会孤児院に引き取られた。ヴィルサックは1951年にバッド・ヴィルサック (Bud Vilsack) とドリー・ヴィルサック (Dolly Vilsack) の養子となり、敬虔なカトリック教徒として育てられた。養父バッドは不動産仲介業と保険勧誘業で生計を立てていた。養母ドリーは家政婦であった。

ヴィルサックはピッツバーグの預科学校シェイディ・サイド・アカデミーで学び、1972年にハミルトン・カレッジを卒業した。ヴィルサックはハミルトン・カレッジにおいて、友愛会デルタ・ウプシロンに所属した。ヴィルサックは1975年にオールバニ法科大学院法務博士号を取得した。ヴィルサックはその後、妻クリスティーンとともに、妻の故郷アイオワ州マウント・プレザントに移り住んだ。そしてヴィルサックは、義父の経営する法律事務所に加わった。

初期の政治経歴[編集]

ヴィルサックは1987年にアイオワ州マウントプレザント市長に選出された。ヴィルサックは暗殺されたエド・キング市長の後任として着任した。ヴィルサックは1992年に僅差でアイオワ州上院議員に選出された。ヴィルサックはアイオワ州議会において、労働者の待遇向上を求める立法を提起した。特に州税制上の優遇を受けた企業に対しては、従業員の給与や手当てを改善するよう求めた。またヴィルサックは転職する労働者に対して健康保険が切れ目なく保障され続ける法制度を提唱し、州労働開発省の再編成に助力した。加えてヴィルサックは、アイオワ州の地方郡に対して、メンタルヘルスにかかる費用の50パーセントを補助する法案を提起した。

アイオワ州知事[編集]

ウェルズ・ファーゴ・アリーナの落成式典でスピーチを行うヴィルサック(2005年7月12日)

1998年、ヴィルサックは民主党からアイオワ州知事に立候補した。4期16年務めた共和党現職テリー・ブランスタッドは不出馬を表明したため、アイオワ州共和党は連邦下院議員ジム・ロス・ライトフットを擁立した。ライトフットは長期政権を握ったブランスタッドの後任として、勝機のある有力候補として扱われた。ヴィルサックは民主党予備選挙において、元アイオワ州最高裁判事マーク・マコーミックを下した。ヴィルサックは副知事候補にサリー・ペダーソンを指名して本選挙に臨んだ。ヴィルサックは州知事選挙においてライトフットを僅差で破り、民主党候補としては30年ぶりのアイオワ州知事に就任した。

2002年、ヴィルサックは2期目のアイオワ州知事選挙に臨んだ。ヴィルサックは共和党ダグ・グロスを破り、2選目を果たした。ヴィルサックは2002年にスディーヴン・グリーソンを首席補佐官として起用した。グリーソンは2005年に辞任したため、ヴィルサックは後任の首席補佐官にシンシア・アイゼンハワーを据えた。

州知事としてヴィルサックは、2002年にアイオワ州発展評価基金を設立した。ヴィルサックは5億300万ドルを企業に割り当て、州内の経済活性化を試みた。加えてヴィルサックは、より収益の上がる産業を創出するべきと唱導した。だがこのヴィルサックの試みは、アイオワ州最高裁判所により違憲と裁定された。これを受けてヴィルサックは、基金システムの合憲化を目指すため、議会で一部拒否権を行使した。ヴィルサックは所得税の引き下げと事業規制の緩和に関する法案の一部を拒否した。その代わりヴィルサックは、州予算から1億ドルを預託金として拠出する案を提示した。アイオワ州議会は2004年の特別会期においてヴィルサックの案に合意した。そしてアイオワ州発展評価基金は2005年末に復活した。

民主党内におけるヴィルサックの好敵手エド・ファロンは、ヴィルサックの基金プログラムを批評した[1]。ファロンは「基金によって誘致された州外の企業は、州内に基盤を持つ企業と異なり、他州により魅力的な金銭的インセンティブがあれば容易に離れてしまう」と指摘した。加えてファロンは「新たな産業を創出する動機付けが乏しい」とも指摘した[2]。2005年7月、ヴィルサックは服役を終えた重犯罪人の選挙権は回復されるべきとする行政命令に署名を行った。アイオワ州法では「知事の命令がない限り、重犯罪人の公民権は永久に剥奪される」と規定されていたが、ヴィルサックはこの規定に基づく公民権の復帰命令手続きを省略化した[3]

ヴィルサックの在任中のほとんどで、アイオワ州議会は共和党が多数派を占めていた。2004年11月2日の選挙以降は、上院で民主党と共和党が等しく50議席を占めた。しかしながら下院は共和党51議席、民主党49議席で、依然として共和党多数のままであった。

ヴィルサックは2005年の通常会期において、塩酸プソイドエフェドリンを有効成分とする医薬品の販売を厳しく規制する法案に署名した。これにより、当該医薬品を一般の商品棚に陳列することはできなくなり、一般人は薬局の窓口から薬剤師を経由して購入することが必須となった。加えて当該医薬品の購入時には、身分証明書を提示の上、記録台帳にサインをすることが義務付けられた。アイオワ州でメタンフェタミンの使用を縮小することを目的とした新たな法律は、2005年5月21日に発効した。

2005年の、連邦最高裁判所はケロ対ニューロンドン市裁判において行政府による土地収用権の行使を容認する判決を下した。この判決を受けてアイオワ州議会は、連邦最高裁判所の判決を上書きする形で土地収用権に制限を掛ける議決を行った。だがヴィルサックは州議会の議決に反対し、「スラム街や廃墟を再開発のために収用することを制限する規定は、私にとって重大な懸念事項だ」と拒否権を行使した。

ヴィルサックは全国知事会執行委員会に参加した。ヴィルサックは2004年に民主党知事会の議長を務めた。ヴィルサックはまた知事生命工学パートナーシップ知事エタノール会議中西部州知事会議でも議長を務め、加えて全国知事会のいくつかの委員会でも委員長ないし副委員長を務めた。ヴィルサックは全国知事会において、農場政策やエネルギー政策の策定に尽力した。またアイオワ州知事としても、農畜産物の海外市場開拓に尽力し、穀物を使ったバイオ燃料の普及を推進した。

ヴィルサックは3選目を求めず、2007年にアイオワ州知事を任期満了で退任した。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙[編集]

大統領選挙からの撤退を表明するヴィルサック(2007年2月23日)

2006年11月30日、ヴィルサックは2008年の大統領選挙に立候補する旨を公式発表した。発表スピーチにおいてヴィルサックは「アメリカは偉大な国である。そして私はいま、手続きを開始する機会を獲得した――合衆国大統領に立候補する法的手続きの機会をだ」と述べた。だが2007年2月23日、ヴィルサックは金銭的な制約により、選挙戦から離脱することを表明した[4]

ヴィルサックは選挙戦において、ソーシャル・メディアを積極的に利用した。特にソーシャル・ネットワーキング・サービスMySpaceで自己のプロフィールや政策方針を提示し、加えて動画共有サービスYouTubeバイラルCMを公開した。ヴィルサックはまた、Facebookblip.tvなどのウェブサービス上でも選挙活動を展開した[5]。ヴィルサックは、2008年の大統領選挙において、チャット型ポッドキャストTalkShoeを利用した唯一の人物でもあった。

2007年1月27日、ヴィルサックはTalkShoeにおいて、民主党の指名獲得に向けた約15分間のインタビューに答えた。またヴィルサックは2008年8月12日にもTalksShoeに登場し、今度はバラク・オバマ候補の支持者として30分にわたって参加者からの質問に答えた。

イラク問題[編集]

ヴィルサックのイラク戦争に対するスタンスは、ブッシュ大統領に批判的なものであった。しかしながらイラクからの即時撤退には否定的であった。ヴィルサックは「イラクで我々が敗北したとは考えていない。引き分けだろう」と語り、「人々は、戦場に子供がいたという事実に動揺し、この戦争に終わりが見えないことに困惑している。これでは人々に、この戦いが平和主義のためであると思わせることができないだろう。人々は、最高司令官の信頼性や力量を疑問視している」と述べた[6]

2007年12月5日、ヴィルサックはイラクからアメリカ軍の大部分を撤退させ、期限付きで北部地域に小規模な軍隊を駐留させる案を支持すると発表した。そしてアメリカ軍の撤退により暴力が横行する可能性があると判断される期間に限り、アメリカがイラク政府に介入することを認めるべきとも表明した[7]

エネルギー問題[編集]

ヴィルサックはエネルギー安全保障に関する検討課題として、次の2点を挙げた。ひとつはエネルギーの対外依存を大規模削減すること。もうひとつは国内での二酸化炭素排出を抑制すること。そしてこの実現のため、エネルギー省を廃して「エネルギー安全保障省」を創設することを求めた。エネルギー安全保障省には連邦政府のエネルギー政策を監視する役割を与え、加えて現行のエネルギー制度の刷新を主導させるべきと主張した。ヴィルサックはこのエネルギー安全保障省の創設により、国家安全保障と経済力を増加させることができるとし、クリーンエネルギーの観点から問題視されないリーダーとしてアメリカをアピールできると述べた[8]

アメリカ合衆国農務長官[編集]

オバマ次期大統領の指名を受けて会見を行うヴィルサック(2008年12月17日)

2008年12月17日、大統領に選出されたバラク・オバマは、新政権でヴィルサックを農務長官に起用すると発表した。直近2人の農務長官ジョハンズシェーファーがともに農業州の出身であったことから、ワシントン・ポスト紙はアイオワ州知事を務めたヴィルサックを最も確実な当確者と評価した。

ヴィルサックの農務長官指名に際しては、有機消費者協会が反対の意を唱えた。有機消費者協会は2008年11月の季報において、ヴィルサックを「望まない農務長官候補」として取り上げ、遺伝子組み換え作物を擁護するバイオ燃料主義者と批判した。

家族[編集]

ヴィルサックは1973年8月18日にアン・クリスティーン・ベル (Ann Christine Bell) と結婚した。妻クリスティーンは学校教諭の仕事をしており、その後新聞のコラムニストになった。ヴィルサックは妻クリスティーンとの間に、男子を2人もうけた。

  1. ジェス・ウィリアム・ヴィルサック (Jess William Vilsack) - 弁護士
  2. ダグラス・ジェイムズ・ヴィルサック (Douglas James Vilsack) - 弁護士

注釈[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
テリー・ブランスタッド
アイオワ州知事
1999年1月15日 - 2007年1月12日
次代:
チェット・カルヴァー
先代:
エドワード・トマス・シェーファー
アメリカ合衆国農務長官
2009年1月20日 -
次代:
現職