ハミルトン・カレッジ
ハミルトン・カレッジ(英語:Hamilton College)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州クリントン村(ユーティカ郊外)に位置するリベラル・アーツ・カレッジ。ニューヨーク州の大学としては3番目に長い歴史を持つ。1793年、宣教師のサミュエル・カークランドによってハミルトン・オナイダ・アカデミーとして設立され、1812年、ハミルトン大学として認可をうける。大学の名は米国初代財務長官アレクサンダー・ハミルトン(ハミルトン・オナイダ・アカデミー理事会の初代理事)に由来する。もともとは男子校であったが、1978年に隣接する女子大のカークランド・カレッジと合併し、男女共学となる。カレッジ・ヒルの頂上にあるので、「丘の上の学校」と呼ばれる。
アイビーリーグに劣らない質とレベルを誇る名門リベラルアーツカレッジとして、リトル・アイヴィーにも数えられている。2005年の「U.S. News & World Report」で、19世紀アメリカの「ベスト・リベラル・アーツ・カレッジ」の一校に選ばれた。2028年クラスの合格率は13.5%と米国大学の中では最も入るのが難しい大学に分類されている。大学のランキングを発表しているNicheによると、全米リベラルアーツカレッジランキングの中で12位にランクされている。
歴史
[編集]1793年にサミュエル・カークランド牧師によってハミルトン・オナイダ・アカデミーが設立された。ハミルトン・オナイダ・アカデミーはオナイダ族の居留地近くにあったため、白人の男子生徒とオナイダ族の男子生徒の両方を受け入れた。カークランドとともに学校設立に尽力し、最初の理事会メンバーを務めたアレクサンダー・ハミルトンに敬意を表して学校名が名付けられた。資金不足、英語力不足、カリキュラムに対する無関心のため、オナイダ族の少年たちの中で1年以上在籍した者はいなかった。1805年にニューヨーク州教育委員会に設立認可を申請し、1812年に5万ドル(2024年時点で926,373ドルに相当)の基金を調達することを条件として大学の認可を受けた。1793年から1827年までは現在の大学の場所ではなく、近隣のニューヨーク州パリにあり、その後カークランドの町に移設し、1843年に現在のクリントンに移動した。
1812年、新しい憲章を公表し、ハミルトン大学と名前を変え、ニューヨーク州で3番目に古い大学となった。その際カリキュラムを拡大し、オナイダ族への言及を削除し、10 万ドル(2024 年で 1,852,745 ドルに相当)の基金(当時としては非常に多額)をもって大学としての歴史をスタートさせました。当時の建物、敷地、その他の資産は 15,000 ドルであり、 50,000 ドル相当の寄付金と土地が追加された。ニューヨーク州議会は、この新しい教育機関に 50,000 ドルを助成し、1850 年まで毎年 3,000 ドルを支援た。
1813年の大学規則によれば、入学志願者は「キケロの選集演説、ウェルギリウス、および新約聖書(ギリシャ語版)を読み、翻訳し、構文解析できること、また正しいラテン語散文を書けること、さらに初等算術の規則を習得していること」が求められた。
1836年、ハミルトン大学には115人の学生、4つの建物、4人の教授、そして学長が所属していた。
1846年秋、曾来順がこの大学に入学し、中国人で初めて海外留学した大学生となった。
M・ウールジー・ストライカー学長の指導のもと、より宗教色のない世俗的な教育機関へと発展していった[18]。
これまでに1人の女性が学長になっている。
カークランド・カレッジ
[編集]20 世紀後半、女子大学であるカークランド・カレッジが大学所有地に設立された。この女子大学が存在したのはわずか10年ほどで、最終的にはハミルトンが男女共学化することになった。カークランド・カレッジはハミルトン・カレッジほど厳格ではないと認識されていたが、これに対しては意見が別れている。カークランド・カレッジの学生にとって、ハミルトン大学との合併は裏切りと捉えられた。一方、ハミルトン大学はの男女共学への移行は、他の男子校よりもより公平に行われ、その理由はカークランド・カレッジの存在のためであるとされている。女子学生の利益が現代のハミルトン校で十分に代表されていることは、非常に注目に値すると評されている。
キャンパス
[編集]ハミルトン大学のキャンパスはニューヨーク州クリントン村にある。アイススケートリンク、プール、運動場、ゴルフ練習場、3階建てのクライミングウォール、スカッシュセンターなど、多くの運動施設が整っている。2022年には、ニューヨーク州ローマ市近くにハミルトン大学所有の新しいボートハウスが建設された。キャンパス周辺地域は、2020年の国勢調査で初めて国勢調査指定地域として登場し、人口は1,792人であった。学生は全員キャンパス内の寮で生活することが義務付けられている。
ダニエル・バーク図書館
[編集]建築家ヒュー・ストゥビンズが設計したダニエル・バーク図書館は、1972年に550万ドル以上の予算をかけて建設された。約80,000平方フィートの広さを誇り、50万冊の蔵書を収容している。この図書館は、さまざまな印刷物や電子資料を含む、情報コモンズおよび情報技術サービスの拠点としての役割も果たしている。
カーナー・ジョンソン・ビルディング
[編集]カーナー・ジョンソン・ビル(KJ と省略される)は、ハミルトン大学の社会科学部門、アーサー・レヴィット公共問題センター、ネライティングセンター、オーラルコミュニケーションセンターの拠点となっている。自然光が差し込むコモンズエリアは、学生たちが勉強や交流の場として利用されている。コモンズの中央には 4 つの小さな滝があり、会話の妨げにならないほど静かな背景音と遮音効果をもたらしている。カーナー・ジョンソン・ビルの改修および拡張プロジェクトは、2004 年に米国建築家協会から優秀賞を受賞し、2008 年に完成した。
セージリンク
[編集]1921年に建設されたセージ・リンクは、米国で最も古い大学の屋内ホッケーリンクである。セージ・リンクは、実業家ラッセル・セージの未亡人によって資金提供された。ラッセル・セージの名前は、ラッセル・セージ大学など、ニューヨーク州中部のさまざまな教育施設でも使われている。このリンクは、男子および女子のホッケー部の試合を主催するほか、ユースホッケー、高校チーム、成人アマチュアリーグ、1960年代から1970年代初頭にかけてセミプロのイースタン・ホッケー・リーグで成功を収めたクリントン・コメッツも受け入れた。
リッチフィールド天文台
[編集]リッチフィールド天文台は、ドイツ系アメリカ人の天文学者クリスチャン・ピーターズが約 48 個の小惑星を発見した場所として知られている。元の天文台は火災で焼失したが、その望遠鏡の土台はキャンパス内のアドミッションオフィスの近くで今も設置されている。現在の天文台は、メインキャンパスから 400 メートルほど離れた場所にあり、太陽エネルギーで稼働しており学生も利用できまる。現在の天文台は元の建物と同じ採石場から採石した岩石を使用して建設されている。
チャペル
[編集]ハミルトン・カレッジ・チャペルは、指定歴史的建造物であり、米国で唯一現存する 3 階建てのチャペルとして知られている。
デイズ・マズーロ・センター
[編集]2011年にハミルトン大学は、多様性に対する認識を高め、キャンパス内の多様な文化間の対話を促進することを目的として、デイズ・マッソロ・センターを開設した。 このセンターは、ハミルトン大学に多大な貢献をした、ドリュー・S・デイズ III 氏およびアーサー・J・マッソロ氏という 2 人の理事に敬意を表して名付けられた。
ルート・グレン
[編集]ルート・グレンは、ハミルトン・カレッジの敷地内にある森林庭園であり、ルート家によって 3 世代にわたって整備されてきた。ルート・グレンは、庭園と森林遊歩道で構成されている。ホームステッドという建物がルート・グレンに隣接して存在する。1850年代にオレン・ルートが取得し、オレンと妻のグレースは、建物の周囲に樹木、低木、花々を植えた。この土地はオレンの息子、イーライ・ルートに受け継がれ、彼は庭園を拡張し、1937年、エドワード・ルートが庭園の管理を引き継いだ。夫の死後、グレース・ルートは、この土地を教育目的と鳥類研究の推進に活用することを目的として、ルート・グレン財団を設立した。1971年、財団は解散し、グレースは所有権をハミルトン大学に移譲し、現在ルート・グレンの維持管理は、大学の園芸スタッフによって行われている。
学生
[編集]- 学生の出身地:アメリカ合衆国43州、世界40カ国
教育
[編集]- 総学生数 2000人
- 教員数 195人
- 学生と教員の比率 - 学生9.3人:教員1人
ハミルトン大学は現在、55 の研究分野で学位を取得することができる。
次の事項に重点を置いた教育を目指している。[1]
- 気的好奇心と柔軟性(Intellectual Curiosity and Flexibility)
- 分析に基づく洞察力(Analytic Discernment)
- 美的評価(Aesthetic Discernment)
- たゆまぬ向上努力(Disciplinary Practice)
- 創造力(Creativity)
- コミュニケーションと表現力(Communication and Expression)
- 文化的多様性の理解(Understanding of Cultural Diversity)
- 一市民としての倫理観・情報認識・社会貢献(Ethical, Informed, and Engaged Citizenship)
2027 年卒業クラスの募集では、 9,643 件のアプリケーションを受け、1,135 人の学生に合格通知を発行し、合格率は 11.8% となった。2027 年卒業生は 45 州および 25 カ国から集まっている。2023-24 学年度現在、ハミルトン大学には 47 州および 54 カ国からの学生が入学している[2]。
スポーツ
[編集]NESCAC 所属 New England Small College Athletic Confference (Amherst, Bates, Bowdoin, Colby, Connecticut College, Hamilton, Middlebury, Trinity , Tufts, Wesleyan, Williams)
著名な出身者
[編集]- エリフ・ルート - 1912年ノーベル・平和賞受賞者。1864年卒業
- ジョージ・ウィリアム・ノックス - 長老派の在日宣教師,明治学院の教授。1874年卒業
- ウイリアム・ブリストル - 製薬会社ブリストル・マイヤーの創業者。1882年卒業
- エズラ・パウンド - 詩人、批評家。1905年卒業
- バラス・スキナー - アメリカの著名な心理学者。1926年卒業
- ソル・リノウィッツ - 法律家、外交官、大統領自由勲章受章者。1935年卒業
- ポール・グリーンガード - 神経科学者。2000年ノーベル医学・生理学賞受賞。1948年卒業
- マイケル・キャッスル - 米国下院議員、前デルウエア州知事。1961年卒業
- ドリュー・サンダー・デイズIII - エール大学法科大学院教授、法務長官(1993年-1996年)。1963年卒業
- トマス・ジェイムズ・ヴィルサック - 元アイオワ州知事、現オバマ政権下農務長官。1972年卒業
脚注
[編集]- ^ http://www.hamilton.edu/catalogue/college-purposes-and-goals
- ^ “Apply - Class of 2029 Profile” (英語). Hamilton College. 2025年11月7日閲覧。