コルティーナ・ダンペッツォ

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コルティーナ・ダンペッツォ
Cortina d'Ampezzo
コルティーナ・ダンペッツォの風景
コルティーナ・ダンペッツォの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
ヴェネト州の旗 ヴェネト
Blank.png ベッルーノ
CAP(郵便番号) 32043
市外局番 0436
ISTATコード 025016
識別コード A266
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 5,876 [1](2012-01-01)
人口密度 23.1 人/km2
文化
住民の呼称 AmpezzaniまたはCortinesi
守護聖人 フィリッポ (San Filippo)と聖ジャコモ (San Giacomo)
地理
座標 北緯46度32分0秒 東経12度8分0秒 / 北緯46.53333度 東経12.13333度 / 46.53333; 12.13333座標: 北緯46度32分0秒 東経12度8分0秒 / 北緯46.53333度 東経12.13333度 / 46.53333; 12.13333
標高 1211(1057 - 3244)[2] m
面積 254.51 [3] km2
コルティーナ・ダンペッツォの位置(イタリア内)
コルティーナ・ダンペッツォ
コルティーナ・ダンペッツォの位置
ベッルーノ県におけるコムーネの領域
ベッルーノ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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コルティーナ・ダンペッツォイタリア語: Cortina d'Ampezzo)は、イタリア共和国ヴェネト州ベッルーノ県にある、人口約5900人の基礎自治体コムーネ)。

ドロミーティ山脈の麓、アンペッツォ地方の中心地であり、登山やウィンタースポーツの拠点となるリゾート地である[4]1956年には、この町を中心に冬季オリンピック1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピック)が行われた。

名称[編集]

「コルティーナ・ダンペッツォ」は「アンペッツォ地方のコルティーナ」という意味であり、単に「コルティーナ」とも呼ばれる。イタリア語以外の言語では以下のように呼ばれる。

日本語文献では「コルティーナ・ダンペッツォ[5][6]のほか、「コルティナ・ダンペッツォ[4][7]、「コルチナ・ダンペッツォ[8]などと書かれる(中黒を記さない場合もある)。日本オリンピック委員会(JOC)は「コルチナ・ダンペッツオ[9]と表記している。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ベッルーノ県北部、ヴァッレ・ダンペッツォ (it:Valle d'Ampezzoに所在する町で、アンペッツォ地方の中心地である。県都ベッルーノから北へ約45km、リエンツから西南へ約58km、ボルツァーノから東へ約60km、州都ヴェネツィアから北へ約124kmの距離にある。

自治体としてのコルティーナ・ダンペッツォは、254.51km²とベッルーノ県で最も広い面積を持ち、北にボルツァーノ自治県(南チロル)と境を接する。

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。BZはボルツァーノ自治県(トレンティーノ=アルト・アディジェ州)所属を示す。

市街中心部 
市街 

地勢[編集]

ドロミーティの山岳地帯に位置する。

世界遺産「ドロミーティ」

歴史[編集]

中世にはアクイレイア総司教領 (Patria del Friuliであり、ついで神聖ローマ帝国の管轄下に入った。

1420年ヴェネツィア共和国によって征服された。1508年にはオーストリア(ハプスブルク君主国)に征服され、1511年までにこの地の住民はマクシミリアン1世に忠誠を誓った。以後、1920年までこの地はハプスブルク家が領有したが、ドイツ語話者は少数にとどまり、在来のラディン語レト・ロマンス語群の言語)が維持され、ドイツ語圏に入ることはなかった。

1918年までこの地はオーストリアの主権下にあり(1867年アウスグライヒ以後はオーストリア帝冠領)、ティロル伯領におかれた21の行政区(Bezirkshauptmannschaften)の一つ、アンペッツォの首邑であった。18世紀の終わりから19世紀初めにかけての時期には、この地はイギリス人観光客が訪れる土地となった。

第一次世界大戦イタリア王国が参戦した1915年当時、この村の男性のほとんどはオーストリア軍に参加し、ロシア戦線で戦っていた。村には男性住民は669人が残っており(ほとんどは16歳未満か50歳以上)、イタリア軍と戦うことを試みた。しかし、イタリア軍に対する劣勢はいかんともしがたく、彼らは退却せざるを得なかった。1917年、オーストリアが反攻を開始すると、この村はティロルの民兵(Standschützen)によって占領された(イタリア戦線 (第一次世界大戦) 参照)。第一次世界大戦はイタリアの勝利に終わり、この地はイタリア領となった。

第一次世界大戦後、アンペッツォ谷にあった6つの村のうち中央にあった集落の名をとり、コルティーナ・ダンペッツォがコムーネの名となった。戦前と同様、イタリア人の上流階級に人気の観光地となった。1921年には、第一次世界大戦中にオーストリアが敷設した軍用軽便鉄道を利用し、ドロミティ鉄道 (it:Ferrovia delle Dolomitiカラルツォ・ディ・カドーレ - コルティーナ・ダンペッツォ - ドッビアーコ)が開通した(第二次世界大戦後の1960年代に廃止)。

1944年の第5回冬季オリンピックコルティーナ・ダンペッツォ・オリンピック)開催地として決定していたが、第二次世界大戦のために開催中止となった。

1956年、当地を中心として第7回冬季オリンピック(コルティーナ・ダンペッツォ・オリンピック)が行われた。オリンピックによって世界的な知名度を得たコルティーナ・ダンペッツォは、観光の大衆化(マスツーリズム)が進行した。オリンピックに際してコルティーナ空港 (Cortina Airportが開設されたが、その後閉鎖されている。

行政[編集]

分離集落[編集]

コルティーナ・ダンペッツォには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Acquabona, Cadelverzo di sopra, Cadelverzo di sotto, Cadin di sopra, Cadin di sotto, Campo di sopra, Campo di sotto, Chiamulera, Fiames, Fraina, Mortisa, Piana da Lago, Pocol, Sacus, Socol, Staulin, Zuel

社会[編集]

言語[編集]

ラディニア

レト・ロマンス語群に属する少数言語ラディン語の話者が多数を占める。「ラディニア」と呼ばれる地域を構成する18コムーネのひとつである。

経済・産業[編集]

ドロミーティの東の入り口として、ハイキングスキースノーボードなどのウィンタースポーツを目当てにした観光が盛んで、ウィンタースポーツのシーズンには、ヨーロッパのみならず世界各国から観光客が訪れる。

その為、別荘が多く存在する他、ホテルペンションなどの宿泊施設が充実しており、長距離滞在者向けの安宿から高級ホテルまで、各種の宿泊施設が点在している。

また、観光客目当ての土産物店やグッチブルガリなどの高級ファッションブランドのブティック、スキーやスノーボード客向けのショップも市内中心地を中心に多数存在する。

伝統的な産業としては、木彫や金属細工といった工芸品の生産がある[4]

スポーツ[編集]

コルティナダンペッツォオリンピックでのクロスカントリースキー競技(選手はシクステン・イェルンベリ
オリンピックスタジアム(2013年撮影)

コルティーナ・ダンペッツォでは、以下のような国際競技会が開催されている(もしくは、開催を予定されていた)。

人物[編集]

おもな出身者[編集]

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2012 by sex and marital status” (英語). 2013年3月22日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Belluno (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2012年7月16日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Belluno (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2012年7月16日閲覧。
  4. ^ a b c 萩原愛一. “コルティナ・ダンペッツォ”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク所収). 2017年9月25日閲覧。
  5. ^ 堺憲一. “コルティーナダンペッツォ”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2017年9月25日閲覧。
  6. ^ コルティーナダンペッツォ”. デジタル大辞泉(コトバンク所収). 2017年9月25日閲覧。
  7. ^ コルティナダンペッツォ”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク所収). 2017年9月25日閲覧。
  8. ^ コルチナダンペッツォの基本情報”. JTB. 2017年9月25日閲覧。
  9. ^ JOC - オリンピックの歴史(4) 再び世界を明るく照らす聖火”. 日本オリンピック委員会. 2017年9月25日閲覧。

外部リンク[編集]