ウサギとカメ

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カメに追いつくことを試みるウサギ。

ウサギとカメ」(兎と亀)は、足の速いウサギと足の遅いカメが競走をし、最終的にはカメが勝利する話。

イソップ寓話ラ・フォンテーヌが書いた寓話詩にも所収されている。 同じ素材の話がジョーエル・チャンドラー・ハリスの「リーマスじいやの話」にもあるが、内容は大きく異なる。

日本には西欧との貿易が盛んになった室町時代後期以降に流入したとみられ、イソップ寓話を翻訳した伊曽保物語などによって近世以降に知られ始めた。一般に知られるようになったのは、明治になって教科書に採録されてからである。明治時代の初等科国語の教科書には「油断大敵」というタイトルで掲載されていた。[1][2]

イソップ寓話の話[編集]

石原和三郎の碑
群馬県みどり市、旧花輪小学校記念館屋外展示。

あらすじ[編集]

ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。

教訓[編集]

過信(自信過剰)して思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができる。

童謡[編集]

日本には、石原和三郎による兎と亀の童謡がある。

「もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちに おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか」

という詩で始まる。

続き[編集]

「負けウサギ」…カメに負けたウサギは恥晒しだということでウサギ仲間から追われたが、そのウサギ達を狙うオオカミを知恵を使って撃退し、名誉挽回するという話がある。

「リーマスじいやの話」の話[編集]

こちらもウサギと亀が競走する話であるが、内容は大きく異なり、亀が計略を用いてウサギを騙す話となっている。

ウサギとカメが駆けっこをすることになる。しかし、カメはウサギが走る道ではなく、そばの藪の中を走ると主張する。ウサギはこれを了承する。

さて、翌日スタート地点にウサギが来ると、そこにカメが待っているが、実はこれはカメの妻であった。ウサギにはその見分けがつかない。実はカメは家族に指示して、コースの要所要所に彼らを隠れさせ、ウサギが声をかけたら返事するようにしておき、自分はあらかじめゴール地点付近に隠れたのである。スタートするなりウサギは道を走り出す。カメの奥さんは藪に潜り込み、そのまま家にかえってしまう。ウサギがしばらく走って「カメさん、どんな具合だ」と声をかけると、そのたびにカメの家族の誰かが「汗水垂らして走っているよ」などと返事をする。はじめは先行していることを喜んでいたウサギも、いつまでたっても引き離せないのでいらだち、やっとゴールにたどり着くと、すでにカメが待っていた、という話である。

世界の類話[編集]

十二支の説話[編集]

動物たちが競走をする話としては、十二支がなぜネズミから始まるかを説明する話がある。十二支のある世界各地にほとんど共通して伝わる話で、ネズミが牛の背に乗って行き、自分では走らないで勝つというものである。ネコが十二支にいない地域ではネズミがネコから追い回されていなければならない理由の部分を付け加えても用いられる。

はるかな大昔、ある年の暮れのこと、神様が動物たちを集めてこう言った。「元日の朝、新年の挨拶に一番早く来た者から十二番目の者までを、順番に一年ずつの首領としてやろう。」

ネコは昼寝をしていて神様のところに行けず、ネズミに訊くと、ネズミはわざと「元日の翌日に」行くよう教えた。

ウシは「自分は歩くのが遅いから」と前の日の夜のうちから出発した。これを見たネズミは、ウシの背中に飛び乗った。

そんなこととは知らず、ウシが神様の前に到着してみると、まだ誰も来ていない。ウシが「早く出発してきたかいがあった。自分が一番だ」と思った途端に、牛の背中からネズミが飛び降り、ネズミが一番になってしまった。それでウシは二番、それから虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順で着いた。

ネコは一日遅れで行ったものだから番外で仲間に入れなかった。それでネコはネズミを追い回うものなのだ。

地方説話[編集]

人間がかかわってくるが、「異種動物間の競争」でかつ「一方が慢心から寝坊してしまう(厳密には両方寝てしまう)」といった類した話が埼玉県神川町元阿保には伝えられている。

内容は、現神川には、昔、安保の殿様がいて、なぜか牛がとても好きであった。一方、隣の本庄にはとても馬好きな殿様がいた。互いに、牛自慢、馬自慢を始め、自慢合戦になったが、熱が入りすぎて(牛が上だ、馬が上だと)つかみ合いの喧嘩になりかねない空気になったが、そこは殿様(地元を何百年と治めてきた武家)同士であり、喧嘩になれば、本当の合戦になりかねない為、こらえて、にらみ合いになった。そこで安保の殿様が、「競争で決着をつけよう」と提案する。何であろうと牛が上だけど、速さ比べで競争をしてやると。話し合いの結果、領地が広いので、お互いの館から出て、互いに出会った所を領地の境にしようということに決まった。

約束の日がきたが、安保の殿様は道に迷ってしまい、とうとう牛から降りて一本松の下で寝てしまう。一方、本庄の殿様は、「速さ比べで馬が牛に劣るわけがない」とたかをくくっていたので、つい寝坊をし、起きた時にはあわてて馬を駆けさせた。汗だくになり、安保までの道半ばで一本松の方を見ると、牛が見える。安保の方も蹄の音で目が覚めるが、馬の汗だらけのキラキラした姿を見て、心中で「馬(うんま)の姿もなかなかのものだ」とつぶやいた。結局、引き分けということになり、約束通り、一本松の所を安保と本庄の境にすることとした。

その他[編集]

ことわざに「兎角亀毛(とかくきもう)」というものがある。意味は、通常なら起こらないこと。起こるはずのないこと。

中国の古典や仏典に由来し、『述異記』などには「大亀生毛、而兎生角、是甲兵将興之兆(訳:大亀に毛が生えたり、兎に角が生えたりしたら、それは戦乱が起こる兆しである=意味:通常ならば、亀に毛が生えたり兎に角が生えたりすることはないので、戦争などというものは起こらない)」として出てくる。『述異記』には、亀は千年生きると毛が生え、五千年で神亀、一万年で霊亀と呼ばれるようになるとも記されている。通常であれば亀は千年も生きないし、ウサギに角が生えることもないので、「兎角亀毛」は起こりうるはずのないことのたとえに使われる。

もともとは仏教用語でもあり、現実にはないのにあると錯覚したり実体のないものを貴ぶことを戒める意として「人間は兎角亀毛のごときものである。」(『毘婆沙論(びばしゃろん)』)などのように用いられ、悟りに至る以前の迷いの現世を表す言葉となっている。

脚注[編集]

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関連項目[編集]