イオン本牧

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イオン本牧
ÆON HONMOKU
ÆON Honmoku at 24th January 2016.JPG
店舗概要
所在地 231-0821
神奈川県横浜市中区本牧原町7番1号
座標 北緯35度25分31.5秒 東経139度40分1秒 / 北緯35.425417度 東経139.66694度 / 35.425417; 139.66694
開業日 1989年4月30日(マイカル本牧開業)
2011年3月1日(イオン本牧に名称変更)
敷地面積 30,000 m²
商業施設面積 20,253 m²
延床面積 121,014 m²
中核店舗 イオン本牧店
駐車台数 約2200台
前身 アメリカ軍居住地

マイカル本牧(本牧サティ)
最寄駅 JR根岸線根岸駅石川町駅山手駅横浜高速鉄道みなとみらい線元町中華街駅
最寄IC 首都高速湾岸線本牧ふ頭出入口首都高速狩場線新山下出入口
外部リンク 公式サイト
ÆON RETAIL
マイカル本牧
Mycal Honmoku.JPG
マイカル本牧時代
イオン本牧の位置(横浜市内)
イオン本牧
情報
用途 店舗
設計者 大成建設
施工 大成建設清水建設
奥村建設西武建設関建設
共同企業体
建築主 株式会社ニチイ
事業主体 株式会社ニチイ
管理運営 株式会社ニチイ

株式会社マイカル
敷地面積 33,456 m²
延床面積 121,000 m² (容積率362%)
解体 2番街・7番街
8番街・12番街
所在地 231-0821
神奈川県横浜市中区本牧原町7番
備考 マイカル本牧時代の概要を記述
第三回横浜まちなみ景観賞受賞
第五回横浜まちづくり功労賞受賞
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MOVIX本牧
Jp multiplex movix honmoku 001.jpg
情報
旧名称 マイカル松竹シネマズ本牧
完成 1996年6月
開館 2000年4月30日
閉館 2011年1月16日
客席数 1239席
運営 株式会社松竹マルチプレックスシアターズ
所在地 神奈川県横浜市中区本牧原14-1

イオン本牧(イオンほんもく)は、神奈川県横浜市中区本牧原に位置し、イオンリテール株式会社が運営している大型ショッピングセンター。前身は旧マイカル会社更生前に開発したマイカル本牧(マイカルほんもく)で、マイカルタウンの1号店でもある。

概要[編集]

2011年3月1日に、マイカルを吸収合併したイオンリテール株式会社は、マイカル本牧を「イオン本牧」、本牧サティを「イオン本牧店」に名称変更した。マイカルから受け継いだ棟は1番街・3番街のみである。

マイカル本牧時代[編集]

1945年8月15日終戦後、本牧アメリカ海軍横須賀分遣隊の管理下に置かれ、軍人やその家族の居住地として接収された。1982年3月31日の本牧米軍接収地返還式を以って日本に土地が返還された事により、新本牧地区(約8.8ha)は再開発の機運が高まった。

再開発に当たり、横浜市は新本牧地区を「街づくりの実験台」と位置づけ、同区をセンター地区・表通り一地区・表通り二地区の3つに分けた。その内、センター地区には横浜市から市からの委託を受けて既に出店表明していたニチイが同社初のデベロッパー業務を手掛ける事となった[1]。開発に当たり、新本牧地区商業課発基本策定委員会はセンター地区を単に物販販売施設だけでなく文化施設等をふんだんに取り入れたリゾート性の高い商業地域にする事を提案[2]。この提案を受けてニチイは、六区画に分かれているセンター地区を一体開発して全体の半分以上を非物販施設にして、商業施設には専門店飲食店ホテル、スポーツ施設の導入する報告書を纏めた。

仮称SC名称は本牧ポート・ヒル1988年3月11日に開かれたテナント募集の説明会には約1000人の希望者が集まった[3]。一番高いテナント料金は5番街の1階の契約面積3.3㎡当たり補償金が400万円、賃貸料が同月間4万円に加え売り上げ歩合だとされている[4]

1988年にニチイがマイカル宣言を行う。マイカル宣言通りの理念に沿った未来都市マイカルタウンの1号店として、バブル絶頂期寸前の1989年4月30日マイカル本牧が誕生した。目標年商は320億円。ニチイは山下公園外人墓地等の観光拠点が近い事に注目、当施設を「都会派消費者がくつろぎ、楽しめるアーバンリゾート型ショッピングセンター」と位置づけた。更に東京や遠方からの客もターゲットにする為、本牧だけにしかない専門店を集中してテナントとして出店させており、大型複合ショッピングセンターのパイオニアともいえる存在であった。

本牧サティ・ネビューラといったニチイグループの専門店の他、外資系・日系の飲食店、ミッソーニヒューゴ・ボスといった海外ブランド専門店、住宅機器・外車専門のショールーム、銀行証券会社郵便局が入居する金融センター、ニューヨークのアポロシアターとの提携による多目的イベントホール、映画館フィットネスクラブ等、計234のテナントが1番街から6番街の建物に入居した。

マイカル本牧はスペイン風にしており、近隣の道路もそれに合わせてイスパニア通りと命名されている。建物はベージュスパニッシュ・コロニアル様式を採用。開業当初、6棟体制であったが最終的には計10棟が完成している。なお、新本牧地区に建てられる建築物は美観を維持統一する為、屋根に勾配をつけ、外壁の色は原色を避け無ければならない為、建築協定に則りマイカル本牧の建物全ての屋根に勾配がついている[5]

開業1か月後の来場者数や売上はニチイが当初予想していたものを上回る形となった[6]。更に1年後には来場客数1500万人を達成、そして商業施設として横浜市の2つの賞に受賞[7]する等、順風満帆であったように見えたマイカル本牧だが、実際には約70億円の不動産取得費を含めた事業費約400億円の投資が足を引っ張る形となっていた[8][注釈 1]

1990年代に入ると、バブル崩壊の影響でテナント料金が急騰し多くのテナントが撤退[9]1993年には横浜ランドマークタワー等の新名所の完成で横浜みなとみらい21が頭角を現した事により、交通アクセスの悪いマイカル本牧の客足が徐々に奪われていった。これを受け1996年3月より、ニチイ(1996年よりマイカル)はアミューズメント施設の強化等、マイカル本牧の全面改装に踏み切る[10]ものの、客足やテナント流出に歯止めがかからず、マイカル自体の業績悪化に加えて、見据えていた横浜高速鉄道みなとみらい線の本牧延伸が採算が合わないとして議論が凍結した事に伴い2000年までに衰退していった。経営再建の為、マイカルは大半の建物を売却し、末期にはサティの1番街と金融と駐車場の3番街のみの2棟体制となった。

2011年2月28日イオン株式会社の下で経営再建されたマイカルが吸収合併で消滅する事となり、マイカル本牧は約22年の歴史に幕を下ろした。

各棟の変遷[編集]

今では珍しく、建物ごとに各ブランドの店を入れていた。マイカル本牧時代は全12番街までの計10館の建物があった(4番街・9番街は忌み数により欠番)。上述の通り、景気の衰退や時代の変化に伴い、当初は10棟あったが、2・7・8・12番街の4棟が解体され、1・3・5・6・10・11番街の6棟が残るのみである。また解体された各棟はマンションになりかつての面影は少ない。

  • 1番街(本牧サティ)
    現在はイオン本牧店となっている。
  • 2番街(SATY生活用品館)(現存しない)
    後に本牧ビブレ、本牧サティの子供雑貨売場であるKidsTownを経てテナントの撤退により長らく閉鎖が続いていたが、マイカルが1億9300万円で売却した後、解体され2008年3月に分譲マンションのザレジデンス本牧横浜ベイサイドが誕生した。
    尚、社員食堂や運営事務所はこの2番街にあった。
  • 3番街(カルチャーセンター&コミュニティーサービス・駐車場)
    銀行や郵便局等の金融センターが入居していた。駐車場はイオン本牧店の駐車場として現在も使用されている。
  • 5番街(ファッション・レストラン・雑貨・映画館・フィットネス)
    マイカル本牧の中で一番大きな建物であった。2005年秋に完全閉鎖し、マイカルは沖創建設に2億1300万円で売却した。その後、沖創建設が破綻し、ユニディオコーポレーションに売却されて「シュロア本牧」として5番街を再生する計画があったが、それも頓挫しゲオエステート(現・エスポア)に売却されベイタウン5番街として復活を果たした。  
  • 6番街(ショールーム・駐車場)
    オープン当初はオートラマ本牧などの自動車ディーラーとファストフード店、アービーズが設置されていた。
    1996年の大幅改装によりフードコート・パチンコ店・シネマコンプレックス「マイカル松竹シネマズ本牧」が開業した。その後、シネマコンプレックスは2004年にMOVIX本牧となったが、競合のシネマコンプレックスが登場したことや3Dに対応出来ない事等を理由に2011年1月16日に閉館となった。フードコートも閉鎖され、その後、パチンコ店とフィットネスクラブになっている。
  • 7番街(ホテル ル・ファール)(現存しない)
    ニチイが初進出した都市ホテル事業として1992年11月30日に開業した[11]。運営はニチイの完全子会社「ホテル ル・ファール」。建物は地上12階・地下1階で三井信託銀行が賃借する形を取っていた。エリゼ宮殿の内装を担当したフランスの建築デザイナー ジャン・ミッシェル・ビルモットが内装を担当した。
    マイカルの経営悪化後、閉鎖され現在はマンションのグランドメゾン本牧になった。
  • 8番街(ファーストフード・駐車場)(現存しない)
    閉鎖し、解体された。跡地は分譲マンションのアトレ横浜本牧。
  • 10番街(ファーストフード・駐車場)
    閉鎖し、ベイタウン本牧5番街の駐車場として再オープン。テナント部分は閉鎖。
  • 11番街(クリニック・ドラッグ・日本料理・駐車場)
    現在は本牧エスタとなっている。
  • 12番街(ポパイ本牧店)(現存しない)
    閉鎖・解体後、現在はマンションが立地。

交通[編集]

駅からは遠いため、車かバスが主な交通手段になる。

営業時間[編集]

  • イオン本牧店 - 9:00-21:00
    ※1階の食料品売場(一部を除く)は8:00-22:00まで営業

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ニチイはこの反省を踏まえ、本牧の次に誕生したマイカル桑名ではニチイ自身が土地を購入せずニチイグループの会社に土地を購入させ、それをニチイが賃借する形を取っている

出典[編集]

  1. ^ 日経流通新聞 1986年2月13日 4面 横浜の新本牧地区開発、ニチイ、計画作成急ぐ 初のデベロッパー業務より
  2. ^ 日本経済新聞 1986年1月30日 地方経済 5面 横浜・新本牧、商業開発構想まとまる ニチイ63年秋開店 リゾート性重視をより
  3. ^ 日経流通新聞 1988年3月5日 4面 ニチイ、新本牧店周辺のテナントを募集より
  4. ^ 日経流通新聞 1988年3月15日 11面 ニチイの横浜「ポート・ヒル」。テナント希望者千人より
  5. ^ 日経産業新聞 1989年5月19日 23面 横浜・新本牧 国際色豊かに街づくり、美観重視(大規模開発を点検する)より
  6. ^ 日経流通新聞 1989年6月6日 11面 ニチイのマイカル本牧、好調な滑り出し 目標年商上回るペースより
  7. ^ 日本経済新聞 1990年1月31日 地域経済 神奈川 26面 横浜市、マイカル本牧など19件 街作り功労賞・景観賞より
  8. ^ 朝日新聞 1996年5月8日 経済 3面 ニチイ 小林敏峯社長(うちの戦略)より
  9. ^ 日経流通新聞 1991年12月12日 1面 テナントが逃げる、SC選別の時代 家賃高騰採算割れ大型SC、強気が裏目より
  10. ^ 日本経済新聞 1996年3月9日 地方経済 神奈川 26面 マイカル本牧、20日に新装開業より
  11. ^ 日経流通新聞 1992年11月24日 7面 ニチイ、「SCホテル」30日開業 横浜・マイカル本牧により

関連項目[編集]

外部リンク[編集]