アンディ・フィリップ

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アンディ・フィリップ
Andy Phillip
殿堂  No.19, 7, 4, 14, 17
ポジション ガードフォワード
背番号 19, 7, 4, 14, 17
身長 188cm (6 ft 2 in)
体重 88kg (194 lb)
基本情報
本名 Andrew Michael Phillip
ラテン文字 Andy Phillip
誕生日 1922年3月7日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州グラナイトシティ
ドラフト 1947年 
選手経歴
1947-1950
1951-1953
1953-1956
1956-1958
シカゴ・スタッグズ
フィラデルフィア・ウォリアーズ
フォートウェイン・ピストンズ
ボストン・セルティックス

アンディ・フィリップAndrew Michael Phillip,1922年3月7日 - 2001年4月29日)はアメリカ合衆国イリノイ州グラナイトシティ出身の元バスケットボール選手。出身大学はイリノイ大学1950年代NBAで活躍し、1961年には殿堂入りを果たした名選手だった。

経歴[編集]

アンディ・フィリップことアンドリュー・マイケル・フィリップはイリノイ大学でプレイ。フィリップ擁する同校のバスケットチームは"Whiz Kids"(神童たち)と呼ばれ、カレッジバスケ界を席巻。1942年と1943年のビッグ・テン・カンファレンスのタイトルを制し、1942-43シーズンは無敗を誇った。

大学卒業後、1947年のBAAドラフトシカゴ・スタッグズから指名を受けてBAA(NBAの前身)入りを果たした。3年目の1949-50シーズンには11.7得点5.8アシストを記録し、平均アシスト数ではリーグ1位となった(当時のアシスト王は通算で決められていた)。スタッグズでは3シーズンプレイし、その間チームは一度も勝率5割を下回ったことがなかったが、興行不振が響き、1950年には解散の憂き目に遭った。フィリップはフィラデルフィア・ウォリアーズに移籍することになった。

新天地でもフィリップは優秀な司令塔として活躍し、通算414アシスト(平均6.3アシスト)を記録して初のアシスト王に輝き、オールスターにも初選出される。当時低迷していたウォリアーズもフィリップにエースのジョー・ファルクス、新人ポール・アリジンの強力なトリオが完成し、このシーズンは40勝26敗を記録する大躍進を見せた。翌1951-52シーズンには2位以下を大きく引き離す539アシスト(平均8.2アシスト)を記録し、2年連続のアシスト王に君臨するも、翌シーズンのウォリアーズは開幕から大不振に陥り、フィリップはシーズン中盤でフォートウェイン・ピストンズに移籍することになった。

この時点でフィリップの年齢はすでに30歳を越えていたが、名プレイメーカーぶりは変わらず、フィリップ加入と共に少しずつ成績を上げ始めたピストンズは、1954-55シーズンには43勝29敗の好成績を記録し、プレーオフも勝ち抜いてファイナルに進出した。ファイナルではシラキュース・ナショナルズと対決し、シリーズは最終第7戦までもつれたが、92-91の1点ビハインドで迎えた第7戦試合終盤、逆転を狙うピストンズはフィリップがボールを運んだが、ナショナルズのジョージ・キングにボールを奪われてしまい、ピストンズはフィリップの痛恨のターンオーバーで敗れ、優勝は叶わなかった。なお、この第7戦は賭博に絡んだ八百長疑惑が持ち上がっており、最後にナショナルズにボールを与えてしまったフィリップにも、その嫌疑が掛けられている。ピストンズは翌シーズンもファイナルに進出するが、今度はフィラデルフィア・ウォリアーズに敗れた。

すでに33歳を迎えたフィリップは引退しようとしていたが、ボストン・セルティックスの名将レッド・アワーバックに熱心に口説かれ、セルティックス入りを決意した。セルティックスではボブ・クージーらの控えとしてプレイし、そして1957年のセルティックスの初優勝に大きく貢献した。念願のチャンピオンリングを手に入れたフィリップは、もう1シーズンだけプレイして、1958年に現役から退いた。

11シーズンに及ぶBAA/NBAキャリア通算成績は701試合に出場し、6,484得点(平均9.1得点)3,759アシスト(平均5.4アシスト)だった。

プレースタイルと業績[編集]

フィリップは同時代における最高のプレイメイカーの一人と言われ、NBAにおいてポイントガードという概念の確立に大きく貢献した選手だった。ボールハンドリングとパスに非凡な才能を発揮し、しばしばボブ・クージーディック・マグワイアらと比較された。シーズン通算500アシストを達成した初のNBA選手である。

脚注[編集]

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外部リンク[編集]

先代:
アレックス・ハナム
セントルイス・ホークス ヘッドコーチ
1958
次代:
エド・マコーレー
  1. ^ basketball-reference.com