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なかにし礼

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なかにし礼(なかにしれい、男性、1938年9月2日 - )は日本小説家作詞家。本名、中西禮三(なかにしれいぞう)。

来歴

満州(現在の中国牡丹江市)に生まれる。東京都立九段高等学校立教大学文学部仏文科卒。神奈川県逗子市在住。

はじめシャンソンの訳詞を手がけていたが、新婚旅行中、たまたま出会った石原裕次郎の知遇を得て歌謡曲の作詞家となる。阿久悠らと並び、戦後日本歌謡曲界の主要な作詞家の一人。膨大な作品を世に送り出し、『今日でお別れ』『北酒場』など大ヒット曲も多いが、作品量に比例して珍曲も多い。1969年には、作品の総売上が1,000万枚を超えた。併行してコンサートや舞台演出、映画出演、歌、作曲、翻訳、小説・随筆の執筆や文化放送セイ!ヤング』パーソナリティ、NHKN響アワー』レギュラーなども勤め、多方面で才能を発揮した。

華やかな活動の裏で、心臓疾患、離婚、実兄の膨大な借金を肩代わりして返済に苦しむなどの困難を抱えたこともあり、その体験はのちの小説『兄弟』『さくら伝説』などに生かされている。反戦平和主義で、中国朝鮮に対する贖罪心があり、それが作風や言動に表れている。

昭和の終焉とともに作詞の仕事は一区切りし、オペラの製作・演出や小説・エッセー執筆を本格化。1998年、『兄弟』で第119回直木賞候補、2000年、『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞受賞。NHK連続テレビ小説てるてる家族』の原作となった『てるてる坊主の照子さん』は、なかにしの妻(元・歌手の石田ゆり)とその家族をモデルにしたエッセイ風小説。その他『赤い月』『さくら伝説』などの話題の小説を送り出している。

現在、テレビ朝日系列で放送されているワイドショーワイド!スクランブル』のコメンテーターを務めている。

2006年2月、自らの全音楽作品における氏が保有する全ての権利を株式会社日音に譲渡した。

作品

主要な作詞曲

詞集

  • 『エメラルドの伝説』<作品集>(新書館、1969年)
  • 『シャンソン詩集141・さらば銀巴里』(さがみや書店、1991年)
  • 『なかにし礼訳詩によるモーツァルト歌曲集』(音楽之友社、1991年)
  • 『昭和忘れな歌―自撰詞華集』(新潮文庫、2004年)

創作

  • 『花物語』(新書館、1970年)
  • 『昭和左膳只今参上』(東京スポーツ新聞社、1970年)
  • 『大人の紙芝居・まぼろし劇場――丹下左膳 暁のG線上に死す』(継書房、1973年)
  • 『兄弟』(文芸春秋、1998年)
  • 『長崎ぶらぶら節』(文芸春秋、1999年)
  • 赤い月』(新潮社、2001年)
  • 『てるてる坊主の照子さん』(新潮社、2002年)
  • 『夜盗』(新潮社、2003年)
  • 『さくら伝説』(新潮社、2004年)
  • 『黄昏に歌え』(朝日新聞社、2005年)
  • 『戯曲 赤い月』(河出書房、2005年)

随筆・その他

  • 『ズッコケ勝負――終わりなき愛の遍歴』(双葉社、1969年)
  • 『青春の愛について』(新書館、1972年)
  • 『遊びをせんとや生まれけむ~なかにし礼の作詩作法』(毎日新聞社、1980年)
  • 『音楽への恋文』(共同通信社、1987年)
  • 『翔べ!わが想いよ』<自伝>(東京新聞出版局、1989年)
  • 『時には映画のように』(読売新聞社、1997年)
  • 『愛人学』(河出書房新社、1997年)
  • 『天上の音楽・大地の歌』(音楽之友社、2001年)
  • 『道化師の楽屋』(新潮社、2002年)
  • 『さくら伝説―松坂慶子写真集』<原作・監修>(フォーブリック、2002年)
  • 『人生の黄金律 自由の章―なかにし礼と華やぐ人々』<対談集>(2003年、清流出版)
  • 『月夜に飛んで人を斬る(作画ふくしま政美)』<劇画原作>(芳文社、1979年)

翻訳

  • ドーデ『哀愁のパリ・サッフォー』(角川文庫、1970年)
  • ラディゲ『ラディゲ詩集』(弥生書房、1973年)

関連項目

外部リンク