「ハウス (音楽)」の版間の差分
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==インタビュー記事== |
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*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/11/takizawa_interv.html/ SOUND FINDER Interview with Kentaro Takizawa] |
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*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/09/interview.html/ SOUND FINDER Interview with DAISHI DANCE] |
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/09/interview.html/ SOUND FINDER Interview with DAISHI DANCE] |
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*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/07/interview-2.html/ SOUND FINDER Interview with COLD FEET] |
*[http://blog.soundfinder.jp/soundfinder/2009/07/interview-2.html/ SOUND FINDER Interview with COLD FEET] |
2010年1月4日 (月) 01:15時点における版
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ハウス・ミュージック(house music)は、音楽ジャンルの一つ。日本では略してハウスと呼ばれることが多い。1977年に、アメリカ合衆国のシカゴのゲイ・ディスコ「ウェアハウス」で発祥したとされる。1988年に大西洋を渡ってイギリスで大ブームとなり(セカンド・サマー・オブ・ラブ)、その後さまざまな音楽ジャンルと混交しつつ現在に至っている。ヒップホップ(hip hop)と併せて、ニュースクール・ミュージック(new school music)と呼ばれる。
歴史
1977年、ニューヨークの「パラダイス・ガレージ」でDJを務めていたフランキー・ナックルズ[1]が、シカゴにオープンした「ウェアハウス」の主力DJとして招かれ、高い人気をえた。そのレコードが「ハウス・ミュージック(ウェアハウス・ミュージック)」として販売されたのがハウスという呼び名の始まりと言われている。 この時点でのハウス・ミュージックは、フィラデルフィア・インターナショナルレーベルやサルソウルレーベル(フィラデルフィア・ソウル=フィリーソウル)の類似品の域を脱していなかった。その後、ナックルズは「ウェアハウス」の経営者と衝突して解雇され、新たにシカゴで「パワープラント」というクラブを立ち上げる。一方、「ウェアハウス」は「ミュージック・ボックス」と名を改め、カリフォルニア州から新たにDJロン・ハーディーを招聘する。このナックルズとハーディーの間の競争により、シカゴはダンス音楽シーンにおけるその地位を確立してゆく。
彼らのプレイスタイルはラリー・レヴァンの「ガラージュ」と呼ばれるスタイルの強い影響下にありながらも、ドラムマシンを導入したり、よりアグレッシブな選曲の傾向を持ち、のちのハウス・ミュージックの原型となった。またシカゴの地元のミュージシャンたちがこの影響を受けてTR-909(当時は音色にリアリティがないとして不人気だった)をさかんに使用するようになり、それらの曲が上記のクラブにフィードバックされ、TR-909はハウスにおける必須の楽器としての地位を確立した。
ハウスミュージックはドラムマシンを使用して短いフレーズを繰り返すスタイルが確立されてからも、フィリーソウルを模したものが多かった。その意味では、少なくとも1980年代まではソウルミュージックの派生物であったと言えよう。また、先駆者であるレヴァンがDJを務めていた「パラダイス・ガラージ」と同様に、初期のシカゴ・ハウス・シーンもまた黒人のゲイが客の中心であった。
1980年代中期以降、シカゴ・ハウスの隆盛やガラージュ人気の世界的な波及に伴い、世界各地でハウスを主体としたイベントの開催やアーティスト・DJの登場が相次ぎ、徐々に黒人以外の人種層にも浸透していく。決定打となったのは、1987年にイギリスのアーティストであるM/A/R/R/Sがリリースした『パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム (Pump up the Volume)』の世界的なヒット、及び1988年にイギリスで起こったレイブ (音楽)の流行(「セカンド・サマー・オブ・ラブ」)である。こうした出来事をきっかけにハウスの中心地はアメリカのシカゴからイギリスのロンドンに移行する。現在、ハウスの主要な消費地はアメリカ国外のヨーロッパや日本である。ニューヨークなどで製作されるハウスのシングルレコードの7割近くが国外に輸出されているとも言われている。
1990年代に入ってからは音楽ジャンルの細分化が進み拡散していく一方、メジャーのアーティストがハウス音楽の独特のリズム(4つ打ち)を多用するようになるなど、さらに一般化の道を進んだ。現在ではアメリカ、イギリスやイタリアを中心としたヨーロッパやオーストラリア、イスラエル、日本を中心としたアジアなど、世界各地に大規模な支持層が存在する。
日本での受容と発展
日本では1980年代後半から、ディスコやクラブでハウスが少しずつプレイされ始めた。先駆的な小箱クラブは「エンドマックス」と「ピカソ」である。ゲリラ的なパーティーとしては「コニーズ・パーティ」が有名。DJとしては、1980年に渡米した高橋透、1986年に渡米し、パラダイス・ガラージでラリー・レヴァン等とともにプレイしたNORI、おなじころ渡米し、Def Mix Productionsのメンバーとしてデヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズとともに活動した富家哲(SATOSHI TOMIIE)、1980年にDJ活動を始めた中村直(NAO NAKAMURA)の名が挙げられる。1989年に東京芝浦で開業した大箱クラブGOLD(1989〜1994)には高橋、NORI、中村が参加している。ほかに「コニーズ・パーティ」のレジデントDJだったEMMA、のちにハード・ハウス、プログレッシブ・ハウス・シーンの中心人物となった木村コウがいる。1990年にはGOLDを追うように同傾向のクラブが続々と都内にオープンした。
1988年頃、福富幸宏[2]が所属していたソドムが、最初にハウス・サウンドを取り入れたバンドとされる。歌謡曲シーンでは、1989年に小泉今日子が発表したアルバム「KOIZUMI IN THE HOUSE」が早い例である。その後1992年頃までに、金沢明子、山本リンダ、谷啓、トニー谷らのハウス・リミックス曲が続々とリリースされ、ハウス・ミュージックは一般人にも広く認知されるにいたった。
ハウスを日本に広めた人物として、テイ・トウワの存在も重要である。彼はニューヨークでディー・ライトを結成し、1990年に1stアルバム『World Clique』を発表、ヒットさせた。
各クラブでは、現在に至るまで数多くのイベントやパーティが催されており、大沢伸一(ハウスの特徴を取り入れた作曲家)や、田中知之(Fantastic Plastic Machine)や、EMMAなどのようなアーティストも多数現れている。また高橋透と、ハウス第2世代ともいわれるDJMOODMAN、VJの第一人者宇川直宏がオーガナイズするウェアハウスパーティーGODFATHERは、 1998年から現在に至るまで、東京のアンダーグラウンド・ダンス・シーンを牽引している。
特徴
ハウスはソウルやファンク・ディスコのリズムにラテン音楽のリズム(特にピアノやパーカッションのパターン)の融合により誕生し、特徴としては極めて短い同じ音、同じメロディーラインを何度も何度も繰り返す小節が、曲の随所に見られ、聴く者に陶酔感を与えることにある。また殆どがアップテンポなリズムで、BPM(beats per minute;音価の項参照)にしておよそ120前後のテンポをとる。90年代初頭にはダウンテンポの、さらに90年代中頃にはアップテンポなハウスミュージックも誕生し、ダンスミュージックの一形態に止まらない広がりを見せている。
ハウスは、テクノの各ジャンルと音楽の内容や特徴がよく似ていることが多いため、しばしば混同されやすい。テクノの項を参照すればわかるとおりテクノはシカゴハウスから派生したハウスの一種であった。ハウスとテクノ双方がジャンル的に拡散・融合が進んでいることもあってその区別は難しく、現在では分類が不可能なミュージシャンも多数存在する。またジャンル分けの傾向としては、バスドラム間にハイハットが入っていればハウス寄り、無ければテクノ寄りという、アバウトな解釈もある。
ハウスには「4つ打ち」と称される、四分音符で1小節に4つのバスドラム音(キック)が鳴る楽曲構成が基本であるが、ただ、ファンキーな味付けのものなどは、必ずしも4つ打ちではない。 ドラムのパターンの特徴として、2拍目あるいは4拍目の16分音符裏にスネアドラムが入ることである(最近は代用として偶数拍にクラップが使われることも多い)。 これは、1970年代のソウルやファンクのシェイクというリズムから影響を受けたためである。 「4つ打ち」のパターンの基本的構成が心臓の鼓動を想起し、一定のリズムを刻んでいくことに起因する踊りやすさ、陶酔性を発生させている。このような傾向が後述する民族音楽との親和性の高さなどを生んだと言っても過言ではないだろう。 さらにジャンルによっては「ブレイク」と称されるバスドラム音が鳴らない状態、及び無音の状態が幾度かはさまれることが大半で、この傾向はハード・ハウスやそれに影響を受けたジャンルに顕著である。
ハウスミュージックはこの世の中の、ありとあらゆる音源との融合体である。トライバルハウス(民族調)は打楽器(コンガ、ボンゴ等)アフリカ系の楽器、リズムとの融合である。このように、ロック、クラシック、ラテン音楽、ジャズ、レゲエ、昨今では太鼓トラックなる、和をモチーフにした和太鼓との融合も出現している。
付随する音楽ジャンル
90年代に入って以降、それまでに発生していたジャンルへの回帰傾向や、ジャズや、テクノやトランスへの接近と融合による新ジャンルの発生などが行われた結果、ハウス音楽のジャンルは拡散しつつある。また、ロッテルダムテクノやガバへの接近により生まれたハッピーハードコアなど、非常に早いテンポを基本とするジャンルや、テクノとのクロスオーバーが進んだジャンルも発生した。現在では、ガラージュ(garage )、アシッド・ハウス(acid house)、イタロ・ハウス(italo house)、トライバル・ハウス(tribal house)、ハード・ハウス(hard house)、ディープ・ハウス(deep house)、プログレッシブ・ハウス(Progressive house)等々、多岐にわたる細分化がなされている。特にこのうちでガラージュ(ガラージハウス)については、国によってその意味するところは大きく異なる(詳しくはガラージュ参照)。詳しい各ジャンルの詳細については下記の関連項目を参照のこと。
日本のハウス箱
- PRECIOUSHALL
- spacelab YELLOW
- GRAND Cafe
- O/D2007年12月再OPEN
- Hamacho Hall
- WOAL
脚注
参考文献
- 湯山玲子 『クラブカルチャー!』 毎日新聞社、2005年 ISBN 978-4620317298
関連項目
- NYハウス
- シカゴ・ハウス
- イタロ・ハウス
- ディープ・ハウス
- プログレッシブ・ハウス
- Hi-NRG
- ガラージュ
- ジャーマン・ハウス
- フレンチ・ハウス
- アフロ・ハウス
- トライバル・ハウス
- ミニマル・ハウス
- テック・ハウス
- アンビエント・ハウス
- ハード・ハウス
- アシッド・ハウス
- テクノ
- ロッテルダムテクノ
- トランス
- ガバ
- ハッピーハードコア
- クリックハウス
- リキッド・ファンク
インタビュー記事
- SOUND FINDER Interview with Kentaro Takizawa
- SOUND FINDER Interview with DAISHI DANCE
- SOUND FINDER Interview with COLD FEET
- SOUND FINDER Interview with Flat Three
- SOUND FINDER Interview with World Sketch
- SOUND FINDER Interview with Joi
- SOUND FINDER Interview with Ryo Kawahara
- SOUND FINDER Interview with BRISA
- SOUND FINDER Interview with Joe Claussell