荒木道子

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あらき みちこ
荒木 道子
生年月日 (1917-03-06) 1917年3月6日
没年月日 (1989-03-24) 1989年3月24日(72歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市神田区三崎町(現在の東京都千代田区神田
死没地 日本の旗 日本東京都新宿区
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1938年 - 1989年
配偶者 菊池章一
(1941年 - 1953年離別)
著名な家族 荒木一郎(息子)
主な作品
テレビドラマ
あかつき (テレビドラマ)
ただいま11人
まんさくの花
 
受賞
文部大臣賞『おふくろ』[1]
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荒木 道子(あらき みちこ、1917年3月6日[1] - 1989年3月24日)は、日本女優。元夫は文芸評論家の菊池章一。息子は俳優歌手荒木一郎

来歴・人物[編集]

1917年(大正6年)3月6日東京府東京市神田区三崎町(現在の東京都千代田区神田)に生まれる[2]。父は文芸評論家の至文、母は青鞜社出身の作家の滋子で、兄が2人いた[2]

明化尋常小学校を経て1934年(昭和9年)、女子学院を卒業[2][1]YWCAの語学部職員、帝大図書館員を経て、1938年(昭和13年)に文学座研究所に入り、賀原夏子青野平義小山源喜らとともに第1回生として卒業[2]。同年に勉強会『かりそめになすな恋』で初舞台を踏み、田中澄江作『はるあき』の柿沢てい子役で本格的にデビューする[2]。ついで『野鴨』『わが町』などに大役で起用され、近代的な感覚とムード、独自の台詞まわしによって注目された[2]

1941年(昭和16年)4月6日、文芸評論家の菊池章一と結婚(1953年(昭和28年)に離婚[3])、一子出産のため1943年(昭和18年)に文学座を退団[2]。戦後の1947年(昭和22年)には芥川比呂志長岡輝子らと麦の会に加わり『林檎園日記』などに出演。1949年(昭和24年)に麦の会は文学座に合流し、それ以後は『ママの貯金』『ワーニャ伯父さん』『武蔵野夫人』と精力的な活動を続け、新劇俳優としての地歩を固めた[2]。舞台の代表作に『三人姉妹』のマーシャ、『欲望という名の電車』の看護婦、『三婆』のタキ、『浅茅が宿』のぎん、『花咲くチェリー』のイゾベルなど[2][4]

1950年(昭和25年)、豊田四郎監督の『女の四季』で映画に初出演、それいらい年平均3本のペースで映画に出演する。

過保護気味の母親や山の手夫人といった役柄を得意とした[2]1964年(昭和39年)、東映教育映画『おふくろ』の主演で文部大臣賞を受賞[2]

テレビドラマでは『ただいま11人』で山村聡と夫婦を演じたほか、『あかつき』などにも出演した。

1989年(平成元年)3月24日心不全のため東京都新宿区慶應義塾大学病院で死去[5]。72歳没。

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • 十日の菊(1961年、文学座)
  • にごりえ(1972年、文学座) - たよ[6][注釈 1]
  • 三婆(1976年) - タキ
  • 沢氏の二人娘
  • おりき

吹き替え[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 浦川麗子とのダブルキャスト[6]

出典[編集]

  1. ^ a b c 「新劇俳優名鑑」『新劇便覧』テアトロ、1965年、236頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本映画俳優全集・女優篇』、キネマ旬報社、1980年、p.36
  3. ^ 『日本女性人名辞典』、日本図書センター、1993年、p.51
  4. ^ 荒木道子、新撰 芸能人物事典 明治〜平成、コトバンク、2015年10月31日閲覧
  5. ^ 『演劇年鑑'90』、二松堂書店、1990年、p.212
  6. ^ a b 芸能学会(編)『芸能』2月号、芸能学会発行所、1970年2月、51 - 52頁。 

外部リンク[編集]