日産自動車硬式野球部

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日産自動車硬式野球部
チーム名(通称) 日産、日産自動車
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1959年
チーム名の遍歴 日産自動車(1959年-2009年)=休部
本拠地自治体 神奈川県横須賀市
練習グラウンド 日産市沢グラウンド(横浜市旭区市沢町)
チームカラー 赤色
監督 久保恭久
都市対抗野球大会
出場回数 29回
最近の出場 2009年
最高成績 優勝
社会人野球日本選手権大会
出場回数 16回
最近の出場 2009年
最高成績 優勝
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

日産自動車硬式野球部(にっさんじどうしゃこうしきやきゅうぶ)は、神奈川県横須賀市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属した社会人野球チームである。

歴史

創部は1959年。歴戦の猛者揃いの神奈川地区において、的確なチーム作りを続けて都市対抗野球大会での優勝2回など、輝かしい戦績を誇る。また、2003年には過去2度挑戦して叶わなかった社会人野球日本選手権大会での優勝を果たすなど、関東を代表するチームの一つである。

1999年に本社の社長に「コストカッター」ことカルロス・ゴーンが就任し、硬式野球部の存続が不安視されたが、ゴーンは都市対抗野球での社員の応援に感銘を受け、硬式野球部を存続させることを決心したとされる(後にゴーンは「都市対抗野球こそが日本の企業文化の象徴だ」とも断言した)。また、横須賀工場に隣接する横須賀スタジアムは、横浜DeNAベイスターズの二軍組織、湘南シーレックスが本拠地としていることから、同チームとの親交が深く、2001年8月15日には、柳川事件以後初めてとなるプロアマ交流試合が行われた。また、毎年8月半ばにはシーレックスとの交流戦が行われていた。

ユニフォームは2003年まで青色を基調としたものだったが、2004年からコーポレートカラーである赤色を基調としたものに変わった。しかし、日産のシンボル「ブルーバード」(青い鳥)は健在で、右肩に描かれている青い鳥の下には2度の都市対抗野球優勝を表す2つの赤い星があしらわれていた。

2009年2月9日経済・金融危機を受け、日産自動車九州硬式野球部や同社卓球部、陸上部と共に同年12月末をもって休部することが発表された。2009年12月19日に現役選手とOBで親善試合を行い、3対1で現役チームが勝利。歴史に幕を下ろした[1]

翌2010年からは選手OB有志が毎年冬季に神奈川県内の小学生を対象とした野球教室を開催しており、2回目の2011年からは現在プロのOB選手も参加している[2]

設立・沿革

主要大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

かつて在籍していた主な選手

関連項目

脚注