愛国心

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愛国心(あいこくしん)、愛国主義(あいこくしゅぎ、パトリオティズム、: patriotism)は、国民が自らが育った、あるいは所属する社会共同体や政治共同体などに対して愛着ないし忠誠を抱く思想心情である。このような思想心情を他人に比べ強く持つとされる、或いはそのように自負する人達を愛国者と称する。

概説

一口に「愛国心」といっても、話者によってその意味するところには大きな幅がある。愛国心の対象である「国」を社会共同体と政治共同体とに切り分けて考えると分かりやすい。

  • 社会共同体としての「国」に対する愛着は「愛郷心」(あいきょうしん)と言い換えることが出来る。
  • 政治共同体としての「国」に対する愛着は「忠誠心」(loyalty)と言い換えることが出来る。

愛国心によって表出する態度・言動の程度は様々で、郷愁(仏:nostalgie)から国粋主義(英:nationalism)まで幅広い。よってこれらを十把一絡げに「愛国心」と表現することもできるため、その内容は往々にして不明確である。また、愛国心を訴える事は政府側からのみでなく、反政府側からも行われることである。対外関係を気にする政府が国内の愛国運動を弾圧することもある。

  • 政府側の期待する「愛国心」は現政府に対する「忠誠心」と解釈できる。
  • 反政府側の訴える「愛国心」は革命後の新政府に対する「忠誠心」もしくは国家体制に関わらない「愛郷心」と解釈できる。

また、愛国心は大衆を煽動する道具とされてきた一面もある。特に戦時において大衆を動員するために利用された。

文化人反戦主義者、平和主義者には“愛国心こそが戦争を起す最大の要因である”と説いた者もいる(例:バーナード・ショージミ・ヘンドリックスサミュエル・ジョンソン)。

国家存続の危機たる戦争時には、無政府主義者ですら、国粋主義的愛国心 に自主的に転向する事例もある。

愛国心教育

「愛国心」は概ね国家にとって望ましい感情と見なされているが、国民が政府を「売国的」とみなした場合などには反政府運動につながることもあり、為政者が国民の愛国心を自らに都合のよい方向に導くため愛国心教育を行う場合がある。為政者が「愛国心」を危険視し排除しようという教育は、他国による被占領地域において顕著に見られる。

近代では占領下にない独立国では、現代では「傀儡国家」と見なされることの多いヴィシー・フランス満州国を含め、愛国心を育てる教育を行った国がほとんどである。この点で、「愛国心」高揚を意識的に避けてきた第二次世界大戦後の日本西ドイツ及び東ドイツの教育は、少数派であったといってよい。その理由として、三国とも「愛国心」高揚・民族主義的高揚の果てにアメリカイギリスなど(当初ドイツはソ連、また日本は中国)に戦争を仕掛け(日本は誘導され)、そして完膚なきまでに叩きのめされ敗けたことからこれらの思想がタブー視されたことなどが挙げられる。東ドイツの場合は敗戦に加えて、ソ連の影響下にあった衛星国であることが理由として挙げられている(ただし、同様にソ連の影響下にあったチェコスロバキアポーランドなどのワルシャワ条約機構加盟諸国では、ナショナリズムが反ソ連感情につながることが警戒されていたものの、愛国心が必ずしもタブー視されていたわけではない。プラハの春ハンガリー動乱を参照)。一方、ドイツ人国家として愛国心の高揚する中ドイツに併合された(アンシュルス)経緯があるオーストリアでは、自国とドイツを区別し、オーストリアをドイツに戦争協力を強いられた「被害者」と位置づけたため、このようなタブーはなかった(ただし、ドイツとの再統一を訴えるドイツ民族主義はタブー視されていた)。

戦前戦中日本における愛国心教育

教育勅語皇民化教育をはじめとして、徹底的な国家に対する愛国(忠誠)心教育が実施された。政府が世論を掌握するに効果的であった一方、精神論偏重の弊害を生んだとも言われる。昭和天皇も戦後、皇太子(現天皇明仁)に宛てた手紙で、敗因を「軍部が精神に重きを置き過ぎ、国力の差を軽視した」と述べて批判している。

戦後日本における愛国心教育

第二次世界大戦敗戦後の日本では、日本が戦争を起こすに至ったのは盲目的な愛国教育によるところが大きいとの認識より、左派日本教職員組合などは“教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな”をスローガンに掲げ、「お国のために」を禁忌視した。例えば、教育現場で公的なものとして日の丸掲揚・君が代斉唱を行ない、また児童生徒に強制することには強く反対した。このように、愛国心(忠誠心)教育は一部の学校を除いて実施されてこなかった(君が代に対する意見の対立については、国旗及び国歌に関する法律を参照)。

近年になり、「自分の命を賭しても国を守る」といった国家に対する盲目的な愛国心(忠誠心)は希薄となったと言われている。同時に、伝統文化に対する愛着ないし誇りからくる愛国心(愛郷心)も希薄になったのではないかと危惧されている。オリンピックサッカー・ワールドカップ等の国際的な催しの際に自然発生的に見られる愛国心(愛郷心)の存在をして、形が変化しただけであるとする意見もあるが、それらの愛国心(愛郷心)は従来から存在するものである。また、エコノミスト誌が2009年10月2日に発表した調査結果によると、世界33か国中、自国に対する誇りが最も低い国は日本であることが分かっている。

一方では、戦後における公共心の希薄化やモラルの荒廃[1]が、愛国教育の欠如(戦後民主主義教育の一側面)によってもたらされたものとし、本来その国の民として自然な感情であるはずの伝統文化に対する愛着ないし誇りからくる健全な愛国心(=愛郷心)を育てることの必要性を訴える人々(自由民主党清和政策研究会大阪維新の会全日本教職員連盟など)がいる。これらの人々は、現行の戦後民主主義教育はそれらの芽を摘み取るような「自虐史観的な偏向教育だ」と主張することが多い。この動きから少し遅れて、2002年度に新学習指導要領がはじまり「国を愛する心情」の育成が小学6年生・社会科における学年目標の一つに加わった影響から、福岡市を皮切りに、全国の小学校で通知表の社会科の評価項目に「国」や「日本」を愛する心情を盛り込む公立小学校が増えつづけている。

他方では、「国による愛国心(愛郷心)教育」は「愛国心(=忠誠心)教育」と不可分であり、容易に軍国主義へと繋がってしまう危険性があると訴え警戒している人々がいる。2002年に同様の心情を通知表で3段階評価した福岡市のある小学校に対して、福岡県弁護士会思想・良心の自由を侵害するものとして警告書を送っている。

中国における愛国心教育

1994年に中国共産党の中央宣伝部が「愛国主義教育実施要綱」を起草し、愛国心教育が制度化されている[2]。祖国を愛することが国民の義務とされ、学校では国旗の掲揚は毎日行い、小中高校生は全員国歌が歌えなければならないとされている。

文献情報

脚注

  1. ^ しかし、敗戦直後を除き戦後の日本人のモラルが著しく低下したことを示す証拠はなく、一方で近年の日本人の公共意識は国際的に高い評価を得ている(学校で愛国心教育を受けている他国人と比較して)事実がある。
  2. ^ 岡村志嘉子「中国の愛国主義教育に関する諸規定」、国立国会図書館『レファレンス』2004年12月。[1]

関連項目

外部リンク