堀内一雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。遼東半島 (会話 | 投稿記録) による 2015年10月29日 (木) 01:51個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎参考文献)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

堀内 一雄(ほりうち かずお、1893年9月 - 1985年12月11日)は、日本の実業家政治家陸軍軍人衆議院議員(5期)。父は堀内良平、息子は堀内光雄。最終階級は歩兵少佐[1]満州国陸軍少将[2]

来歴

山梨県出身。1915年5月、陸軍士官学校(27期)を卒業[3]1925年11月、陸軍大学校(37期)卒。陸軍少佐まで進み第9師団参謀を務めた[1]。その後、満州国陸軍少将となり、第1軍管区参謀長満州国総務庁弘報処長、安東省次長兼大東港建設局長を歴任[2]

1942年第21回衆議院議員総選挙で初当選。戦後、公職追放になるが、1947年に富士山麓電気鉄道(現富士急行)社長に就任。1955年総選挙日本民主党から立候補して当選。第1次岸改造内閣で建設政務次官に就任。国会内では衆議院外務委員長を務めた。1962年に富士急会長に就任。1969年からはテレビ山梨の社長を務め、1973年から1981年まで会長を務めた。1985年死去。

脚注

  1. ^ a b 『日本陸海軍総合事典』第2版、578頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』573頁。
  3. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、578、626頁。

参考文献

  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。