分割統治
分割統治(ぶんかつとうち、英語:Divide and rule)とは、統治者がある国や地域を分割して治める方法。
歴史
古代ローマ帝国は、支配下に治めた都市相互の連帯を禁じ、都市毎に応じて処遇に格差をつける分割統治によって、征服した都市からの反乱を抑えることに成功した。3世紀後半の皇帝ディオクレティアヌスはテトラルキア(四分割統治)を導入し、広大な領土を治めようとした。4世紀末の皇帝テオドシウス1世は息子二人に帝国の東西を分けたために後世「東ローマ帝国・西ローマ帝国に分裂した」と言われるが、当時の感覚ではディオクレティアヌス時代同様の分割統治であり、時を経るにしたがってこれが固定化し、やがて西側が滅びてしまったためにそう呼ばれているに過ぎない。
ポーランドはヤゲウォ朝が途絶えたあと、政治が安定せず、ロシア・プロイセン・オーストリアの3国によってポーランド分割が行われ、18世紀末に国家が消滅した。1919年に独立を回復するまで、この分割統治は続いた。
19世紀以降の欧米の植民地経営は、この原理をよく応用した。イギリスは、インドで、人種、宗教、地域の差異で分割した集団を互いに反目させることで長期の統治に成功した。
アフリカにおいては、1912年までにエチオピアとリベリアを除くアフリカ全土が、ヨーロッパ列強各国によって分割統治された(詳しくはアフリカ分割を参照)。
第二次世界大戦後には、敗戦国となったドイツ及びベルリン、オーストリアのウィーンが連合国(米・英・仏・ソ)によって分割統治された。また同じ敗戦国である日本においても、日本の分割統治計画というものがあった。また冷戦構造が起こるにつれ、朝鮮が米ソにより北緯38度線を境に南北に分割統治された。
分割統治の例
- 現在の分割統治
- ティモール島(西は旧オランダ領→インドネシア領、東は旧ポルトガル領→インドネシアによる併合→東ティモール)
- ニューギニア島(西は旧オランダ領→西パプア共和国→インドネシアによる併合、北東部は旧ドイツ領→オーストラリア委任統治領のち信託統治領、南東部は旧イギリス領→オーストラリア領、⇒東部全土がパプアニューギニア領)
- イスパニョーラ島(西は旧フランス領→ハイチ領、東は旧スペイン領→ドミニカ共和国領)
- サモア諸島(西は旧ドイツ領→ニュージーランド委任統治領のち信託統治領→サモア独立国、東は現在もアメリカ領)
- トルキスタン(西はトルクメニスタン・ウズベキスタン・キルギスタン・カザフスタン・タジキスタン、東は中華人民共和国新疆ウイグル自治区)
- アフリカ分割(列強からの独立後が当時の分割が国境線に影響している)
- 過去の分割統治
- ポーランド分割
- 一時期を除く1905年から1945年までの樺太島(北がロシア領→ソ連領、南は日本領)
- 1945年から1955年までのウィーン(連合軍軍政期 (オーストリア))
- 1949年から1990年までのベルリン(西が旧西ドイツ領、東が旧東ドイツ領)
- 1949年から1967年までのエルサレム(西がイスラエル領、東がヨルダン領)