ラリー・フィッツジェラルド
Larry Fitzgerald | |||||||||
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2006年6月のフィッツジェラルド | |||||||||
アリゾナ・カージナルス #11 | |||||||||
ポジション | ワイドレシーバー | ||||||||
生年月日 | 1983年8月31日(40歳) | ||||||||
出身地 | アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス | ||||||||
身長: | 6' 3" =約190.5cm | ||||||||
体重: | 220 lb =約99.8kg | ||||||||
経歴 | |||||||||
大学 | ピッツバーグ大学 | ||||||||
NFLドラフト | 2004年 - 1巡目全体3位 | ||||||||
初出場年 | 2004年 | ||||||||
初出場チーム | アリゾナ・カージナルス | ||||||||
所属歴 | |||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||
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NFL 通算成績 (2015年15週まで終了時点) | |||||||||
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Player stats at PFR |
ラリー・フィッツジェラルド(Larry Fitzgerald, Jr. 1983年8月31日- )はミネソタ州ミネアポリス出身のアメリカンフットボール選手。フルネームはラリー・ダネル・フィッツジェラルド(Larry Darnell Fitzgerald, Jr.)。現在NFLのアリゾナ・カージナルスに所属している。ポジションはワイドレシーバー。背番号は11。
少年期
彼は13歳から17歳までの間、父親が当時ミネソタ・バイキングスのヘッドコーチであるデニス・グリーンと親しかったためボールボーイを行った[1] 。
高校1年の時彼はミネハラ・アカデミーでディフェンスバックとしてプレイした。その年彼の所属するチームはミネソタ州のハイスクール史上に残る大敗を喫した。彼は転校し高校2年からはホーリーエンジェル・アカデミーに転校し、その後ウィスコンシン大学で活躍したジョン・ストッコとチームメートになった。2001年半ばにはペンシルベニア州ウェインにあるバレー・フォージ・ミリタリーアカデミーに移り、大学進学の準備を行った。高校卒業後1年半が経過した2002年5月、彼はミネソタ州セント・ピーターにあるグスタフ・アドルフ大学に入学した。
大学時代
その後、彼はピッツバーグ大学に移った。彼はカレッジフットボール史上に残る活躍を見せて広く知られるようになった。2003年にウォルター・キャンプ賞(カレッジフットボールでその年最優秀選手に贈られる賞)、フレッド・ビレトニコフ賞(その年最優秀WRに贈られる賞)、オールアメリカンにも選ばれ、ハイズマン賞にもノミネートされたがジェイソン・ホワイトが受賞、彼はわずかの差で次点となった。
彼はわずか26試合の出場で161キャッチ[2]、2677ヤード[3](平均16.6ヤード)を稼ぎ34タッチダウン(大学歴代記録)をあげた。大学史上初の2年連続1000ヤード以上のレシーブ記録を樹立、100ヤード以上稼いだゲーム14試合の大学記録、NCAA記録となる18試合連続タッチダウンレシーブを達成した。
プロ入り後
92キャッチ、1672ヤード獲得、22タッチダウンの記録を残し、彼は2004年のNFLドラフト1巡目全体3番でアリゾナ・カージナルスに指名されて入団した。当時のヘッドコーチは奇しくも彼がバイキングスでボールボーイをしていた時のヘッドコーチ、デニス・グリーンであった。
入団後すぐに彼は頭角を現し、カート・ワーナーのパスターゲットとなった。2004年のルーキーシーズン、58キャッチ、780ヤード、8タッチダウン、2005年には103キャッチ、1409ヤード、10タッチダウンの記録を残しプロボウルにも選出された。彼はチームメートのアンクワン・ボールディンと共に最も危険なWRコンビの一つとして知られるようになった。2005年シーズン彼ら2人はNFL同一チームから1シーズンに100キャッチ以上した史上3組目のペアとなった[4]。彼ら2人は互い1400ヤード以上を獲得、これもNFL史上3組目の記録であった[5]。
2006年、負傷のため数試合を欠場したが、69キャッチ、946ヤード、6タッチダウンの成績を残し、2007年には100キャッチ、1409ヤード、10タッチダウンの成績で2度目のプロボウルに選ばれた。2007年シーズン終了後、彼はチームと4年間4000万ドル、3000万ドルの保障で契約を結んだ[6]。
2008年、96回のキャッチで1431ヤードを獲得、12タッチダウンをあげた[7]。カージナルスが9勝7敗でNFC西地区優勝を果たし、初出場となったプレーオフでも彼は活躍を見せて、フィラデルフィア・イーグルスとのNFCチャンピオンシップゲームではNFLプレーオフタイ記録となる3タッチダウンレシーブを記録した。3回のタッチダウンレシーブをチャンピオンシップゲームで前半だけでマークしたのは彼が初であった[8]。彼はまたジェリー・ライスが持つポストシーズン1シーズンでのレシーブ記録を抜きチャンピオンシップゲームまでで419ヤードを獲得し第43回スーパーボウルを迎えることとなった[9][10]。
ピッツバーグ・スティーラーズと対決した第43回スーパーボウルでも、フィッツジェラルドはアイク・テイラーらによるダブルカバーにより厳しいマークにあい第3Qまではわずか1回のレシーブで12ヤードの獲得にとどまったが、第4Qに2つのTDレシーブを決めた。1つ目は残り7分41秒のもので、2つ目のTDは残り2分47秒に64ヤードの独走であげ、カージナルスはスティーラーズを逆転したが[11]残り2分37秒を残して攻撃権を得たスティーラーズに残り35秒、ベン・ロスリスバーガーからサントニオ・ホームズへのタッチダウンパスを決められ逆転負けを喫した[12][13]。
同年のプロボウルでは、2TDの活躍でMVPを獲得した[14]。
2009年のプレーオフ、ニューオーリンズ・セインツ戦ではダブルチームで抑えられた[15]。プロボウルに選ばれたが怪我のため欠場、代わりにニューヨーク・ジャイアンツのスティーブ・スミスが選出された[16]。
2010年、12月25日のダラス・カウボーイズ戦でNFL歴代4位となる97試合連続キャッチを達成した[17]。この年先発QBが安定しなかったことや、アンクワン・ボールディンがボルチモア・レイブンズに移籍してマークが厳しくなった[18]ものの90回のキャッチで1,137ヤードを獲得した[19]。
2011年1月24日、グリーンベイ・パッカーズが第45回スーパーボウル出場を決めたため、グレッグ・ジェニングスの代わりにプロボウルに選出された[20]。
2012年、第3週のフィラデルフィア・イーグルス戦で、9回のキャッチで114ヤードを獲得、1TDをあげてNFC週間MVP攻撃部門に選ばれた。またこの試合で通算700レシーブを記録したが、これはそれまでジェイソン・ウィッテンが持っていた最年少での記録達成(30歳133日)を上回る29歳23日での記録達成であった[21]。
人物
サイズに恵まれており、空中での高いレシーブ能力を持っている[22]。
また、個人成績に現れないものの、味方選手がボールを持って攻めあがった際には、相手ディフェンス選手へ効果的なブロックを決めて手助けすることが多い[23][24]。
ケン・ウィゼンハントによれば、リーダーとしての振る舞いを見せている。またパスがあまり来ない試合でもQBに不満を訴えるような選手ではないとカート・ワーナーに評された[25]。
家族
父親はミネソタ州でスポーツライターを行っており、1981年以来毎年、スーパーボウルのスポークスマンレコーダーを行っている[26]。母親は乳癌との闘病中、2003年に脳内出血で亡くなった。弟が1人いる。
その他
- EAスポーツのビデオゲーム、「NCAA Football 2005」のカバーイラストに登場している。
- エレクトロニック・アーツの人気アメフトゲームシリーズマッデンNFLの2010年度版のカバージャケットにトロイ・ポラマルとともに登場した[27]。このゲームのカバージャケットを飾った選手は、その後成績が低迷するというジンクスがあるため、フィッツジェラルドがこのジンクスを打ち破ることができるかどうか注目されている[28]。
脚注
- ^ 生島淳. “大爆発のWRはバイキングス育ち? WRフィッツジェラルド”. NFL JAPAN. 2011年8月9日閲覧。
- ^ ラテフ・グリムの178回、アントニオ・ブライアントの173回に次ぐピッツバーグ大学歴代3位の記録
- ^ ブライアントの3061ヤード、ディートリヒ・ジェルズの3003ヤード、グリムの2680ヤードに次ぐ歴代4位
- ^ (これまでの2組は1995年のデトロイト・ライオンズのハーマン・ムーアとブレット・ペリーマン、2000年のデンバー・ブロンコスのロッド・スミスとエド・マカフリー)
- ^ 1995年、デトロイト・ライオンズのムーアとペリーマン、2000年、セントルイス・ラムズのトリー・ホルトとアイザック・ブルース
- ^ “カーディナルス、フィッツジェラルドと開幕前に契約延長へ”. NFL JAPAN (2011年8月2日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ “フィッツジェラルドはリーグ最高のWRなのか?”. NFL JAPAN (2009年1月25日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ “Arizona Cardinals Defeat Donovan McNabb and the Philadelphia Eagles, 32-25”. bleacherreport.com (2009年1月18日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ “カーディナルス最強パスオフェンスVSスティーラーズ最強ディフェンス”. NFL JAPAN. 2011年8月8日閲覧。
- ^ “Fitzgerald shines as Warner leads Cardinals to franchise's first Super Bowl”. ESPN (2009年1月18日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ 生沢浩 (2009年2月5日). “スーパーボウルを徹底検証! スティーラーズの勝因とは?”. NFL JAPAN. 2011年8月8日閲覧。
- ^ 生島淳 (2009年2月4日). “スーパーボウルMVPはスポーツ万能の24歳、WRホームズ”. NFL JAPAN. 2011年8月8日閲覧。
- ^ “スティーラーズ劇的勝利! 史上最多6度目のスーパーボウル制覇”. NFL JAPAN (2009年2月2日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ “Fitzgerald leads NFC over AFC 30-21”. Yahoo!スポーツ (2009年2月8日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ “カンファレンス・チャンピオンシップ、5つの鍵 -NFC-”. NFL JAPAN (2010年1月19日). 2011年8月8日閲覧。
- ^ “ブレイディ、フィッツジェラルドがプロボウル欠場へ”. NFL JAPAN (2010年1月21日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ “「クリスマスに勝つなんて最高」、大喜びの新人QB”. NFL JAPAN (2010年12月26日). 2011年8月8日閲覧。
- ^ “今季注目のWRたちをランキング! -前編-”. NFL JAPAN (2011年6月8日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ “カーディナルス、WRフィッツジェラルドと契約延長交渉を開始”. NFL JAPAN (2011年1月10日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ “プロボウルメンバー、SB進出の両チームなど13人が変更”. NFL JAPAN (2011年1月25日). 2011年8月8日閲覧。
- ^ “開幕3連勝の立役者らが週間MVP -攻撃部門-”. NFL JAPAN (2012年9月27日). 2012年10月16日閲覧。
- ^ “アナリストが選ぶトップ50プレイヤー、1位から10位”. NFL JAPAN (2011年7月1日). 2011年8月8日閲覧。
- ^ “Larry Fitzgerald's key block aids Cardinals touchdown”. NFL.com (2015年12月11日). 2016年1月30日閲覧。
- ^ “Fitzgerald screen block on Sherman”. NFL.com. 2016年1月30日閲覧。
- ^ “リーダーとしても成長中、カーディナルスのWRフィッツジェラルド”. NFL JAPAN (2009年9月23日). 2011年8月9日閲覧。
- ^ “Larry Fitzgerald Sr's Toughest Assignment Yet”. ESPN (2009年1月25日). 2011年8月8日閲覧。
- ^ ““マッデン”最新作カバー投票、伏兵ウッドヘッドらベスト8進出”. NFL JAPAN (2011年4月5日). 2011年8月8日閲覧。
- ^ ““マッデンの呪い”、今年の犠牲者はフィッツジェラルドか?”. NFL JAPAN (2009年4月9日). 2010年10月31日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト (英語)
- Arizona Cardinals bio (英語)
- 通算成績と情報 NFL.com, or ESPN, or Pro-Football-Reference (英語)
- 選手だって一人の人間、フィールド外の活動に注目!
- ラリー・フィッツジェラルド - IMDb(英語)
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